2007年09月13日

『白ねこと少女』・その1

          白ねこと少女 

      1 やねがわらの上の白いねこ

 絵里は、小学五年生になる女の子です。アパートの二階に住んでいます。まわりには、まだ少したんぼや畑もありますが、少しずつならされ、宅地がふえています。となりは二階だての大きな家で、子ども部屋の西側の小窓からかわらの一枚一枚がはっきり見えます。その屋根に最近、白いねこがあらわれるようになりました。
 「いつも、なにしにきてるのかしら」
 ねこは、かわらとかわらがかさなったとっぺんに、前あしをのばし、部屋の中をじっとのぞいています。
 絵里は、犬やねこがあまり好きではありません。ただそのねこは、どこかすまし顔で、そのぶん、ちょっぴりいたずら心がわいてきます。近づいておどかしたくなります。ふさふさした毛は、さわればどんな感じか、興味がわいてきます。
 弟の祐一が乗ったオレンジ色のスクールバスが、さっきアパートの前を出発しました。
 「それじゃあ、えりちゃん、お母さんもいくわね」
 母の和子もそれに合わせ、仕事へでかけます。
 祖母の富江もやってきますが、それにはしばらく時間があります。そんなとき、いつからか、白いねこが話し相手になりました。
 「あんまり、じろじろ見ないでよ」
 パジャマからふだん着にかえた絵里はふんと鼻をならし、今日、やるつもりの教科書をえらびました。国語と算数、それに社会です。
 「あなたは、いいわね。ただそうやってボーッとしていればいいんだもん」
 いつも自分なりにやれるはんいで、漢字や計算をやっています。
 でも、その日は天気もよく、どうしても一番にしたいものがありました。
 「ねこのあなたには、むりでしょう」
 絵里は、教科書を机の上に置いたまま、かべにかかったまるい鏡の前でマスクをつけました。少し息苦しくなりますがもうなれています。さっそくねこに自慢でもするように、胸をはり、玄関へ向かいます。
 ドアをいっぱいあけ、一輪車のサドルを両手でかかえ、ポンととびらを足でけります。階段をおりると、そこがいつもの出発点です。
 体をささえるため、階段の一番下の壁に手をかけます。
 サドルをななめにし、すばやくペダルに両足を置きます。壁から手をはなし、一気にのりあげるのです。左右の手は、交ごに水をかくようにゆれ、たくみにバランスをとり、タイヤは路面をころがっていきます。まるで、ツイストをおどっているようです。
「あっ」
 目の前を、ねこが走りすぎました。
 絵里が一輪車にのることを知っていたかのように、正面をわざと横ぎったようです。すばやい動きで背をかがめ、道路にでていきます。きわにはガードレールがあって、幅一メートルほどの井手とへだてています。
 「わっ、すごい」
 白ねこは、ガードレールのすきまから、あっというまに井手を飛びこえ、ブロックべいのわれめへいなくなりました。へいの向こうは空き地で、あつぼったい葉をつけた丈の高い草が生いしげっています。トゲのあるツタもはい、ハハコグサが黄色い花をさかせています。ブルドーザーやダンプカーは、ずっと前にひきあげてしまいました。
 いつも、駐車場の中だけこいでいた絵里は、ねこに誘われるように少し道路に出てみようと思いました。アパートの外の景色をのぞいてみたくなったのです。バランスをとるため、神経を集中させます。
 くるぶしとかかとの力を、ゆるめたりいれたりします。ときおりペダルを固定させ、ブレーキをかけます。角でキュッと曲げ、左へおれます。彼女にとって、自分と一体となってはしる一輪車は、なによりも楽しい乗り物です。路面にこうばいはなく、平らな道がつづきます。速くなる心配はありません。太ももに力をいれ、いつもどおりバランスをたもつことにせんねんしました。
 「あのねこは、どこにすんでるんだろう」
 ちらりとブロックに目をやり、気をとられたすきに、思ってもみないことがおこりました。
 数メートル先の曲がり口から、大きな自転車があらわれたのです。
 一輪車に、すえつけのブレーキはついていません。思いきって方向をかえるか、その場で飛びおりるのが、せいいっぱいの身をまもる方法です。
 相手は、仕組みをわかっているように、先にハンドルをきりかえしてくれました。バランスをくずし、ウオーッとさけび声をあげ、一直線にガードレールにつっこんだのです。
 絵里はころばず、一輪車だけが足をすりぬけ、道路の中央に飛び出ました。車が来ていないことが、幸しました。
自転車にのっていたのは、大きな男の人です。
 ゴテゴテのぶあつい革ジャンと帽子をかぶっています。肌の色は浅ぐろく、吹きでもののあとが、ほほにいくつかのこっています。目が細く、ちょっとこわそうです。痛そうに顔をしかめ、ゆっくり立ち上がると、自転車をおこしました。ハンドルが心なしかまがっています。
自転車を押しながら、近づいてきます。彼女は、逃げだしたい気持ちを必死にこらえ、肩をすくめ、じっと身がまえました。
「おじょうちゃん、だいじょうぶ?」
やさしい言葉づかいで、心配そうに聞きます。
それがかえってあやしげに感じられ、心をゆるせません。口もとをひきしめ、立ちすくみました。
 「ごめんなさいね」
困った相手は、おまわりさんみたいに両足をきちんとそろえ、敬礼のように帽子をちょこんととり、頭を下げてきました。
 ズボンの後ろに手を伸ばし、財布をとると名刺を一枚ぬきとります。
「島 道夫です。どうもすみませんでした」
なんと肩書きは「社長」です。
 名刺を人からもらうのは、絵里は初めてです。そのせいか緊張してドキドキしました。ザワザワと胸騒ぎがおこり、モゾモゾおなかのあたりがくるしくなってきます。うずは、グルグル腸の中で左右へ移動し、おしっこに行きたい、そんな気分にさせてきます。
絵里は男の人のことなど、もうどうでもよくなりました。あわてて一輪車を引きずると、アパートへ引き返しました。おなかをしげきしないよう、階段をゆっくり上がります。玄関へはいるとつい勢いよく扉をしめました。
 トイレをすませた後、子ども部屋の北にあるもう一つの窓から、うすいレースのカーテンごしに外を見ました。
 さっきのおじさんが、まだ、じっとフェンスの向こうからこちらを見上げています。わざとカーテンを動かします。すると安心したように、おじさんは、向きなおり、まがったハンドルのまま、道を下っていきました。
 体が、風をまともにうけたヨットの帆のように大きくゆれ、サンダルがペダルからずれそうです。
 『まるで酔っぱらった人みたいだ』
 絵里は、ようやく息をつきました。叱られずにすんだことが、今ごろになってホッとしてきます。こちらはあやまらなくてよかったのか、それもちょっと気になりました。手の中の名刺をまじまじと眺め、「しまみちお」声にだし、机の引き出しにしまいました。
 絵里は、マスクをはずしました。
 昨日、和子が布団をとったばかりの、脚がむきだしのこたつ台があります。暦は四月になり、空気には、以前のような冷たさはなく、おだやかなぬくもりがひろがっています。すべてが衣替えの季節です。服は長袖から半袖へ、木はかたい蕾から花びらへ、空は濃い色からかすれた綿菓子のような雲へ。彼女のまわりにいるすべての人や風景が、少しずつ重たいものを脱ぎすてていきます。
 絵里は急に、思い出し笑いをしました。
 ぶつかった男の人の顔が浮かんだのです。
 厚手のジャンバーを着て、足は、靴もはかず裸足にサンダルばきでした。絵里も、風邪をひいているわけでもないのに、顔にマスクをしています。なんだか、お互いにへんなかっこうです。
 玄関のベルが鳴りました。
 鍵を開けると祖母の富江が立っていました。
 「おはよう。えりさん」
 富江は、彼女と向き合うと、いつもの微笑みを浮かべます。
 「おばあちゃん、さっきね、へんなおじさんと会ったよ」
 絵里は、富江がくつをぬぐが早いか、一息に話しだしました。祖母の顔色が、サーッと雲がかかったようにかわります。
 「ちがうの、ちがうの。おばあちゃん、へんだけどね、なんとなくおもしろい人」
 いけないことをしてしまったようで、不安になりました。
 「えりさん、どこで会ったの?」
 「一輪車にのってたら、ぶつかりそうになってね、むこうがよけてくれたんだ」
 「じゃあ、道路に出たのね。あぶないよ」
 富江は心配げに絵里を見て、彼女の肩をかるくだきました。
 「ちょっとだけだから、心配しなくていいから」
 名刺をもらったことは、だまっていました。
 どことなく気まずい思いがしたので、居間へいきテレビのスイッチを入れました。
 絵里の胸には、イルカのペンダントが、アパートの鍵といっしょにゆれています。
 二年前、海水浴の帰りに土産店で買ったものです。親子四人、同じ家に住んでいた最後の夏のことです。絵里は、胸もとから飛びだした銀のくさりをつかみ、おしこむように服の中へしまいました。
 「今度、パパ、仕事の都合で、職場の近くに一人で住まなければならなくなったんだ」
 それはちょうど、海水浴にいってしばらくたち、夏休みが終わろうとしていた日のことです。絵里が三年生、弟の祐一が小学校に入学する前の年でした。
 「それでママもいろいろ考えたんだけど、絵里たちの学校も、ちょうど来年から統合で場所がかわるでしょう。だからこのさい、あなたたちと三人でおじいちゃんとおばあちゃんの家の近くに引っ越そうと思うの」
 祐一は話を聞くやいなや、最初泣きだしました。近くに同じ保育園に通う友だちがいて、よく遊んでいたからです。統合のことがよくわからず、その子と、すぐにはなればなれになると思ったのです。
 「どうして、もっと早く言ってくれなかったの」
 叫びながら、おいおい外にひびくくらい大声で泣きました。
 絵里は、知らず知らず手がティッシュの箱に伸びていきました。ぬきとってもぬきとってもそこから紙が出てきます。小さくたたんでは、またひろげ、たてに引き裂くことをくりかえしました。
 「ごめんなさいね。ママたちも悩んでたから」
 祐一は、それから和子といろいろ話しているうちに、学校が統合されることが、けっして今の保育園の子とはなれるのではないことがわかり、気分をとりもどしたようでした。泣きつかれたのか、しばらくせぬうちに、こくりと眠ってしまいました。
 絵里は、晃が自分たちと離れ一人で住むことにさびしさもありましたが、両親のもめごとを見なくてすむと思えば、うれしくもありました。
 富江のとなりにすわって、そんなことを思いだしていた絵里は、今度は自分の部屋へ入っていきました。
 ごとごと何か動かしている音が聞こえます。持ってきたのは織り機です。四方を角材で組まれ、中央にたて糸が数十本、ぎっしりと張られています。立てると彼女の腰くらいの高さがあります。晃が、先月の誕生日に送ってきたものです。
 宅急便の配達員からうけとった後、紙をはぎとりながら、どんなものが出てくるのか、絵里は楽しみでした。
 「なんだろうね」
 富江が、となりでつぶやくように言いました。
 一心に紙をはがすと、ダンボールの箱から、なめらかな木目の織り機はあらわれました。使い方のわかるビデオまでついています。
 ブラウン管では、マーチの曲に合わせ犬やねこが登場し、フィナーレの曲が演奏されていました。
 「このへんにいるねこや犬って、こんなにかわいくなんかないよね」
 絵里は、両ひざ立ちで織り機の準備をしながら、わざと大げさに言いました。
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