2007年01月21日

『ふしぎの国の運動会』・その一

          ふしぎの国の運動会

        台風のあとにあらわれた大人たち        

 「あっち向いてホイ、ひっかかった!」
 指さしたケンタが、はずんだ声で笑った。
 一瞬、風がやみ、外がオレンジ色にそまった。バキバキと空をかきむしる、するどいうなり、つづいてまばゆい光が地面になだれおち、大きな衝撃が走った。雷だ。生木が裂けるにぶいひびきとともにツトムの鼓膜ははりさけんばかりにふくらんだ。ツトムはとっさに両手で耳をおさえた。全校児童がざわめきたった。運動会は、明日だ。ツトムとケンタは、数人の子どもがいる窓へ駆けよった。さっきまで必死に強風に耐えていたセンダンの巨木が、幹の中ほどから真っ二つに折れ、体育館の東側から運動場へかけ倒れている。折れたあたりからは、うっすらけむりが立ち上っている。 
 子どもたちからは、悲鳴とも歓声ともつかぬ叫び声が上がった。緊急の会議にいっていた先生が数人もどってきた。
 「静かに、静かに」
 注意しながらも、顔色は青ざめている。これは延期どころか、もしかすると中止になるかもしれないぞ。ツトムは、期待に胸ふくらませた。
 ツトムの町を台風が、まっすぐにとおりぬけようとしていた。クジラが小さな魚をひとのみするように一面、真暗にかわり、不気味なうなりと地ひびきが空気をふるわせ、全校児童が体育館に避難していた。
 友だちのケンタとふざけていても、明日がどうなるかでツトムの頭の中はいっぱいだ。
 運動場は、まるで水をためた大ざらがなんまいもあり、雨水がえだわかれしたあとは爪みたいで、恐竜の足あとのように見える。
 ところが、それから一時間くらいたったころ、雨と風がうそのようにパタリとやんだ。
 あつい雲におおわれていた空に、きれまが見えだし、日ざしがわずかだが顔をのぞかせはじめた。つぶのような光がさわさわと地面におり、水たまりに反射する。
 雫が消え、水面が静まりかえり、ツトムにはいっそうさびしく見えた。
 それぞれ教室にもどり、いつもの授業となった。 
 センダンの木が、氷河期に絶えたマンモスのように毛をびっしょりぬらし、グラウンドにへばりついている。ちょうど徒競走のスタートラインをふさぐ形だ。
 ツトムは、しずんだ顔で正門に目をやった。荷台に小山のように砂をつんだトラックがやってきている。 
 トラックはツトムの眼ざしをよそに深いわだちをつくり、ぬかるんだ運動場へ走りこんできた。荷台をななめにし、砂をひろげていく。五年生と六年生が歩きにくそうに運動場へ集まりだした。何人かはトラックの後ろをのろのろついて、トンボで砂をならしている。 「おーい、こっちだこっち」
 体育主任の五島先生が、職員室から短パンとはだし姿で出てきた。
 「おい、こうするんだ。よく見てろよ」
 まわりにいる子どもたちに、お手本を見せている。腕を動かすたびに、あつい胸板がユサユサゆれ、スコップをにぎった腕や肩が弓矢のようにしなり、砂粒は扇形にひろがった。 「ちぇっ、やっぱり運動会はあるのか」
 四年の教室を出てから、下駄箱でくつにはきかえていたケンタが言った。
 「でも、あのセンダンの木はどうなるんだろう」
 まだケンタは、あきらめがつかないようだ。
 ちょうど二人が、運動場をとりかこむ歩道へ出たときのことだ。
 ゴーッといううなり声をたて、フォークリフトがあらわれた。
 小さいわりに、ぶ厚いタイヤをつけ、地面をはうように走ってくる。
 運転手は野球帽にサングラス、リフトの鉄板にはハチマキ姿の男が乗っていて、片ひざを立て、しゃがみこんでいる。片方の腕ですべり落ちないようしっかり車体をにぎり、もう一方の腕にはギザギザの長ひょろい歯をつきだしたチェーンソーをかかえていた。
 そんなちょっとかわった二人は、小きざみにスピードを上げ下げし、ツトムとケンタからあまりはなれていない、倒れたセンダンの木へやってきた。 
 ハチマキ男をかなり高い位置まであげ、しなだれた幹の皮や、そこからのびた枝を切っていく。チェーンソーは、歯がくいこんだしゅんかん、甲高い音に、さらにするどさをまし、あたり一面に枝と金属がぶつかりあう音をひびきわたらせた。  
 ツトムとケンタは、感心したようにそれに見入っていた。 
 ハチマキが下りた後、切断された幹の下へリフトが差し込まれた。のっそりとマンモスはかかえられ、すみにかたづけられたのだった。
 「五島先生、あとはオレにまかせといてくださいよ」
 うなりをあげるエンジン音とともに、鉄が地面をころがる音がなりだした。運転席から、スコップやトンボをもった人だかりへ向け、声がとぶ。それは、工事現場でよく見かけるオレンジ色のタンクローラーだ。 
 「ねえ、ツトムくん、せっかくだからもう少し見ていこう」
 「ん、ううん‥‥」
 二人は、運動場の西側のすみの運ていで、ぶらさがりながらながめることにした。
 タンクローラーは、現場へ入るなり、リレーや徒競走のコースをていねいに何回もぐるぐるまわって、ならしはじめている。へっこみが大きいときは運転手がそのたびに頭をさげ、地面の様子をたしかめていた。
 ひととおり終えると、ローラーの運転手がおりてきた。黄色いヘルメットから陽にやけた顔と口ひげがのぞき、いかにも満足そうな笑いがこぼれている。胸ポケットからタバコをとりだしながら、五島先生のところへ歩いていく。
 トラックを運転していたリーゼントも、ひと休みのつもりでやってきた。
 そこにいる人たちは、よく見ると、行事があるたびに学校で見かける顔だ。
 「富岡さん、どうもお世話になります」
 「いやいや、先生、おれも台風がきたときにはどうなるかと思ったけど、ぎりぎりセーフってとこですかね。こいつがこんどは会長なもんで、恥はかかせられねえし、あわてましたよ。まあ、土建屋のおれたちにゃあ、これぐらい朝めし前だけど」 
 口ひげがもぞもぞひげを動かし、嗄れた低い声で言うと、
 「いやあ、兄貴がいつでもやれるよう段どっとけって、念をおしてくれてたもんで」 
 リーゼントが、それよりやや高い口調でつけたす。
 「ねえ、ねえ、あの二人知っている?」  
 ケンタが運ていで逆上がりを一回成功させ、言った。
 「もしかして、PTAの会長と副会長」  
 ツトムも、記憶をたどり、そろりと答えた。 
 「兄弟でやってんだよ。少し前までは上のお兄さんが会長やって、今年は反対に入れかわったんだ。あの二人のお父さんも、そのまたお父さんも、ずっとPTAの会長やってたんだって。父さん言ってたよ」  
 ケンタのお父さんは、昔、ここの学校で先生をやっていて、それをやめ、今はパン屋をはじめたかわった人だ。だからケンタはツトムの知らない学校のことをいろいろ知っている。パンのお店は少し遠いところにあるせいで、ふだん、二人ははなれて暮らしている。
 ツトムもケンタと同じ、お母さんとの二人暮らしだ。ツトムのお父さんは、三年前、クモ膜下出血で死んでしまった。でも今では、あまり思い出したくない記憶だ。そう言えば、ケンタもお母さんの前では、お父さんの話をあまりしないようにしていると言っていた。
 「いやいや、おつかれさん」
 リーゼントの会長は、一人一人にあいさつしてまわっていた。まず、フォークリフトのとこへ、いそいそとでかける。
 「おっ、富岡会長。まあ、これでなんとか運動会も無事やれそうだね」 
 「ええ、おかげさんで。古賀さんには、この一年、いろいろお世話になります」 
 「なんてったって、運動会は、学校の一世一代の花だからね。子どもたちも一番楽しみにしてるし。教育委員会や保護者にぶざまなものは見せられんでしょう」
 「すいませんね。ほんとうならおれがもう一年か二年、体育委員長やらなきゃいけなかったのに。古賀さんより早く会長になんかさせてもらって」
 「いや、いいんだよ。あんたの兄貴とは幼なじみだし、いろいろこっちも世話になってるんだから。それに下の娘ができたのがおそかったんで、まだまだ先があるんだよ」
 そこで、少し照れたように口もとをほころばせた。
 「でも、センダンの木がなくっちゃ、ちょっとさびしいな。たしか校歌にもこの木のことはあったでしょう」 
 ハチマキ男が、折れた幹をあごでしゃくりながら言った。
 「まあ、心配しないでください。おれに考えがありますから」
 リーゼントは自信げに、目をほそめた。
 そのとき、なんの前ぶれもなく上空で、大きくはれつする音がした。それがバクチクであることはだれにでも、すぐにわかる。ツトムとケンタも、心臓がおどり上がるほどびっくりした。 
 「五島先生、とうとうやったみたいだな」 
 会長は、ふり向くとあわてて音の方へかけだした。見ると、そこに五島先生の大がらな影がちらちらしている。グランドで準備していた子どもたちも、何人か集まっていた。 
 バクチクは児童用の椅子の脚にガムテープでくくりつけられ、発砲されていた。
 「事故ですか」 
 会長のあわてた声のあと、体育委員長も、子どもたちの輪へ入ってきた。 
 ところが五島先生は、
 「ちょっと景気づけに、予行練習しとこうと思いまして」
 大きな二の腕でてれくさそうに頭をかくだけだ。
 「先生、練習もいいけど、こんなに子どもがいる前じゃ、危ないですよ」
 会長は、半分あきれ顔だ。それからつけくわえるように、
 「明日は、入場行進の始まりと閉会式の終わりの合図の二本だけは、ちゃんと古賀さんにさせてくださいね。計画案でそうなってるんだから」 
 ひきたてられたサングラスも、まんざらでなさそうに白い歯を見せる。
 五島先生は、そちらを見ながら、わかってますと何度もくりかえし、さらに頭をかいた。

『ふしぎの国の運動会』・そのニ

           ある人の、ちょっとかわったじゅんび
 
 ツトムが家に帰ると母のマサミが、いつもより早く物産館の仕事を終え、待っていた。 
「ツトム、お母さん、明日の材料、何にもそろえてないの。だからすぐに買いにいきましょう」
 ツトムとマサミが車でデパートへ行くと、台風でこれなかったぶん、とくに食品売り場はこんでいた。一階のフロアで、あれこれ見ているうちに、買いものかごはいっぱいになった。運動会だけではなく、ここ一週間の食材も買いそろえたころ、ついでに二階の衣料品売り場ものぞいてみることにした。 
 「あらっ、古賀さん、お買いものですか」
 エスカレーターをおりてしばらく歩いていたときのことだ。マサミが、男物の下着売り場で品物を見ていた女の人に声をかけた。相手はハッとして、手にしていたものを台にもどした。
 「ああ、夏木さん」
 それからちらりとツトムを見て、
 「今日は、息子さんとお買い物?」  
 少しあいそうをよくし、落ち着きはらうように肩口に力を入れた。 
 「ええ、台風でなにもできなかったものであわててきたんですよ。古賀さんもですか」
 「そうそう、うちも息子のをね……」 
 今度は、さっきより早口だった。マサミも急いでいたので、それ以上は聞かず、かるく頭を下げた。それからツトムをうながすようにほんのちょっと目くばせし、くつ下がおいてある方へ向かった。 
 「ねえ、さっきの人だれ?」
 「古賀さんて言ってね。農業してて、とれたての野菜とかを物産館に出荷してる人よ。今、だんなさんが体育委員長だったかしら」
 ツトムは、今日の放課後、学校で見た野球帽の男の顔を思い出した。 
 マサミとツトムがべつの売り場へいなくなってから、体育委員長夫人、古賀道子も、手早く下着をかごにいれ、レジへもっていった。
 道子は財布からお金を払いながら、なぜあんなにドギマギしたのか自分の心の中を探るように、さっきまでいた下着売り場をボンヤリながめた。息子はすでに七年前に小学校を卒業し、小学校には少し年がはなれて生まれた二年生のジュンという女の子がいるだけだ。 道子の脳裏に、夫の直人のニヤケた顔が浮かんだ。
 直人は、運動会には新しい下着をきていかないと気がすまない。なんでも小さいときから運動会の朝になると、親が体育服の下をすべて新しいものにかえさせていたという。
 新品のメリヤスに肌がふれ、首やうでをとおしたときのにおいや感触がたまらないと、今でもうれしげなのだから仕方ない。そのうえ、今年は体育委員長になったことで、ジャージと運動ぐつまで新しいものを買いそろえさせられた。そのとき下着も準備しておけばよかったのだが、台風のさわぎですっかりわすれてしまっていた。ちょうどトマトの出荷の最中で、ビニールハウスが飛ばないよう、あれこれ動きまわるので必死だった。何気なく洗濯しようと夫の下着を見てとっさに気づき、大あわてで店にきたしだいだ。
 デパートであったことをあれこれ考え、道子が家に帰りつくと、しばらくして、直人も準備からもどってきた。
 道子はデパートであったことはだまっていた。今さら夫に言う気になれない。
 その夜のことだ。娘のジュンとお風呂に入り、上きげんのままふたりで寝室へいった直人のまくらもとには、くつ下とジャージ、下着、それにマジックテープの真新しいくつが、きちんとそろえ、置かれていた。直人は、道子が自分が注文したとおりのことを、ちゃんとやったことにじゅうぶん満足した。
 ふとんを肩にかけようとしたときだ。枕もとに置いたばかりの携帯電話が鳴った。
 「いよいよ、明日、よろしくたのむな」
 PTA副会長、富岡一郎の低い声が、受話器の向こうからとどいてきた。直人と一郎は、本人だけでなく、お互いの息子同士も小中学校で同級だった。
 一郎はつづけた。
 「ようやく、だいたいのだんどりはできたよ」
 「じゃあ、いよいよ虎男さんと勲さんを連れだせるんだな」
 「ああ、医者は命の保証はしないなんてぬかしやがったが、富岡の家は、運動会なくして語れないんだ。しゃにむにうんと言わせたさ」
 「そりゃ、よかった。親子四代のそろいぶみだね」
 「よりによってこんなとき親父まで入院したときはゾッとしたが、じいさんはもう先がないし、めいどのみやげに、孫やひ孫の晴れ姿を一度は見せてやりたいと思ってね」   「まあ、おれにできることがあったら、なんでも言ってくれよ」
 電話を切ると、直人は深い息をし、ジュンとならんでようやく横になった。
 道子のふとんもしいてはあるが、明日のお弁当やもっていくものの準備で、まだまだやすむわけにはいかない。これもまた、道子にとっては毎年のことだ。
 つかれはてた道子がぐっすりねむっている明け方、ベルはそんなことを知るよしもなく、まぶたをこじあけるように鳴りひびいた。
 記念すべく、直人自らが体育委員長の運動会がやってきた。直人は、ジュンや道子をおこさないよう急いでベルをとめた。幸い、二人はまだねむっていた。
 下着を着がえたあと、新しいジャージにそでをとおす。新品のあまいかおりが鼻先ににおってくる。そして、そろりとふすまをあけ、縁側に出た。サッシ戸をひらくと、まだ十月のはじめとはいえ、かなり冷え込んだ空気が流れ込み、ほほにあたった。
 直人は、手にもっていたくつを庭の芝生におき、指先から、かかと、くるぶしへとそっとつつみこむようにはいていった。今年は、下着だけでなく、くつも、ジャージも新しいことに胸の高鳴りはいっそうはげしさをましていくようだ。
 つづいて、ゆっくり地面の感触をたしかめながら立ち上がった。
 なにもかもが今、このときから始まる、そんな気がした。地球がゆっくりと自分を中心にまわっている、ふしぎな爽快感だ。直人は、いよいよこらえきれぬといったように大きく深呼吸した。体のすみずみまで、新鮮な空気がいきわたり、血液の流れがドクドクきこえてくるようだ。ピーンとはりつめたものがやってきた。今だ。直人は、そう直感し、毎年やっていることをはじめた。それは、除夜の鐘にひたりながら年越しそばを食べるようなものだ。
 まず、大きくジャンプだ。二回、三回、からだが宙に飛ぶたびに、全身にエネルギーがみなぎってくる。地面に着地したところで、やおら両手をひろげ、ラジオ体操第一番目の序曲は開始された。ひざをまげ、ひろげたり、とじたりし、くっしん運動をやっていく。
 うでを大きくまわし、腰の回転をつかって、そとまわし、うちまわしがくりかえされる。リズムがリズムをうみ、つぎつぎとからだはほぐされていった。
 直人は、関節の節々を動かしながらも、耳だけはたえず冷静さを保ち、ある一点の方向へ集中していた。直人の中ではいよいよ、クライマックスが近づきつつある。やがて、あの音とともに直人自身のからだも天までまいあがることになる。
 二度つづけて地面を思いっきりけり、最後に大きくジャンプしたそのしゅんかんだった。
 パンッ、パーンッ
 どこか遠くの空の彼方で、風船がはじけたような破裂音がした。予想より小さい、気のぬけたしめっぽい音だった。油断していたら、たくさんの保護者や子どもたちが聞きのがすのではないかと心配したほどだ。直人も思わず足首から力がぬけ、よろけそうになった。 「五島先生、しくじったな」
 それでもフィニッシュはやりとげねばならないと、かたむきかかったからだをもとにもどし、自分なりに考えた決まりわざにうつった。思いきって背中をまげ、胸をそらし、後ろをのぞきこむ。ひっくりかえった姿勢でVサインだ。 そのとき、縁側の廊下の上に、ねていたとばかり思っていた道子と娘のジュンが、ねぼけまなこで口をポカンとあけ、立っていた。下ぶくれした道子の不満そうな顔とジュンのあどけない顔が、湖面にうつったように逆さまに見える。
「おっ、ふたりともトイレか」
 「 ‥‥」
 「お父さん、一足さきにおきてね、こうやっていつも体操やってんだよ」
 直人は、まるでそこに娘しかいないような口ぶりで弁解した。こうして、ちょっとしぶめのバクチクの音とともに、それぞれの運動会の日は始まっていった。 

『ふしぎの国の運動会』・その三

           へんな人たちのへんな会話

 学校からそう遠くない場所にすむツトムも、その音に耳をかたむけていた一人だ。毎年ゴザ当番をまかせられているツトムは、なんとなくそわそわしていた。バクチクは、ツトムの耳にもとどいたが、どこか期待していたものとはちがい、迫力にかけ、地味なものだった。昨日までふりしきっていた台風のひきおこす雨や風の方が、よほどツトムの胸をわくわくさせるものがある。 
 「ツトム、また場所とりお願いね」 
 「わかってるよ。いつもやってんだから」
 マサミは、台所でツトムの大好物なエビフライをあげていた。ジュージューとあぶらのはじける音といっしょに、こおばしいかおりがぺこぺこのおなかをくすぐる。
 「まだうすぐらいから、車には気をつけてね」
 運動会でいいのは、朝ごはんにおべんとうのおかずが出てくることくらいだ。そのことが楽しみなツトムは、食べたい気持ちをぐっとこらえ、シートを自転車のかごに入れ、学校へ向かった。
 ペダルをこぎながら、ツトムは去年のことを思いだしていた。少しねぼうしていったばかりに、かなりはなれた花だんのところしか空いていなかった。できるだけ早く学校へいこうと気はあせるのだが、台風が過ぎ去ったばかりで空缶がころがっていたり、泥や石ころが道路まで流れた跡がある。おまけに曇り空で目の前がぼんやりし、カーブのところではせっかくでたスピードをおとし、ゆっくりすすんだ。
 ツトムが学校についたころには、グラウンドの外には、さまざまな色とがらのシートが、たて向きや横向きに、なんまいもしいてあった。
 「あれっ」
 ツトムは自分の目をうたがった。
 折れたセンダンの木がもとどおりになっている。少しこぶりになった感じはするが、充分な風格をもち、朝もやのグラウンドを見下ろしている。折れた幹は四方をツトムの胴体ぐらいの丸太が支え、囲いで近づけないようになっている。つなぎめにはグルグルと縄が巻かれ、きっとその内側は、鉄のボルトや太い針金や、ありとあらゆる工夫がされているにちがいない。ケンタは感心したように根もとから枝の先まで見上げた。
 場所とりも、去年より早かったかいあって、徒競走の直線ぞいの見やすいところが残っていた。ツトムはそこへシートをひろげ、重しの石を置いた。 
 「もう先生たちは、きてるんだよな」 
 職員室の方を見るととうぜん、明かりがついていて、人のけはいがあった。 
 「へんな人がいるぞ」 
 なにか、今、赤いシャツにマントをつけた学校で見かけない人影が、まどぎわに映ったように思えた。ツトムは、ちょっとだけ中をのぞいてみたくなった。
 念のため、校庭がわでなく、中庭へうつった。まどわくに手をかけ、わずかにからだを持ち上げ勇気をだして見てみた。
 黒い眼帯をつけたキャプテンクックが、急須にお湯を入れていた。クマがその横で湯のみをならべている。バスガイドにチョンマゲをつけたサムライ、それにマント姿のスーパーマンもいた。そんなへんなかっこうの人たちが、中央テーブルにあつまっていた。 
 予想もしていない光景に、ツトムは息をのんだ。
 「しかし、センダンの木も、ぶじなおせてよっかったですな。あれだけの大きな木も、富岡さんたちにはなんていうことはないんですから。でもプログラムは若干、天気のことも考え、早くすすめる必要があるでしょう。五島先生、職員会議のときまでに案を考えておいてくださいよ」
 チョンマゲが椅子に座り、細かい注文をつけている。刀をぬき、切り先を見ていた。
 「それはそうと先生、昨日、予行練習までしていたにしてはバクチクの勢いが今ひとつでしたが‥‥‥」
 チョンマゲは、さっきから立ち上がってポーズをとっているスーパーマンへ疑ぐりぶかい目をちらりと向けた。口調は、軽っぽくからかうふうだ。
 「校長先生、バクチクは、風向きも時間もすべてが最高の条件がととのっておりました。ただちょっと、このマントがじゃましまして‥‥」 
 スーパーマンは、マントのできぐあいをたしかめでもするように、なんどもえりもとをひっぱった。 
 「じゃあ、やっぱりそのかっこうで行ったんですか」
 チョンマゲは、カツラが少しずれた顔で、あきれたようにつぶやいた。 
 「上がるほんの一瞬、ちょっとマントがひっかかって斜めに飛びまして‥‥」
 スーパーマンは、悪びれたところも見せない。
 キャプテンクックが、重箱をもってきた。 
 「どうぞ。これ母が先生がたに食べてもらえって、昨夜からいっしょうけんめいつくったんですよ」
 「ほーお、おはぎですね。林先生は採用されてはじめての運動会ですから、さぞご両親もおよろこびでしょう。それに放送担当で、美声が生かせるし」
 バスガイドは、両手で大きな胸のふくらみをおさえながら、首をのばし、箱の中をのぞきこんだ。
 「はい、かならずビデオにとってやるから、みっともないまねだけはするなって、うるさいんですよ」
 クック船長はそこで、はずかしそうに眼帯をはずした。二重の大きな瞳があらわれた。 「それじゃあ、みなさん、せっかくですからえんりょなくいただきましょうか」 
 どうやらバスガイドは、甘いものに目がなさそうだ。 
 「でもやっぱり、食べる前にこれははずさないと、さっきから息苦しくて」
 胸もとに手をいれ、ふくらみにつまったものをひっぱりだした。大きな二個の風船が、はずむように出てきた。 
 「あははは。教頭先生のその姿を見たら、子どもたちもさぞびっくりするでしょうな」 「PTAの父親たちが興奮するんじゃないですか。奥さんよりグラマーだって」  
 スーパーマンはそう言うが早いか、チョンマゲの横で、いよいよジャンプまではじめた。 ツトムが不思議に思ったのは、クマだ。クマのぬいぐるみだけが、さっきからだまったままだ。
 「しかし、五島先生、この仮装リレーだけはなんとかなりませんか」
 胸がはだけ、すっきりしたバスガイドはそう言うと、一人だけおはぎをほおばりスーパーマンをうらめしげに見た。
 「開校百年の記念ですから。PTAも、どんな出しものをするか、楽しみにしてますし。まあ、毎年やっている組体操とかとはちがうと思うんですが。でも‥‥」
 スーパーマンは、そこで少し間をおき、
 「組体操も、一度だけやるかやらないかで、たいへんだった年があるっては聞いてますが‥‥」
 「ああ、あの年のことか」
 チョンマゲが、あまり自分とは関係ないといったふうに椅子にすわりこみ眉をしかめた。 クマがかぶりものをとったのは、そのときだ。中にいたのは、担任の田口先生だ。
 「あれは、わたしがこの学校にきて一年目のことだったからよくおぼえています。今からちょうど七年前、障害児が一人いたんですよ。そうでしたよね。教頭先生」 
 田口先生はふりむくと、バスガイドを名指しした。 
 「教頭先生が、その子の受け持ちをなさったときのことでしたよね」 
 「えっ、教頭先生が‥‥ですか」
 スーパーマンが、信じられないというようにマントをひるがえした。 
 「へっ、ええまあ‥‥、担任といっても私はあくまでも障害児学級の方で、子どもはできるだけ原学級にかえしていましたが‥‥」 
 バスガイドがはっきりしないので、田口先生がかわりに話しはじめた。 
 「たしか、教頭先生は、あれが最後の担任で、その後、別の学校へ転任され、そこで教頭になられたんでしたよね」 
 出世の話となると、もじもじは消え、今度はバスガイドも背筋をピンと伸ばした。 
 「二つ学校を移動し、教頭としてまたここへもどってきたのです」 
 「まあ、とにかくあの年は、いろいろもめたと私も聞いております」  
 チョンマゲが助け船をだすように割って入り、目をしかめ、厳しい表情をした。 
 「障害児が参加できないってことで、恒例の組体操をやめてちがうものにするかどうかで、ずいぶんこじれたんです」 
 田口先生は、後にひかないかまえだ。
 「どんな障害だったんですか」 
 スーパーマンが、マントをひっぱりあげ聞いた。
 「自閉的傾向が強いんです。集中力がたもてなくて、練習していてもふっと力をぬいてしまうんですよ。それに、いろいろこだわりもつよいですし」
 田口先生は真剣だった。
 「ええ、そうですよ。それでわたしは、この種目だけは毎年、保護者も楽しみにしていて変更できないので、その子には見学させてけっこうですって、原学級の先生にお願いしたんです。しかし、その先生が、本人とクラスの子がどうしてもいっしょにやりたいといっているから、参加できる簡単な種目にかえるとまげませんで、それでもめたんです」 
 バスガイドが、開き直ったように声を大きくした。
 「うわあ、組体操がなけりゃ、運動会らしさがぜんぜんないじゃありませんか」
 スーパーマンはおどろいたふうに、おおぎょうにさけんだ。
 「そうでしょうか」
 田口先生は、スーパーマンとは対照的に残念そうにほんのちょっと声を小さくした。
 「それで、どうなったんです?」
 スーパーマンは身をのりだし、目をギョロつかせ、聞くことをやめなかった。
 「富岡一家の登場ですよ。お兄さんの一郎さんが会長のときで、それに今、体育委員長をしている古賀さんの長男も同じ学年にいたもんで、みんなで一致団結しましてね、いつもの形を貫いたんです」
 しばらく口をつぐんでいた田口先生が、少し気負いぎみに、言葉に力をこめた。
 「そのとき原学級の担任をしていた教師が今、私のクラスにいる竹本健太の父親です」
 そんな田口先生に負けまいとバスガイドが血相をかえ、何かを返そうとしたとき、チョンマゲがふきげんそうに立ち上がり、それをさえぎるようにえへんとせきばらいした。  「とにかく、クジとはいえ、職員の中からこの記念すべき仮装リレーにえらばれたことは名誉なことなのですから、しっかり目立ってくださいよ。よろしくお願いします」
 校長先生がしゃべったしゅんかん、部屋は水をうったようにしーんとなった。それからくるりと立ち上がり、校長室へ消えていった。教頭先生もおはぎをいそいでもう一個口にいれ、風船をもったまま、あとを追うように職員室を後にした。残った先生たちはしばらくすると、ホッとしたように椅子にすわり、食べたり飲んだりのつづきとなった。
 そんな光景を見ながら、ツトムもふとわれにかえった。
 急がないとマサミが心配している。ケンタのお父さんのことが出たのには驚いたが、今は、そんなことはどうでもいいことだ。ツトムは、自転車をこぎ、猛スピードで帰った。
 校長室では、チョンマゲとバスガイドがソファーにもたれて話し合っていた。
 机の上の花瓶には、豪華な生け花が飾られている。
 「校長先生も、さぞお困りになったでしょう。あの竹本先生には。今日、久保田良とパンを売りたいから、許可してほしいなんて」
 「まあ、我が校の卒業生ですし、いい加減にもできませんしな。あなたの提案どおりチラシを配るぐらいならいいとは言っておきました。販売は、ほかの業者のこともあるし、あくまで学校の外でやってくれということで」
 「ありがとうございます。わたしも、一応、元受け持った身としては、そうしていただけるとたすかります」
 「でも、教頭先生、あなた竹本先生には何かと頭があがりませんなあ」
 「へっ?」
 バスガイドは、とぼけたように首をかしげ、その場をどうつくろっていいかわからないふうに風船をぎゅっとつかんだり、スカートのすそをひっぱったりした。
 そのころ、ケンタの家でも、バクチクが鳴ってから、ケンタ自身なんとなくそわそわしながら居間にいた。父親のアキオがやってくる時刻が近づいている。ケンタがアキオと会うのは、一と月ぶりだ。
 「お父さん、あなたをむかえにきてから、いっしょに学校へ行くそうよ。だから待っててね」 
 母親のミドリがどうしても仕事の都合がつかず、アキオと行くことになったのだ。ミドリは、運動会への持ち物をまとめだした。ケンタは、トイレにいったり、テレビをつけては、リモコンであちこちチャンネルをかえたりして、落ち着かない。 
 やがて車のエンジン音がし、ケンタは反射的にテレビのスイッチを切った。車のタイヤが砂利のしいてある地面とこすれ、ブレーキのきしむ音が、じかにつたわってくる。
 ケンタが玄関へ出ると、そこに見たことのないかわった箱型のバンがとまっていた。
 「よう、ケンタ、元気か」
 前の扉のほかに出口はなく、車体の中央に大きな窓があり、『おいしいパン、やきたてのパン』とかいてあった。 
 「リョウ、出ておいで」
 助手席から、いがぐり頭の少しでっぷりした子がおりてきた。
 ケンタより年がひとまわり上だろうか、ブツブツ小さな声でなにやらつぶやいている。 伏し目がちにうたぐりぶかそうな目で外を見て、ふんぎりをつけるようにうなずきながらおりてきた。腕を力まかせに動かし、扉がバタンと勢いよく閉まった。 
 「ここ、タケモっちゃんち?」
 「そう、紹介するよ。タケモっちゃんの息子のケンタ」
 ケンタはあっけにとられ、おどおどした。その子は、ケンタの顔をじろじろ見ている。 「この子は、お父さんが前にうけもっていた久保田良くんって言うんだ」
 リョウは、そのとき初めて目を細め、右手の甲で鼻をかむように、グスンと笑った。
 「運動会のプログラム、見せて」
 それから白い歯をニッとのぞかせ、ケンタにいきなり、左手をさしだしてきた。 
 「ああ、リョウは、そのことがずっと気になってたもんな。ケンタ、たのむよ」 
 アキオは、まだ家に上がろうとしない。
 「うん、わかったけど‥‥プログラムは家にあるんだ」
 ケンタは、ミドリのことが気になり玄関の方を見た。
 「じゃあ、リョウ、中へちょっとだけ入ろうか」
 そのことを察したかのように、アキオもリョウを誘った。
 リョウは、なんの合図か、右手で拳をつくり、それを左の掌にたたきつけた。それからうれしそうに甲高い声を上げ、ステップを踏み、数歩踊るように歩いた。 
 「組たいそうあるかなあ‥‥」
 いきなり方向をかえ、アキオに近づくと、相手の顔をのぞきこんだ。
 「さあな、おれにもわからないよ」
 アキオは、肩をだき、ふたたびリョウをうながした。 
 「組たいそう、あるかどうかしんぱいだなあ‥‥」
 「そうだね。まあ、あってもだいじょうぶだよ」
 アキオは、ケンタにも別に気にするなというように微笑んだ。

『ふしぎの国の運動会』・その四

        はじまったそれぞれの運動会
 
 車の荷台には、さまざまな道具がつまれていた。真中に白いプラスチックの小さなスクリューのついた細長いボールと、それをはめこむこね機に小型のガスボンベ、青いゴム管がつながったオーブンと鉄板が数枚。
 「お父さん、なにする気?」
 リョウの後ろから、ガタガタ音を立てる道具を背中ごしに見ていたケンタが、心配になって聞いた。  
 「きまってるだろう、パンをつくって売るんだよ」
 意外な返事に、ケンタの声は上ずった。
 「そんなことできるの」
 「路上販売の許可証はもってるから、だいじょうぶさ」 
 ケンタは、なんだかとても不安でもあり、おもしろそうにも思えた。
 「組たいそう、やっぱりあるよ」
 リョウがそのとき、プログラムから目をはなすと同時にジロリとアキオを見た。家にいるときからもう、数回目のやりとりだった。
 「あっ、そうか。ずっとつづいてるんだな」
 アキオは、さっきからそうしているように、またあいている手でリョウの肩をたたいた。 ケンタはアキオに言って、学校の少し手前でおろしてもらった。
 「ここから歩いていくよ」   
 アキオはうなずくと、道路の端に横づけした。
 校門をくぐってケンタはおどろいた。
 センダンの木が立っている。雷でたおれる前とかわらず、ごつごつした木肌をさらし、体育館真横によみがえっていた。囲いの外にオールバックと口ひげがニンマリ自信ありげにいた。
 「だめだぞ。さわっちゃ」
 口ひげが注意した。だが、目じりは下がり、なごんでいる。ケンタは教室へ行った。
 「ツトムくん、見た? 木がもとにもどってるの」
 「うん、ぼく、場所とりにきたときから知ってたよ」
 二人は、応援のため自分たちの椅子を運動場のテントへもっていった。ほとんどの子が入れられたばかりの砂に足をとられ、気怠そうだ。
 「椅子をならべた人は、入場門前にいって、練習どおりそれぞれ色別にならびなさい。入場行進が始まるわよ」
 田口先生が、テントをまわってきた。ふちなし眼鏡をかけ、黄色いシャツに紺のジャージだ。田口先生は残念ながら、ツトムやケンタの青団とはちがう。
 「さあ、どの色が早くならぶか。団長、しっかりたのむぞ」
 五島先生が真赤なシャツのそでをいつものようにまくりあげ、あらわれた。下は昨日と同じ短パンにはだし、がんじょうそうな太腿がのぞいている。 
 「おーい、青はこっちだぞ」
 ツトムとケンタは聞きおぼえのする六年の方へいそいだ。
 ツトムたちの横にかがんでいる低学年の子は砂で山をつくり、小石を上からころがしていた。その前でおしりをつき、足の指を砂でうめては毛虫のようによじり、砂から出すことをくりかえしている子もいる。熱心に小えだで絵をかく子もいる。だれも先生や六年生に耳をかたむけていない感じだ。ツトムとケンタも、楽しそうなので砂をいじりはじめた。 「よーし、全員起立!」
 五島先生が笛をならし、全校児童が立ち上がった。いかにも重そうにおしりをあげ、砂をはたいたため、しめっぽいほこりがたった。
 「前にならい! なおれ!」
 ツトムも緊張しはじめ、口の中がかわきだした。
 「先生、おなかがいたいそうです」
 急にしゃがみこみ、脇腹をおさえる一年生を、五年生の女子が、だきかかえている。  田口先生が近づき、うでをとり、その子を列からはずした。
 「それじゃあ、出発する。音楽がなりだし笛がなったら、足ぶみはじめ」
 五島先生はそんなことにおかまいなく、自分のペースでやっていく。
 パーン、パーンパーンッ
 サングラスの手でバクチクが上げられた。見ると鉄棒横で両耳をおさえ、小さくしゃがみこんでいる。立ち上がるとき何度もジャージの前後ろをはたき、大急ぎでもどってきた。 それを合図に、行進曲が鳴り出した。
 椅子にすわった林先生が、マイクを両手ではさみこむようににぎり、ひじを机に置き、じっと動きを見すえている。すでにスタンバイ充分といったかまえだ。
 「昨年の優勝チーム、黄色を先頭に、青、赤がつづき、入場してきました」
 林先生のつやとはりのある声は、運動場にとりつけられた三つのスピーカーからこだました。その横に放送担当の児童が、手もちぶさたでポツンと小さくなっている。林先生はその子にマイクをわたさず、つぎの台詞にアドリブを入れるため、口を大きくあける。
 運動場を半周したころ、曲はかわった。
 「おお、洋子がいたぞ」 
 林先生の両親がテント真横へあらわれる。
 「洋子、こっちを向いてくれ。ビデオとるから」
 テントの斜め前へまわり、声をかける。林先生は注文に応じ立ち上がり、プロレスのリングアナウンサーのように、仁王立ちになり、さらにつよくマイクをにぎりしめた。腹の底からしぼりあげた声は、すでに絶叫に近い。
 「さあ、常葉小学校、全校児童、ここに集結しました」
 本部テント前にはリーゼントに口ひげ、サングラス、ハチマキたちが直立し、その流れを見守っていた。
 全体が整列し終わる。アナウンスとともに児童代表の誓いの言葉が始まる。各団の一年生三人が、手と足をいっしょに動かしガチガチになって朝礼台へかけよる。チョンマゲ校長が台へのぼり、その言葉を聞きとどけた。つづいて校長自らのあいさつになった。
 「全校児童のみなさん、台風が昨日まであばれておりましたが、みなさんの日頃の努力を知ったのか雨もやみ、さわやかな風が‥‥」 
 言いかけたとき、風がとどろき、渦を巻いて去っていった。リーゼントたちはあわてセンダンの木へ目をやるが、びくともしていない。そのことをたしかめ、誇らしげに大きく呼吸し、胸をはった。
 「どうです、みなさん。あれほど心配していた我が校を象徴するセンダンの木も、このようにたくましくよみがえりました」
 この機をのがすまいと、校長は調子にのってきた。
 「センダンの木あるところ常葉小あり、常葉小あるところセンダンの木あり。常葉小は永遠に不滅なのであります」
 口ひげは満足そうにうなずいている。
 「そして、みなさん、ちょっと後ろを見てください」
 児童たちは、突然の注文に、重たげに首を動かす。
 「かつてこの学校を、PTA会長としてささえてくださった富岡虎男さん、勲さん親子が病身をおし、かけつけてくださいました」
 そこには、車から下ろされた二台のストレッチャーと、その上に白い布でおおわれた人影が二つ、こちらを向き横たわっている。いつのまに来たのか救急車もいて、サイレン灯を点滅させ待機していた。ツトムは正面をふりむく。リーゼント、口ひげがうつむき、タオルで目がしらをおさえている。サングラス、ハチマキが肩をたたき、脇からだきかかえる。チョンマゲ校長も思わず声をふるわせだした。
 「あああ‥‥、みなさん。かくもすばらしき人たちによってつくられてきたこの大運動会を、今年も成功にみちびきましょう」 
 つづいて、目を赤くしたリーゼントが朝礼台に上がった。
 児童をすみからすみまで見わたし、ふーっと一息いれるとPTA会長のあいさつをした。 形式どおり開会式がすすみ、いよいよテントへもどり、競技開始となった。アナウンスで、いつくずれるかも知れない天気を考慮し、プログラムが省略されることが伝えられた。 「ツトム、がんばれー!!」
 四年の徒競走が始まった。マサミが、シートをしいたあたりから声援を送っている。その声がツトムの耳の中で反響し、うんうんうなる。だが、前を走る足はスローモーションのように動き、追いつけそうでいて差はなかなかちぢまらない。ツトムはそのまま三位でゴールした。
 テントに帰っても六年生は全員、応援団や係でそこにはいない。五年生、四年生はけっこう残っているはずだが、それにしては人数が少ない。
 「ゲームしに、教室にいってんだよ」
 ケンタがツトムに言った。
 「相談してるの聞いたんだ。ソフトなにもってくるか」
 ツトムは、なるほどといったようにうなずく。
 「さあ、ごらんください。すばらしき新入生のダンス、『朝からファイトで、おサルさん』」
 タンブリンと鈴の音が、スピーカーから鳴りひびきだした。ビニールのポリ袋でつくった衣装をきた一年生たちが小走りに運動場をうめつくす。ふたてにわかれ、円をつくっていくようだ。手本となっておどるのは、平山先生だ。児童はみな、両手にポンポンをもっている。その手をいっせいにあげさげし、腰にまわすたびにステップをふむ。 
 「ご観覧のみなさん、平山育子先生の迫力満点の踊りにもご注目ください」 
 エアロビの経験があるという平山先生は、とくに台の上で回るとき、ふらつかないように足をふんばり、なめらかに腰をくねくねとゆらす。あちこちのテントから歓声がわきおこる。中には指笛をふく六年生の男子もいる。平山先生はさらにのってきた。両足を左右交互に上げ下げし、チアリーダーのように踊りだす。おしりにつけたテープのしっぽがそのたびに跳ね上がって、背中でバウンドする。
 音楽は、やがて終わった。一年生は、しゃがみ、ポンポンをゆらす決まりのポーズで待っていた。ところが平山先生は、まだからだを前後左右に動かしおどっている。われんばかりの拍手だった場内にも、失笑がこぼれはじめると、あわてた教頭がテント手前から声をかけ、両腕をクロスさせバッテンした。 
 「先生、先生、終わってる、終わってる」 
 平山先生は、キョトンとし、ポンポンを宙にさしだしたまま、しばらくたちつくしていた。やがて周囲を見まわし我にかえると、照れたように赤くなり、さっと決まりのポーズをとり、終わりの笛を吹いた。
 「パンはいかがですか。やきたてのおいしいパンは、いかがですか」
 同じ調子でくりかえす、甲高い声がする。リョウだ。一声発するたびに、周囲の子どもたちがふり向くが、本人は一向に気にするふうでもなくマイペースで歩いていく。その後ろをチラシくばりをしながらアキオがついている。知らんぷりしておこうと思っていたケンタだったが、アキオの方がさきに気づいてしまった。 
 「ようケンタここにいたのか。よかったら友だちにパンすすめてくれないか」
 「お父さん、だめだよ、ここは学校なんだから」
 ケンタは、こまったふうに眉をしかめた。
 「ちゃんと校長には話をつけておいたからだいじょうぶだよ。リョウはここの卒業生だから、チラシくばるだけならいいんだって」
 リョウはそう言っているあいだも、つぎつぎとテントをまわり呼びかけている。
 「じゃあ、またな」
 アキオもそんなリョウの背中を、あわてるように追っていった。
 「ねえ、あの子だれ?」
 ツトムが聞いてきた。
 「お父さんの教え子なんだって」
 「へええ‥‥」
 ツトムは、しばらく珍しそうに見つづけていた。ケンタはそんなツトムの眼ざしをさけるように、ふたたびグランドへ目をうつした。万国旗がパタパタゆれている。そのゆれはしだいに強くなり、空には、厚い灰色の雲がにごった絵の具のようにどんどん広がりだしていた。
 本部テントでは、そんな天気の予想以上の急転を察し、校長、教頭、PTA会長たちが集まり相談しはじめた。
 「ええ、ただいま入りました情報によりますと、午後から今以上の天候悪化が考えられます。そのためプログラムをさらに早めたいと思います」
 林先生は、そこで一息のんだ。場内は気のせいかしんとなる。こわばった雰囲気が、あたりにひろがった。
 「我が校の伝統ある種目、六年生によります組体操を先に行います」  
 一瞬緊張した場内にどよめきがおこった。シートにすわった保護者から期待をこめたわれんばかりの拍手がわき起こった。
 六年生がいっせいに入場門と退場門にわかれならびだした。五島先生が朝礼台に立ち、左右の確認をする。高らかに笛を鳴らし、六年児童がわーっと歓声を上げ、グラウンドへなだれこんできた。まずは音楽に合わせうでをつなぎながら、からだをくねらせ波をつくりだす。
 波は大波小波バランスよくつくりだされていき、リズムよく左右へ押しだされていく。
 そのときだ。足をひきずるように、奇妙なステップをふみながら一番後ろの列に参加した私服の子がいた。でっぷりと肩のあたりに肉がつき、お腹も少し出て、どう見ても小学生らしくない。波の一番後ろの端にいき、ややあわないながらも小太りのからだをくねらせだした。
 リョウだ。
 思いもよらぬことで、みんながその存在に気づくまで少し間があった。 
 「あれは、さっきの子だよね?」
 ツトムが指さす。リーゼントたちも驚いた様子だ。
 「息子と同級だったリョウじゃないか」
 口ひげが叫ぶとサングラスもうなずく。同時に、じっとしていられないとばかりに体育委員長と副会長の二人は、グラウンドへリョウをつかまえに行った。

『ふしぎの国の運動会』・その五

         おいしいパンはいかが‥‥

 リョウはいきなり倒立する児童の間に入ったかと思うと、しゃがんで下へもぐりこみ、意外な方向へとびだす。ここぞというときのからだの動きは素早く、回りの目を気にし気にし追いかける二人には、なかなかつかまらない。
 そうこうするうちに、児童たちは十文字に隊列をつくり、行進しながら正面から一人ずつ隙間に入り交差しあう演技へうつった。整然と混じっては離れ、たて糸とよこ糸のように編み目模様は織りなされていく。リョウは、なかなか見当たらない。
 「あっ、いたぞ」 
 サングラスが叫ぶ。リョウは、交差し合うその真中に、ひざをかかえ小さくなってすわり込んでいた。列が右や左、中央から外側へいったりきたりするので、そこへ近づくことは困難だ。じっと最後のクライマックスの三段やぐらを待つしかない。
 シンフォニーが鳴りやみ、ビートのきいたロック調の曲へかわった。
 いよいよ大音響とともに、最後の演技が始まる。自分の役に集中する児童と児童との間にすきまがみつかると、サングラスと口ひげはぬうように、リョウを挟み撃ちにするつもりでじわじわ歩みよった。ちょうどその後ろではいよいよ一段目が立ち上がり、その肩に足を置いた二段、さらにその上にしゃがんだ三段目が空へ向け、背を伸ばしだしていた。 「ごらんください。三段やぐらが完成します」
 見学者が、いっせいに注目したときだ。二人も、うんむとリョウのうでをつかんだ。
 リョウはようやくつかまったことに安堵したのか、首をかしげ、唇を半開きにし、いたずらっ子のように笑った。サングラスと口ひげは、静まったグラウンドの中で少し冷静になると事態がのみこめてきた。眉間にしわをよせ、目を三角にしているのが自分たちだけだと知ると、なんともいたたまれず、背中に冷や汗が流れる。互いに見合わせた顔から少しずつ余裕が消え、真剣な表情にかわっていく。すると前もって打ち合わせでもしていたかのようにくずれた笑顔をつくり、正面をふり向いた。にぎっていたリョウの手を祝福でもするかのように頭上高々とあげ、おうぎの形になるようからだを倒し、ポーズをつくった。三人の背後で三段やぐらも完成し、その周囲を六年がつくりだす波や倒立、ひざの上に立っての万歳ポーズ、腕立て、扇、親亀小亀とあざやかな綾をなしていく。
 場内に、水をうった静けさが流れた。沈黙がひろがるほど、口ひげもサングラスも白い歯をこぼし、これぞとばかりに観客に媚びる顔つきとなった。
 やがて本部テントから拍手がおこり、ざわざわとウエーブのように場内に広がると、われんばかりの喝采になった。
 「きまつた!! 記念すべき百周年、組体操最後の三段やぐらが決まりました。お見事です。そしてみなさんごらんください。三段やぐらの前ををかざるのは、PTA副会長と体育委員長、そして卒業生、えーっと、えーっと‥‥、ハイ、久保田良くんです」
 「リョウ、いいぞ」
 アキオの声だ。どこかで見ているのだろう。ケンタは立ち上がり、放送席あたりをうかがった。本部テント横に、頭にタオルを巻き、前掛けしたアキオが両掌を口にかざし、声をあげていた。やっぱり林先生にリョウの名前を教えたのはアキオらしい。そのとなりには校長と教頭が、口をあんぐり開け、呆然とした様子で椅子にすわり腕組している。
 「リョウ、よかったな」
 グラウンドからもどってきたリョウは、アキオの声に耳をかさず、すたすた教頭の前に歩いてきた。
 「あっあっ‥‥。ひさしぶりだね。リョウくん」
 教頭は、椅子から立ち上がり、かたい表情になった。リョウはうれしそうに満面の笑顔になり、
 「もう、なれた?、岩松先生、もう、なれた?」
 いったいなんのことかなあ‥‥。教頭は困り果てたように首をかしげる。校長に視線を送るが、相手は知らんふりだ。
 「教頭先生に、もうなれた?」
 そばで聞いていたアキオが、意味ありげに微笑んだ。いつのまにか、顔中汗だらけの口ひげとサングラスももどってき、リーゼントたちといっしょに、その場を取り囲みだした。 「岩松先生、勉強だから、ぼくもタケモッチャのとこイッテキマース。教頭先生なれるように、ぼくもガンバリマース」
 そこでリョウは、掌を拳でたたくお決まりのポーズをした。からだを大きくゆすったかと思うとその場でジャンプし、ニヤリと不敵な笑いを浮かべる。
 「えっ、なんのこと、それ。リョウくん、こんなところで、先生いそがしいんだよ」
 「リョウ、もうパンつくりがあるからいくぞ」
 アキオは、どこまでもハッキリさせたそうな、目のすわりかかったリョウに声をかけた。 赤面した教頭のとなりでは、相かわらず校長が他人ごとのように椅子に深々と腰をおろし、わざとらしく天気のなりゆきでも心配するように空を仰いでいた。
 プログラムは、かなり省略されてきた。
 「常葉小、創立百周年、先生方によります仮装チームが、PTA役員のみなさんのチームと競います。こりにこったコスチューム、さあ、いったいだれでしょうか。お楽しみください」
 林先生が出場したため、児童によるアナウンスが珍しくこのときグラウンドに流れた。 「さあ、登場しました。まずは、常葉小のサムライ、心づよい用心棒の登場です。武士は食わねど高楊枝。チョンマゲつけてハカマきて、さてさて、これはだれでしょう」
 このとき、チョンマゲ校長は、クスクス笑っていた児童に刀をぬき、大立ち回りをしてみせた。ふりまわすまではいいが、バランスをくずし、刀がうまくサヤにおさまらない。 「つづいて登場は、グラマーバスガイド。ハッシャオーライ、どこまでも。あれあれだれです? オレもこんな人といっしょに旅行したいって言ってるお父さんは」 
 ウエーッ、とか吐きそうとか男の子が叫べば、気持ちわるいと言って目をふせる女の子もあらわれる始末。大人たちは、なんとも言えない表情だ。
 それでもバスガイド教頭は意に解さず、胸に入れた風船をむんずと両手でにぎり、ひきあげると、腰を左右へゆさゆさ動かす。黒のアミタイツからすね毛が、これでもかとはみだしている。  
 「そして、クック船長がやってきました」
 「洋子、いいぞお」
 父親はグラウンドの中へずけずけ進み、足もとから頭までなめるようにズームで撮影に入る。その後ろに母親がつき、チョンマゲやバスガイドに娘をよろしくと頭を下げた。
 「おやおや、かわいいクマのプーさんですね」
 田口先生だ。中にいるのはだれだろう、回りの子たちがうわさし合うが、ツトムは自分だけ知っていることに、少しばかり優越感をもった。
 やがて、リーゼントやサングラス、口ひげ、ハチマキといったPTA組も入場し終わったときだ。場内にシンバルが鳴り響き、ファンファーレがとどろいた。
 それに合わせるように、児童の声がマイクから尾ひれをつけた。
 「おっ、この音楽。どこかで聞いた感じ‥‥。いったいなんでしょう」
 ファンファーレとは不釣合いな、面倒くさそうな声だ。 
 「鳥よ、飛行機よ、トンボよ。いいえ、われらが常葉小のスーパーマンよ」
 入場門から、さっそうとマントをひるがえし走ってきたのは、Sの字をマジックで書いたランニングシャツにオレンジのタイツ、顔には白粉をたっぷりつけた五島先生だ。
 両手をひろげ、グラウンドを大きくジグザグに、わざと波うたせながら一周する。
 意表をつかれたのか、場内からどよめきがさざ波のようにわいてくる。五島先生は、筋肉モリモリのからだをこれ見よがしに、ゆっくり大回りに走っていく。
 そのときだ。ふいに五島先生のからだが、前傾のままストップモーションのように静止した。だれかがマントをにぎったらしい。カーブを描き、真ん中よりへ移動しようとしていた五島先生の足は棒立ちになり、石か何かにひっかかったようにつんのめると、そのまま前へ、ドサンと倒れてしまった。マントも途中からやぶれている。
 白粉がまぶされた頬やオデコは砂まみれになった。もたげた顔は今にも泣きそうで、目や口もとがゆがんでいる。場内に今まで以上の笑いがおこった。
 五島先生は、いっしゅんマントの切れはしをにぎっている児童たちをキッとにらみつけたが、場内の盛り上がりにマジギレできず、つくり笑いし、わざとオーバーな動作で立ち上がった。やっと腰までしかとどかないやぶれたマントが、大きな枯れ葉のように背中にぶらさがっている。五島先生は、ふたたび踵をかえすと、さっきから退屈そうに待っているチョンマゲたちのところへ隠れるように駆けていった。
 「今、常葉小の歴史を刻む英雄たちが、さっそうと勢ぞろいしました。‥‥わーっ、コワーッ、この風‥‥」
 思わず児童がマイクで叫んだ。
 グウオーッ、グウオーッ、ギイュー。
 それはまるで嵐の夜に海岸の堤防に打ち寄せる大波そのものだった。グラウンドにいただれもが、その勢いに導かれるように、上空を見た。
 開会式で吹いたとき以上の突風が、グラウンドを駆け回っている。
 洞窟を吹き抜ける風が低い音をたて凄むように、今、常葉小にあらわれた突風のかたまりも、一頭の竜となり巨大な羽を動かし、透明の火を吹きだした。万国旗のはためきが耳にせわしく鳴り、その中の一本がついにひきちぎれた。旗はつぎつぎと糸から放たれ、紙くずのように空の彼方へ消えていく。テントのポールも布地といっしょに地面から浮き上がっている。国旗も、団旗もすべてがバタバタと激しくゆれていた。
 一分ほどたっただろうか。風がすこしずつ弱まり始めたとき、センダンの木の異変に気づいたのは、向かい側にいた児童や親たちだった。
 「あぶない!!」
 「たおれかかってるぞ!!」
 両親にはさまれ立っていた林先生が、クック船長のままアナウンス席に駆けもどった。 「みなさん避難してください。センダンの木のそばにいる人は離れてください」
 スーパーマンも、児童や見学者の誘導のため、千切れたマントを振子のようにゆらし飛び出した。サングラスたちも、根もとに近づき倒れる方向を見定めようと必死になる。
 チョンマゲやバスガイドは、センダンの木がたおれてもとどかない場所で、なりゆきをおろおろしながら見守っている。
 「林先生、そのテントにいたらあぶないですよ」
 プーさんから顔だけだした田口先生が、無我夢中でマイクをはなさない初任教師をつれだした。 
 「そっちへいくぞ」
 叫んだのは、サングラスだった。
 センダンの木はゆっくり傾き、ささえていた四本の丸太を髪どめのようにやすやすとはねとばした。巻かれていた太い縄や針金をきゅうくつそうにひきちぎり、中で固定されていた鉄板とボルトをねじまげた。ギギーッという鈍い音とともに、加速がつくと空気を切るような鋭い摩擦音へかわり、最後は波しぶきのような破裂音で地面にたたきつけられた。 マンモスはふたたび、倒れてしまった。
 無事だった本部テントへもどった林先生が、袴を引きずり遅れてきた校長に耳打ちされながらアナウンスを再開する。
 「みなさんだいじょうぶでしたか。各先生は児童の様子を確認の上、ご連絡ください。また確認が終了しましたら、急ではありますが閉会式にうつりたいと思います」
 「ねえ、なにがあったの?」
 ゲームをしに教室と運動場を行き来していた子が数人、キョトンとした顔でもどってきた。つぶさに見ていたツトムもケンタも、答える気になれない。
 どよめいていた見学客も、じょじょにもとの場所へもどりはじめた。
 「パンがやけました。パンがやけました。やきたてパンです」
 リョウの声がした。リョウが、試食のパンをカゴに入れ、まだ少々、青ざめている保護者の方へ何食わぬ顔で入っていく。自分もくるみパンをおいしそうにかじっている。焼き立ての香りがツトムやケンタたちのテントにまでとどき、鼻をくすぐった。 
 「数、あんまりないです。安全なパンです」
 徐々に反響があっているようだ。おいしい。素朴な味、と声が上がり、一人、二人と気を取りなおしたように立ち上がり、車道にとめてある店舗へいきだした。
 買ってきた人たちがもどってくると、さっそく味見している人もいる。
 閉会式が始まったときには、車には長い列ができていた。
 運動場の見学席はガランとしている。
 ケンタたちはセンダンの木を横目に整列した。口ひげやリーゼントたちはマンモスをどける気力も、体力も残ってなさそうだ。
 すべてのあいさつが終わったときだった。
 パーン、パーン、パーーン
 体育委員長の上げたバクチクが、曇り空をつきぬけるようにひびきわたった。
 運動会はけっきょく、午前中で終わってしまった。
 簡単な片づけも終わり、ケンタが校門を出ようとしたときだ。
 「ケンタ、てつだってくれよ」
 アキオの声がした。焼き上がったパンをザルにならべ、お客さんの注文を聞いては一個ずつ袋づめしている。
 「ケンタくんのお父さん、パンづくりじょうずね」
 同じクラスのみっちゃんが紙袋をかかえ、横をとおりすぎた。ケンタは照れくさそうに下を向いた。
 「ケンタくん、じゃあーね」
 ツトムが荷物を持つのを手伝いながら、マサミといっしょに帰っていく。
 パンのふくろづめを手伝うため、ケンタが車の方へ行こうとしたときだ。
 「ねえ、組たいそう、やっぱりあってたね」
 ふり向くとカゴをもったリョウがいて、まだそのことにこだわっているようだった。 
(了)
 
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