2012年12月21日

最近、考えたこと。

唐突ですが、経営データの読み方の基本として現状分析と変化分析がよく上げられますが、あれは人間関係を始め、ほかのことにも言えるような気がします。

たとえば、ある会社の今年4月の売上高が1500万円、営業利益が150万円だったとすれば、現状では売上高営業利益率は10%ということになりますから、かなりの高収益です。でも、果たしてこの数字からだけで何も問題がないと考えて良いのか。現在の段階では高収益率でも、今後同じペースで利益率を維持できるかは誰にもわかりません。

そのとき役立つのが過去の同じ月のデータというものです。

もしも一年前の同月の売上高が1000万円で営業利益300万円だったとしたら。現在は売上高が1.5倍ですが、営業利益は1/3に落ちていることになります。つまり「増収減益」と言う、ある意味、もっとも事業を行う上で危険な状態(落とし穴)にあることが見えてきます。

企業においては、設備投資はもちろんのこと、人の増員や事業スペースの拡大、研究開発や広告宣伝など、短期的には収益性を犠牲にすることになっても規模の拡大を進め、「増収減益」となる場合も少なくありません。ただし、これは短期的に容認できる範囲であって、他の月次においても同様に減益が続いているとしたら見方を変える必要があります。
つまり月次決算のデータは、赤字への警告と言う、黒字の段階からすでに見逃すことができない重要な警告を発していることになります。

これと同じことが人間関係にも言えるのではないか。

ある人との関係が気まずくなるのには、その段階である決定的な原因が発生したようについつい私たちは考えがちですが、実は良好と思えているときにこそネジは徐々に緩みだしているのではないか、そう思います。また国と国との関係にも、たとえば日本と中国の軋轢が最近は尖閣諸島国有化一本に絞られがちですが、果たしてそうか。国交回復40年の間、様々なことがあったにしろ、むしろそれが慢性化し出したころからすでにどこかでヒビ割れは始まっていたのではないか。

小林秀雄が『プルターク英雄伝』という小論で、政治とは所詮「人性」であると言いっています。
そして近代になってから政治を眺める視点が「人性」から離れ、目まぐるしく変貌する物的生産の技術や機構、また法律や制度、党派や綱領、組織へと移ってきたことを前提に、それでも根本の「人性」で動くことは変わらず、むしろそのギャップが広がった点にこそ本質的な問題が孕まれていることを鋭く指摘しているのです。少し長いですが引用します。

「言葉にたよる或は権力にたよる成功は一時であろう。何故かというと、彼等は、民衆の真相に基づいた問題の難しさに直面していないからだ。彼等の望んでいるものは、実は名声に過ぎず、抱いているものは名誉心だけである。彼等の政治の動機は必ずしも卑しくもないし、政治の主義も悪くない場合もある。だが、彼等は、この宙に浮いた名誉心にすがりつき、これを失う恐怖から破滅するらしい。民衆から受けた好意を、まるで金でも借りたように感じ、これを返さねばならぬと思う。返さないのは恥であり、不正であると思い込む。だから、直ぐ新しい有益な政策を考え、もっと大きな名誉という借金をする。止め度がない。『彼等は、民衆に負けまい、民衆も彼等に負けまいという風に、名誉心に駆り立てる』。宙に浮いた正義心というものも、この宙に浮いた名誉心と結びやすいもので、同じ運動をするのである」

これを書いたのが昭和35年、う〜んと思わず唸ってしまいました。

政治家と個々の有権者の関係の力学が現在にもまったく過不足なく通じ、実に巧みに分析されています。
なるほどなあ、俺もついつい選挙なんかが近づくと、主義主張なんか柄にもないことをぶちまいて、『政治家』に負けまいとしているもんなあ。これじゃあ、だめなんだよな。なんてったって、彼らは虚構であり、自分らの無意識を絞り出したような写し絵に過ぎないんですから。同次元の言葉を使って対峙するのでなく、ぐっと隣に引き寄せ、着飾った言葉で防御した身ぐるみを「生活」という泥臭い実態でひっぺ返す必要があるのではないか、そう思うのです。

で、話を最初に戻すと、慢性化した段階というのは、この「生活」への寄り戻しがおろそかになり、何となくうまくいっているなという虚飾の言語や数値で彩られた世界に酔いしれているとき、実はじわじわと会社経営の傾きも、人間関係の軋轢や抑圧も、国と国との断絶も、その萌芽が始まっているのではないか、というのが自分を振り返ってみての最近ちょっと考えたことなのです。
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2012年09月27日

最近の読書から。

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『私家版・ユダヤ文化論』(内田樹著)読む。認識と伴に「概念」をつくり出すかに見える営みは、実は本質としてアレゴリーとしての人間が存在せんがためむしろ外界から要求され(たかを装いつつ)、「主」と「客」が逆転した中に意味づけてきた寓話であることを「反ユダヤ」思想から抉剔しようとする。 at 09/23 10:28
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2012年08月21日

積み重ねてきた動画投稿に思うこと。

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昨年9月から始めたYou tube
への動画投稿。274本、動画再生がのべで10000回を超えた。内容は8割がた「夢屋」関係のもので、たくさんの方に日々の活動の様子を知っていただけたのではないかと感謝しています。これからも変わらず日常の一コマを気軽にお見せできればと思っています。
 at 08/17 23:58
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2012年07月04日

スポーツ観戦から

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ロンドンオリンピック、女子バスケット最終予選、カナダに敗れ二大会ぶりの出場ならず。吉田、大神の涙のインタビュー。ホント、見ていて辛いものがあったが、でも、最後までよくやった。少なくとも、小柄でありながらスピードとテクニックに満ちた彼女らのプレースタイルは、世界に誇るべきものだ。 at 07/01 17:06
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2012年04月27日

最近読んだ本から。

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ドナ・ハート/ロバートW・サスマン『ヒトは食べられて進化した』読む。人類誕生以来、発掘される表層を掬い取り考察を加えることも重要だが、ごくごくシンプルに歴史と向き合えば「さもあらん」という事実は見えてくる。火や石槍を使い他の動物を狩猟する遥か以前にこそ「脳」の進化の謎はあるのだ。 at 04/06 22:24
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2011年11月27日

同人誌『詩と眞実』750号記念祝賀会へ行ってきました。

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同人誌『詩と真実』の750号記念の合評会と祝賀会に行ってきた。62年半、同人や会員の費用だけで運営し月刊誌としてやってきた先輩方のご苦労には頭が下がる思い。初刊当時の冊子を拝見し、地方の文化の灯を絶やさぬとの使命感あってことと改めて痛感。http://t.co/g8fpRkFW at 11/27 01:07
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2011年09月29日

おかげさまで、簡易宿泊所「ノナティー」も少しずつ軌道に乗ってきました。

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阿蘇の山中に簡易宿泊所を始め二年、この連休に14名の宿泊者がありました。台風、道路の凍結、屋根裏に棲みつく生き物、薪や飲料水の準備…まさしく自然は色んな有難さと教訓を示してくれます。適度な「不便さ」、これを大事にしていこうと考えています。http://t.co/kRpc9YzE at 09/25 00:27
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2011年06月16日

今日のつぶやきから〜その3

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よって、今、原発被害に関してPTSDを論じるのであれば、PTSDの予防の段階なのだから、「安全な場所に避難すること」と「事実を伝えること」が必要ということらしいです。 at 06/16 03:58
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先ごろ届いた精神科医のメールでは、文科省が言う「放射能を心配しすぎて」PTSDになるかのような説明は間違っているそうだ。「心配しすぎて」PTSDになることはなく、あくまでレイプ、虐待、戦争体験、交通事故等、生命が危険にさらされる現実の出来事の後に生じる疾患だそうです。 at 06/16 03:57
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今日のつぶやきから〜その2

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文科省が4/20に発表した「放射能を正しく理解するために」の中に「PTSD」に関する誤った表記があるとして、精神科の医師が指摘するこんな文章(メール)が、出版者の知人を介して届きました。http://t.co/NYJRYXw at 06/16 03:40
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@y_n20110414 「現実から目を逸らす」は多くの日本人の特徴ではないでしょうか。「水に流す」ももしかすると津波から生まれたのではないかと思うくらい、悔恨や悲惨さを洗い落としながら「一つになろう」等というスローガンが全面に出てきます。ノーを発する者は異端となっていくのです。 at 06/15 21:32
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今日のつぶやきの中から〜

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
だが今回、そもそも「地震」や「原発」について、その認識について違いのあった人たちは多く、平常時の実益や震災後の被害の状況の相違(格差)も甚大である。つまり初めて日本は、情報化社会という背景のもと、『民族の分断』の危機(事象)に直面しているのではないか。 at 06/15 12:03
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大震災以降の日本を戦時中(もしくは戦後すぐ)の状況と酷似するという文言に良く出会う。だが果たしてそうか。明らかに違うこと。それは当時日本全国が天皇制を基盤にした軍国主義に染まり、戦後も被害の違いはあるにせよ、ほぼ一様に「敗戦」の痛手を精神的にしろ物理的にしろ味わったということだ。 at 06/15 11:55
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入れ替わった鍵盤に合わせ、指運びを一から修正しなおすのか、これまでどおりの弾きか方で、むしろ鍵盤の位置を楽曲に合わせる形で、独自の曲をつくってしまうのか。 at 06/15 11:47
asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
私たちは長い間、ある錯誤の中にいたのではないか。それはちょうど黒鍵と白鍵の入れ替わったピアノでソナタを習熟しようとしていたのと似ている。ある日、突然、再び鍵が入れ替わったピアノを引き出され、宣言されるのだ。これからはこっちでいきますと。だが問題はそこからだろう。 at 06/15 11:44
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2011年06月15日

まさしくこれが代表のつぶやきです。

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
「地域あってこその小規模作業所」この精神はいつもかわりません。パン作りや作業の合間をぬっては、近くの薬師堂の掃除や道路の空き缶やゴミ拾いをやらせて頂いてます。メンバーも地域の人とつながる喜びがわかり出し、進んでやってくれるので感謝、感謝です。http://t.co/aROsgnL at 06/15 02:01
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2011年05月06日

『浮雲』(1955年作・成瀬三喜雄監督)を見て。

ここ最近、本も映画もそれなりに読んだり見たりしてきたのですが、なかなか感想を書く気にならず、ようやくこの作品については記しておこうと思った次第です。内容のあれこれについては今さら改めて紹介するまでもなく、いわゆる日本映画の名作となっていますし、どこからでも拾い集めることができるでしょうから、ここでは触れません。

ただ、私は、なるほど優れた作品というものは、映画に限らずどんなジャンルで、どんなテーマを扱っていようが、熟成かつ洗練されればされるほど、その土地や地域、国家、そして民族の優れた文化論であり、その時代の問題性を鋭く突きさす刃を隠し持っているな、と感嘆した次第です。

戦時中、仏印(現在のベトナム)で知り合った富岡とゆき子の戦後、引き上げてきてからの痴話(不倫)物語といってしまえばそれまでなのですが、林芙美子の原作をもとに水木洋子という当時としては抜群の「ジェンダーとしての性」の課題と問題を見据えていた二人が加わっているだけに、その台詞(とくに男女の)が、ときになじり合い、またあるときは情に訴え慰めあったとしても、もたれ合い、よりかかってはいないのです。

その意味で、ちよっと作り物めいた感(監督の作為性が若干見えすぎ)もあるにはあるのですが、やはり「作品」というのは、これでいいのだ、そう首肯させてしまう説得力がこの映画には漲っています。森雅之や高峰秀子の熱演もさることながら、脇役もすばらしく、またきめ細かな風景やカメラ運びも常道といえばその通りでありつつ(こうくれば、こう動くよな、といった感じ)、しかし実に「正確(ただし、ここで言うのは人間の感や培った技量をもとにしたもの)」なのです。

私は、この「正確さ」は今、ずいぶん映画の世界というか、いろんな場所から消えてしまったもののように思えます。小津安二郎の『東京物語』も同じくBSであっていましたが、最初見たのはもう四半世紀近く前になると思いますが、その的確な配置、俳優の目配り、動き、情景の挿入などなど、無駄のなさにショックを受けたことを今でも覚えています。

文学にかぶれていた二十代前半の当時の私は、その映画を飛びぬけて「新しく」かつエレガントに思え、なんだ、小津はこの一作で、日本の山々と堆積された自然主義の文学作品に比肩するくらいのことをやっちゃってるじゃないかと、驚嘆したのです。
ただ私の悪いところは、そうやって畏怖すべき作品や作者と出会うと、その監督や作者の他の作品には最初から尻込みしてしまい、敬遠してしまうというところがあるのです。
『浮雲』も、私にとりそんな作品になってしまったようです。(苦笑)
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2011年01月17日

映画『ユリイカ』(青山真治監督)を見て

2001年に公開された3時間37分の作品です。

過去の苦しみ(トラウマ)から抜け出せない人たちの再生をかけたドラマと言えばそうですが、しかしそれは単なるモチーフにすぎない気がします。根底には、人が生きるということ、その根拠となるものは何か? つまりもっと言えば、人の「生」には、尊重されるに値する「何か」特別なものがあるのか。「なぜ殺してはいけないのか」と同等に、「なぜ生きねばならないのか」という永遠のテーマを重ね合わせ、「再生」の根っこにあるグロテスクかつエゴイスティックな「人間」の姿を浮き彫りにします。

福岡県のある地方都市でバスジャック事件が起こり、生き残った運転手の沢井と、中学生の直樹と小学生の梢の兄妹は心に深い傷を負います。それから2年後、行方をくらましていた沢井は、実家に戻るもすぐに居づらくなり家庭が崩壊しふたりきりで暮らす兄妹のところへ転がり込みます。彼らの従兄の秋彦(彼も、ヤクザがらみの殺人事件の被害者で心的外傷者です)も加わり、奇妙なバランスのもと共同生活が始まるのです。ところが時を同じくして、町では連続通り魔殺人事件が発生し、疑いの目を向けられた沢井は一大決心し、小さなバスを手に入れ、直樹たちと人生をやり直す旅に出るのですが、行く先々で再び殺人事件が起こり……。

印象に残るのは、沢井が正式に妻と離婚するため、再会する場面です。妻はおニャンコクラブの国生さゆりが演じているのですが、それがなかなかいいのです。沢井への思いを断ち切れず、それでも気丈に笑顔で励ます複雑な心情を細やかに、そして美しく演じています。

その帰り、彼は弱い酒を暴飲し、酔いつぶれ兄妹たちの家へ帰り咽び泣きます。彼の髪を撫ぜじっと寄り添ってくれる、妹(若き篤姫、宮崎あおい)の姿が恭しくそして切ないです。しかし、そのシーンの瞬間、なるほどこの映画のテーマが「生き方」や「自分」探しといった場所からさらに深い部分にあることに気づかされます。そうです。そもそも人は、自分を「変える」(「超える」でもいいかもしれません)ことができるのか。

それは「再生」の可能性と、そもそもそのような設定が人間存在に可能なのかという本質問題ともつながっています。究極を言えば「自死」も含め、どうして自らが自らの生命をコントロールし、しかるべきとき消滅させてはいけないのか(実際は、抹消は自由ですが)。それらを外部の関係性のもと自らを破壊することは「大事な何か(他者)を壊すことになる」というテーゼを織り交ぜ、「生きる」ことが個々人で成立しているわけではない近接性の重要さと、それを実感としてつかむことの困難性とその先に垣間見える曙光を痛切に描き出しているのです。

(おまけ…ロケが、西鉄バス、西鉄電鉄、福岡、熊本、阿蘇となじみの深い光景が多く、とくに重要な場面で、阿蘇神社の駐車場まで出てきては、ついつい3時間超、見ないわけにはいきませんでした・笑)
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2011年01月04日

山本譲司著『獄窓記』(新潮文庫)を読んで。


大晦日から年明けの間、つまり2010年から2011年にかけ最初に読んだのがこの本です。
『累犯障害者』を読み、どうしてもこれも読まなければという気持ちでしたが、ちょうど腰を痛め寝正月になってしまったこともあり、ページを捲る機会を得ました。

どちらかと言えば『累犯障害者』が、服役後の障がい者の犯罪を追跡するレポート的性格が濃く、ルポタージュ風なのに対し、こちらは、山本氏自身が政治家の道を歩み、その後秘書給与詐取事件を起こすまでの過程、そして控訴取り下げから服役生活を選択するまでの葛藤など、当時所属していた政党内の生々しい動きや家庭生活のやりとりを交え、かなり克明に描かれているため、ある意味「文学的」な匂いさえ醸しだすものになっています。

氏自身が「塀の中の掃き溜め」と称する黒羽刑務所の寮内工場、そこでは福祉施設さながらの、重度から軽度までの身体、精神、知的様々の障がい者たちが、同じ服役者である指導補助者の手を借り、工場の作業をこなし、また重度者にいたっては日常生活の些事から食事、排泄まで支援を受け、本来の服役が目的とする教育訓練とは程遠い、時をただただ這いずるような、自立性とは無縁な最低限の生命維持に近いような実態があったのです。氏はそこにまさに日本の福祉が直面する現実を「刑務所」という場の中で凝縮させた姿を見たのでした。

さて、いつもながら私は、大筋が見えてくるとそこからズレて別の視点で読む癖があって、今回も、この刑務所内での人間形成というか人と人のつながり(これは服役者だけでなく職員も含みます)のメカニズムの基点とは何なのか、ということがずっと気になっていました。果たして自分が服役したら、どんな立ち居振る舞いをするだろうか。そして同じ環境におかれ同じ労働をする中で、やはり山本氏と同様、徐々に芽生える他の服役者との共感性を享受していくのだろうかと。

そんなとき、社会学者の宮台真司氏が、近代的エートス(この場合エートスとは簡単には変えがたい行為態度)の話をネットでしていて、日本人の場合、その基盤(背景)になるものが「血縁」「宗教」「階級的連帯」「憲法」などでなく、トゥギャザーネス(集合)からくる『一体感』であり、柳田國男の考えを引き合いに「集約的な集団作業をいっしょにやること」だと述べ、物的、具体的トゥギャザーネスがいかに日本人に重要な「近接性」を齎すかということを力説しており、う〜〜んそうかもな、とこの刑務所の中での集団意識を重ねながら妙に得心した次第です。

刑務所内の労働や作業もそうですが、これまで自分が通過してきた私生活、集団生活を振り返ってみて、たとえば私の実家は私が中学三年まで乾海苔の養殖をやっていましたが、試験期間であろうがなかろうが、そのピーク期は夕方から10時、11時くらいまで手伝うのは当たり前、今頃何の支障もなくぬくぬくと試験勉強しているであろう同級生らのことを思い、ああまた成績が落ちるなと、日ごろ考えもせぬことをそんなときだけは恨みがましく反芻し、腹の底でこんな仕事早く辞めてくれと何度叫んだかわかりません。しかし今思えば、仕事の最中は夫婦喧嘩も兄弟喧嘩もまた家族の諍いもひとまず封印し、とにかく黙々とやり遂げねばならず、もしかすると今現在、16年もの間「夢屋」でパンをつくりつづけてきたねばりというか、何か基盤のようなものも、そして同じ作業をする者たちとの間で共有する仲間意識に対し、どこか蔑(ないがしろ)にできない感覚も、そういった中で培われてこなかったと言えなくもないわけです。

また宗教学者の中沢新一氏も「仕事力」というのを最近よく話しておられるようですし、「仕事と暮らしが日本人の芸術」「日本人は労働を苦役と思わぬDNAとを持っている」など某フォーラムで発言されているようです。

そのようなことを考え合わせれば山本氏が『獄窓記』後、『続獄窓記』『累犯障害者』と書き続け、様々な場で「監獄法」をはじめとする旧態然とした日本の刑務所内の問題性を告発し、それが2005年の「受刑者処遇法」成立へとつながったのも、氏が刑務所内での労働を通じたトゥギャザーネスによって育った同じ受刑者に対する一体感と彼らの人権を無視した不正義を見過ごしてはおけぬという、はやり集団への帰属意識ゆえの行為なのかと、またまた考えた次第なのです。

さあ、2011年のパンづくりも、この「労働」観を参考に意味あるものと考え、夢屋の仲間たちと地道ににやっていくぞ!! 新年早々、殊勝に思う今日ですが、この新鮮な気持ちが一年間果たして保てるのか、怠け者の私は、お屠蘇気分を追い出そうと必死に足掻き、祈るばかりなのです。(笑)
posted by あそびと at 21:29| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月15日

映画『サイコ』を見て

NHK・BSでは、今、アルフレッド・ヒッチコックの特集があっています。前夜は『サイコ』があっていました。いわずもがな、ヒッチコックの代表作であり、今もってサスペンス、スリラー、そしてホラーに通底する人間の心理描写を含めたストーリー、構成、演出、音楽、完成度、すべてにおいて越えられぬ金字塔を打ち立てた作品ではないでしょうか。

まあ、「人」は恐ろしい、そのことを単なるノーマン・ベイツという異常性をもった多重人格者の犯罪にとどめることなく、たとえばジャネット・リー演じた金を持ち逃げする秘書にしろ、そのちょっとした動作に疑いを入れるサングラスのハイウェイパトロールの警察官にしろ、登場人物すべてにひとたび「均衡」が壊れだしたときの人と人との関係の危うさと日常は個々人に潜みながらも、あるときある必然さえあればまるで理知的とも思えるように計算された上で顔をのぞかせだすグロテスクな別人格の部分を滲ませます。そのような伏線があるからこそ、モーテルでノーマンがマリオンに語る「人は生まれながらに罠にかかり、一生逃げ出すことはできない」という言葉がリアリティーをもって響いてくるのではないでしょうか。

さて、私は今回この『サイコ』を見ながら、なぜかもう一つの映画を思い浮かべていました。それは同じく1960年、フランス・イタリアの合作で製作されたルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』です。こちらの方はアラン・ドロン演じる貧乏な青年トムが普段から彼をこき使い傍若無人な態度を接する金持ちの放蕩息子フィリップを殺害し、その後、フィリップになりきろうとサインの筆跡の癖まで習得し、彼の財産だけでなく恋人まで自分のものにしようとする話です。もちろん最後はあの有名なシーン、まさしく太陽が燦々と輝く浜辺で日光浴をしているとき、海へ投げ捨てたはずのフィリップの死体が錨とともに巻きついて引き上げられ、彼女の絶叫とともに結末を迎えるのですが、つまりこちらは、他人に必死になろう、なろうと努力し、それでも破綻してしまう話で、他者になりたくなくても勝手に憑依し擦り替わってしまう『サイコ』とは対極をなすものではないか、とそんなことをちょっと考えたのです。

「異常」と「正常」の問題であり「病理」の違いだ、と片付けてしまうこともできるでしょうが、じゃあ、果たして一体どちらが異常で、どちらが正常なのか。考えようによっては、友人を殺し、本気で他人になりかわろうとするトムの方が、閉鎖的な孤独な母親との二人暮らしの中、母親を他の男にとられるのではと追い詰められ、殺害や人格転換を繰り返すフィリップより異常かもしれません。
『サイコ』の終わり近い場面で、心理学者が「最後には強い人格がのっとり勝つことになる」と得意満面に力説しますが、「ジキル博士とハイド氏」も、最終的には薬の力でハイド氏の人格を追い出せなくなり、ジキルともども自壊します。しかしハイド氏が勝ったのではなく、ハイド氏になりたいというジキル博士の無意識の願望が上回ったとすれば、勝者は最初の基点となったジキル博士であったともとれます。

フロイトが「無意識」の概念化ともども、意識への無意識の「抑圧機能」を提唱し一世紀が過ぎましたが、そこから出発した集団的無意識やさらに奥底の深層心理、果てはメタ認識に至るまで、最近では感覚や神経器官の未発達な単細胞生物(粘菌)にも知能があるのではという発見がされ、日本人がイグ・ノーベル賞を受賞しています。底の知れぬ人間を初めとする生物の恐ろしさと不思議……。今日はまた『鳥』があるので楽しみにしているところです。
posted by あそびと at 08:58| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月07日

『累犯障害者』山本譲司著(新潮文庫)を読んで

著者は、現在首相である管直人氏の秘書を務め、その後、衆議院議員に当選しましたが、政策秘書の給与を事務所運営費に流用していたことが発覚し、事実を認め即辞任した人です。そして一審の実刑判決を上級審で争うことなく(つまり執行猶予の可能性を潔く捨て)、一年二カ月の服役で罪を償うという道を選択したのです。

私は、名前が演歌歌手と同姓同名であることもあり、興味本位というか、またまた困った政治家がいるもんだなというくらいで、この流用事件を見ていました。しかし、その後彼が、テレビなどで障がい者の服役後の追跡調査や刑務所内の障がい者に対する待遇問題がドキュメンタリスティックに報道される際、コメントなどを寄せていることから、実体験を生かした視点から鋭い指摘を発していることに、徐々に関心の中心がかわっていきました。「犯罪」という、多くの一般者が<負>の側面として位置付けている事象から、実際に「犯罪」に達するまでの「社会適応の困難さ」のプロセスを丹念に追うことで、「人はなぜ罪を犯すのか」という本質的なテーマを探る手がかりを、えてして自分らにとって都合の悪い部分に対しては目をつぶりたがる大衆(私自身も含め)に向かって周知させていく重要な仕事をしているのではないかと思えるようになったのです。

「コミュニケーションの不在、もしくは不充分さ」これが人と人の関係に軋轢をもたらし、誤解と猜疑の果て、双方に妄想や自己のエゴを肥大化させ、自己中心的な行為へと加速させていくこと、そして社会的にまだ機能としての補完的状況が不十分な状況に置かれている障がい者の場合、この循環に陥りやすいことを多くの犯例をもとに解き明かします。

ややオーバーな言い方かもしれませんが、16年間作業所をやりながら、ここに書かれている様々な障がい者とのやりとりで派生する事象の素形は、私もほとんど体験してきていますし、常に日々の生活にあるものです。そう、この本に対しては、こういう言い方もできるのです。な〜んだ、こんなことは障がい者と接していれば、日頃よくあってることじゃないか。うまく話し合いができるかと期待し一歩進んだ途端、突然に起こるこちらへの恫喝、やる気を引き出そうとして、結局は最初からそうしたかったかのような、結論ありきにしぼんでいく循環の繰り返し、様々なミスを修復しようとこちらが必死に動いても、何食わぬ顔で「反省」や「感謝」という観念さえ持ち合わせない(実際にこの感情は人間関係の上で結ばれる非常に高度なもので、「自尊感情」の生育とも関係し深いテーマを孕みますが)かに見える決定的な断絶……。これらは、いわば当たり前であり、それを生じさせる関係性を充分認識したうえで、ひとつひとつ健常者側の持ち合わせている観念の上皮も剥ぎながら、じゃあ何がいったいその上に両者が築いていけるんだろうかと模索していくことが、いわば「福祉」の大方の現場の常識なのではないでしょうか。だからこそ、この本が、社会、とくに最も底辺に置かれているとも言える犯罪者の置かれている状況を梃子に「障がい者」の生きている現実の厳しさを訴えていくことは、我々もどこかこれまで日頃やっているにもかかわらず、大衆の面前から隠してきた、あるいは見えないようベールを被せてきた部分と重なるのではと、反省ともども、う〜〜んと考えさせられるのです。

とくに「性」の部分は、ドキッとさせられました。果たして「福祉」は、あるいは「社会」は「品行方正」なモデルを障がい者だけでなく「人」に対して求めるあまり、本当の「性」による「喜び」、「愛」や「自由」の存在する場所を捨象してきたのではないか……。けっきょく良い本は最終的に読者一人一人のどこか触れたくない、でも捨て去りたくもなく引きずっていた場所へ微かでありながらも明確な鮮度をもった光を当て、問いかけてくるのだなあと、改めて思った次第でした。
posted by あそびと at 23:19| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

映画『キャプテン アブラーイド』を見て

深夜のNHK・BSで、『キャプテン アブ・ラーイド』という映画があっていました。ヨルダン映画です。まずは、アンマン市街を中心とする七つの丘に立ち現われる町の風景、ヘラクレス神殿跡、あるいは石積みの路地、軒を連ねる露店商と、喧噪のなかに無造作に流れるカーヌーンやトンバクといった中東の楽器の奏でる音楽など生活感がこれでもかと伝わってくるカメラワークは素晴らしいものでした。                                       しかし、それにもまして内容が、う〜んと考えさせられるものでした。                                                 

主人公のアブ・ラーイドはアンマンの国際空港で清掃員として働いています。五年前に妻に先立たれ(のちにようやく授かった一人息子も幼い時、不慮の事故で亡くしたことが語られます)、読書を唯一の楽しみに初老の日々を過ごしています。物語は、そんな彼が、ある日、ゴミ箱からパイロットの帽子を拾って家に持ち帰ったことからはじまります。                                                   

帽子をかぶり帰宅した彼を見た近所の子が、アブ・ラーイドを本物の機長だと思い込むのです。                        いつもの遊び友達数人がやってきて、旅先の話をしてくれとせがまれた揚句、彼は、日ごろ本で読み知った外国の話をするようになり、彼らとの距離が一気に狭まってきます。                                                         しかし、近づくということは、それまで見えていなかったけっして豊かではない厳しい現実を背負わされている彼ら個々の暮らしが否応なく視界へと入ってくることも意味するのです。

たとえば、学校へいくことより道端での物売りを親から強いられる子がいます。                                   アブ・ラーイドは、品物のお菓子をすべて買い上げ、学校へ行くよう促しますが、その行為も付け焼刃にしかすぎません。親へ交渉へ出かけても父権の強い文化の中にあっては相手にもされません。                                           また、他の1人ムラードは父親の暴力に(家族ぐるみでのDV)に苦しんでいます。思春期を迎えようとする周りの子よりやや年長の彼は大人の偽善性を見抜き始める年頃で、アブ・ラーイドがにせ機長だと主張し、最後はなかなか信用しない子ども数人を父親の財布から盗んだお金で空港まで連れていき、床掃除をする現場まで見せ、納得させます。しかしそんな彼もその代償として父親からのさらなる折檻が待っているのですが……。 

そんな中、アブ・ラーイドは美しい女性パイロット、ヌールと知り合います。                                     彼女は男性中心のアラブ世界の中で「自立」をめざそうとする新しいタイプの女性で、周囲の反対を押し切り結婚をせず、キャリア・ウーマンの道を進んでいます。しかし30代を迎えた彼女への視線は厳しく、無神経な言葉についつい投げやりな言葉を返しながら折れそうな毎日を送っています。そんな中、清掃夫であってもひょうひょうと立ち居振る舞い、しかも物知りなアブ・ラーイドに惹かれ、彼へ自分の身上について相談をする関係にまでなるのです。  

「人のために生きるのは嫌。たった一度の人生を自分のために生きたい」という彼女に対して、彼は自分の息子や妻の死を語り、孤独の中で日々生きることの現実を話しながらも、だからこそ人生はかけがいのないものであり、己の信じる道へすすむことが大切であることを伝えます。

そんな彼は、少年ムラードが彼の機長の真実を暴く行為に対しても微笑みながら、「いいんだよ。君は悪くない」と一言言うだけで、けっしてせめたりはしません。それどころか、機長の帽子やヌールからもらったニューヨークのお土産を手渡し、さらにはあまりにひどい父親の暴力に我慢できなくなり、ヌールとともに彼ら家族を救おうと(実際、この行為が物語のクライマックスです)するのです。                                             

大人は、どこまで子どもを許せるのか。どこまで許容できるのか。今では失われてしまったようなこの行為というか、関係性の重要さ、そして、本当の勇気とはなにか。

アブ・ラーイドは最後は逆恨みをかい、逆上したムラードの父親に撲殺されます。しかしアブ・ラーイドは最後まで、日々の生活(とくに経済苦)に疲れ切り、酒浸りになっている父親に「君は病んでいるんだ。君の力になりたいんだ」と訴え、理性による解決を切々と説こうとするのです。 

深読みかもしれませんが、私はこの最後のシーンに、ヨルダン生まれのアメリカ育ちと言う新鋭監督のイスラエル勢力に対するアラブからのメッセージが込められているようにも思えました。

「いいんだよ。君は悪くない」                                                              

大人は自らの行為に倫理的な価値を付与したり、追い求める(その結果が「善」としての行為とも言えるのですが)あまり、その内奥の真実を見よう(暴こう)とする行為に対して「悪」のレッテッルを貼りたがります。 しかし本来その行為はまったく自然なもので、ただ事実を見ようという動機から発露されたものにすぎません。                                                      

そして子どもこそはこの行為の具現者です。大人はそんな子どもの行為を前に、怒ったり、泣いたり、叫んだりするのではなく、ただ微笑み、「いいんだよ。君は悪くない」そう返せる度量をわすれてしまっているのではないか。

「いいんだよ。君はわるくない、君はすべきことをしただけだよ。」「おじさんも、小さい時はそうだった」「嘘をついていたこと、それが事実さ」「どんな理由にせよ。わるいのはこっちだ」「いずれ君もわかるときがくるよ……」 そんな反復される言葉をふくみながら、微笑みをもって果たしてどれだけ子どもに対していけるのか。それができぬして、何をして数十年長く生きてきた「証」と言えるのか。

まだまだこの映画から考えたことはあったのですが、そんなことをちょっと思った次第です。                                                              

                      
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2010年10月16日

最近の電話から〜

数日前、ふくし生協の中村倭文夫(しずお)さんから電話がありました。
「ちょっと5分ほどいいですか?」
どうぞどうぞと返事する私に、何かさっぱりした声で、                      「11月15日でふくし生協を退職することにしました」                      「……そうですか。それはほんとうにお疲れさまでした」と労いの言葉を挟むやいなや間髪をいれず「水俣へ行きます」ときっぱり。                                「水俣?」                                                  「ホットハウスで……」                                          「ああ、加藤さんたちの」と私は胎児性水俣病の支援をされ、現在は社会福祉法人「さかえの杜」を母体に運営されている加藤たけ子さんの名を上げていました。

加藤さんを知ったのはもうかれこれ15年近く前になるでしょうか。               はるばる水俣から開所して間もない「夢屋」を訪ねてこられ、胎児性水俣病の方たちと夢屋のメンバーは親睦を深めたのです。
加藤さんはその後も、私が『トライトーン』を発行した折は、「読みましたよ。おもしろかったというか、ほんと、私たちがぶつかっている問題も似てるんです。だから周囲の人にも読んででほしいから10冊ほどください」と電話を下さったり、こちらからも『夢屋だより』を欠かさず送っていますが、さすがに中村さんの言葉には驚きを隠せませんでした。

「そうそう、その加藤さんたちとNPOを立ち上げ、胎児性水俣病の人たちのこれからの介護支援をやっていくつもりです。また一からの出発ですよ」                      中村さんは、既に還暦を数年前に迎えられたはず。またまた水俣の地で、介護支援事業を立ち上げていこうとその意気込みがひしひしと伝わってきます。                     「名前は決めてるんです。『浜千鳥(はまちどり)』」と高らかな声が次々と私の耳へ。     「じゃあ、今度はこちらが水俣へおじゃましますので、そこでぜひ会いましょう」
不精な私は何度、この言葉を加藤さんにも言ってきたことか。(実際年賀状には毎年書いていて、一度も行ったことがありません。トホホホ……)でも、こうやって言い続けていれば、いつか夢屋のメンバーを連れ伺う日もくるかと微かな希望も込めているのです。

「ええ、待ってますよ。場所は昔ホットハウスがあった二階です。当分単身赴任です」

受話器を置いた後の何とも言えぬ余韻と感慨……久々に驚きとともに、あれこれ中村さんとの出会いと御縁、そしてこれからの自分自身の生き方もを考えさせられた一報でした。
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2010年10月01日

ホームページが、ほぼ完成しました。http://www.asoyumeya.org/ でお会いしましょう。

9月初めよりNGO国際協力ボランティアプラットフォーム(通称『ぼらぷら』)に制作していただいていたHPがほぼ完成し、今日、引き渡しということになりました。

「ほぼ」と書くのは、HPは常に更新されながら変化していくものですし、定位した形での「これで完成」という地点はありません。そのような意味で、いつも正確にはどこか不完全さを宿した生き物のようなものかもしれないと思うからです。(その視点からいえば、けっきょくのところ、いかに内容ある記事を掲載していくか、または日常のさりげないことでも、日々コツコツと更新していくかが大事なのかもしれません)

それでも今回、制作にあたっては、今現在という「時点」での夢屋の活動をよりわかりやすく伝えるため、ベターな方法を限られた予算内で捻出し、最後の最後まで、写真や文章と調整に手間暇をかけていただきました。結果、どこか手作り感覚の温かなページができたと、夢屋のスタッフ、メンバーとも心から喜んでいるところです。

これからは、日々の活動の情報はHPに移ることになります。

ただ、こちらの旧ブログは、何と言っても夢屋のネット上での情報発信の原点です。なつかしい記事もたくさんありますので(一応このトップ画面も含め、「ほぼ」すべてのカテゴリーは、HPと連結し見れるようになっていますが)、過去記事を確認されたい場合、どちらを選ぶかは好き好きということで、気ままに覗いていただければありがたいです。

最後になりましたが、担当していただいた『ぼらぷら』の久田優樹さんには、懇切丁寧なご指導で大変お世話になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

夢屋代表  宮本誠一            http://www.asoyumeya.org/
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2010年09月19日

読書感想、あれこれ……。

本来、読書感想というのは一冊読むごとに書くものでしょうが、どうも最近、こういった文章を書いた後、肩こり、そこから神経が連結している持病の左目下の痙攣がひどくなり、しばらく控えようと思っていたのですが、良い本はそれなりに胸に迫るところがあり、その微妙な機微を忘れないうちに自分なりに書き留めておくことも、やはりそれなりに意味があることだろうという気持ちは抑えがたく、溜め書きというべきか、二冊いっぺんに書いてみることにしました。

まず、柳田邦男の『犠牲(サクリファイス)〜わが息子・脳死の11日』(文春文庫)。

これを私は終始、重い気持ちで読みました。

「家族」とは何か、このテーマはこれまで多くの場所で、多くの人が語ってきたものですが、作者も何度も自らの「家族」に対して「家族崩壊」という言葉を使います。その理由は、次男の精神疾患からもたらされた<自死>に加え、連れの鬱病と言う、いわば、ある種の「家族」という「器」に乗りつつも、それぞれ義務付けられた仮面(ペルソナ)を、あるときは喜悦の中で、またあるときは苦悶をともない、それでも外すことなく嵌め続け、持続することが「構築」に匹敵するならば、そのことが身体の疾患も含めて止むにやまれぬ理由によって継続不能になったとき「崩壊」を意味するのだ、という位置付けに思えます。しかし、果たしてそうなのか?

作者を始め、ここに登場する妻や長男、そして死んだ次男は、私には健全すぎるほど健全な「家族」に思えます。健全であるがゆえの、真摯であるがゆえの切実さと脆さ、そして「契約」を超えた絆を感じとるのです。

それは、この一家が、社会性という外的側面を「崩壊」という形で一度払い落し、再度、構築(再生)を試みてきた結果とも言えます。
その主な柱は作者の「父性」と「母性」を兼ね備えた資質にもよると思うのですが、これに関しては、ここでは深くつっこみません。

つづいて、帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)の『三たびの海峡』(新潮文庫)です。
私はどこかこの作品が高橋和巳の『散華』に重なり、ナショナリズムをテーマに、同類が同類を撃つとでも言おうか(しかし、それ自体果たしてDNAや骨格、歯形を含めた様々な解析がここまで進んできている以上、有効かどうかわからないのですが)ある種の古い幻想に支えられた人間ドラマに思えました。

いや、確かに面白いのです。
筋も先に程よく読めつつ、それでも(だからこそ)どうなるのかと確認したくなります。
それは何よりも作者の細かな伏線を敷いた手だれた文章によります。

かりに、もし作者がこの作品を「博愛」や「人道」とは一線を画した本来の「理性」を中心としたヒューマニズムという観点(実際に、私には主人公を含め、いわゆる「正義」の側が理性をむきだしにした「良い子」に見えます)から、描こうとしたのであれば、「国家」や「国境」もそれなりに整理したうえで表出してほしかった、そう思います。

読後、結局、「日本」とは、「朝鮮」とは、また主人公が三度も往来する「海峡」が意味するところの「国境」とは一体、何であったのか、がぼやけ、そこに「人物」ばかりが前景に押し出てくる印象が拭えないのです。(そのような意味で和巳と重なったのかもしれません。一歩間違えれば、ちょっとついていけないな、というところへ行く危険を孕んでいます)

また、創作上のことですが、作者は、結末の主人公の復讐劇の場面が最初の構想としてあって、そこへ到達せんがためプロットという階段の地歩を固めてきている気がします。すなわちもっと言えば、主人公の「人格」がまず何より先にあるのです。

そして当然でしょうがそこから派生する形で他の登場人物の「人格」もつくられています。その意味でここにいるすべての人物は本質的な意味で誰一人「悩んで」いません。

私はこの作者の力量を重々認めつつ、そんな「理性」的側面の功罪をあえて書いておきたく思った次第です。

最後に、梁石日(ヤン・ソギル)の『血と骨』(幻冬舎)はまさしく、「理性」とは対極に位置する「身体」すなわ『血』と『骨』で、同じテーマを扱いスケール甚大であることを付け加えておきます。(この作品も、ちょっと間違えればついていけないな、というところまできてます)

posted by あそびと at 13:34| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月10日

今さら……、かもしれませんが。

今さら50年近く生きてきて、書くことでもないのですが、当然、人それぞれにその日、朝起きて、夜寝るまでの間で、あれこれ心に引っかかったり、感覚がときめいたり、がっかりしたりする箇所ていうのは、各自で微妙に違うわけですよね。

ということは、この半世紀もの間、私は、他人だったらどうでもよくて素通りしているものを、へんに見捨てることができず、ポケットの奥に隠し持って帰って確かめたり、反対に別の人だったら飛びついてかぶりつくようなものに全然興味も示さず、それどころか睥睨するような態度で足蹴にしてたりと、そんな相違の中で生きてきたわけですね。

それってよくよく考えれば、とてつもなく恐ろしいというか、よくぞここまで生きてきたなという感慨も含め、これから先もまだ続くのかと思うと、なんとなくもう責任が持てないよなっていうか、変に重苦しい感じが最近しています。

で、今、試みようと思ってやっているのが、その逆に、自分はどんなことに、どうでもいいというか、あまり関心を示さず、忘れ去ろうとしているかを考えてみています。
するとですね、意外に、そちらにこそ自分自身が元気になりそうな貴重な体験の素があるようにも思えるのです。

まず、朝、メンバーを迎えに行くと、登校中の児童が「あっ、ミヤモッちゃんだ!!」と車に寄って来て、ハイ、タッチをしてくれました。これはそういう思考をしなければ既に忘れてしまいそうになっていた出来事です。それから今度はパンの配達の帰り、中学校に勤務しているALTの外国人講師でよくすれ違う女性がいるのですが、「ハローッ」と声をかけると西日が強く照りつける中、微笑んでくれました。

これらは、まあ、さり気ない挨拶の様子で、私にとってはやっぱりこうやって意識して振り返らなければ忘れちゃうことです。夢屋のメンバーたちとの挨拶もどんなふうにしたのか、いつもと同じパターンなこともあり、記憶は消えつつあります。でもそれは、あくまでも繰り返しますが私の場合であって、人によってはこんな何気ない日常を、けっこう印象にとどめ長時間、忘れずにいる人もいるわけですよね。そう考えれば、けっこうこの50年、もったいないことをしてきたのかなとも思います。

何せ私の場合、うまくいかなかったこと、つらかったこと、不安なこと、これからどうなるか心配なこと……、そんなことがやたら心の大部分をしめてしまいがちで、それをどうやったら解決できるか、本を読んでヒントを探したり、ぼやいたり、つぶやいたり、書きとめたりと、そうやって大方を過ごしてきているように思えます。

物事を楽しんだり、些細な人と人とのやりとりを愛しんだり、というのがやや苦手というか、若干、感覚が弱いんですよね。

でもこんなことを考えるようになったのも、50歳まであと一年という今になって、どこか自分でも気付かないような部分に変化が生まれてきているのかもしれません。

ああ、そうそう、さっき小学校へパンの配達に行った時、ミユさんがスリッパをもってきて、コウキさんを背中から抱きかかえるように歩いていた私の足元に差し出したのを思いだしました。これも、大切な一コマですよね。
posted by あそびと at 18:12| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

映画『永遠と一日』を見て。

NHK・BSで深夜、テオ・アンゲロプロスの作品が三回にわたってあっていました。『霧の中の風景』(1988)『永遠と一日』(1998)『エレニの旅』(2003)です。

ご存じのように彼の初期代表作と言えば、『旅芸人の記録』(1975)ということになるでしょう。古代神話から現代に至るギリシャの歴史を、神話の人物関係を下敷きにした旅芸人一座の姿を通して描いた壮大な物語です。

しかし、私がこの監督を知ったのは、15年ほど前になると思いますが、たまたまテレビで見た『霧の中の風景』ででした。

ドイツにいると言われている「父」を探すため、幼い姉弟が蒸気とも霧とも、果ては人工的なガスともつかぬプラット・ホームから汽車に乗るシーンで始まります。そこからの一コマ一コマのシーンがきわめて陰影深く、「ヨーロッパ」と簡単に概括できない、それぞれの国家がそれこそ深い霧の中にあるおぼろげな「国境」を隔て歩んできた一筋縄ではいかぬいくつにも折り重なった歴史や社会思想、哲学といったものの鬩ぎ合いを「野外劇」を思わせる大胆な演出によって盛り込んでいることに、映画の新たな可能性を垣間見せられた気がして心打たれたのを覚えています。

『永遠と一日』は作家(詩や小説を書いてきている)の主人公アレクサンドロス(『ベルリン天使の歌』の天使や『ヒトラー〜最期の12日間〜』のヒトラーの役をしているブルーノ・ガンツが演じています)が、不治の病(病名は映画の中では明かされていません)を自覚し、明日には入院(「社会性」との遮断、すなわちこれを「死」と換喩しているようです)することになっていて、そんな彼の最後の一日が丹念に描かれていきます。

どうも主人公は、生前は気まぐれな旅ばかりしていたようで夫の不在中、失望の中、それでも必死にけなげに生きたことを思わせる3年前に亡くなった妻アンナとの記憶の場面や、車の窓ふきをして生計を立て、あわや養子縁組目当ての売買の餌食にされようとするアルバニア難民の少年とのかかわりを通し、時間、記憶、存在、この三つの要素が絡まりながら展開していくことがこの映画のミソです。最後に主人公が記憶の中で亡妻に明日の時間の長さはどれくらいか訪ね、永遠と一日だと妻は答えます。

印象的だったシーンはいくつかあります。どこへ向かうのか定かでない循環バスに少年を誘ったときやってくる、やや時代のずれた他の乗客たち。赤旗を持ち深くうなだれまま身動きしない、たった今までデモの渦中にいたことを思わせるコミュニストの青年、年配の教授との恋の駆け引きを批判(嫉妬)する青年と相手の冷めきった女性、バイオリン、チェロ、フルートを手に持ち演奏を始める音楽学生、そして往年のギリシャ詩人ソロモス。おお!!まさしくこれは宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』ではなかろうか。そんなことも考えてしまいました。

バスから降り、少年と別れた主人公は、どこへ行こうか迷いに迷い、車を交差点に止めたまま、周囲の車の渋滞も気にすることなく明け方を迎えます。

私はこのシーンにこそ、決定的な仕掛けが仕組まれている、そう感じました。とにかく長いのです。で、朝方彼が向かったのは、やがて取り壊されることになっている妻とわずかな蜜月を過ごした海辺の豪邸でした。

時間はふたたび飛びます。

そこで前述した最後に亡妻に向って訪ねるシーンがあらわれるのです。
「明日の長さは?」
「永遠と一日」

なるほど。ここでこの映画の構造がある程度読み取れた。そう思いました。
もちろん監督は、見る側へそれぞれ自由に解釈ができるよう余地は残してあります。


それでも私なりにあえて言わせていただけば、あの長い信号機の前での「停止」によって、主人公のたどってきたすべての記憶、物語、妻、娘、少年、それらは幻想(妄想)であったとも充分とれるようつくられています。すなわち私たちが主人公とともに体感したものは、過去、現在、未来の時間の連続性の中、存在が立ちあらわれる「永続」的なものではなく、その時間そのものを越えた別世界の基軸である「永遠」そのものであるということなのです。ただ「永遠」なるものは、「時間」軸のなかには存在しませんから「あった」(過去形)も「あるであろう」(未来形)もなく、ただそこに「ある」しかないのです。

最後にまたまた長く映しだ去られる残酷なまでのアレクサンドロスの髪の薄くなった後頭部のクローズ・アップ。そこに「永遠」の中、ただそこに存在するしかない現在としての実存の姿、すなわち「一日」が浮かびあがります。

「永遠」と「一日」、これはけっして対比ではなく、私たちが日々生きる実態そのものなのだと、監督アングロプロスは言っているようにも思えました。
posted by あそびと at 10:46| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月30日

芥川賞作品『乙女の密告』(赤染晶子著)を読んでみて。

『アンネの日記』(原題は『ヘト アハテルハウス』=「隠れ家」に近い意味があるそうです)を題材に、それを暗誦しスピーチコンテストに出ることで単位を取得せねばならないゼミ生(通称「乙女」)たちと猛烈なしごきで有名な教授バッハマン、彼がいつも手放さないアンゲリアという名のついた人形など、素材には事欠きません。

またゼミ生にもなかなかのくせものがいて、何年も留年し秘かに教授に恋心を抱きながらスピーチだけに情熱を傾ける「麗子様」(彼女はいつでも練習できるよう、首には防水のストップウォッチをかけています)、ドイツからの帰国子女「貴代」(日本の生活に浸るに従いドイツ語を忘れていくことに苛立ちを抱える、言わば外国語を学ぶことで日に日に新しい視座が開かれていく主人公みか子とは逆ベクトルにある存在です)など、やや漫画的ではありますがユニークなキャラクターがそろっています。

そもそも『アンネの日記』の最も重要(印象に残る)であろうと一般的に言われているのは1944年4月15日のアンネが少しずつ心を惹かれていたペーター少年とのキスシーンとされているようですが、まず作中のバッハマン教授が学生に暗誦するよう指示した日がそれより6日前の4月9日であるところから、なにやら謎めいた展開が始まります。

なぜその日が重要なのか。

この日は警察が隠れ家のドアのすぐ後ろまでやってくる緊迫した日なのです。アンネは言います。
『誰がわたし達ユダヤ人を世界中の民族とは違う異質なものにしたのでしょう? 誰がわたし達ユダヤ人を今日までこれほど苦しめてきたのでしょう?』

おそらく彼女は生死の極限に来て、それまで以上に「ユダヤ人」としてのアイデンティティーに突き付けられた戦時下における過酷な状況の中、その意味するものとは何なのかについて葛藤するのです。

『わたし達ユダヤ人はオランダ人だけになることも、イギリス人だけになることも、決してできません。他の国の人にも決してなれません』

しかし、みか子はある特定の個所に行きつくたびに、スピーチ中に決まってど忘れ(記憶喪失)し、練習時からうまくできません。その一文とは

『今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人なることです!』

そうです。まさしくそれはアンネがそれまで口にしていたユダヤ人としてのナショナル・アイデンティティを外に向かって叫ぶ主張とは反対にいわば内向し、否定(放棄)ともとれる言葉です。

物語はいわばこのアンネのアイデンティティーをめぐる「自己」と「擬自己」(自己内の中につくられ本質的には「他者」に近い)との葛藤に対して、みか子の「私」という現実存在と「乙女」である社会から与えられたフレームワークとのぶつかり合いを重ね合わせながら進んでいきます。つまり、その統合のなりゆきから見ていけば、一人の少女の成長をたどった青春小説とも言えるかもしれません。

そもそも「自己」なるものはあるのか。そしてその本質とは何のか。

ここでは「乙女」に象徴される社会内のポジションがまず彼女たちには用意され、そこから逸脱(排除)、もしくは脱出することによって初めて地上での自分の周辺の事態が俯瞰できる、客観的でありながらかつ主体性をもった「自己」へ転化するという西洋の自己意識への発展の行動哲学としての王道が踏まれています。

しかしふとここで私などは疑問に思います。

はたして作者は、そもそもここまでユダヤ人のアイデンティティーにこだわるというのであれば、その『概念』としてどのような枠組みを考えているのだろうかと。人種的か、宗教的か、地理的か、そこのところがぼかされ、私には正直明確な線が見えませんでした。

おそらく、人間意識内で、自らが「ユダヤ人」と思えばそうなのだ、というところに落ち着きたいのかもしれませんが、こと「ユダヤ人」に関しては現在もイスラエル・パレスチナ問題で進行中であり、そう簡単に言い切れるテーマではないことは自明です。

『ホロコースト』とは対極に常に1948年のイスラエル建国宣言後、パレスチナが被った『ナクバ』をどう2010年の現在の時点と結びつけるのか。舞台が大学であり、主人公が学生であるがゆえにこそ、どこかで描かれてしかるべきではないか、そんな不満を持ちました。

最後にみか子はスピーチコンテストで暗誦部分から逸脱(すなわち「擬自己」から「自己」への昇華を意味します)してこう言います。

「わたしは密告します。アンネ・フランクを密告します……アンネ・フランクはユダヤ人です」

この『わたし』とはだれか。『アンネ・フランク』とはだれか。密告は『だれ』に向かって行うのか。

みか子のこの科白に対するバッハマン教授の納得したような「頷き」には選考委員の一人である村上龍が強く違和感を唱えていますが、それはまた機会があれば読んでみてください。(ちなみにネット上の『龍言飛語』でもくわしく話しています)

そのほか、下世話な部分でたとえば、みか子は母子家庭で、母親がそう若くない年齢にもかかわらずホステスで生計を立て、果たしてその収入だけで(彼女はアルバイトもせずひたすら語学の習得に励んでいます)食べていけるのか。また共通することですが、登場する人物たちには「生活感」といったものがまったくありません。またバッハマン教授の正体は? ユダヤ人、それとも……。

など気になることも多かったのですが、たまたま知人より『文藝春秋』をいただき、せっかくの機会に今回は、芥川賞作品について書かせていただいた次第です。
posted by あそびと at 17:04| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

夏の終わりに思うこと。

ここ数年、夏から秋にかけていろいろな研修会へ講師として招かれることが増えました。また、訪問客、とくに福祉に携わっておられる方の見学も多いです。
昨日の九重町のみなさんもですが、来月は苓北町の方が20名やってきます。

個人的にはなつかしい再会もありました。
大学の同級生、そしてかつて小学校で担任していた教え子と保護者、こちらは25年、そして18年ぶりに顔を見ることができました。

日ごろはあまり時間を意識しているわけではないですが、確かにこのようなある程度の間隔を置いた再会の場合、相手の少なからずの外見の変化を見ることで、そうか、やっぱり歳月は過ぎているんだなあと改めて意識することが多いです。

「存在」とは、ただそこに在るから「存在」するのではない。過去、現在、未来という流れの中で「現存在=人間」が「時間化」されたとき初めて立ち現われてくる、と言ったのはハイデッカーでしたが、今更のようにこのことを考えます。

しかも時間も、そもそも直線的に物差しのように用意されているわけではなく、「存在」が「企投」=「投影」されることによって初めて個々様々な長短(中には断絶や歪みも持ちながら)の姿で誕生するから厄介です。

いわば「存在」と「時間」の切磋琢磨というか相互作用の中で日常を生きているとも言えるのでしょうが、大方は無意識と無時間の中、無重力のような世界を海月のように浮遊しているのかもしれません。

さて、8月23日は、夢屋をいっしょに始めた下原猛さんの誕生日です。
生きていたら35歳になります。

夢屋を作り始めた当初、なかなかのやんちゃだった彼をうらめしく横目で見ながら、よく母親や竹原さんと彼の中年を迎え、ややエネルギーの衰えたときの姿を見てみたいねと話していたものです。
しかし、その願いも叶わず、24歳で逝ってしまいました。
そのような意味で、彼の時間は存在の消滅とともに停止してしまいました。

でも最近思います。
止まっているからこそ、まだなんとか動き続けているこちらから話しかけ、思い浮かべたりすることで、生前というに留まらず、また新たな猛さんの像を立ち昇らせていくことも可能だし、必要なのではないかと。
何と言ったって、こっちの時間はちゃんと日々、それこそ嫌になるくらい過ぎていっているわけだし、猛さんの「像」も当然それに合わせ変わってきていいわけでしょう。

そうです。そう考えれば、思う人がいるかぎり、考えつづける人がいるかぎり、猛さんは生きているし、彼の「時間」はやはり止まっていないとも言えるわけです。

まだまだ残暑が続くこの夏の終わりに、ふとそんなことを考えた明け方でした。
どうか、みなさんも、お体気を付けて、今日という一日を送ってください。
posted by あそびと at 04:55| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月18日

自分自身へ、またこれからの生き方について考えさせられました。

今朝、新聞を見ると『阿蘇市内の小学校教諭が酒気帯び疑いで逮捕』という、大きな見出しが飛び込んできました。警察の発表によれば事故が起きたのは午前11時45分とあります。「容疑者は市道左側に駐車中のトラックに接触。さらにごみ置き場のブロック塀をなぎ倒し、その奥に駐車中の軽乗用車とも接触。駆けつけた署員が調べたところ、呼気1リットルから基準の5倍以上の0.84ミリグラムのアルコールが検知された」そうです。

その教諭の名を見て、私はショックを隠せませんでした。教員時代のつながりはありませんが、人権教育にも熱心な先生で、夢屋を始めてから研修会などへ行くと会場で私だけでなくメンバーにも気さくに声をかけていただいたり、また、個人的に夢屋の実践に興味があるということでレポートをいただき、その感想を書いて差し上げたり、意見を述べさせていただいたりしたことが、数回あったからです。

私には、これと類似した事件でショックだったことが18年前、阿蘇に赴任した年の9月にあります。前任地は菊池市だったのですが、同じ教育事務所の管内に勤めておられた先生が、小学校の運動会が終わった後の慰労会で飲酒運転をし、老人を引き逃げ死亡させ、翌朝逮捕されたのです。その先生は、とくに体育の授業で優れた実践をされており、地元の新聞などにも連載された方でした。私も体育主任をやっていたこともあり、研究会で御一緒したり、一度宴席も共にさせていただいたこともあります。飾らない人柄で、何か自分にとっては、こんな先生の授業を私も小学校時代に受けていたらなあと思うような人でした。

今回の教育長のコメントではありませんが、本当に残念でなりません。しかし、何に対して残念か。私の場合、自分が教師を辞め、作業所を始めたときの状況や心理が浮かびあがり、残念さと、無念さと、悲しさと、そして何とも言えぬ腹立たしさ(それは自分自身へ向かってくるものでもあります)に近い感情がわいてくるのです。

私は教員をやめたとき心に期したことがあります。
絶対にこれからの生き方を通じて、当時受け持ち、またそれまで受け持ってきた教え子たち、保護者、自分の家族を始め周囲の人たちを、二度と悲しませたり落胆させてはならないと。

それは同時に「夢屋」を何としても軌道に乗せ、つづけていくことで自分がやろうとしたものを具現化していくことでしか返すことはできないし、どんな言い訳も通じないのだということを意味していました。合わせて、結婚し、二人の子どももいる33歳の男が教員を辞め、ほとんど無収入な作業所を始めることは、それほど代償の大きな行為だったのです。

そしてそれは今も、これからもつづいていくと思います。

一人の人間はだれしもでしょうが、少なくとも家族まで持った人間は、自分自身が作り上げた関係と責任の中ではかりしれない大きなものを背負って生きているとも言えるでしょう。また、私自身がこと「教師」に対しての思いが人一倍強かったこともあるかもしれません。単なる紙上のテクニックではなく、「生き方」そのものを通じて生徒や児童に言葉では伝えられない何かを教える仕事だと今も思っています。

今回の事故が人身事故につながらなかったことは、発生時刻や事故状況などを考え合わせれば奇跡かもしれません。

事故を起こされた先生もそうですが、これからの生き方で必死にまた、悲しませた方たちに思いがとどくまで努力しつづけ差し示していくしか道はない。

私も改めて自分自身に言い聞かせ、これからの作業所運営をやっていこうと思います。
posted by あそびと at 10:45| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

ちまちまと映画?を楽しむ方法もあるのですね。

お盆に帰省していると、寺島しのぶがインタビューをうけていました。
言うまでもなく、今や日本を代表する実力派女優ではないでしょうか。

お茶の間では大河ドラマ『竜馬伝』の竜馬の姉、乙女を熱演し、また最近では若松孝二監督の『キャタビラー』でベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞しています。

個人的には車谷長吉原作の『赤目四十八瀧心中未遂』の綾役など絶品のものがあったと思っています。

さて、熊本でも『キャタビラー』が上映されているということで、見に行こうかどうしようかと考えましたが、予告を見て、とりあえず今回はやめにしました。

出征し両腕、両足を失い帰ってきた夫、もちろんその主眼は戦争のむごさであり、例え身を犠牲にして戦っても、その後の生活に何の保証もない当時の兵士や家族の置かれていた状況等、見応えのあるものとは思いました。

さらに視点を変えれば、帰還した夫がPTSDでのたうちまわり、頭部を部屋のあちこちで激打するシーンは、「戦争」とは別の意味で、一人の「障がい者」と彼を取り巻く周囲の在り方という観点からも、充分、現在と重なるものがありました。

しかし、それがあまりに、今のメンバーの調子を落とした姿などとダブッてしまったため、私としては、見るのを敬遠してしまった次第です。

さて、その置き土産ではないですが、若松孝二監督が『エンドレス・ワルツ』(1995年)という映画を撮っていることを知り、それをなんとPCのYou tube で見ました。

そうです。約8分ちょっとずつ、誰かが12分割してアップロードしてくれている画面を順につなぎ合わせ見たのでした。

内容は60年代末にフリージャズのサックス奏者として一世を風靡した阿部薫とその恋人であり妻の作家・鈴木いづみとの出会いと別れ、そして各人の死(阿部は1978年、29歳でブロバリンを多量摂取して中毒死、そしてその7年後鈴木も36歳で縊死しています)の実話をもとに書かれた稲葉真弓の同名小説が原作になっていて、二人にとっての「愛」の姿を、互いの「自我」と「自我」の壮絶なぶつかり合いを巧みに織り交ぜながら描かれていました。

ところで、なぜ、私がYou tubeの小さな画面でせこせこと見続けれたかと言うと、伝説のサックスプレーヤー阿部薫には以前から興味がありましたし、何とその役を芥川作家の町田康が「町田町蔵」の名で演じていたからでした。それがなかなかうまいのです。

あらすじをあれこれ書くのはやめますが、見終わった時、一つは一般的な意味での生きることの「濃さ」というか、果たしてそこに時間の長短(長生きしたとか早死にしたとか)がどのくらい関係しているのか、ということ、それと一人の優れた『表現者』はやはりその置かれた「時代」と密接に結びついており、滅んでいくのもまた必然なのだということ、さらにそこに男と女の「愛」が絡むことでより運命的な彩は強くなり、両者の出会いと別れも含め、連関性がメビウスの輪のように生起しては、言葉を越えた始原的な世界へといざなってくれること……、

そんなことを小さな画面を追いつつ、ちまちまと考えたひとときでした。
posted by あそびと at 20:09| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

フォトジャーナリスト・國森康弘さんの言葉から〜

知人の新婚夫婦。

初めての子を授かった。男の子。名前も決めていた。出産予定日の1週間前になって、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていた。

3日後、母は分娩に臨んだ。いきんだ。

生んだ。

真っ赤な赤ちゃんだった。

抱いた。

温かかった。

だんだん冷たくなってきた。

三日三晩、抱いた。
あやした。

写真を撮った。小さな手の、かわいい赤ちゃんだった。

納棺して、送った。

赤ちゃんを抱き、写真に写る夫婦は、すっかりパパ、ママの顔をしていた。


今朝早く、フォトジャーナリストの國森康弘さんのホームページを見たところ、こんな文章(詩)が載っていました。http://www.kunimorifoto.net/

私が彼を知ったのは、日本のフォトジャーナリストの第一人者である広河隆一さんが編集責任をつとめる月刊誌『DAYS JAPAN』を通してでした。
その射程は広く、イラクを始め、ソマリア、スーダン、カンボジアといった紛争地からイギリスなど先進地の延命医療の骨髄移植のドナーの取材、さらに国内では失業者の実態や島根県知夫里島の介護・看取りの家「なごみの里」に暮らした90代3人の最晩年を追った「人生最期の1%」(写真展)の開催、そして平凡社新書から『家族を看取る〜心がそばにあればいい』を出版するなど、写真や文章を通して社会へ強烈なメッセージを提起されている方です。

この文章(詩)は、写真家として培った彼の対象を見つめる確かさと生命を愛しむ温かな眼差しが土台となって、情景の一コマ一コマがはっきりとした映像となって浮かび上がってくるようです。

思い起こせば、夢屋をやって15年半、お会いする親はそのほとんどが障がい者(児)の親でした。

直接お会いしたり車で送迎にいった際、話されるのは、ちょっとした仕草の変化や顔色の様子、調子は上向きか下り坂か、用便の方は、自傷行為はでているか、よく眠れているか……と、その心配事は尽きず、本来なら子どもの成長にしたがい基本的な養育から解放されるはずなのに成人してもなお、養育(介護)の手を休めることのできぬ保護者の皆さんに、常に親というものはどうあらねばならないか、深いテーマをつきつけられているようでしたし、同時にそのような今もって厳しい現実があるからこそ、「社会」の『制度』や『システム』の改善によって少しでもその「負担」を軽減する必要があるのではという思いもありました。

今年の夏の暑さも加わり調子を落とし気味のコウキさんを、土、日の休み明け迎えにいくと、いつもは強気のお母さんが、
「もう、自分でもときどき、どうしたらいいのかわからなくなります」と涙声で呟かれます。
私はそんなお母さんの言葉を黙って聞いています。
「調子が悪いからと言って、家でじっとしているより、外に出た方がいいですよね」
そんな縋るような口調に、私も思わず、
「ええ、やっぱり気分転換にもなりますし、コウキさんもみんなといると楽しいみたいですよ」
と咄嗟に返事します。

私は、ほんの数時間でも、ここ数日付ききっりでおられたお母さんの心と体を休めてあげればとそんな気持ちで一杯なのです。

「コウキ、夢屋さんがきたよ」
お母さんの言葉に、コウキさんも私の顔を見ると、布団から立ち上がり、着替えを始めます。ズボンを履き、私の手を求め、車へと向かいます。

夢屋ではそんなコウキさんを皆が気遣い、パンをつくりながら声をかけたり、手作りのおもちゃをわたしたり、隣にいって抱きしめ話しかけたりしてくれます。するとコウキさんも、独特のいつもの声や動きがもどってきます。

やがておもむろにテーブルに手をかけ、仁王立ちになるコウキさん。
「あっ、ちょっと臭ってきたみたい」チーさんの声に紙パンツを覗くとりっぱなものが…。
「やったあ、よかったよかった、出てよかったねえ」
歓声を上げ、トイレへ連れていく私。

休み中、ご飯も喉を通らなかったと言うのに、しっかり好物のカレーをペロリ。仲間の力を感じる一瞬です。

お昼過ぎのお母さんからの様子を心配する電話に、これまでのことを話すと、「ああ、よかったです」と安堵の声が。

しかし、また夕方、自宅へ送ったとき、お母さんの心配そうな表情から、これから二人の予測不可能な時間が待っていることを痛感するのです。

思春期を迎えた時の重度の知的障がい者、とくに男子の難しさを私は今は亡きタケシさんから身をもって教えられ、コウキさんにも同じことを感じつつ、それでも日々、皆と力を合わせながら夢屋の運営をやっています。

國森さんの文(詩)同様、親とは我が子を、一生、いやもしかすると命を失してからも形や方法の違いはあるにせよ「三日三晩、抱き、あやし」つづけねばならない存在とは言えまいか……。

だとしても、涙や苦悶や疲労ばかりがつづく毎日でいいのか。

生命なく生まれた悲しみとそこから湧き上がる親の愛の姿を見つめさせていただきながら、この世に生命を与えられた素晴らしさを思うとともに、日々の取り組みのことなど、いろいろ考えさせられたときでした。
posted by あそびと at 10:42| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月09日

蝉の声を聞きながら〜

おそらく原初というべきか、遠い遠い御先祖様も共通して聞いてきた、しかもかなり限定された季節感と結びついた生き物の鳴き声の一つに、この蝉の声は入るのではないでしょうか。照りつける眩いばかりの日差しの中で鼓膜を揺すらんばかりにざわめく声、夕立ちの後、じわじわと息を吹き返すかのように広がり出す蝉しぐれ……。

そんなとき、過去の情景がふと浮かび上がり、幼き日の夏の思い出や情景はなくとも深い感情のたゆとう中へ彷徨い出る人も多いのかもしれません。

「である」と「がある」……、哲学の世界では「本質存在」と「事実存在」といわれています。はたして「私」はこれまで「私であり」、ちゃんと「私があ(在)った」のか?

突飛なようですが、蝉の声に象徴される古い地層に埋めこまれた声(音)を耳にすると、時間というものが一度に遡行し、存在の根源の問いへ連れ去られることも少なくありません。

そんなとき、もう亡くなって十数年になる慕っていた陶芸家の言葉を思い出します。
「生まれたからには、自分なりに帳尻を合わせて死にたい」と、よく晩年おっしゃっていました。
作品展前など、仕事が込み入ったときお会いすると、
「売るために、生活のためにこうやって作ることは、正直、苦痛なんです」それでも轆轤に向かい続けていた後姿が今もはっきりと浮かび上がります。

しかし、だからこそ、自分はなぜ陶芸の道へすすんだのか、あるいは自分の目指す陶芸とは何だったのか、考えずにはいられないともおっしゃっていました。そうです。初めて目にした、何の装飾もなく、釉薬もかけられていない、まるで「土」そのもがそこに姿を現したかのような素焼きの感動を熱く語っておられたのを昨日のことのように思い出します。

一人の「陶芸家であり」、一人の「陶芸家がいた」ことを証明すること。それこそが、もしかするとその人の人生の「帳尻」を合わせることだったのかもしれません。

でもよくよく考えるに、けっきょく人とはこの二つの問いを、無意識に自分自身へと投げかけながら生きつづけているとは言えないでしょうか。そして願わくば、その両者の果てのさらなる場所「私でもあり、私もいた」地点(認識)へと辿り着きたいのかも……。

今日も、いろんな場所で蝉の声を聞きながら、それぞれにいろんなことを考えたり感じたりした人がいたんでしょうね。

そして、この『遊びとたちのページ』を覗いてくださり、ありがとうございます。
posted by あそびと at 18:31| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

ふとさあー、ここんテレビ!!

今年は、黒沢明の生誕100年だそうですが、山本薩夫も同じく100年ということで、NHKのBSでは特集があっています。

『不毛地帯』『華麗なる一族』『金環蝕』など社会派監督ならではの作品が、つぎつぎと放送されていますが、私が中でも面白いと思ったのは『忍びの者』です。作品はその後シリーズ化され、別の監督などにより8本つくられています。彼は最初の2本つくっていて、いわばその記念碑的作品です。原作は村山知義、主演はあの大映の看板役者市川雷蔵、そこに超個性派俳優の伊藤雄之助が顔を合わせています。

山本薩夫については、別番組で彼個人にスポットを当て、当時、彼を支えていたスタッフや彼の作品に出演した俳優、また遺族がインタヴューに答える形で放映されていました。学生時代の反戦活動をした罪による検挙、戦争中兵役で受けた非人間的扱い、戦後東宝の従業員組合の結成に伴い、労働環境の改善を求めくりかえしたストライキに争議終結後待ち受けていた不当な解雇……。

その後、彼は当時未踏の領域だった独立プロを立ち上げ、農民映画の傑作といわれる『荷車の歌』(三國連太郎主演)や自らの屈辱的な戦争(兵士)体験を重ねた『真空地帯』など数々の問題作を放っていきます。しかし、時代とは因果なもので、テレビの普及とともに急速に映画産業が斜陽に向かいつつあるとき、その救いの手として大手会社が白羽の矢を立てたのが、少ない予算でも確実に観客を呼べる玄人好みな作品を地道につくりつづけていた彼だったのです。まさしく孤高からの凱旋とでもいうべきでしょうか。

そんな辛酸を嘗めつくした彼ですから、ただの忍者や武士のチャンバラものではありません。まさしく忍者を組織の一員(歯車)と位置づけ、戦乱の時代に翻弄された一人の人間として、その内面をいぶりだすような陰影深い描写でリアルに描こうとしています。人間離れした今でいう特撮(SFXやワイヤーアクション)の忍術はなく、う〜ん、かなり鍛錬すればやはりここまではできるんだろうな、という範囲で(だからこそ、やはり忍者はすごいなと感嘆する形で)、しかも「妖術」と言えば、むしろ肉体的な攻撃以上に、敵側の人間の心理をいかに欺くかということに力点が置かれ、ここまでやるのかという非道な手段(時と場合によっては自分の妻をも囮に使い人心を奪わせる)で相手の息の根を止めてしまう(ただし、簡単には殺しません。利用できる者はとことん骨の髄までしゃぶるのも忍術の一つです)姿が映し出されます。

少し前置きが長くなったようです。さてここで、ようやく今回のタイトル「ふとさあー、ここんテレビ!!」の本題に入りたいのですが、この台詞こそ、私が生まれて初めて映画に連れて行ってもらった時、館内で上映が始まるやいなや大声で叫んだ言葉なのです。

小学校入学前、ときは1967年、そうです。このとき上映されていたのがこの『忍びの者』シリーズの何本目かの作品です。私の記憶には主人公市川雷蔵の眩いばかりの姿形が明確に記憶されています。そしてもう一本同時上映されていたのが、当時人気のあった漫才コンビ「晴乃チックタック」の唯一の主演作『爆笑野郎・大事件』だったのです。
「チックタック」と「雷蔵の忍者姿」、これだけははっきりと覚えていて、それをもとに今回『忍びの者』を鑑賞しつつ、過去の記憶をひも解いて言った次第なのです。

で、そこまでなぜこの思い出だけははっきりさせたかったといえば、まさしくあの私の絶叫「ふとさあー、ここんテレビ!!」、そしてその瞬間の場内の反応が決定的に脳に刻まれ、少なからずその後の私の生き方に影響を与えているからにほかありません。

テレビという媒体しか知らぬ小学校に上がる一年前の私が、素直に出した比喩と表現、それはテレビにたとえられたスクリーンそのものだったのです。
しかも、私の奇声により場内の観客はすべて私に集中し、一瞬静まり返り、大曝笑に満ちたのでした。その後はしばらくこの私の言動は逸話となり、家族や親戚の笑いの種となっていました。しかし当の本人は真剣、いや本当に、あのテレビの大きさには度肝をぬかされたのでした。

なんということはない。『爆笑野郎・大事件』は、「私」そのものだったのであります。
posted by あそびと at 15:30| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

もうひとつブログをつくることにしました。

今月からの写真は、新しいブログに掲載することにしました。
文章的なものはこちらに載せ、棲み分けということでやっていきたいと思います。
リンク先は左欄のリンク集をクリックしていただけばご覧になれますので、お手数かもしれませんが、これまで同様、夢屋のメンバーたちの姿を見守っていただければと思います。
どうかよろしくお願いいたします。
posted by あそびと at 17:14| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

な、なんとディスク容量がいっぱいになっていました!!

数日前より、写真のアップロードができず、ディスク使用量追加をブログ運営会社へおねがいしていたところ、いつもなら遅くても翌日くらいには増加されているのですが、今回はやがて一週間になるのに応答なし。

で、注意事項等を確認しましたら、ディスク使用量の上限2000MGにすでに到達していました。写真の総数、なんと13811枚…。

ブログを始め5年、よくも撮って、そして掲載してきたものです。

したがって今後は次の解決法が見つかるまでは、文章中心、というかほとんどそのような形でのブログ作成ということになりそうです。


過去の写真を取捨選択しつつ削除しながらやっていくのか、はたまた思い切って新しいブログをつくった方がいいのか、どうも踏ん切りがつかずにいます。

何か、いいお知恵があったら教えてください。
posted by あそびと at 07:27| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月29日

あのブルース・リーとミヤさんにちょっとした共通点が……。

今、NHK、BS2では、なんでもブルース・リー生誕70年ということで、『燃えよドラゴン』『ドラゴン危機一髪』『死亡遊戯』の3本の映画が放映されています。今さら言うまでもないことですが『燃えよドラゴン』が公開されたのが1973年、まさしく私が小学から中学校へ上がる時期で、周りを見渡せばだれもが、その声やカンフーのポーズ、ヌンチャクのまねごとをしていたと記憶しています。

思えば、ビートルズを知ったのもそのころです。友達からかりたレコードを姉のもっていた小さなプレーヤにかけ、その前にじっと固定させたラジカセで録音し、明けても暮れても聞いていたのがアルバム『レット・イット・ビー』の収録曲でした。学校にいけばジョンやポールの歌真似をするやつが必ず一人や二人はいましたし、ラジオでは、ビートルズのベスト10や、ビートルズ何々といった企画番組が跋扈し、ビートルズってすごいんじゃと馴染んだときにはすでに数年前に解散した後で、幻のグループになっていたのです。ブルース・リーも映像で知ったときは他界してましたし、よくよく考えれば、「憧れ」と「喪失感」を強烈に同時に感じさせてくれた点で、両者はかなり共通点があるなということに気づきました。(しかもジョン・レノンも今年、生誕70年ですよね。)

で、今回、このようなとりとめもないことを書こうと思った最大の理由、それは何と、私の誕生日、11月27日がブルース・リーと同じだということを知ったからでありま〜す。(ここで俄かに口調が変わる自分がこわい。でも、偉そうに言ってますが、これまで知らなかったという点では、私も大したファンではないのです。トホホ……)

そこで同じ月日に生まれたのを知った機会に、ぜひ『燃えよドラゴン』を一度ちゃんと見てみようとしっかり堪能、うう〜ん、なるほど、この映画は良くできてるなと思うところが大きいのでした。ブルース・リーのアクションについては多くの人が語ってることでしょうから、私は私なりの感想ということで。

つまりですね、悪役のミスター・ハンと彼が牛耳る小島が象徴しているのはまさしく当時まだ共産党一色強き「中国」でありまして、そこへバラバラとそれぞれの諸事情で乗りこむウイリアムス、ローパー、そしてリーはまさしく資本主義から自由をもたらしに(もちろん本人たちはそんな大義は持ち合わせていませんが)やってきた開拓者なのではないかということです。

試合に「賭け」を持ち込んだり、ハンのメイドの美女と色恋の感情を抱いたり、また悪事を暴きつつ妹の仇を討つといった三人の生き方はまさしく組織に縛られない自由主義国側のまあ、いわばイギリス植民地という立場ではありますが「香港」陣営の姿とは言えないでしょうか。何度注意されても練習着を着ず、自分の着たいものを身につけ試合に臨むリ−の態度などはよくそれがあらわれています。圧巻は最後の大乱闘シーン、片やリー側は、誰の命令もなく、それまで捉われていた囚人たちも含め、無手勝流にやりたいように向かっていくのに、ハン側はいちいちハンが名前を呼び指差さないと立ち向かってはいきません。まさしくハンをピラミッドの頂点とした上意下達の指示系統で、硬直した組織そのものです。

もちろん大衆は映画にそんな政治的なことを当てはめて見てるはずもないんですが、でも優れた作品というのはそういうものですよね。作品の作り手が意図しようがしまいが、必然的に大衆の無意識(に溜め込まれた閉塞感や脅威、不安感を打ち砕くべく)を知らぬまに通奏低音として反映してるものなのです。

その意味でまさしく『燃えよドラゴン』はすばらしきエンターテーメントだったと言えるんではないでしょうか。
同じ誕生日をネタにちょっとだけ書いてみたくなった今日でした。
posted by あそびと at 20:05| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月20日

レヴィ・ストロース考・つづき

「差別」をどうとらえるか?
彼は意識的に何度も、いくつかの場面で表記しています。

その根本は、たとえば、差別をされるものが、ある場面では別の層を差別する側にある、といった多面的な状況を交えた重層的関係にとらえるにとどまるのではなく、差別というカテゴリーの中での「力」の関係を読み解き、差別するもの=加害者、されるもの=被害者といった平板な図式自体を解体していく重要性を語っていることです。


インドのカルカッタを旅したとき、いたるところで出くわす物乞いについてこう書きます。
「これらの不幸な人々を平等な人間として扱いたいと願ったとしても、彼らはこの不正に対して抗議するだろう。彼らは、平等になりたいと望んではいない。彼らはあなたの威勢によって、あなたが彼らを踏みにじることを哀願し懇願しているのだ。つまり、あなたと彼らを分けている隔たりを拡大することによって、彼らはひとかけらの食物を期待しているのであり、われわれのあいだの関係が緊張したものになれば、それだけ彼の実入りも増えるのである」と。

よって、「体制という観点で見れば、体制を破壊することから始めない限り、状況は逆戻り不可能」ということになり、物乞いに対する一切の「拒否」から始める必要性へと導かれて行きます。

「権力」とは、ある力と力との関係といったのはフーコーでしたが、発する側と受容する側との関係の中から「善」や「悪」といった文脈をいったんぬきとり見ていくこと、ア・プリオリに認識している(と思い込んでいる)価値観をいったん蓋然性のもとに払ったのち、「関係」を根本から捉えなおすこと。おそらく彼は、
アマゾンやアジアを旅する中で西洋そのものを客体化していくことを学んでいったのだと思います。

けだし「旅」とは自己そのものの客体化なのかもしれません。







posted by あそびと at 18:19| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

『悲しき熱帯』(レヴィ・ストロース著)を読み終えて。

ようやく、レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』(中公クラシックス・川田順造訳。以下はそこからの引用)を読み終えました。

あらゆる自然、地球上の万物は、ある種、無造作に散りばめられているように見えながら、極めて秩序立って存在しているということ。

それに関することは、私も阿蘇に住んでいて、特に山の中にちょっと入ると感じることがあります。ある年繁茂する植生が次の年はパタリと止み、つぎには別の種が旺盛に繁殖します。それには一見、秩序といったものはないように思えるくらいいったいなぜ今頃これが? と不可解に頭を捻ることが多いのですが、そういったことを10年くらいのスパンで見てくると、なるるほど、だからあの年はこうだったのかな、とようやく自分なりに腑に落ちる理由が見えてくるのです。

それにしても人間にとって「知」とは一体何か。この書をよんでいると、そのことを考えずにはいられません。西洋のいわば頂点のような「知」=哲学を最高学府で教育を受けた人間が、アマゾンの奥地に入った時見(えてき)たものは? その「眼差し」こそがこの紀行文をただの記録性を超え、ある種の思想書にまで深めているのだと思います。

対称性と非対称性という問題も面白いテーマです。さきほど「秩序」と言いましたが、外からでは、一見未開の地にしか見えない部族の生活習慣も、その内実は、しっかりと「対称性」と「非対称性」を含有しており、個別性と他者との共有性を併せ持つ関係を維持しているということです。

レヴィ・ストロースは言います。
「人間の社会は個人と同じく、遊びにおいても夢においても、さらに錯乱においてさえも、決して完全に新しい創造を行うことはないのだ」「理論的に想定可能な或る総目録の中から,いくつかの組み合わせを選ぶに過ぎない」と。

ある意味、絶望的な言葉のようにも聞こえるのですが、確かにそこから出発するしかないのだな、とも思うのです。

われわれが生きながらえながら駆逐していっているもの、あるいは駆逐されつつあるものとは一体何か。ある「繰り返し」の中に、ある「パターン」とともにほんのちょっと模様替えしては、新気分になったように思いこむ「癖」を大事に抱えながら生活している毎日……。。

『悲しき熱帯』はいわずもがな『悲しき人類』の書であると思います。
posted by あそびと at 22:11| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

最近あった電話から。

先日、『派遣のウラの真実』(宝島社新書)を書かれた渡辺雅紀さんから突然、電話がありました。熊日新聞に本の書評を書かかせてもらったのですが、その後、新聞社から取材なども受け、たいへん有意義なときを得たこと、そのきっかけを下さった宮本さんにぜひ直接、お礼を述べたかったと言うのです。

30分を超す時間だったと思います。その後渡辺さんが一挙に話された内容は、ノンフィクションライターとしての取材現場の実態を生々しく伝えるに充分なものでした。

まず、この一年半、ホームレスを取材するため自らもホームレス生活を送っていたそうです。その結果、不眠、人間不信となり、病院へ受診に行ったところ鬱病と診断され、現在は投薬治療をしているとのこと。
「今のホームレスは、お金がないとやっていけないんですよ」
開口一番、言われたのがそのことでした。
「少なくとも月に2万〜3万は必要ですね」
まず大きいのはコンビニが食品類を捨てなくなったこと。コンビニでは品切れを出さないため最初から数パーセントの廃棄を見込んだお弁当などの総菜類を仕入れ、賞味期限が迫れば棄てていた(その商品に関しても加盟店は本部にロヤリティを払っていました)のですが、そのことが法的に問題があるということで、セブン・イレブン本社が値引きを認めたのはまだ耳に新しいことです。しかし、その結果、破棄される弁当が激減し、ホームレスの大きな食料源がなくなったというのです。そのため、空き缶収集にしろある程度の労働に常に従事することが不可欠となり、労働に達せられない高齢者や病気がちのホームレスには餓死者も出てきているとのことでした。

また鳩山政権が3月に行った連立3党による製造業への派遣の原則禁止などを盛り込んだ労働者派遣法改正案合意と成立は、さっそく労働の現場にマイナスの影を落とし、若年の失業者が急激に増加しているという実態。派遣労働者を守る目的で改正したつもりが、抜本的経済立て直しや社会保障問題が改善されていないため、今ではかなり裏目にでているのが事実のようです。さらに、若年だけでなく、圧倒的に増えているのが女性ホームレスで、これまでなかった貧困層の広がりの分布も見て取れるとのことでした。

それにつけても、そういったことを次々と話される渡辺さんご自身も、せっかくの取材原稿を出版不況の影響でなかなか本にできないことを強く残念がっておられました。
ほとんど聞く側だった私ですが、渡辺さんの気迫とエネルギーを直に感じさせていただき日頃の勉強不足を大いに反省した次第です。ほんとうにありがとうございました。
posted by あそびと at 10:35| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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