2010年08月30日

芥川賞作品『乙女の密告』(赤染晶子著)を読んでみて。

『アンネの日記』(原題は『ヘト アハテルハウス』=「隠れ家」に近い意味があるそうです)を題材に、それを暗誦しスピーチコンテストに出ることで単位を取得せねばならないゼミ生(通称「乙女」)たちと猛烈なしごきで有名な教授バッハマン、彼がいつも手放さないアンゲリアという名のついた人形など、素材には事欠きません。

またゼミ生にもなかなかのくせものがいて、何年も留年し秘かに教授に恋心を抱きながらスピーチだけに情熱を傾ける「麗子様」(彼女はいつでも練習できるよう、首には防水のストップウォッチをかけています)、ドイツからの帰国子女「貴代」(日本の生活に浸るに従いドイツ語を忘れていくことに苛立ちを抱える、言わば外国語を学ぶことで日に日に新しい視座が開かれていく主人公みか子とは逆ベクトルにある存在です)など、やや漫画的ではありますがユニークなキャラクターがそろっています。

そもそも『アンネの日記』の最も重要(印象に残る)であろうと一般的に言われているのは1944年4月15日のアンネが少しずつ心を惹かれていたペーター少年とのキスシーンとされているようですが、まず作中のバッハマン教授が学生に暗誦するよう指示した日がそれより6日前の4月9日であるところから、なにやら謎めいた展開が始まります。

なぜその日が重要なのか。

この日は警察が隠れ家のドアのすぐ後ろまでやってくる緊迫した日なのです。アンネは言います。
『誰がわたし達ユダヤ人を世界中の民族とは違う異質なものにしたのでしょう? 誰がわたし達ユダヤ人を今日までこれほど苦しめてきたのでしょう?』

おそらく彼女は生死の極限に来て、それまで以上に「ユダヤ人」としてのアイデンティティーに突き付けられた戦時下における過酷な状況の中、その意味するものとは何なのかについて葛藤するのです。

『わたし達ユダヤ人はオランダ人だけになることも、イギリス人だけになることも、決してできません。他の国の人にも決してなれません』

しかし、みか子はある特定の個所に行きつくたびに、スピーチ中に決まってど忘れ(記憶喪失)し、練習時からうまくできません。その一文とは

『今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人なることです!』

そうです。まさしくそれはアンネがそれまで口にしていたユダヤ人としてのナショナル・アイデンティティを外に向かって叫ぶ主張とは反対にいわば内向し、否定(放棄)ともとれる言葉です。

物語はいわばこのアンネのアイデンティティーをめぐる「自己」と「擬自己」(自己内の中につくられ本質的には「他者」に近い)との葛藤に対して、みか子の「私」という現実存在と「乙女」である社会から与えられたフレームワークとのぶつかり合いを重ね合わせながら進んでいきます。つまり、その統合のなりゆきから見ていけば、一人の少女の成長をたどった青春小説とも言えるかもしれません。

そもそも「自己」なるものはあるのか。そしてその本質とは何のか。

ここでは「乙女」に象徴される社会内のポジションがまず彼女たちには用意され、そこから逸脱(排除)、もしくは脱出することによって初めて地上での自分の周辺の事態が俯瞰できる、客観的でありながらかつ主体性をもった「自己」へ転化するという西洋の自己意識への発展の行動哲学としての王道が踏まれています。

しかしふとここで私などは疑問に思います。

はたして作者は、そもそもここまでユダヤ人のアイデンティティーにこだわるというのであれば、その『概念』としてどのような枠組みを考えているのだろうかと。人種的か、宗教的か、地理的か、そこのところがぼかされ、私には正直明確な線が見えませんでした。

おそらく、人間意識内で、自らが「ユダヤ人」と思えばそうなのだ、というところに落ち着きたいのかもしれませんが、こと「ユダヤ人」に関しては現在もイスラエル・パレスチナ問題で進行中であり、そう簡単に言い切れるテーマではないことは自明です。

『ホロコースト』とは対極に常に1948年のイスラエル建国宣言後、パレスチナが被った『ナクバ』をどう2010年の現在の時点と結びつけるのか。舞台が大学であり、主人公が学生であるがゆえにこそ、どこかで描かれてしかるべきではないか、そんな不満を持ちました。

最後にみか子はスピーチコンテストで暗誦部分から逸脱(すなわち「擬自己」から「自己」への昇華を意味します)してこう言います。

「わたしは密告します。アンネ・フランクを密告します……アンネ・フランクはユダヤ人です」

この『わたし』とはだれか。『アンネ・フランク』とはだれか。密告は『だれ』に向かって行うのか。

みか子のこの科白に対するバッハマン教授の納得したような「頷き」には選考委員の一人である村上龍が強く違和感を唱えていますが、それはまた機会があれば読んでみてください。(ちなみにネット上の『龍言飛語』でもくわしく話しています)

そのほか、下世話な部分でたとえば、みか子は母子家庭で、母親がそう若くない年齢にもかかわらずホステスで生計を立て、果たしてその収入だけで(彼女はアルバイトもせずひたすら語学の習得に励んでいます)食べていけるのか。また共通することですが、登場する人物たちには「生活感」といったものがまったくありません。またバッハマン教授の正体は? ユダヤ人、それとも……。

など気になることも多かったのですが、たまたま知人より『文藝春秋』をいただき、せっかくの機会に今回は、芥川賞作品について書かせていただいた次第です。
posted by あそびと at 17:04| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

夏の終わりに思うこと。

ここ数年、夏から秋にかけていろいろな研修会へ講師として招かれることが増えました。また、訪問客、とくに福祉に携わっておられる方の見学も多いです。
昨日の九重町のみなさんもですが、来月は苓北町の方が20名やってきます。

個人的にはなつかしい再会もありました。
大学の同級生、そしてかつて小学校で担任していた教え子と保護者、こちらは25年、そして18年ぶりに顔を見ることができました。

日ごろはあまり時間を意識しているわけではないですが、確かにこのようなある程度の間隔を置いた再会の場合、相手の少なからずの外見の変化を見ることで、そうか、やっぱり歳月は過ぎているんだなあと改めて意識することが多いです。

「存在」とは、ただそこに在るから「存在」するのではない。過去、現在、未来という流れの中で「現存在=人間」が「時間化」されたとき初めて立ち現われてくる、と言ったのはハイデッカーでしたが、今更のようにこのことを考えます。

しかも時間も、そもそも直線的に物差しのように用意されているわけではなく、「存在」が「企投」=「投影」されることによって初めて個々様々な長短(中には断絶や歪みも持ちながら)の姿で誕生するから厄介です。

いわば「存在」と「時間」の切磋琢磨というか相互作用の中で日常を生きているとも言えるのでしょうが、大方は無意識と無時間の中、無重力のような世界を海月のように浮遊しているのかもしれません。

さて、8月23日は、夢屋をいっしょに始めた下原猛さんの誕生日です。
生きていたら35歳になります。

夢屋を作り始めた当初、なかなかのやんちゃだった彼をうらめしく横目で見ながら、よく母親や竹原さんと彼の中年を迎え、ややエネルギーの衰えたときの姿を見てみたいねと話していたものです。
しかし、その願いも叶わず、24歳で逝ってしまいました。
そのような意味で、彼の時間は存在の消滅とともに停止してしまいました。

でも最近思います。
止まっているからこそ、まだなんとか動き続けているこちらから話しかけ、思い浮かべたりすることで、生前というに留まらず、また新たな猛さんの像を立ち昇らせていくことも可能だし、必要なのではないかと。
何と言ったって、こっちの時間はちゃんと日々、それこそ嫌になるくらい過ぎていっているわけだし、猛さんの「像」も当然それに合わせ変わってきていいわけでしょう。

そうです。そう考えれば、思う人がいるかぎり、考えつづける人がいるかぎり、猛さんは生きているし、彼の「時間」はやはり止まっていないとも言えるわけです。

まだまだ残暑が続くこの夏の終わりに、ふとそんなことを考えた明け方でした。
どうか、みなさんも、お体気を付けて、今日という一日を送ってください。
posted by あそびと at 04:55| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

あの『夢大橋』の故郷、九重町から地域自立支援協議会実務者会議委員のみなさんが「夢屋」を見学に来られました。


いきいきランド(わーくす・たんぽぽ)の原田さん、
玖珠むつみ会の高さん、
児童デイサービス事業『さんぽ』の渡邊さん、
九重町社会福祉協議会の藤野さん、
たんぽぽの会会長の篠原さん、
精神障がい者相談支援事業『ヒュッゲ』の清末さん、
日田玖珠圏域障がい者ケアマネジメント実務者会議『くりえいたす』会長の石松さん、
九重町身体障がい害者福祉協会事務局長の武石さん、
大分県西部保健所地域福祉室主幹の三笘さん、
いきいきランド施設長の松本さんが訪ねてこられました。


お忙しい中、たいへんありがとうございました。
posted by あそびと at 15:32| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

6/18の宮地小学校4年生のみなさんとの交流学習の感想をいただきましたので、いくつかをご紹介します。

今日は宮地小学校4年生のために「パンづくり」に来てくださってありがとうございました。わたしはクッキー・チョコはつくりましたがパンをつくったのは初めてでした。
わたしがまよっているときに宮本さんがアドバイスをくれたことがうれしかったです。最後の歌もサイコーでしたよ!!
きかいがあればまた来て、ほかのパンの作り方を教えてください。

今日は、おいそがしいときに来てくれてありがとうございました。
夢屋さんというパン屋ははじめて知ったけど、みなさんとなかよくなれてうれしかったです。みやもっちゃん、水をどのくらいいれたらいいかおしえてくれてありがとう。
さいごの歌で、なんでぼくがみゆきさんのマイダ〜リンになったのかがわかりませんでした??!!

今日はきていただいてありがとうございます。強力粉という粉を初めて知りました。強力粉に水をいれたとき、手にひっつきました。水を入れるたびに全部がまとまってきてすごいと思いました。
水につけながらグルテン以外の成分を落とすところでぬるぬるだと思いました。フライパンでやいたときどんな味なのかなと思いました。
ひっくりかえしてわくわくしました。
食べてみたら最初は味がないなと思いました。でもだんだん味があるなと思いました。おいしかったです。
あれなら家でもつくれるなと思いました。
いつもおばあちゃんちにパンを配達にきてくれてありがとうございます。

今日、おいそがしい中、わたしたちのために来てくれてありがとうございます。わたしはパンをつくるときに水をたらしてもむときが一番楽しかったです。パンづくりをして食べて、つくったりしてわたしは、こんなにかんたんにパンがつくれてびっくりしました。
わたしは宮本さん、みゆきさん、ちとせさん、みさきさんの4人の話を聞いてすご
いと思いました。何がすごいかと言うと、みんな障がいを持っていて、夢屋さんにきて7〜8年くらい働いているからすごいと思いました。わたしはどんな障がいがあってもパンはつくれるんだなあと思いました。
わたしはこれからも夢屋のみなさんにお仕事をがんばってほしいです。

月曜日は、ありがとうございました。
ぼくは「夢屋」さんたちのアドバイスがすごく良かったです。
「みゆき」さんがぼくたちのところにきてくれました。初めは名前がわからなかったので「先生」と言いました。
「みゆき」さんがうれしそうだなと思いました。

わたしは、小麦粉は大きくわけて三つあると初めて知りました。その中に強力粉、中中力粉、はくりき粉の三つがあるんだなあと思いました。
その中で、パンに使うのは強力粉なんだなあとわかりました。
強力粉にすこしずつ水を加えながらまぜて生地になったら、おわんから取り出して、水を少しずつかけて、ぎゅっとやるとグルテン以外の物が出てくるのを初めて知りました。
宮本さんのパンを作る時の説明がわかりやすかったです。
みゆきさんがしっぱいしても「大丈夫」って言ってくれてうれしかったです。
宮本さんたちとパンをつくってたのしかったです。


みなさん、すばらしい感想、ありがとうございました。
posted by あそびと at 10:08| 熊本 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域の学校との交流学習の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月18日

自分自身へ、またこれからの生き方について考えさせられました。

今朝、新聞を見ると『阿蘇市内の小学校教諭が酒気帯び疑いで逮捕』という、大きな見出しが飛び込んできました。警察の発表によれば事故が起きたのは午前11時45分とあります。「容疑者は市道左側に駐車中のトラックに接触。さらにごみ置き場のブロック塀をなぎ倒し、その奥に駐車中の軽乗用車とも接触。駆けつけた署員が調べたところ、呼気1リットルから基準の5倍以上の0.84ミリグラムのアルコールが検知された」そうです。

その教諭の名を見て、私はショックを隠せませんでした。教員時代のつながりはありませんが、人権教育にも熱心な先生で、夢屋を始めてから研修会などへ行くと会場で私だけでなくメンバーにも気さくに声をかけていただいたり、また、個人的に夢屋の実践に興味があるということでレポートをいただき、その感想を書いて差し上げたり、意見を述べさせていただいたりしたことが、数回あったからです。

私には、これと類似した事件でショックだったことが18年前、阿蘇に赴任した年の9月にあります。前任地は菊池市だったのですが、同じ教育事務所の管内に勤めておられた先生が、小学校の運動会が終わった後の慰労会で飲酒運転をし、老人を引き逃げ死亡させ、翌朝逮捕されたのです。その先生は、とくに体育の授業で優れた実践をされており、地元の新聞などにも連載された方でした。私も体育主任をやっていたこともあり、研究会で御一緒したり、一度宴席も共にさせていただいたこともあります。飾らない人柄で、何か自分にとっては、こんな先生の授業を私も小学校時代に受けていたらなあと思うような人でした。

今回の教育長のコメントではありませんが、本当に残念でなりません。しかし、何に対して残念か。私の場合、自分が教師を辞め、作業所を始めたときの状況や心理が浮かびあがり、残念さと、無念さと、悲しさと、そして何とも言えぬ腹立たしさ(それは自分自身へ向かってくるものでもあります)に近い感情がわいてくるのです。

私は教員をやめたとき心に期したことがあります。
絶対にこれからの生き方を通じて、当時受け持ち、またそれまで受け持ってきた教え子たち、保護者、自分の家族を始め周囲の人たちを、二度と悲しませたり落胆させてはならないと。

それは同時に「夢屋」を何としても軌道に乗せ、つづけていくことで自分がやろうとしたものを具現化していくことでしか返すことはできないし、どんな言い訳も通じないのだということを意味していました。合わせて、結婚し、二人の子どももいる33歳の男が教員を辞め、ほとんど無収入な作業所を始めることは、それほど代償の大きな行為だったのです。

そしてそれは今も、これからもつづいていくと思います。

一人の人間はだれしもでしょうが、少なくとも家族まで持った人間は、自分自身が作り上げた関係と責任の中ではかりしれない大きなものを背負って生きているとも言えるでしょう。また、私自身がこと「教師」に対しての思いが人一倍強かったこともあるかもしれません。単なる紙上のテクニックではなく、「生き方」そのものを通じて生徒や児童に言葉では伝えられない何かを教える仕事だと今も思っています。

今回の事故が人身事故につながらなかったことは、発生時刻や事故状況などを考え合わせれば奇跡かもしれません。

事故を起こされた先生もそうですが、これからの生き方で必死にまた、悲しませた方たちに思いがとどくまで努力しつづけ差し示していくしか道はない。

私も改めて自分自身に言い聞かせ、これからの作業所運営をやっていこうと思います。
posted by あそびと at 10:45| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

ちまちまと映画?を楽しむ方法もあるのですね。

お盆に帰省していると、寺島しのぶがインタビューをうけていました。
言うまでもなく、今や日本を代表する実力派女優ではないでしょうか。

お茶の間では大河ドラマ『竜馬伝』の竜馬の姉、乙女を熱演し、また最近では若松孝二監督の『キャタビラー』でベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞しています。

個人的には車谷長吉原作の『赤目四十八瀧心中未遂』の綾役など絶品のものがあったと思っています。

さて、熊本でも『キャタビラー』が上映されているということで、見に行こうかどうしようかと考えましたが、予告を見て、とりあえず今回はやめにしました。

出征し両腕、両足を失い帰ってきた夫、もちろんその主眼は戦争のむごさであり、例え身を犠牲にして戦っても、その後の生活に何の保証もない当時の兵士や家族の置かれていた状況等、見応えのあるものとは思いました。

さらに視点を変えれば、帰還した夫がPTSDでのたうちまわり、頭部を部屋のあちこちで激打するシーンは、「戦争」とは別の意味で、一人の「障がい者」と彼を取り巻く周囲の在り方という観点からも、充分、現在と重なるものがありました。

しかし、それがあまりに、今のメンバーの調子を落とした姿などとダブッてしまったため、私としては、見るのを敬遠してしまった次第です。

さて、その置き土産ではないですが、若松孝二監督が『エンドレス・ワルツ』(1995年)という映画を撮っていることを知り、それをなんとPCのYou tube で見ました。

そうです。約8分ちょっとずつ、誰かが12分割してアップロードしてくれている画面を順につなぎ合わせ見たのでした。

内容は60年代末にフリージャズのサックス奏者として一世を風靡した阿部薫とその恋人であり妻の作家・鈴木いづみとの出会いと別れ、そして各人の死(阿部は1978年、29歳でブロバリンを多量摂取して中毒死、そしてその7年後鈴木も36歳で縊死しています)の実話をもとに書かれた稲葉真弓の同名小説が原作になっていて、二人にとっての「愛」の姿を、互いの「自我」と「自我」の壮絶なぶつかり合いを巧みに織り交ぜながら描かれていました。

ところで、なぜ、私がYou tubeの小さな画面でせこせこと見続けれたかと言うと、伝説のサックスプレーヤー阿部薫には以前から興味がありましたし、何とその役を芥川作家の町田康が「町田町蔵」の名で演じていたからでした。それがなかなかうまいのです。

あらすじをあれこれ書くのはやめますが、見終わった時、一つは一般的な意味での生きることの「濃さ」というか、果たしてそこに時間の長短(長生きしたとか早死にしたとか)がどのくらい関係しているのか、ということ、それと一人の優れた『表現者』はやはりその置かれた「時代」と密接に結びついており、滅んでいくのもまた必然なのだということ、さらにそこに男と女の「愛」が絡むことでより運命的な彩は強くなり、両者の出会いと別れも含め、連関性がメビウスの輪のように生起しては、言葉を越えた始原的な世界へといざなってくれること……、

そんなことを小さな画面を追いつつ、ちまちまと考えたひとときでした。
posted by あそびと at 20:09| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月15日

吉田先生、こちらこそありがとうございます。

宮本様
 先日いただいた「游人たちの歌」読みました。夢屋を中心に宮本さんの歩んでこられた日々は、大変なものだったのだということがよく分かりました。いつもの宮本さんの笑顔の裏に、様々な想いがあることを改めて知った次第です。
 この本を読み進めるうちに、今までも抱いていた疑問、つまり、何が宮本さんをここまで障がい者支援に打ち込ませるのだろうかという疑問が湧いてきました。関わるきっかけは冒頭にかいてありましたが、それにしてもなぜここまで全身全霊をかけて取り組まれるのか、障がいを持つ娘の父親としては、宮本さんのような存在はありがたい限りですが、、、。文字には表せない何かがあるのでしょうね。
 −−−障がい者の身を守り、舵取りをし、行き先まで決めるのが健常者の役目ではない。健常者と障がい者が「舟」と「乗る人」の関係ではなく、「水」とそれに「浸かり、戯れる人」の関係だったら。あくまでも障がい者が主体性を発揮しつつ、健常者をサポートする柔らかな水の役割を果たしていきたい。−−−
 最終ページに記されたこの言葉に強く共感しました。僕も、この言葉を胸にSOの活動に関わって行きたいと思います。素晴らしい本をありがとうございました。


たった今、お盆で実家に帰省していて、阿蘇へ帰ってきたら、こんなすばらしいコメントをいただき恐縮している次第です。

実家に帰るやいなや、「本(游人たちの歌)はもってきたつね?」と両親の催促の声がありました。
実家は、熊日新聞ではないのですが、ありがたくも自費出版の記事が予想外に大きかったせいで、わざわざ公役のとき近所の人が知らせてくれたそうです。
私も観念し、何かの折にはと車に数冊置いている中から一冊をわたしました。

というのも、出だしに幼稚園から小学校までいじめられていた様子が書いてあるため、もし両親がほしいといっても、今回は前回の『トライトーン』とは違い、部数が少ないからとか何とか言ってごまかそうと思っていたからです。

しかし、ことこうなってからは、もう覚悟を決めるしかありません。
「実はね、これまで言わんかったけど、おれね小学校のときとか、ずっといじめられとったつたい。これにはそのことが書いてあるけん、もし見たら、『ああ……、誠一はこぎゃんこつがありよったつたいねえ』てお父さんもお母さんも悲しむんじゃなかつかなて思とったけど、やっぱりあげるけん。とにかく心配せんでよかよ。昔のことだし、ちゃんと乗り越えて生きてきとるとだけん」

そう言うが早いか母が、
「あんた、小さかときはおとなしかったもんね」
と涙をこらえながら呟きました。
父は、黙っていました。

車で長距離を運転してきたこともあり汗だくだった上、その場にもなんとなくいずらいこともあり、シャワーを浴びに風呂に入ると、何やら父が母に言っているようです。

風呂から出て居間へ戻ると、台所のテーブルで父がさっそく表紙をめくり読んでいて、私が来たのに気付くとすぐに閉じ、本をもって自分の部屋へ行ってしまいました。

「お父さん、なんて言よらしたつね」私が母に尋ねると、
「どうせ、俺には読ませたくなかて言よったつじゃろて言わすけん、あんたの言うたことば説明しよったつたい」
そこでようやく事情がわかってきました。
今年82になる父も、寄るとし波には勝てず、耳が遠くなってきたそうで、私がいったことがあまり聞き取れず、かってにそんなふうに受け取っていたようなのです。
「でもね、耳のことばあんまり言うと腹(はる)かかすけんね」
それから、
「あんた、いろいろ(本を)出すのにたいへんだったろうけん」
両親は、ちゃんとお祝いまで用意してくれていたのでした。

さて、長くなりましたが、吉田先生の疑問の、なぜ私が、先生のお言葉を借りれば、ここまで障がい者との作業所運営に身を入れているか(自分では全然そんな気はありませんし、事実そうだと思います。けっこう力をぬくべきところは力をぬき、楽しんでやっています)と言えば、先生が指摘しておられるように、文字には成っていない部分が少なからず影響しているとは思います。とくにいじめ体験は、やはり体にしみ込んだ面として無視できないでしょう。でも、「いじめ」と簡単に書いてしまってはかなり消えてしまう部分があるようにも思えます。自分の感情の中で、その本質というか体感したところを探ってみますと、自分ではもっとこう相手や周囲にうまく自分の感情を伝えたいのにうまくできなかったもどかしさというか、ズレや誤解、断念……そんな時期が長くあって、強い疎外感のようなものを持ち続けてきたことがやはりどこかで現在の自分とつながっており、したがって当然、生き方と言うか先の時間の経過にも関係してきている感じがします。

そして敢えて誤解を恐れず書かせていただけば、その疎外感が、夢屋へやってくるメンバーたちが社会に対して持ち続けたものとどこかで共通している(重なっている)とも思えるのです。

実は、私は幼稚園に行くまで、私独特の単語、たとえば船は「ビビアン」、水は「プップシャー」など自分で勝手に作った造語を多用するあまり、ほとんど何を言っているのかわからなかったらしく、母は一度は病院の受診まで考えたそうです。(母に確認したところ、正確には「母」にはだけはわかって、他の人には理解不能だっそうです)

そんな時期の心地よさと表裏した疎外感というか孤独感の体験はきっと現在の自分、そして障がい者との活動の在り方とどこかでつながっていると感じます。

ただ、これまでお書きしたたことは、けっきょくのところ誰にもあることだと思ってもいます。私からすれば、吉田先生こそ、よくぞそこまで生徒さんたちと授業だけでなく部活や夏の合宿など、様々な活動に熱心に取り組まれ、しかも授業の技術を高めんと個人的な勉強会の開催など、頭の下がる思いがしています。(もちろん、娘さんとのつながりもすばらしいといつも感じています)

まあ、お互い、ある面で似たもの同士なのかもしれませんね。

ついつい、くだくだと長くなりました。
いずれにせよ、野菜ty(のなてぃー)での宿泊やメンバーへの声かけなど、とてもありがたく思っています。吉田先生のような情熱を持った先生は現場ではとても貴重な存在だと思いますので、どうかお体、ご自愛され、できれば長く担任をしてもらえればなあなんて、勝手なことを思っています。でもこれからどんなポジションにいっても、さらに先生ならではの教育の実が結ばれんことを期待している次第です。

またお会いする日を楽しみにしております。

本当にあたたかなコメント、ありがとうございました。
posted by あそびと at 18:38| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コメントのご紹介とお返事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

フォトジャーナリスト・國森康弘さんの言葉から〜

知人の新婚夫婦。

初めての子を授かった。男の子。名前も決めていた。出産予定日の1週間前になって、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていた。

3日後、母は分娩に臨んだ。いきんだ。

生んだ。

真っ赤な赤ちゃんだった。

抱いた。

温かかった。

だんだん冷たくなってきた。

三日三晩、抱いた。
あやした。

写真を撮った。小さな手の、かわいい赤ちゃんだった。

納棺して、送った。

赤ちゃんを抱き、写真に写る夫婦は、すっかりパパ、ママの顔をしていた。


今朝早く、フォトジャーナリストの國森康弘さんのホームページを見たところ、こんな文章(詩)が載っていました。http://www.kunimorifoto.net/

私が彼を知ったのは、日本のフォトジャーナリストの第一人者である広河隆一さんが編集責任をつとめる月刊誌『DAYS JAPAN』を通してでした。
その射程は広く、イラクを始め、ソマリア、スーダン、カンボジアといった紛争地からイギリスなど先進地の延命医療の骨髄移植のドナーの取材、さらに国内では失業者の実態や島根県知夫里島の介護・看取りの家「なごみの里」に暮らした90代3人の最晩年を追った「人生最期の1%」(写真展)の開催、そして平凡社新書から『家族を看取る〜心がそばにあればいい』を出版するなど、写真や文章を通して社会へ強烈なメッセージを提起されている方です。

この文章(詩)は、写真家として培った彼の対象を見つめる確かさと生命を愛しむ温かな眼差しが土台となって、情景の一コマ一コマがはっきりとした映像となって浮かび上がってくるようです。

思い起こせば、夢屋をやって15年半、お会いする親はそのほとんどが障がい者(児)の親でした。

直接お会いしたり車で送迎にいった際、話されるのは、ちょっとした仕草の変化や顔色の様子、調子は上向きか下り坂か、用便の方は、自傷行為はでているか、よく眠れているか……と、その心配事は尽きず、本来なら子どもの成長にしたがい基本的な養育から解放されるはずなのに成人してもなお、養育(介護)の手を休めることのできぬ保護者の皆さんに、常に親というものはどうあらねばならないか、深いテーマをつきつけられているようでしたし、同時にそのような今もって厳しい現実があるからこそ、「社会」の『制度』や『システム』の改善によって少しでもその「負担」を軽減する必要があるのではという思いもありました。

今年の夏の暑さも加わり調子を落とし気味のコウキさんを、土、日の休み明け迎えにいくと、いつもは強気のお母さんが、
「もう、自分でもときどき、どうしたらいいのかわからなくなります」と涙声で呟かれます。
私はそんなお母さんの言葉を黙って聞いています。
「調子が悪いからと言って、家でじっとしているより、外に出た方がいいですよね」
そんな縋るような口調に、私も思わず、
「ええ、やっぱり気分転換にもなりますし、コウキさんもみんなといると楽しいみたいですよ」
と咄嗟に返事します。

私は、ほんの数時間でも、ここ数日付ききっりでおられたお母さんの心と体を休めてあげればとそんな気持ちで一杯なのです。

「コウキ、夢屋さんがきたよ」
お母さんの言葉に、コウキさんも私の顔を見ると、布団から立ち上がり、着替えを始めます。ズボンを履き、私の手を求め、車へと向かいます。

夢屋ではそんなコウキさんを皆が気遣い、パンをつくりながら声をかけたり、手作りのおもちゃをわたしたり、隣にいって抱きしめ話しかけたりしてくれます。するとコウキさんも、独特のいつもの声や動きがもどってきます。

やがておもむろにテーブルに手をかけ、仁王立ちになるコウキさん。
「あっ、ちょっと臭ってきたみたい」チーさんの声に紙パンツを覗くとりっぱなものが…。
「やったあ、よかったよかった、出てよかったねえ」
歓声を上げ、トイレへ連れていく私。

休み中、ご飯も喉を通らなかったと言うのに、しっかり好物のカレーをペロリ。仲間の力を感じる一瞬です。

お昼過ぎのお母さんからの様子を心配する電話に、これまでのことを話すと、「ああ、よかったです」と安堵の声が。

しかし、また夕方、自宅へ送ったとき、お母さんの心配そうな表情から、これから二人の予測不可能な時間が待っていることを痛感するのです。

思春期を迎えた時の重度の知的障がい者、とくに男子の難しさを私は今は亡きタケシさんから身をもって教えられ、コウキさんにも同じことを感じつつ、それでも日々、皆と力を合わせながら夢屋の運営をやっています。

國森さんの文(詩)同様、親とは我が子を、一生、いやもしかすると命を失してからも形や方法の違いはあるにせよ「三日三晩、抱き、あやし」つづけねばならない存在とは言えまいか……。

だとしても、涙や苦悶や疲労ばかりがつづく毎日でいいのか。

生命なく生まれた悲しみとそこから湧き上がる親の愛の姿を見つめさせていただきながら、この世に生命を与えられた素晴らしさを思うとともに、日々の取り組みのことなど、いろいろ考えさせられたときでした。
posted by あそびと at 10:42| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月10日

8/4の阿蘇市学校人権同和教育部会「共生の教育」で夢屋が発表のときの先生の感想で、共通したテーマを持った二つがありましたので載せさせていただきます。

理屈は通じない。そうしたい理由がある。等、目からウロコでした!

特別支援学級の児童とかかわる中で、言葉かけなど反省する点が多々あった。
障害があっても働ける環境づくり……。母が理容師でも耳の聞こえない職人さんがいた。イジメもあったようだが、母がその人をいつもほめていたので、言葉がはっきりしなくても、私は大好きだった。「少し支援をする人がいれば働ける」ということは本当だと思う。
今日はありがとうございました。

オルモ・コッピア大好きです。お店で出される夢屋さんのパン、とってもおいしくて大好きです」

共生を土台とした就労の場というテーマでお話をしていただき、私にもとても関わり深いテーマでした。というのも、現在は小学校で学習支援をしておりますが、大学卒業後は5年間焼き物の窯元で陶工として働いていました。

そのときに当時30歳の知的に障がいを持つ兄弟子が働いていました。
中学を卒業してからすぐ窯元で働き始めた彼は15年のキャリアがあり、それはそれは生き生きと仕事をしていました。

というのも窯元の師匠は彼の得意とする仕事をよくわかっていて、彼のしやすい作業の工程を(師匠の手作りの)彼のために改良した道具を使って、作業をさせ、そして私の前ではしっかりと兄弟子として彼を立てていました。
兄弟子は数年前にこの世を去りましたが、夢屋さんや私の働いていた窯元のような「共生」を土台とした就労の場がもっと増える社会を目指さなければと思います。

今日は、貴重なお話、どうもありがとうございました。


どちらも、身近な労働の場にごく自然な形でごく当たり前のように「共生」の姿があったことを書いておられます。だんだんとこのような場が減ってきているように思えるのは私だけでしょうか。
改まった形でなくても、それぞれの職場でごく普通に仕事を分担しあいながら共生していく道をこれからも、夢屋は夢屋なりに模索していけたらと思っています。
posted by あそびと at 18:34| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域の学校との交流学習の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月09日

蝉の声を聞きながら〜

おそらく原初というべきか、遠い遠い御先祖様も共通して聞いてきた、しかもかなり限定された季節感と結びついた生き物の鳴き声の一つに、この蝉の声は入るのではないでしょうか。照りつける眩いばかりの日差しの中で鼓膜を揺すらんばかりにざわめく声、夕立ちの後、じわじわと息を吹き返すかのように広がり出す蝉しぐれ……。

そんなとき、過去の情景がふと浮かび上がり、幼き日の夏の思い出や情景はなくとも深い感情のたゆとう中へ彷徨い出る人も多いのかもしれません。

「である」と「がある」……、哲学の世界では「本質存在」と「事実存在」といわれています。はたして「私」はこれまで「私であり」、ちゃんと「私があ(在)った」のか?

突飛なようですが、蝉の声に象徴される古い地層に埋めこまれた声(音)を耳にすると、時間というものが一度に遡行し、存在の根源の問いへ連れ去られることも少なくありません。

そんなとき、もう亡くなって十数年になる慕っていた陶芸家の言葉を思い出します。
「生まれたからには、自分なりに帳尻を合わせて死にたい」と、よく晩年おっしゃっていました。
作品展前など、仕事が込み入ったときお会いすると、
「売るために、生活のためにこうやって作ることは、正直、苦痛なんです」それでも轆轤に向かい続けていた後姿が今もはっきりと浮かび上がります。

しかし、だからこそ、自分はなぜ陶芸の道へすすんだのか、あるいは自分の目指す陶芸とは何だったのか、考えずにはいられないともおっしゃっていました。そうです。初めて目にした、何の装飾もなく、釉薬もかけられていない、まるで「土」そのもがそこに姿を現したかのような素焼きの感動を熱く語っておられたのを昨日のことのように思い出します。

一人の「陶芸家であり」、一人の「陶芸家がいた」ことを証明すること。それこそが、もしかするとその人の人生の「帳尻」を合わせることだったのかもしれません。

でもよくよく考えるに、けっきょく人とはこの二つの問いを、無意識に自分自身へと投げかけながら生きつづけているとは言えないでしょうか。そして願わくば、その両者の果てのさらなる場所「私でもあり、私もいた」地点(認識)へと辿り着きたいのかも……。

今日も、いろんな場所で蝉の声を聞きながら、それぞれにいろんなことを考えたり感じたりした人がいたんでしょうね。

そして、この『遊びとたちのページ』を覗いてくださり、ありがとうございます。
posted by あそびと at 18:31| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

仙酔峡へ行ってきました。

午後といっても、ほぼ夕方近く、仙酔峡へ行ってきました。
やはり長い年月をかけつくりあげられた自然の地形、そしてそこを流れる水のせせらぎは太古を思わせるものがあります。詳しくご覧になりたい方は、左上のリンク集をクリックしてみてください。なぞの修行僧? がそこには待っているかも……
posted by あそびと at 20:47| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ふとさあー、ここんテレビ!!

今年は、黒沢明の生誕100年だそうですが、山本薩夫も同じく100年ということで、NHKのBSでは特集があっています。

『不毛地帯』『華麗なる一族』『金環蝕』など社会派監督ならではの作品が、つぎつぎと放送されていますが、私が中でも面白いと思ったのは『忍びの者』です。作品はその後シリーズ化され、別の監督などにより8本つくられています。彼は最初の2本つくっていて、いわばその記念碑的作品です。原作は村山知義、主演はあの大映の看板役者市川雷蔵、そこに超個性派俳優の伊藤雄之助が顔を合わせています。

山本薩夫については、別番組で彼個人にスポットを当て、当時、彼を支えていたスタッフや彼の作品に出演した俳優、また遺族がインタヴューに答える形で放映されていました。学生時代の反戦活動をした罪による検挙、戦争中兵役で受けた非人間的扱い、戦後東宝の従業員組合の結成に伴い、労働環境の改善を求めくりかえしたストライキに争議終結後待ち受けていた不当な解雇……。

その後、彼は当時未踏の領域だった独立プロを立ち上げ、農民映画の傑作といわれる『荷車の歌』(三國連太郎主演)や自らの屈辱的な戦争(兵士)体験を重ねた『真空地帯』など数々の問題作を放っていきます。しかし、時代とは因果なもので、テレビの普及とともに急速に映画産業が斜陽に向かいつつあるとき、その救いの手として大手会社が白羽の矢を立てたのが、少ない予算でも確実に観客を呼べる玄人好みな作品を地道につくりつづけていた彼だったのです。まさしく孤高からの凱旋とでもいうべきでしょうか。

そんな辛酸を嘗めつくした彼ですから、ただの忍者や武士のチャンバラものではありません。まさしく忍者を組織の一員(歯車)と位置づけ、戦乱の時代に翻弄された一人の人間として、その内面をいぶりだすような陰影深い描写でリアルに描こうとしています。人間離れした今でいう特撮(SFXやワイヤーアクション)の忍術はなく、う〜ん、かなり鍛錬すればやはりここまではできるんだろうな、という範囲で(だからこそ、やはり忍者はすごいなと感嘆する形で)、しかも「妖術」と言えば、むしろ肉体的な攻撃以上に、敵側の人間の心理をいかに欺くかということに力点が置かれ、ここまでやるのかという非道な手段(時と場合によっては自分の妻をも囮に使い人心を奪わせる)で相手の息の根を止めてしまう(ただし、簡単には殺しません。利用できる者はとことん骨の髄までしゃぶるのも忍術の一つです)姿が映し出されます。

少し前置きが長くなったようです。さてここで、ようやく今回のタイトル「ふとさあー、ここんテレビ!!」の本題に入りたいのですが、この台詞こそ、私が生まれて初めて映画に連れて行ってもらった時、館内で上映が始まるやいなや大声で叫んだ言葉なのです。

小学校入学前、ときは1967年、そうです。このとき上映されていたのがこの『忍びの者』シリーズの何本目かの作品です。私の記憶には主人公市川雷蔵の眩いばかりの姿形が明確に記憶されています。そしてもう一本同時上映されていたのが、当時人気のあった漫才コンビ「晴乃チックタック」の唯一の主演作『爆笑野郎・大事件』だったのです。
「チックタック」と「雷蔵の忍者姿」、これだけははっきりと覚えていて、それをもとに今回『忍びの者』を鑑賞しつつ、過去の記憶をひも解いて言った次第なのです。

で、そこまでなぜこの思い出だけははっきりさせたかったといえば、まさしくあの私の絶叫「ふとさあー、ここんテレビ!!」、そしてその瞬間の場内の反応が決定的に脳に刻まれ、少なからずその後の私の生き方に影響を与えているからにほかありません。

テレビという媒体しか知らぬ小学校に上がる一年前の私が、素直に出した比喩と表現、それはテレビにたとえられたスクリーンそのものだったのです。
しかも、私の奇声により場内の観客はすべて私に集中し、一瞬静まり返り、大曝笑に満ちたのでした。その後はしばらくこの私の言動は逸話となり、家族や親戚の笑いの種となっていました。しかし当の本人は真剣、いや本当に、あのテレビの大きさには度肝をぬかされたのでした。

なんということはない。『爆笑野郎・大事件』は、「私」そのものだったのであります。
posted by あそびと at 15:30| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月06日

2010・8/4にあった阿蘇市人権同和教育部会課題別研修会・「共生」の教育での夢屋の発表を聞かれた感想をいただきましたので、いくつかご紹介します。

先日から夢屋さんには、いろいろとお世話になり、ありがとうございます。そして本日も様々なことをお話していただき、充実した時間が過ごせました。
宮本さんの話の中で、一つ心に残った言葉があります。それは「ハードルを下げてあげればいいだけなんですよね」です。
私はいつも反省するのですが、ついつい子どもたちに手立てというより手をかしすぎてしまうときが多々あります。それははっきり言って子どもたちにとってはマイナスなのです。何で手をかしてしまうかというと自分の勝手な判断というか自分の価値観や物差しでその子の力を判断して手を出してしまいます。それは見方を変えると差別といわれるかもしまうかもと思います。この子はこれくらいしかできないから……と勝手に判断しているのです。やはりこれは本当に自分を変えていかないといけないと思います。
自分の物差しで人を図るのではなく、その人が自分の力で自分からチャレンジするようハードルを下げて取り組ませる。それが自分のすべきことなのだと思いました。そしてその人ができたという達成感を味わうことができるようにすることが本当の手立てだと思いました。毎日が反省ばかりですが、今、目の前にいる子ども達が、どの子も将来、胸張って生きていけるよう力をつけていきたいと思います。反省しつつも前を向いて自分におできることを精いっぱいやっていこうと思いました。ありがとうございました。

今日の講演もですが、6月に学校に来ていただいて、子どもたちと一緒にパンづくり(グルテン)をしていただき、本当にありがとうございました。子どもたちが書いた感想を読みながら、(五感を使った交流は本当に心に残るものだなあ)と思いました。
それに、今回の講演ではっきり感じたのは宮本さんが明るく元気でおられることです。
『価値感』という言葉が何度か出てきましたが、人や物事の見方、捉え方、考え方によっては顔が下がったり、元気がなくなったりしますが、本当に宮本さんは明るいなあと思いました。私も以前、知的障がいの子を1、2年生のときに担任させてもらいましたが、初めの方は「この子がいなかったら……」とつらく悩む時期がありましたが、日がたつにつれ、その子の言葉や行動に私の方が頭が下がることがあり、いつしかその子のことを大好きになり、クラスの中で、その子のおかげで元気になったり、わらったりとなっていきました。ふりかえってみると私やまわりの子たちの方がその子からたくさんのものをプレゼントしてもらったように思いました。
『共生』と聞くと、まだまだ自信をもって自分の言葉で言えませんが、でも「できることをやる」「できないことは教える」「友だちをつくる」この三つ、今日、たしかに大切なことだということを思いました。
これからも夢屋さんの活動が多くの人にあたたかいものとして伝わっていくことを願いたいと思います。そして私も宮本さんのように人や物事をあたたかい目で見て接することのできる人になりたいなあ……と思います。本当にありがとうございました。

本日の講演で、とても具体的にお話していただいて、非常にわかりやすかったです。
「導き」という言葉がとても心に残り、大切さ、そして必要なことだと思いました。
学校内でも「困った子」ではなく「困っている子」だととらえ、その解決策を見出すことが私たちの役目だと思っています。高校生といってもまだまだ幼い生徒や心ない言葉を発言してしまう生徒がいます。
そんなときに怒鳴って叱るだけではなく、心に響くようなような言葉で伝えたいと思っています。今日、宮本先生がおっしゃった中で、「コウキさんはぜんぶわかっています」と言われたこと、納得しています。
実は私は戸崎小学校の出身で、姉が4,5,6年生のときに宮本先生に担任してもらっていました。「先生を辞められてパン屋さんをしている」とまでは聞いていましたが、姉もその先のことは知りませんでした。帰ったら、先生のことを報告したいと思います。これからも頑張られてください。「夢屋」さんには、いつか姉とパンを買いに行きます。
私は高校では農業実習の担当をしています。生徒たちに命の大切さを伝えるために頑張りたいと思います。

私は夢屋のみなさんのお話を聞くのは3回目となります。毎回、宮本さんの実直な話しぶりやスタッフの方々の話に温かい気持ちにさせてもらっています。
その温かさは夢屋そのものだなあと今日の話を聞いて改めて感じました。「共生」あっての「就労」ですね。
今年の3月に本校支援学級に在籍していた生徒が卒業し、養護学校に進学しました。その子は現在、自宅からバスに乗って一人で登校し、帰りは保護者が迎えに行っておられます。
「地元の農業高校にやりたいけど、支援学級がないから……」保護者の願いを自分のこことしてとらえられなかった自分がいました。
高校側に問い合わせましたが、「そこまで」しかしませんでした。
夏休みに入り、日中、何度か中学校に遊びにその子は来ました。
高校卒業するときは就職のことがもちろん話になるでしょう。そのとき、私は彼の家へ行って話を聞いたり、就職先をいっしょに探せる人でありたいと思います。

現在、私も特別支援学級の担任として教育活動にあたっていますが、今日、お話のなかにあったようにまわりの子どもたちと学級をつなぐ取り組みがどれほどできているか、今後どんなとりくみができるかということが、まだまだ多くの課題があります。
まわりの価値観がひっくりかえる。違う視点から特別支援学級の生徒を見詰めると宮本さんが言われるとおり(感じられるとおり)、本当にゆかいで、やさしく、心あたたかくなる生徒たちばかりです。
その純粋さゆえに理解してもらえないことが多々あるのかもしれませんが、違う視点から見つめると本当に自分がどれほど愚かなのかさえ突き付けられることの多い毎日です。私たちにできることはまず、このことをより多くの人に伝えていくことではないかと感じています。子どもたちの持つすばらしさを感じ伝えていくこと、このことが大事な使命だとも思います。
夢屋さんには、一昨年、何度かおじゃまする機会がありましたが、今後も機会がありましたら、ぜひ交流させていただけたらと思います。

去年の授業の時は、大変お世話になりました。
担任していた子どもたちと私自身に素晴らしい出会いをさせていただきました。
この出会いは、生涯忘れることのないものとなりました。
さて、本日は、昨年の授業をきっかけに夢屋さんのことについて少しだけ知ることができたと勝手に思いつつ出席させていただきました。
夢屋さんのことを少しだけ知っている分、身近に感じることができたのがとてもうれしく思いました。
夢屋のみなさんの就労したいという気持ちをお互いにしっかり支え合われているのがよくわかりました。
「導く」ということは、その人にできることを見つけ、一人一人に合った支援をする上でとても大切なことだと思いました。
学校でも、厳しい立場にある子どもたちにどのような支援が必要なのか、効果があるのかと日々迷いながら生活しております。
「導く」という視点は常に持ちたいと今日のお話を聞いて思いました。
また、「夢屋」にあるみんなが安心して生活できる仲間や場も必要だと思いました。
昨年度の授業に加え、学ばせていただきました。
ありがとうございました。


「障がい者を支える人を支えなければいけない」との隣の農家の人の話や「認めて欲しいから地域の掃除や缶拾いをしているわけではなく誠意のやりとりとして行っている」
「就職・面接等での段階を踏んだ導き、共生を土台とした導きができていない。」
などなど多くの言葉が心に残りました。
単に仲が良いのではなく、共生するということとは、本当の仲間とはと色々と考えさせられました。
全体の場では、発言できなかったのですが、「障害者自立支援法」という法律は、あまり良く言われていない様ですが、夢屋さんにとっては、どうなのでしょうか?
お話の中でも出てきた財政面(経済的な面)での支えが、運営の中でとても大切だと思います。
その点では、夢屋さんは、いかがですか?
また、夢屋さんのような支援の場の横つながり(ネットワーク)は、どうなのでしょうか? 人と人のつながりと同様、作業所と作業所のつながりも大きな力になっていくのではないでしょうか? その中に学校も入れてもらうといいのでは…と考えました。
今回は、チーさんにもお会いできるかなと楽しみにしていましたが、ミユさんにお会いできて、うれしかったです。(きょうは歌は出ませんでしたね…。)

まず、卒業ぶりにミサキさんの元気な顔を見れて嬉しく思いました。
はじめの頃は、事務室の前で入室をためらっている様子をよく見かけていて、きっと緊張していたのでしょうか。
3年生の秋ごろから就職活動として、面接練習が始まったせいか、入室のノックやあいさつが、みるみる内に上達していき、明るく笑顔で会話ができるようになっていった事を思い出しました。
パティシエになるという夢は以前と変わっていないようで、今後も目標に向けて努力を続けてほしいと思います。
たぶん、夢の職業に就く為に頑張るのは、障害の有無に関係なく、誰もに共通する気持ちだと思います。
ミサさんの夢が叶うのを楽しみにしています。
本日は、色々なお話をいただき、ありがとうございました。
今年4月に阿蘇市に赴任したばかりで、「夢屋」って何のお店の名前なんだろう…というところから、この研修に参加してしまいました。
すいません。
でも、お話を聞いて、ホント、「夢屋」って、素敵なところなんだなあと感じました。
障害をもちながら、働くって、とても大変なことだと思います。
でも夢屋では、人と人のつながりがあって、笑顔のたえないところなんだということがよくわかりました。
自己紹介でも、一人一人が、きちんと自分のことを伝える事ができ、ミヤさんのおたずねにも、すぐに答えたりと、宮本さんとの信頼関係もしっかりできてるから、楽しく、過ごせるんだなぁと思いました。
まだまだ、障害をもっていることで、差別を受けてしまう世の中があると思います。
それでもこうやって、一人一人がいろいろな思いを持って生きていることを、伝えていかなければいけないと思います。
障害があることは、特別なものではなく、個性だと私は思います。
人がそれぞれ持っている、個性を生かして、これからも頑張ってほしいと思います。差別のない世界になってほしいです。

73名ものたくさんの参加者とそしてあたたかな感想、たいへんありがとうございました。また運営担当の先生もおつかれさまでした。
posted by あそびと at 12:19| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域の学校との交流学習の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

もうひとつブログをつくることにしました。

今月からの写真は、新しいブログに掲載することにしました。
文章的なものはこちらに載せ、棲み分けということでやっていきたいと思います。
リンク先は左欄のリンク集をクリックしていただけばご覧になれますので、お手数かもしれませんが、これまで同様、夢屋のメンバーたちの姿を見守っていただければと思います。
どうかよろしくお願いいたします。
posted by あそびと at 17:14| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いろんなところへ配達に行っている夢屋です。


ちょっとした時間の合間に、公園などに立ち寄ってはしっかり楽しんでいるメンバーたちでした。

http://asoyumeya.blogspot.com/
posted by あそびと at 14:20| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

な、なんとディスク容量がいっぱいになっていました!!

数日前より、写真のアップロードができず、ディスク使用量追加をブログ運営会社へおねがいしていたところ、いつもなら遅くても翌日くらいには増加されているのですが、今回はやがて一週間になるのに応答なし。

で、注意事項等を確認しましたら、ディスク使用量の上限2000MGにすでに到達していました。写真の総数、なんと13811枚…。

ブログを始め5年、よくも撮って、そして掲載してきたものです。

したがって今後は次の解決法が見つかるまでは、文章中心、というかほとんどそのような形でのブログ作成ということになりそうです。


過去の写真を取捨選択しつつ削除しながらやっていくのか、はたまた思い切って新しいブログをつくった方がいいのか、どうも踏ん切りがつかずにいます。

何か、いいお知恵があったら教えてください。
posted by あそびと at 07:27| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010・8/4 阿蘇市人権同和教育部会課題別研修会・『共生』の教育に講師として行ってきました。

今年は、阿蘇市役所の会議室であり、73名もの先生たちが参加されました。
「『共生』を土台とした就労の場を目指して」というテーマで話してきました。夢屋からは、メンバー4名、スタッフ2名がそれぞれの言葉で伝えてきました。おつかれさまでした。
http://asoyumeya.blogspot.com/
posted by あそびと at 07:07| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月04日

『県人教ニュース7月号」に、6/22の大津町生涯学習センターで開催された「進路保障(就労)研修会」の様子が掲載されました。夢屋の記事は以下のとおりです。

(宮本)小学校の教師として5年間勤務した後、作業所を開所し、今年で16年目になります。辞めた当時、難病で入院していた母親が泣いたんです。身内や家族にこそ、自分の仕事のことを話すことが大切だということを経験から感じています。
進学や就職とは、成績など単純な理由ではなく、その子の複雑な思いがあり、多面的な見方が必要だと思います。
僕自身の生い立ちや経験をたどらないと、今の自分のことを説明できないんです。

重度の自閉症の青年との出会いから、自分自身の障がい者に対する考え方も変わってきました。地元の高校で聴講生として学んだ後、就労先がなかったんです。地元で通えるところを希望していましたが、就労になると簡単にはいかない。小学校時代の担任の竹原さんや当時地元の中学校におられた野口さんが、彼の就労に関わってくれました。でも、たった一人の障がい者の就労が難しい現実に、なぜ先生たちは就労の道筋が弱いんだろうと思ったんです。

彼を授産施設に入所させたことを、お母さんは「何であのとき……」と言われるんです。そこがポイントなんです。ずっと地域の中で生きてきた彼には、「なんでここなの?」と理解できないんです。亡くなった彼の体から出てきた赤いボルトが、ぼくに訴えてくるんです。自分のことを伝えてほしいと。

地域振興課の課長さんが、「夢屋」のことを「うちん作業所」と言ってくれます。地域とつながる力、それが一番じゃないかと思うんです。就労とはいったい何なのかを考えてほしい。最低限の生活保障の面もありますが、ぼくの体験から、みんなと一緒に向き合って力を合わせていくことで、厳しい状況も打開していく力が生まれるんです。

(中島)私は聴覚障がいがあって、左耳が聞こえません。右側に回ってもらったり、相手の口元を見ながらやりとりしています。
一時期、仕事を辞めて家に引きこもりがちになったことがあります。「夢屋」のことを知って、初めは「何で勝手にすると。絶対行かんけんね!!」と母に言いました。でもみんな温かく迎えてくれて、自分でも不思議なくらい楽しくて、自分に合っているのかなと思います。

(宮本)僕が最初に迎えに行ったとき、中島さんは、「本当は行きたくありません」とはっきり言ったんです。だから大丈夫だと思いました。根っこの部分は、人と人との出会いです。お互いの意識やとらえ方を変えていくことじゃないかなと思います。
「夢屋」は最後の就労場所だと決めつけてはならないと思っています。
どんな就労があるか、地元での採用がないかいつも考えています。
障がい者が就職することがどれくらい大変なことか、本当に自分がわかっていたんだろうかと思うんです。
中島さんに「どうして(僕と一緒に探した仕事を)辞める前に相談しなかったの?」と聞いたら、「話したらとめられるから」と言ったことは、とても大事なことなんです。それは、彼女たちがまだまだ孤立しているということなんです。
本当の自分の気持ちをわかってくれるだろうか、相談しても、自分の置かれた環境の改善につながるのか、僕自身の力量が問われてるんです。

中島さんが就職してから働いている姿をしっかり見ていたのか、「とめられるだけだろう」と思わせてしまっているんです。僕が会社や地域と「つながり」をつくることが、とても大切なことだと思います。
(尚、当日は中島さんだけでなく、ミユさん、ミサキさんもそれぞれの思いを語ってくれました)
posted by あそびと at 10:30| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

ネジ花が鉢の中に咲いていました。

IMGP0277.JPG IMGP0278.JPG IMGP0279.JPG
種が風で運ばれ、しっかり咲いてくれていました。
最近のコメント
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