2006年10月19日

第八話・女かぶきから若衆かぶきへ

                                  松五郎
徳川三代将軍家光は、若衆好みで有名でした。

若衆かぶきというのは女かぶきと並立するように興行していたのですが、徳川幕府の安定とあいまって、人気を呼ぶようになりました。

決定的だったのが先の稿で述べた1629年の女かぶきの禁止令です。

競う相手のなくなった若衆かぶきは隆盛を極めます。
今で言う若いイケ面が歌舞音曲を演ずるようなものです。
しかし、容色を売るという点では、女かぶきと変わりませんでした。

若衆買い、衆道、男色と言われるように、若い青少年たちがいまでいうホモの対象とされました。

これは戦国の世、戦場では女はなく、若い男たちが性の対象とされた名残のようなものです。
一例ですが歌舞伎十八番の内「毛抜き」ではそんな場面が登場します。

若衆は宴席に侍して男色の対象となりました。


若衆かぶきはこの衆道を背景に繁盛します。

男色は武家僧侶の間だけ行われたといわれますが。

若衆かぶきの隆盛によって町民の間にも広がっていきます。

風紀を乱すことおびただしくなってきました。しかしながら支配者の頂点にある、前述の将軍家光は若衆かぶき一座を城中にまで呼んで見物した記録があります。幕府は家光が他界すると待っていたかのように、(1652承応元)年に若衆かぶきを禁止します。


興業者の再興を願う懇願に、幕府は二つの条件を付して許可することになります。幕府も押さえつけだけでは、民衆の鬱積した不満がたまるのをおそれたのでしょう。

まず若衆の前髪を剃ること。二つめは「ものまね狂言づくし」で演ずることでした。野郎歌舞伎の出現です。若衆かぶきの禁止が実は歌舞伎の発展に大きな転機を与えるのです。
まず女形芸の発達を促すことになります。
若衆かぶきにも女形は存在していますし名前も残っています。ただしどんな芸風だったかは知るべきもありません。

美しい前髪を剃って、野郎頭にすることは命令とはいえ、風俗を描写し舞い踊っていた若衆に、写実芸へと転換を迫るものでした。

幕府の弾圧は女形の芸と、写実なものまね芸能へのきっかけを生むことになったのです。

すでに容色だけが売り物ではなく、芸によって観客を魅了するものにならなければならなかったのです。
このあと元禄歌舞伎まで30年あまり興行者や、役者の努力によって歌舞伎の世界が広がっていくのです。
(女かぶき、若衆かぶき、野郎歌舞伎と使い分けました。性格が違うと拙稿判断したためです。以下原稿)
  
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2006年10月18日

第七話・かぶくこと、踊ること、おんな歌舞伎

                                松五郎

時代の変革期には、必ずといっていいほど、踊りが出現します。


今、お年寄りの中では社交ダンスが盛んですが、若い人が一昔前か二昔前のように、ジルバやマンボを踊っているでしょうか。よく大学のサークルや労働組合の主催でパーティ券売ってダンスパーティなんかやってました。
新しいリズムもどんどん出てきましたが今は出てきません。
皆無です。
ダンスがはやらなくなっています。
はっきり言えば、今は時代の変革期でないということの証です。
バレーなどダンスが見るものになっています。
人が解放されるとき、踊りの流行が社会現象になって現れるものだと言われています。
 
ところで話を四百年前に戻します。

1600年代です。安土桃山時代を経て、関が原の戦いによって、徳川幕府が成立します。社会が安定し生活と開放の喜びがみんなの中にあふれ出た時代だったといえます。
そこで現れた踊りは女能、女舞、風流踊り、念仏踊りなど享楽的で官能的なものでした。
演じたのは巫女の流れをくむものや遊女でした。
その中でも京都を中心に活躍した、出雲阿国(いずものおくに1600年頃)の率いる舞踊集団です。1600年と言えば、関が原の戦いがあった年です。

お国は始めは念仏踊りを行って、鉦や太鼓を叩きながら踊っていましたが、やがて
男装し長刀までさして、風俗を描写するようになりました。

そこに男性も加わるようになり、女に扮し、道化まで演ずるようになりました。
そこには戦の時代が終わった解放感と、性の倒錯があったようです。

これは京都が主でしたが、瞬く間におんなかぶきは徳川親藩を中心に雄藩に広がっていきました。

世間ではそれをかぶき踊りそしてかぶきと呼ぶようになりました。

もともとかぶきとは「傾く」から生まれたもので、風俗や踊りそして諧謔、好色まで含むような言葉になりました。歌舞伎というのは後世の当て字にしか過ぎないのです。

おんなかぶきは時代の変革期大変流行しましたが、彼女たちは女優であると同時に遊女でもあったのです。

そのため民衆に強い刺激を与え、享楽的な雰囲気は治安風俗を乱すと、成立したばかりの幕府は考えたのです。
ついに三代将軍家光の時代「女舞、女歌舞伎、女浄瑠璃等一切禁止(1629)」することになります。
おんなかぶきが興ってから30年にも満たないうちです。

興行側では、そこに混じって女が一座に混じって出演するという、提案をしましたが、翌年に「男女混交の儀もってのほか」という布令によって、おんなかぶきと、女優は姿を消すことになりました。 
                       (自稿、若衆かぶきに続く)

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2006年10月16日

第六話・耳から・・・・?

                             松五郎
話は歌舞伎ではありませんが。

10日ほどさかのぼりますけど、

突然右耳が聞こえなくなったのです。


左耳を塞ぐと、右耳はかすかにしか、聞こえてこないのです。
右耳が聞こえなくなる恐怖というものはたとえようもありませんでした。
「あー、どうしよう、右耳が聞こえない。難聴になったのかな。
治らなかったらどうしよう。補聴器っていくらぐらいするのかな。
とにかく耳鼻咽喉科に行ってみよう。」
ってことにしまして、大慌てで大津町の江浦耳鼻咽喉科に行ったのです。

江浦先生は、内視鏡を耳の中に入れて
「ああ鼓膜に何かくっついてますね。」
と言って、器具を使い黒っぽい灰色のかたまりを取り出しました。
その瞬間スーッとした感じで右耳の聴力が快復したのです。
「かたまりは細菌かカビだと思います。検査に出しましょう。」
と言って、処置し
耳にさす、液体の薬を処方しました。

「寝耳に水とはこのことか」
と思いましたが、これは今だからいえるはジョーク。

きのう、検査結果を聞きに江浦耳鼻咽喉科に行きました。
先生は
「検査の結果は大腸菌でした。大腸菌が耳の中で繁殖して悪さをしていたのです。
私も永く耳鼻咽喉科の医師をしていますが、耳から大腸菌が出た人は初めてです。
珍しい症例ですね」
と笑っていました。

「先生プールに毎日のように泳ぎに行っているのです。そのせいで、耳に大腸菌が侵入したんでしょう。」
「ああ、そういうことですか、塩素消毒では死なない大腸菌がいたんですね。

耳から大腸菌が出ようとは驚きでした。

右耳難聴一件落着。
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第五話・ああなつかしき、「クロイツェル」。(ちなみにベートーベンは、オーストリアじゃなく、ドイツのボンで生まれたのであった!!)

「クロイツェル」と「春」             松五郎

話題は歌舞伎ではありませんが、
で夜8時から映画「マエストロ」を見てました。

一人の女性バイオリニストと、パトロン、楽器商
そして、楽器職人としてのマエストロをめぐる物語です。

マエストロは「このバイオリンでベートーベンは弾くな」というのですが、
生徒に楽器を斡旋し、リベートを受け取った収賄の罪で執行猶予中の彼女は、
最後、がらがらの演奏会場で、ベートーベンのバイオリンソナタ、
「春」を弾いてしまうのです。

彼女の「楽器を弾くのは、音楽家の感性と技術、楽器ではありません」
という言葉に納得させられました。

僕が最初に買ったクラッシックのLPレコードは
ベートベンのバイオリンソナタ、
「クロイツェル」と「春」のカップリングだったので、
映画の中で随所に「クロイツェル」がバックに流れて
とても懐かしく感じました。

話は変わるけど、はじめて買ったレコードは、今は亡き
ダヴィド・オイストラフ(V)とレフ・オーボリン(P)の演奏です。
何度も何度も聞いたものです。

今はLP盤はなく、同じ演奏者のものをCDで聞くようになりました。
今更ながら、LPレコードでしか出せない音ってありますね。
LPの音が懐かしいと思います。

わが家には他の演奏者を含め、
「クロイツェル」と「春」のカップリングCDが3枚もあります。
愛聴盤です。

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2006年10月13日

第四話・また、ねたを仕入れてきま〜す。

                               松五郎
11月16日から東京に行きます。

歌舞伎座 顔見世歌舞伎、昼の部通し狂言「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」を観劇するためです。
チケットは音羽屋の番頭さんに手配してもらいました。
伽羅先代萩は仙台藩のお家騒動を扱ったもので、
山本周五郎の「樅の木は残った」でも扱われています。
山本周五郎は家老の仁木弾正を、
お家を守った忠義の武士として描いていますが、
歌舞伎の仁木弾正はお家乗っ取りの悪人として描かれ、忍術まで使います。

この劇は初見です。是非見ておきたいと思ったから、行くことに決めました。
市川團十郎、尾上菊五郎、中村福助などの顔合わせです。
子役の「腹が減ってもひもじゅうない」などの台詞や、床下の大ねずみなど見所いっぱいです。
 17日は東海道四谷怪談の作者で有名な四世鶴屋南北のゆかりの地、江東区深川を訪ねます。鶴屋南北のお墓にもお参りしてこようと思います。松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った庵の跡とかも見学しょうと考えています。
 あと富岡八幡とかも散歩してきます。

航空券は早割りギリギリだったので、安く上がります。
KKR国家公務員共済組合のホテルを確保しました。
一泊朝食付き5000円です。

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2006年10月10日

第三話・色じかけ・・・、この背後にいるのもけっきょく「男」なのですかね・・・。

日照りの夏の色仕掛け、歌舞伎十八番の内「鳴神」

今は解体されてなくなった、大阪道頓堀中座で見た芝居です。 

朝廷が皇子が授かるよう祈願し、成就すれば、鳴神上人に堂塔伽藍(どうとうがらん)を寄進すると約束をします。
しかし皇子が生まれても朝廷は上人との約束をいっこうに守ろうとはしません。
怒った鳴神上人は、滝にしめ縄を張り、龍神を閉じ込めてしまいます。
そのため天下には一滴の雨も降らず。大地は枯れはて、万民の苦しみは計り知れません。
そこで朝廷は天下一の美女「雲絶間姫(くものたえまひめ)」を上人の元に遣わします。
姫は上人に色仕掛け。
着物のすそをめくったり、奈良漬でさえ酔うという一滴の酒も飲めない上人に酒のませ、気絶した上人に口移しで水を飲ませたり、肌で体を温めたり、乳房に触れさせたりの色仕掛け。
女といえば母親しか知らない上人はころりと参って、雲絶間姫と夫婦の約束さえしてしまう始末。おまけに夫婦のかための杯と飲んだ酒に眠り込んでしまいます。
そのすきに姫は滝に上って上人が張ったしめ縄を切ると龍神が空に上り、雷とともに大雨が降り始めます。
そして姫は逃げていきます。
やがて目覚めてだまされたと知った上人は、止める弟子の僧をはねつけ、
「堕落した!!」
と憤怒の形相ものすごく、雷神となって姫の後を追いかけていくのです。
日照の夏『今年の雲絶間姫はさてどこに、権力ってうそつき』芝居を見ながらそんなことを思っていました。
鳴神上人を演じたのは坂東三津五郎。
このところ歌舞伎十八番ものに積極的に取り組んでいるそうです。
すっきりした荒事芝居にいあがっていました。
古劇のおおらかさ溢れる芝居でした。
どうでもいいけど

ファンタ・グレープとコカコーラを混ぜて飲むと、両方の味がしておいしい。

一口飲んだ時にはコカコーラの味がして、のどのところでファンタの味がする。
ファンタ・グレープをぐつぐつ煮立てると、色が消えて普通の砂糖水になる。
別にファンタを普通の砂糖水にすることはないけれど。

チュウインガムとせんべいを一緒に食べるとガムまで食べられる。

ガムとせんべいが口の中で混じりあい、せんべいガム状態になり無理せず飲み込んでしまう。
どこまで消化するのかは分らない。

本格的イチゴヨーグルトのつくり方、カルピスを3、牛乳を7の割合で混ぜ合わせると、トロンとしたヨーグルトっぽくなる。
それにイチゴをつぶして入れると、イチゴヨーグルトの出来上がり。

暇でしたらどうぞ。

posted by あそびと at 07:17| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 松ちゃんの歌舞伎コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月07日

第二話・歌舞伎は、三変化(さんへんげ)していたのですねえ。女歌舞伎や若衆歌舞伎をちょっとだけ見たかった、気もしますけど・・・。

歌舞伎、傾き、かぶき者
かぶきは歌舞伎ではなかったのです。かぶき者です。今で言うなら若いミュージシャンがド派手な格好でステージに立つようなものでず。
江戸時代の始めころには時代の変革とともにそういった男女が現れました。
有名なのが伝説で伝えられる「出雲のお国」、歌舞伎踊りの始祖と言われています。
出雲のお国は当時の風俗や世相を京都四条河原で、踊り大変な人気を博しました。
出雲のお国は出身も由来も詳しく伝わっていませんが、歌舞伎踊りの初めとだけは伝わっています。当時は女が主流の女歌舞伎踊りでした。
女歌舞伎が大流行すると、権力が安定した幕府は、風俗を乱すとの理由で女歌舞伎を禁止の対象にするようになりました。実際売春に走る女性もいたようです。
幕府が取り締まると次に現れたのが若いきれいな少年や青年が踊る若衆歌舞伎でした。しかし男色(ホモ)の対象になり、風俗を乱すという理由で、これも禁止されました。
そこで幕府に願い出たのが野郎歌舞伎です。
大人の男性が「ものまね、狂言づくし」のみにて上演するということで、幕府の許可を得ることが出来ました。これが今に続く歌舞伎の伝統です。
歌舞伎も京大阪と江戸では大きく流れが違います。
京大阪では男女の愛をからませながら、全国から産物や金が集まる商都らしく金銭をからませていくような、心中物や姦通物が大当たりでした。
江戸は全国各地から武士が集まる場所らしく、単純ながら英雄豪傑が活躍する芝居が当たりました。
元禄時代になると役者の地位も人気とともに高くなっていき、役者で言えば、江戸では市川團十郎。中村(猿若)勘三郎。京阪では坂田藤十郎などが、活躍する時代になりました。
一方では人形浄瑠璃も盛んになり、今の基礎をなす人形の三人遣いの発達も見られるようになりました。
江戸では市川團十郎は「江戸の守り神」とまで言われました。
 
 
posted by あそびと at 07:33| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 松ちゃんの歌舞伎コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月08日

第一話・四谷怪談に見る歌舞伎作者、鶴屋南・・・生首は本ものだったんでしょうか? 人生、長〜下積みが大事ってことですね。

                                  松五郎
鶴屋南北(1755〜1829)は劇の展開の面白さ、恐ろしさ、思いもつかない笑い、そして社会の底辺に生きる人々を描いた。
時は幕末も近く最後の江戸文化が花開く。文化文政期といわれる時代である。本格的な活躍は50歳となってすぐ、文化元年(1804)天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべいいこくばなし)の上演からであった。
それから亡くなるまでの25年間に百以上の作品を残している。今でもくり返し上演される作品が多い。
その代表は「東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん、1825)」である。
作者はお上をはばかって東海道四谷の宿場の怪談話という意味をこめているのである。
江戸時代の芝居は江戸を鎌倉に置き換え、鎌倉や太平記の時代にし、登場人物も仮の名にしている。しかし東海道五三次の宿場に四谷は存在しない。
四谷怪談の地は、江戸の四谷や深川なのだ。
物語は仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)の裏話のかたちを取っている。だから主君は塩冶判官(浅野)であり、いっぽうは高師直(吉良)である。塩冶の武士、民谷伊衛門は恋仲のお岩の父に、お家の御用金を盗み逃げたことを知られ、夫婦仲を裂かれる。塩冶の家は刃傷事件で断える。そこから残酷に相手を苦しませ、ふつうでは考えられない思いつき、笑い、社会底辺に生きる人々をまき込んでの恐ろしいストーリーがすすんでいく。
伊衛門はで主家を裏切る不忠の武士、お岩と恋しあったのも忘れ、隣りの金持娘の恋にこたえ、嫁に取る。産後のお岩には顔が変わってしまう毒薬を飲ませ、ついには死にいたらしめ、戸板に打ちつけ川に流してしまう。
ここからお岩の亡霊の出現だ。
この劇がすぐれているのは、まず江戸市中に生きる底辺の人々を生き生きとリアルに表わし、今日も新しさを失わないことだ。
それに伊衛門やお岩をおとしれた者たちへの恨みがつのり、ついには亡霊になっていくさまを、すさまじく細かく描いた作品はほかにはない。
また南北はお岩一人の恨みではなくまわりで死んでいったものたちの恨みも、伊衛門のような悪人にも、他にもつながるような恨みも描いた。
忠臣蔵が男のあだ討ちとすれば、四谷怪談はお岩、そして妹のお袖のあだ討ちの話でもある。封建社会の中で力のない女のあだ討ちは、亡霊として化けてでも出なければ、果たせないのではないか。
そのことは南北が考えたかどうかは別として、封建社会の道徳にまっすぐであればあるほど、人としての矛盾にうちあたる。お岩の亡霊の恐ろしい復讐劇は四七士の討ち入りをこえてしまっている。
芝居に込められた女の恨みの深さは、忠臣蔵の忠義やあだ討ちを笑っているのだ。
また仏壇やちょうちん、庵といった仏教に深く結びついた道具や場所を通してお岩の亡霊は出てくる。
ここでは仏具が亡霊の通り道になり、小悪人を仏壇に引きずり込んだりする。
すでに仏教が死者を成仏させる力を持たない。力のない仏教への批判さえみえる。
主役はお岩と伊左衛門だが、二人めぐる人たちや端役に至るまで人物像が描けている。
たとえばお岩が亡霊になっていくさまを見つめる宅悦は、観客と一緒に亡霊になっていくお岩を見つめ、こわがり、変化を手助けし、伊衛門と隣家の悪意を伝えなければならない重要な役である。
こうした役回りは他の脇役も与えている。
鶴屋南北は初演の小屋で、やぐらに生首の飾りをつけ、芝居のうわさ広げたという。
江戸文化の最後を、むごく、ふう変わり、高笑いで走りぬけた作者である。
posted by あそびと at 13:00| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 松ちゃんの歌舞伎コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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