2021年09月06日

2021.9.6夢屋プラネットワークはおかげさまで27年目の活動をさせていただいております。

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2013年10月19日

2013.『夢屋だより』秋号の文章から

「夢屋」から秋のご挨拶を申し上げます。 
「夢屋」代表 宮本 誠一
猛暑の夏も終わり、9月になると立て続けの台風の影響で朝夕の急な冷え込みなどがあり、体調管理の難しい今年ですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。幸い夢屋のメンバーは大きな事故や病気もなく皆元気に過ごせました。これもまた日頃より支えていただいているお客様、行政、地域の皆様のお蔭と感謝しているところです。そんな中、夢屋へきて五年目になる小嶋康揮さんが10月13日に、無事20歳の誕生日を迎えることができました。お母さんからの有難い提案とお申し入れで夢屋隣の「オルモ・コッピア」さんでお祝いの会が開かれ、康揮さんのご家族はもちろんのことメンバーやスタッフ、長老の竹原幸範さん、阿蘇きずな歯科医院長の我那覇生純さんらが参加され、賑やかで温かな祝賀会が催せたことは喜びに堪えません。

さて康揮さんのお母さんとは送迎の度に、身支度を一緒にやりながらちょっとしたことを話すのが日課となっていますが、本人の様子はもちろんのことお母さんの表情から昨夜の状態を忖度することも多いです。ぐっすり眠れたかどうか、排泄は、自傷行為は増えていないか……。それはまさしく母子一体と言っても過言ではなく、康揮さんの調子がよければ当然お母さんの表情も明るく、反対に下り坂だと、またしばらくこの時期が過ぎるまでお互いがんばりましょう、と励まし合うことになります。しかしいずれにせよ過度に落ち込むことも、浮き立つこともなく淡々と毎日を送られるお母さんの姿に、日々感情が揺れ動き、悩んでばかりいる私は頭が下がりますし、障がい者のいる家族の今もって厳しい現実の日々の生活を垣間見させて頂くことで、支援する側の一人として学ぶことばかりです。改めまして、心よりこれまで康揮さんと歩まれて来られた20年の歳月に敬意を込めおめでとうのお言葉を贈らせていただきたいと思います。それでは9、10、11月の行事日程と予定をご報告させていただきます。

9/1.2 北海道からの自転車での一人旅の青年が「野菜ty」にご宿泊。
9/13〜15 長崎から「野菜ty」にご宿泊(3名) 9/22〜23 熊本市内からご宿泊(4名)
9/19 熊本学園講師、吉村千恵さんが学習会の事前打ち合わせのため来訪。
9/29 熊本学園から学生35名が災害要援護者の減災型地域社会リーダー学習のため訪問。
10/2 小嶋康揮さんの20歳の誕生会を盛大に開く(オルモ・コッピア)。
10/16 阿蘇市読書感想文コンクール審査会に出席(宮本)
11/2 阿蘇市図書館祭り(審査委員として宮本出席)
11/13、14、15一の宮中学校からの職場体験(1名)
11/14 益城町教育委員会一行(20名)が見学と講話のため訪問。
11/15 お薬師様の枯葉掃きを始める。

さて、いよいよ来年は「夢屋」が設立20年を迎えます。当時、阿蘇郡市で初めての小規模作業所として「地域の障がい者がごく普通に地域で」の願いのもとやってきましたが、月日の経つ早さに驚きを隠せません。そんな中、最近、かつての教え子がよく訪ねてきてくれ、「私も先生が教師を辞められた33歳になりました」と言葉を贈ってくれた子がいます。ああ、ありがたいなあ、どこかで気にして覚えてくれていたんだなあと何か重いものを感じました。これからもそんな教え子たちの眼差しに恥じぬようやっていけたらと思っているところです。

「減災ソーシャルワーク」の授業で夢屋におじゃましました。
熊本学園大学社会福祉学部             講師 吉村 千恵

9月28日・29日に、学生たちと阿蘇へ減災研修に行きました。その話の前に少しだけ、「減災ソーシャルワーク」の授業についてご説明したいと思います。
「ゲンサイ」って何?とよく聞かれます。新しい言葉だと思います。
ゲンサイとは、「災害を減らす」ということですが、防災とは少し違います。災害そのものは誰の身にも降りかかるものだと思いますが、少しでもその影響を減らしたり、逆に豊かな生活や社会のきっかけに切り替えられるための取り組みだと考えています。
また、災害とは何か、というのも大事な視点です。今それらを授業を通じて学生たちと一緒に考えています。私は、災害とは決して地震や洪水などの自然災害だけだとは捉えていません。私たちの人生や生活そして命に関わる災いや困難を「災害」と捉え直すと、災害を防いだり減らすために今できることはどんどん増えていくのではないかと思います。それらが、いざ大きな自然災害が来た時にその人の命への災害を防げたり災害後によりよい取り組みができたりということにつながるのではないかと思っています。
そのことを考えるために夢屋におじゃましました。
障がい者にとっては、もしかしたら社会生活そのものが津波や洪水よりもリスクが高い災害になっているのではないかと思ったからです。そしてどうやったら改善していけるのかも聞きたいと思いました。
夢屋の成り立ちや活動目的、そしてメンバーの下村さんのお話をお聞きして、学生たちは本当にいろいろなことを学んだようです。
「『予算を始め、日頃から意識や関心をどの程度持っているかなど福祉の不充分さが故の災害』がおこりうるのだということを知った。」「日常生活のなかで障がい者が生きやすい社会を創る必要性を強く感じた」「本人がやりたくても社会から規制されることの災害もある」「自然災害など物理的なものだけが災害ではないと知った。社会の中での生きづらさも一種の災害だと思った。それらの災害は、人づくり、まちづくりなどで防ぐことができると聞いた。」「障がい者も安心して避難出来る場所や制度が必要ではないか。」「障がい者や高齢者にとっては、「知っている人がいる」「安心して行くことができる」避難所が大事だと実感した。そのためには日頃からの「人と人のつながり」がいかに重要かと知った。」などです。もっとたくさんあります。

私も本当に勉強になりました。
例えどんな条件を持っていても、毎日安心して楽しく暮らせる社会を創ることは簡単なことではないと思います。だから、災害が起こったときではなく、今のうちから街作りをやっていくことが大事かなと思います。学生の頃、ある障がい者の方が「障がい者は社会の水先案内人」だと言っていました。障がい者が安心して暮らせる街は、高齢者や子ども、その他様々な条件を持った人たちにとっても暮らしやすい街だということです。
今回、夢屋を訪問してそのことを思い出しました。夢屋の日々の確実な活動が阿蘇地域の街作りの水先案内をしているのだと思います。またちょくちょく遊びに行かせてもらえたらと思いますので、これからもよろしくお願いします。

大学生の皆さんに話してみて。     下村津代
これだけたくさんの大学生の方々にお話しするのは初めてのことで、最初私も緊張していましたが、皆さんとても親しみやすい雰囲気でホッとしました。きっとこれもウルマ(盲導犬)を連れていたこともあったのかなあと思っているところです。「災害」について、とくに今回は日頃の生活の中から「減災」に通じることを自分なりに選んでお話させていただきましたが、終わった後改めて、実際に災害が起こったとき、私にとってのより安全な場所はどこなのか考えさせられました。これまではへたに外に出るより家にいた方が一番いいだろうと決めていましたが、少しずつでも盲導犬の理解を広めながら、『補助犬法』にのっとったきちんとした形で、より安全な避難が保障されるよう関係者の方たちと一緒に努力していきたいし、より多くの市民の方たちにも関心をもっていただけたらありがたいです。とにかく若い方々と一緒に考えることで、とても勉強になると同時に刺激になりました。ありがとうございました。

『ひと夏のプチ介護日記!?』         ☆中島 地利世☆  

早いもので今年もあと3カ月という時期をきり、私にとっては「食欲の秋」真っ最中。(笑)季節の中で夏(特に今年のように特別暑い夏)が一番嫌いな私は、ホッと一息ついています。
秋は、対馬出身の私が阿蘇に出て来た季節でもあり今年で12年目に入ります。
つまりよく考えると「阿蘇人」デビュー?当初からたった半年で「夢屋」と出会えて、「ほとんどの日々を一緒に過ごしてきたのだな〜」としみじみ思います。
その話を家族や周囲の知人に話すと、よく「あんたも年とったね〜」と言われます。(笑)
今年は上半期をざっと振り返ってすぐに思い出す事といえば、病院特有?の匂い、白衣、そう…母の付き添いで阿蘇市の病院あちこち^^;に通い詰めだった事です。

そんなに多いのは、以前からかかりつけの2ヶ所の内科に加わり[一の宮整形外科]さんで6月に「手根管(しゅこんかん)症候群」の手術を受けたからということもあります。数年前から右手が痺れて力が入らないみたいで上手く箸を握る事すらできなくなり、夜中が特に症状がひどくなるらしくて、動悸や不安で眠れない日々が続く事もありました。
以前から「20分位の簡単なものでスッキリするから…」と手術を勧められていたのですが、メスを入れる恐怖からとても嫌がり、なかなか実行できませんでした。そのうち痛みまで出てくる程になり「どっちにしても痛いなら…」と、やっと決心がついたようです。本人は大手術でもするかのような気持ちで挑んだ術後、3〜4日はもちろん、絶対に水に濡らせません。
でも季節的には汗をかきやすい毎日なので、私が髪を洗ってあげたり少し熱めのタオルで背中を拭いたりとしていましたが、お風呂が大好きな母はきちんと湯船に浸かりたいし、髪すら自分で洗えない事にストレスがたまっていき可哀想でたまりませんでした。そこで私が考えたのが母の手をタオルでグルグル巻きにして、その上から更にビニール袋でグルグル巻きにするという簡単な方法ですが、手は全く濡れず入浴する事が出来ました。
時々、気になり風呂のドアに近づくと、「あ〜極楽〜♡ 炊事も洗濯ぜ〜んぶしてもらえるけん、らく〜♪ ず〜っとこうやったら…」と喜びの声が聞こえてきました。(+o+)
2週間目の抜糸後にやっと包帯を取って貰えた時には、だいぶ気持ちも軽くなったようで、術後4カ月が過ぎた今ではしびれも痛みも少なくなってきて、愚痴も減って;母がいうには「ま〜だしばらくは、あんたに頭があがらん↷」だそうです。(笑)
完全に握力などが戻り、完治までには3カ月〜半年(長い人で1年)はかかるそうなので、この機会に?自分の「健康管理」に専念して、少しは素直に言うことを聞いてくれる母になって欲しいと思います。(*_*;7月3日・水曜日(雨)

コウキ&マイ日記        by チー

7月24日水曜日(雨)
外は大雨…と残念な天気ですが、今日も朝から元気いっぱいのマイペースコンビ♪
マイちゃんは、お気に入りのセーラームーンの漫画本を持参で、大事そうに胸に抱えていました。いつもは【夢屋】に来たらすぐ、自分のハンカチをコウキ君に貸してあげていましたが、今日は読書に夢中で…面白いのは、どこで覚えたのか?ページをめくる時、指を口元に持っていき唾つける真似をしていました。あと、ちゃんと読めているのか?よく見ると本も逆さまでした。(笑)しばらくすると、同じくセーラームーンのお気に入りのバックがどこにいったかわからなくなったようで「お母さんもね〜わからんって!」とかなりご立腹の様子でした。^^;
そんなマイちゃんの様子を見て、なかなか構って貰えなくて待ちくたびれた?コウキ君が自分から立ち上がり、マイちゃんの方に近寄りハンカチをひったくるように取ってポイッと放り投げてしまいました。「こ〜らっ、何しょっと!」と言いながらも笑顔のマイちゃんと「フフッ」満足の声を出すコウキ君、いつ見ても面白くて飽きないコンビです。

6月26日・水曜日(雨)
今日は、朝から台風のように雨風がとても強い一日でした。サンルームに音が響く度にビクつくコウキ君が少し可哀想でした。マイちゃんは、いつもより早く9時前に到着して、しばらくすると用事を終えたチーさんが帰ってきた時、満面の笑顔で立ち上がってまで元気に出迎えてくれました。チーさんがイスに座ると、コウキ君まで肩をポンポンと叩いて労ってくれていました。

6月19日・水曜日(雨)
今日から、小国支援学校の山内さんと甲斐君が職場体験の実習生として【夢屋】来てくれました。残念ながら、マイちゃんは風邪でお休みでしたが、代わりに?相棒のコウキ君がマイちゃんの分まで大ハッスル♪「一の宮中学校」での後輩でもある山内さんには、ちょっかい出しやすいのか?、前を通る度に腕を掴んだり、足をポンポンと叩いて遊んでいました。あまりしつこいと、最後は「止めて下さい!」と言われて凹ヘコんでいました。(笑)

6月12日・水曜日(晴)
今朝コウキ君に「今日も、マイちゃん元気に来てくれるかね〜?」と聞いたら、「フフッ」と笑い「ん〜っ!」元気よく動き始めたので、マイちゃんパワーかな?と噂していたら、車の音が♪ 今日は大好きなお父さんも一緒に、お母さんと3人でやって来ました。最初の頃は、大人しく疲れているのかな?とコウキ君も立ち上がり覗き込む位でした。そんなコウキ君に「良いよ!」とハンカチを差し出すと、それをパッと取って満面の笑顔で、「ん〜ん〜」と胸に抱くように握りしめて喜んでいました。おかげで、久々にマイちゃんの笑いながら「何しょっとかね〜」が聞けました。(笑)笑ったあとは、マイちゃんもどんどん元気が出て来て、今日だけで3枚もぬり絵の仕事をしてくれるという大ハリキリでした。(コウキ&マイ)
posted by あそびと at 17:29| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

2013・夢屋だより梅雨号から。 /

2013年度も出発しました。これからもどうか夢屋をよろしくお願い致します。作業所「夢屋」代表 宮本 誠一
新年度が始まり早くも2か月になりますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。毎年、今の時期阿蘇は、日中だいぶ暖かさが戻ってきても、朝夕としばらく肌寒い日が続きます。梅雨時ですと梅雨寒(つゆざむ)でしょうが、晩春から梅雨入り前後にかけて戻る寒さを苗代寒(なわしろがん)と言うことを地域の方から教わりました。地方によっては、「なしろがん」「のしろがん」とも言うようです。文字通り苗代を作る頃の肌寒さですが、今では田んぼの近くに住んでない限り、苗代を見ることもありませんし、なかなか実感の湧かない言葉かもしれません。
実はこないだ、ある会合で「代掻き」を「この『だいかき』って何のことですか」と平然と聞く人がいて驚いて知人に話したところ、町中に住んでいる人は田植えなど見たこともないだろうし、そんなものかもしれないねと言われ、なるほど言葉は人々の生活の中から生まれ、結びつき生きてきてるんだなあと改めて考えさせられ、納得した次第です。だからこそ昔の生活に根ざした季節感に溢れ、語感の素晴らしい言葉は残っていって欲しいものだと思う今日この頃です。では4月から5月までの行事をご紹介します。

4/2新年度がスタートしました。清子さんの18年目、地利世さん、深雪さんの11年目などメンバーの勤続もいよいよ大台に入ってきました。
4/3毎日新聞熊本支局から山田次長が取材に来られました。
4/8農園のジャガイモ植えをしました。
4/14毎日新聞朝刊の『マイ・ストーリー』欄に代表宮本が紹介される。(本誌7P掲載)
4/15農園のサトイモ植えをしました。
5/11野菜tyへ長崎から4人のご宿泊。
5/15阿蘇保健所の実習生(熊大)が訪問してきて、作業所について学習されていきました。
5/17 阿蘇市人権・同和教育推進協議会開催(いこいの村)に出席。
5/26 仙酔峡へつつじ見学に行きました。

昨年の6月末、腰痛で痺れが起こって以来、筋力をつけようとサイクリングを始めました。仕事が終わってから30分ほど漕いでいます。その途中、パンを長く買って頂いている方が田んぼの代掻きの最中にトラクターをわざわざ止め、パン代を下さいました。夢屋へ帰り再び田んぼへ行くと、ちょうどトラクターがゆっくりとこちらへやってきているところで、折り返すところで止まって頂きお礼ともども封筒に入れたお釣りをお渡ししました。なんと素晴らしい情景か。地域の方とこんな形でつながらせて頂いていることに喜びを感じたひと時でした。
さて、いよいよ今年は夢屋設立19年目となります。地域におられる障がい者の方たちに、ごく普通にそのまま地域で生活を送ってもらえる一助になればと阿蘇市の宮地に小さな産声を上げたのがまるで昨日のことのようです。その後、相次ぐメンバーの死、蔵原への移転など様々なことがありましたが、毎週パンを買って下さるお客様を始め地域、行政の皆様、さらには市外、県外から見学に来られる方、またいつもホームページをご覧下さっている方など、たくさんのご支援の中で続けさせて頂いてきました。改めましてお礼を申し上げる次第です。


さて、今回の『ちょっと耳よりコーナー』は、前回で26回を迎えたこともあり、これまで登場して下さった皆様をご紹介させていただきます。本当にお忙しい中、ご協力して頂きありがとうございました。

2007年 5月 第1回 石橋淑子さん〜お菓子店チェリーファームについて〜
7月 第2回 時田道子さん〜手作り雑貨店「とき舎」への思い〜
9月 第3回 居酒屋『山頭火』さん〜仕事でよく行く韓国のこと〜
11月 第4回 松本似智子さん〜「とうきび人形づくり」との出会いなどについて〜

2008年 2月 第5回 竹原幸範さん〜毎日工夫されている『長寿の秘訣』について〜
5月 第6回 有馬安弘さん〜自給自足の生活と詩の創作への思い〜
8月 第7回 波佐間法男さん〜解体材に賭けた思い〜
12月 第8回 オルモ・コッピアさん〜オープンしたてのレストランについて〜

2009年 1月 第9回 愛徳弁当さん〜お店の名前の由来などについて〜
4月 第10回 阿蘇カラーの岩下さん〜交通指導の御苦労や喜び〜
7月 第11回 ギャラリーGENさん〜写真家として気をつけておられること〜
9月 第12回 松谷文華堂の亮さん〜創業明治32年(1899)からの歴史について〜
12月 第13回 「きぼうの家」の湯浅聡子さん〜作業所運営への思い〜

2010年 3月 第14回 井手酒屋さん〜酒屋と新聞販売の両立や仲町通りへの思い〜
6月 第15回 伊藤商事さん〜お店の歴史やこれからの阿蘇市への思い〜
7月 第16回 甲斐米屋さん〜お米屋を営んできての御苦労や喜びとメッセージ〜
12月 第17回 地域活動支援センター「時計台」さん〜福祉への思い〜

2011年 2月 第18回 阿蘇動物病院の小嶋先生〜病院の成り立ちと動物への愛情〜
5月 第19回 竹原真理子さん〜有機農業への取り組みについて〜
7月 第20回『阿蘇きぼうの家』(二回目)〜内牧から竹原へ引っ越してきて〜
10月 第21回 佐藤菓子さん〜長い歴史で大事にしてきたもの〜
12月 第22回『オルモ・コッピア』さん〜料理でこだわっているところについて〜

2012年 3月 第23回 きずな歯科医院長我那覇生純さん〜訪問歯科検診のやりがい〜
5月 第24回 坂梨の『滝室窯』の陶芸家 石田裕哉さん〜焼き物への思い〜
10月 第25回 上村米屋さん〜体に良い商品を揃える思い〜

2013年 3月 第26回 熊本日日新聞社阿蘇総局長 今村浩さん〜新聞記者への思い〜
これからも地域で活躍されている方々をご紹介できればと思っています。どうかよろしくお願いいたします。

メンバーの日記から

5月1日・水曜日(晴)
今日から5月♪早速「五月晴れ」か?とても気持ちの良い青空でした。
おかげで暖かく、コウキ君も久し振りに朝からとても絶好調♪周囲が驚くほどの雄叫びや奇声を出し、色々な動きを見せてくれました。一番のお楽しみは、もちろんお昼ご飯ハート(笑)今日は、卵丼で、大好きな卵がたっぷり入っていたので、さすがのコウキ君も驚き?目をキラキラ輝かせて、ジッと見つめていました。食べ始めると、大満足であっという間に平らげて、食後はゲップまでだして、気持ち良さそうな「どや顔」でソファーに戻っていきました。

4月17日・水曜日(雨)
今日は、先週の強風に続き、雨で天気の悪い水曜でした。
それでも、風の時よりは少し生暖かいから、コウキ君もまぁまぁ元気に運動していました。
最近、覚えた指揮者のような腕の振り方遊びや、いつものように前後に屈伸運動するだけじゃなく、左右に大きく体を揺らす動きをして、人にぶつかると「ヘヘッ」と笑いながら頭をかいたりして、とても可愛かったです。お昼ご飯にマーボー豆腐を食べて、ますます上機嫌になったコウキ君♪食べながらテーブルをパンパンと叩き、美味しさを表現?していました。

4月10日・水曜日(晴)
今日の阿蘇は、晴れているけど風も強くとても寒い日でした。寒さが苦手なコウキ君も、いつもは【夢屋】に来てすぐ脱ぐ上着を手放そうとはしませんでした。寒さにブルッとなったり、時々ベランダの屋根がガタガタっとひびく程の風がふいてビクッとなったり、いつもの元気な運動がなかったので、ストーブを点けてあげると、だいぶ暖かくなって、やっといつも通り「フフフフッ」と笑ったり、「あ〜ああ」など、叫びながら屈伸運動を始めてくれました。お昼ご飯に、大好きなシチューを食べてますます暖まり、午後からは少し眠そうでした。みんなに甘えて、抱っこちゃんになっていました。

4月3日・水曜日(晴)
今日も少し元気がなく、あまり屈伸運動は見られませんでしたが、ただ単純にお腹が空いていただけ?お昼ご飯を食べると、いつもの屈伸運動だけじゃなく、とても元気に笑ったり、腕を振ったりして遊んでいました。午後からは毎日新聞の記者の方(Yさん)が取材に来て下さいました。お優しい雰囲気の方で、コウキ君も気になってYさんの方に近づこうとしたり、使われているペンを取ろうとしたりして、笑われていました。最後に、みんなで写真を取ってもらってお別れした後、少し寂しそうにうつむいていました。

『‡10年間を振り返って‡』

                               ☆中島 地利世☆
無事、4月24日の【夢屋】入所記念日も過ぎ勤続10年♪ヽ(^。^)ノ

(前号からこのネタばかりしつこくスミマセン!;)
10年間で体験できた事を振り返ってみると、良い記憶も苦い記憶も…本当に、どれも貴重な体験だと思っています。そこで今回、自分の中で特に大きく印象に残っている出来事を簡単にまとめてみました。

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【夢屋】入所日:平成15年(2003年)4月24日
1年目.【夢屋】入所=総合学習など地元の学校と交流の機会が増える。
2年目.『遊人の日』遊人バンドのダンサー?初体験で失敗!?しばらくトラウマ(笑)
3年目.初レクリエーション(映画館にみんなで行き、私は『ターミナル』を観ました。)
4年目.スペシャルオリンピック トーチランに【夢屋】のみんなで出場!
(私と深雪さんはトップバッターで、なんと!佐藤市長と3人で、決まったコースを完走)
5年目.山田小学校6年生から『感謝の会』で、楽しいゲームや昼食会に招かれる。
6年目.「心の輪を広げる体験作文」一般の部 優秀賞 受賞。
7年目.↑昨年の受賞作文の内容を、内牧小学校の人権授業で使って下さいました。
8年目.夢屋の近所にお住まいの方に、昼食会にお招き頂き、楽しい時間を過ごしました。
9年目.中通小学校の人権学習の授業に私の【夢屋】に出会うまでの体験話を使って頂き、

その内容を中通フェスティバルでも、人権劇として披露して下さいました。
10年目【夢屋】から、10年目入りの祝マーク食事会と記念品贈呈。
『バラ苑理事長』青木淑子様から、お祝いにとても美味しい和菓子を戴きました。
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忘れられない出来事も、忘れない為にも「これは書いておかないと!」と思う経験も、あった様子は覚えていても正確な年月を忘れていたり、たったこれだけの事を思い出すのにも一苦労でした。
「そういえばこんな事もあったな〜」と、とても懐かしく、一人でニヤニヤ思い出し笑いしながら書いていたので、周りのメンバーは「何だこいつ!?」と不気味だったかもしれません。(笑)他にも書ききれていない分でも色々とあっていますが、これだけの活動を続けてこられたのも、いつも【夢屋】を温かく支援して下さっている方からの癒しがあってこそだと、本当にありがたく思っています。その感謝の気持ちを忘れる事なく、次はとりあえず勤続15年を目指し、また楽しく、無理のないマイペースで、頑張らせて頂きます。
これからも、これまで同様、私の成長?を温かい目で見守って頂けたら幸いです。
posted by あそびと at 19:42| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

昨年度〜平成24年度(2012)の最後の『夢屋だより』からです。

いよいよ3月になりました。今年度もほんとうにありがとうございました。
  作業所「夢屋」 宮本 誠一

早いもので、今年度も残すところあと一月たらずとなりました。ご覧になった方も多いかと思いますが、1/20にNHKの『くまもと歌物語』という番組の公開収録に介護支援も兼ね参加する機会があり2/4日の放送も見させていただきました。何百年と受け継がれてきた歌を誇りにする阿蘇神社の氏子さん、「阿蘇の恋唄」が大好きな元バスガイドさん、壮大な自然を歌い上げる合唱団の子どもたちなど阿蘇の地域や人々がこれまでの積み上げてきた歴史の一齣を学ばせていただく中、やはり胸を打ったのは7.12豪雨災害で大きな被害をうけられた畜産業のご家族の姿でした。被災後お孫さんが誕生され、緑豊かな阿蘇の復活を願い「大地」と名付けられたことには本当に胸が熱くなりました。夢屋を開所し19年、こんな素晴らしい方々に囲まれながら営ませていただいていることに改めて感謝と勇気を頂戴した次第です。それでは、1月から3月までの行事(予定を含む)をご紹介いたします。


1/7 初顔合わせ。近所の方々へメンバーが年始の挨拶に行きました。
1/8 仕事始め。さっそく発酵器の調子が悪く、ヒューズを取り替え見事に復活しました。
1/20阿蘇市体育館で、NHKくまもとの風スペシャル「くまもと歌物語 阿蘇のすそ野に響く歌」の収録があり、副代表竹原ナホ子の葉書が採用され、竹原幸範さんとともに参加しました。
1/31 代表宮本の小説『有明』が熊日文学賞最終候補作に選ばれました(2回目)。
2/4 NHK収録番組『くまもと歌物語・阿蘇の裾野に響く歌』が放送されました。
2/6竹原幸範氏、95歳の誕生日を迎えメンバー、スタッフがお祝いのプレゼントや祝福の言葉を贈りました。また、代表宮本『お月さまとゆず』の出版記事が熊日新聞に掲載されました。
2/7熊本大学大学院教育学研究科修士課程の学生9名と教授1名が学習を兼ねた交流後、各自の研究テーマや夢屋のメンバーへの日頃の活動の様子などについての質疑応答などもあり、豊かな時間を過ごすことができました。
2/17 第8回熊本パイロットクラブ・チャリティーダンスパーティーからの寄付を戴きました。
2/23連合熊本の阿蘇大会でパン180個の注文があり、皆で作り、無事届けました。
2/25 山田小学校から児童14名、職員2名が体験学習でパンづくりなどを通し交流しました。
3/5「夢屋だより」春号を発行し、今年度は5、9、12、3月の計4回となりました。
3/3 大ベテラン佐藤清子さんのお誕生日を勤続18年と合わせお祝いさせて頂きました。
3/21 山田小から卒業式の祝いお菓子57個の注文をお受けしました。
3/31 中島地利世さん、高倉深雪さんが10年目を無事終了し、来年度より11年目へ入ります。
さて、4月から夢屋は19年目、いよいよ大台の20年目(鬼が笑うかもしれませんが)も見えて来ました。33歳で教師を辞め開所し来年は53歳ですから、月日の早さに驚きを隠せません。先日、2/7に来られた熊本大学の学生さんから自分も将来、「夢屋」のような作業所を作りたいから色々ご教授願いたいとのメールを頂戴しました。開所当時は想像だにしなかった形で確実に「夢屋」の実践の裾野は広がり次の世代が誕生しつつあることを実感した次第です。これも、これまで支えて頂いた地域の皆様と行政各位のお力と心より感謝申し上げる次第です。

○『〜大切な出会い〜』                ☆中島 地利世☆

新年が明けて、いつの間にか2月が過ぎていきますが、そんな中「いよいよ今年の4月で勤続祝マーク10年へ向けてのカウントが始まった」と、一人で勝手にワクワクしています。月に竹原幸範さんのお誕生日をお祝いした時に、「人の縁とは不思議なもんで…【夢屋】があったおかげで、ようあんたと出会うたな〜」と言って下さいました。
これは、いつも竹原お爺ちゃんがよく言ってくれる事なのですが、その度に私も、まず【夢屋】と出会えた事が、本当に貴重な事だなとしみじみ考えさせられます。
おかげでこれまでの間にたくさんの関係者と出会い、中には、特別に親しく話して頂いて、いつも体の事や顔色まで気にかけて下さる方、お菓子や誕生日プレゼントまで下さる方、本当に、たくさんの方の癒しで支えて頂いていたから、今まで頑張ってこれたのだなと、改めて、感謝と幸せの気持ちをいっぱい感じています。

あとこれは、つい最近の出来事なのですが、すぐ下の妹から再び繋がった出会いです。まだ、私が【夢屋】に入所して間もない頃、みんなで古城小学校に総合学習に行きました。そこで、グループごとに分かれ生徒さんと一緒にパンづくりをしたのですが、その時の私の班だった女の子が、今、妹と同じ職場で働いているという事がわかりました。

色々な話をしていると、ふとした事から【夢屋】の話になったらしくて、正直、私はその子に関する記憶が曖昧だったのですが、10年近く経つのに私の事を覚えてくれていました。それどころか「また会ってみたい」と言ってくれて、妹と3人で会って、小学生の時の話から最近の事までたくさんお喋りしている間に、だんだん思い出してきました。その子は少し内気な子で、当時イジメにあっていたらしくて、その時の苦しかった話などした後、「でも、学校で顔を真っ赤にして、一生懸命、自分の事を話してくれた地利世さんを見て、私もその後、少し勇気をもつことができるようになりました」と言ってくれて、「私が今まで、自分なりに必死に(失敗も多々…)頑張ってきた事が、ちゃんと根付いて、少しでも、その子の「キッカケ」になれていた事が、本当に嬉しかったです。

最後に、一つ面白い?お話を…↑先に書いた知り合った方から、今年の誕生日に貰ったお手紙の内容で「自分が相手の事を好きと思えばその相手も、きらいだ〜という人は、いません」「出会った人、みんな友達にしちゃいなさいよ」と書いて下さった励ましの言葉に感動して、勝手ながら私も、これまで知り合って来た方、これから出会うかもしれない方、全ての人をお友達だと思わせて頂きます。どうか、みなさん嫌がらないで下さい。(笑)
そうして、第二の地元で少〜しずつ「阿蘇人」になっていければ良いと思っています。

○2月25日(月)、山田小6年生となかよし学級のみんなが来てくれました!

【夢屋での活動の感想のいくつかを抜粋してご紹介します】
・ぼくは夢屋さんの見学に行って、障がい者と自分とのちがいはないと思いました。なぜかというと、障がい者は、ぼくたちと同じように笑ったり、怒ったりするけど、それをうまく表せないだけで、ぼくたちと同じように心の中では思っているからです。たとえば、口や耳、目も少し使いにくいだけで、手助けがあればちゃんとできることもあると思いました。障がい者は、苦手なだけで、ぼくたちと同じだと思いました。だから、障がい者だからといって相手にしないのは、差別だと思います。その人の障がいを知って、その人がうれしくなるような接し方をしていきたいです。

・ちとせさんの話の中で、「夢屋に入って一番うれしかったことは、何でもやらせてもらえたこと」とおっしゃっていました。それほど夢屋に入るまでは、つらかったんだなぁと思いました。今までぼくは、障がい者と聞いただけで他の人とちがうと決めつけていたけど、今回の学習を通して、障がい者は他の人と思っていることは同じで、楽しい時は笑っているということがわかりました。ぼくはある意味、障がい者を差別していたと思います。

・ぼくは夢屋さんに行って、最初はこわかったです。なぜかというと、障がい者はストレスがたまったりしたら、たたいたりけったりするという話を聞いたことがあったからです。ぼくたちは授業で個性について学習しました。一人ひとりのちがいや、苦手なこと、得意なこと、いいところなどを考えました。そしてぼくのそばにも障がいのある子がいます。よく考えてみると、なぜぼくはその子はこわくなくて自分から寄りそっていくのかなと思いました。ぼくの考えでは、その子に慣れているからじゃないか、同じ登校班だからじゃないかと思いました。その子のことを知っているから自分から話せるんだと思います。だから、ぼくもいろいろな障がいを持っている人を知れば、こわくなくなって接することができるようになると思いました。

・私の知らない障がいを持った方に会えて、とても勉強になりました。今までの苦労やつらさが伝わってきました。この世の中に障がい者をいじめる人がいるのはすごく残念です。私は、おじいちゃんが障がいを持っています。体の半分が動きません。車いすで生活しています。まわりの人は、いやな目で見たり、悪口を言ったりしないで、とても親切に接してくれます。なので、おじいちゃんも笑顔でくらしています。親切な人がまわりにいることで、障がい者は安心してくらせると思います。だから、そういう安心できる場所、夢屋のようなところがたくさんできるといいと思い   (皆さんの感想、どれも素晴らしかったです。ありがとうございました)

○ちょっと耳より、ご紹介コーナー(25回)

今年度最後にご登場願ったのは、熊本日日新聞社阿蘇総局長 今村浩さんです。

A:新聞記者になられた動機と、熊本日日新聞社を選ばれた理由は何ですか。
Q:子どものころから作文が苦手で新聞記者になろうとはこれっぽっちも思っていませんでした。ただ、人とかかわることは好きで、東京の大学生だったとき実家から送ってきた新聞で、たまたま求人広告を見て郷里で取材を通じ不特定多数の人とかかわれる仕事に興味がわき、応募してみました。

A:お仕事で苦労されている点、またやりがいのある点はどんなことですか。
Q:事実関係の確認には一番神経を使います。間違えると新聞の信頼性を失いかねますので取材先に問い合わせたり、取材メモや資料を再度見たりして何度も行います。やりがいは、これほど素晴らしい資源に恵まれた世界に通用する阿蘇を舞台に多くの方たちに情報発信できることです。

A:阿蘇総局長3年目を迎えられ、阿蘇市に対する感想、またこれからこんな市になってほしいという思いがありましたらお聞かせください。
Q:自然や食材など他地域にない恵まれた素材にあふれていることに地元の人たちは意外に慣れっこになっているのかもしれませんね。一人一人がもっと地域に誇りをもって、自然が与えてくれる癒しの力を生かしながら、さらに人にやさしい市になってほしいです。

A:最後に「夢屋」に一言、お願いします。
Q:阿蘇五岳に連なる往生岳を望む人々の拠り所だと思います。これからも「陽だまり」のような存在であっていただきたいです。

○春を待つ       佐藤清子

今まで経験したこともない大雨

千年に一度の大雨

屋根の雨音は大変な音だと思った。

朝、起きて窓を開けたら、阿蘇の外輪山は、

あっちもこっちもてっぺんからはげ落ちている

車の走る音がはげしく聞こえる

のみこまれて亡くなった人たち

家を直撃された人々

おにぎりつくり、トン汁つくりに何回走ったことか。

災害を受けた人々の「癒し」はいつくるのか。

春が

春は、必ずやってくる



posted by あそびと at 16:58| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月23日

2012 3/8~12/28

12月28日・金曜日(雨)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いました。午後から配達に行きます。(ミユ)

12月27日・木曜日(晴)
粉量りをして、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとメロンパン作りをしました。カナッペ作りをして片付けをした後、昼ご飯を食べて窓ふきをしました。ミサ)

12月26日・水曜日(晴)
今日、朝すごく寒かったです。夢屋に来て鉄板置きをして、野菜ティと管理棟の大掃除に行きました。駐車場は木の葉がコンクリートにひっついて掃きにくかったです。夢屋に帰って洗い物をして駅に行きました。(タク)

12月25日・火曜日(雪)
粉量りをして、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとメロンパン作りをしました。(ミサ)

12月23日・日曜日(晴)
今日朝から歩いてチーさんの家に行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。いっしょにのって夢屋に行きました。クリスマスケーキをつくりました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

まず、卵割りをしてチョコレート切りをした後、片付けをしました。今日は、あっという間でした。(ミサ)

12月21日・金曜日(雨)
今日、朝寒かったです。しばらくしたら雨が降り出しました。一時して、パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食の野菜スープとおかずがおいしかったです。午後からゴミ捨て工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをしました。一時して駅に行きました。(タク)

12月20日・木曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。くるみパンと食パン作りをして発酵機に入れた後、チーズパン作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

12月19日・水曜日(晴)
今日、朝から寒かったです。赤水駅に変わった車両が止まっていました。夢屋に来てからしばらくして鉄板洗いをして、日誌のメモをノートに写して、夢屋の日誌を書いて、鉄板のふき方をしました。昼食のおかずがおいしかったです。一時してから駅に行きました。(タク)

12月18日・火曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

12月14日・金曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

12月13日・木曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。バターロールと食パン作りをして発酵機に入れた後、カナッペ作りをしました。(ミサ)

12月12日・水曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。歩いて帰りました。(ミユ)

12月11日・火曜日(くもり)
今日、朝からくもっていて寒かったです。立野駅舎に可愛い猫が1匹いました。夢屋に来てパンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除をしました。それから駅に行きました。(タク)

12月7日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達にいきます。(ミユ)

12月6日・木曜日(晴)
今日、朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。じんけんフェスタに行きました。パンのはんばいをしました。パンがうれました。サオリさんとおしゃべりしました。とてもたのしかったです。(ミユ)

12月5日・水曜日(晴)
粉量りをして、食パンケースとブッフェルケースを出して、ショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとチーズパン作りをしました。くるみパンとカナッペ作りをして昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

12月4日・火曜日(晴)
今日、朝晴れていたけど風が吹いて寒かったです。夢屋に来ていつも通りの事をして、パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除をしました。(タク)

11月30日・金曜日(晴)
台を拭いて、粉入れと粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、くるみパンの形成をしました。バターロールメロンパン作りをしてケースを出した後、カナッペ作りをしました。(ミサ)

11月29日・木曜日(くもり)
今日、朝、風が吹いて寒かったです。夢屋に着いたら雨が降り出しました。一時して洗い物のふき方をして席に着いたらミヤさんとミユさんが買い物に行ったので静かだったです。昼食のカレーがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗い、その他のところをしました。一時して駅に行きました。(タク)

11月28日・水曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

11月27日・火曜日(晴)
今日は、ミヤさんのお誕生日です。私は、プレゼント選びで「今年は、腰に良さそうな物を…」とかなり迷いましたが、結局、日本酒を贈る事にしました。でも、ただの日本酒では面白くないので、瓶のラベルに何でも好きな言葉を書いてくれるお店を見つけました。私が考えた言葉は「脱・腰痛!!」と書いてもらいました。わたすまで、どんな反応してくれるか楽しみなのと、「バカにしている」と思われないかな…という不安もありましたが「へーっ!こげんなとがあるたいね〜」と喜んでくれて、「中身がなくなっても瓶は捨てんで、新しいのを入れ替えて、大事に使います」と言ってくれたので、「選んで良かったな〜」と、私がプレゼントを貰ったみたいに嬉しくなりました。(チー)

11月23日・金曜日(祝日)

11月22日・木曜日(くもり)
粉量りをして、食パンケース、ブッフェルケース、マフィンケース、チョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとチーズパン作りをしました。メロンパンとチョコベベ作りをして発酵機に入れた後、くるみパンとカナッペ作りをしました。(ミサ)

11月21日・水曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。おちばはわきました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

11月20日・火曜日(晴)
今日、朝から晴れていました。夢屋に来ていつも通りの事をして、中に入ってしばらくして、外を掃きました。ミヤさんとミユさんが外の仕事に行ったので静かでした。パンづくり(バターのせ)、タッパ洗いをしました。昼食のおかずがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除をしました。終わってしばらくして、駅に行きました。今日はあったかかったです。(タク)

11月16日・金曜日(晴)
今日、朝、晴れていました。少し腹痛がしてきついです。夢屋に着く前、知らない人がバイクでヘルメットもかぶらず乗って来てゴミを捨てに来ている途中かなにかで、ぶつかりそうになったので危なかったです。夢屋に着いて、水道管が凍っていたので中に入って先にパンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方して、昼食のうどんがおいしかったです。洗い物の続きをしました。ゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをして終わって駅に行きました。(タク)

11月15日・木曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

11月14日・水曜日(くもり)

まず、ユウコさん達と一緒にお薬師堂で掃除をして、手話の勉強をしました。手話は難しかったです。昼ご飯作りで玉ネギやトマトを切った後、皿を出してピザを食べました。昼ご飯の後、工房で天盤と皿を洗いました。(ミサ)

11月13日・火曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。掃除をしました。おこのみやきをやいてたべました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

11月12日・月曜日(晴)
今日、朝、晴れていたけど風が吹いて寒かったです。小国支援学校の研修、1日目でお薬師堂の掃除をして、皆、買い物に行ったので、花の水やりと周囲と中の掃除をしました。昼食のカレーがおいしかったです。反省会の後、少し休憩しました。そして駅に行きました。(タク)

11月9日・金曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさん家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

11月8日・木曜日(晴)
粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。くるみパンと食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。カナッペ作りをして片付けをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

11月7日・水曜日(くもり)
今日久しぶりの水曜日出勤です。朝少し寒かったです。夢屋に来ていつも通りをして、鉄板洗いをしました。ミユさんが買い物に行って静かだったです。その間、来週の研修の準備とか鉄板ふきをして、年賀状の色ぬりをしました。昼食のカレーがおいしかったです。その後ゴミ捨てに行って年賀状の色塗りをしました。終わったので駅に行きました。(タク)

11月6日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。(ミサ)

11月2日・金曜日(晴)
今日、朝寒かったです。夢屋に来ていつも通りの事をしました。風を引いて体がかゆいです。洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のスープとおかずがおいしかったです。午後から、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをして、駅に行きました。(タク)

11月1日・木曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。じゃがいもむきました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

10月30日・火曜日(くもり)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、くるみパンとバターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

10月26日・金曜日(くもり/雨)
今日、朝くもっていて寒かったです。夢屋に着いて、いつも通りの事をして、洗い物のふき方をしました。急に雨が降り出したので、体がかゆくなりました。ナコさんからエプロンをもらいました。昼食の栗ご飯、みそ汁、焼き魚がおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをしました。(タク)

10月25日・木曜日(晴)
粉量りをして食パンケースにショートニング塗りをしました。バターロールと食パン作りをして発酵機に入れた後メロンパン作りをしました。今日の昼、さとみさんがチーズケーキを夢屋に持って来た時、座る癖がついてうけとらなかった事を反省しました。(ミサ)

10月23日・火曜日(晴)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。掃除をしました。たまねぎむきました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

10月19日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。掃除をしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。おわって歩いて帰ります。(ミユ)

10月18日・木曜日(晴)
今日、朝、肌寒かったです。夢屋に来ていつも通りの事をして洗い物のふき方をしました。昼食の親子どんぶりがおいしかったです。午後からゴミ捨て、近所の人の配達、工房と大きい部屋のやってない所、鉄板洗いをしました。終わってしばらく駅に行きました。売店は休みでさみしかったです。(タク)

10月16日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをした後、バターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

10月12日・金曜日(晴)
今日、晴れていて肌寒かったです。夢屋に来ていつも通りの事をして、洗い物のふき方をしました。昼食のカレーとサラダがおいしかったです。工房と大きい部屋のやってない所の掃除と鉄板洗いをしました。終わって駅に行きました。(タク)

10月11日・木曜日(晴)
台を拭いて粉作りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、くるみパンとバターロール作りをしました。パン丸めをしてケースを出した後、カナッペ作りをしました。(ミサ)

10月9日・火曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。掃除をしました。じゃがいもむきました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

10月5日・金曜日(晴)
粉量りをして、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。くるみパンとカナッペ作りをして片付けをした後、昼ご飯の準備で玉葱を細く切りました。(ミサ)

10月4日・木曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)

10月2日・火曜日(晴)
今日、朝から晴れていました。もう10月になりました。夢屋に来て花の水やりと大きい部屋の半分の掃除、パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方をしました。昼食のソーメン汁とおかずがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋のやってない部分と鉄板洗いをしました。売店が休みだったのでさみしかったです。(タク)

9月28日・金曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。掃除をしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

9月27日・木曜日(晴)
粉量りをして食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとメロンパン作りをしました。くるみパン作りをして片付けをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

9月25日・火曜日(晴)
今日、朝くもっていて寒かったです。夢屋に来て、花の水やり、大きい部屋の半分を掃除しました。一時して工房に行ってみたら、掃除機のコードがそのままだったので直していたら、発酵機の水が流れていたのでふきました。そして洗い物のふき方をしました。昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の残りの掃除、鉄板洗いをしました。一時して駅に行きました。昼からあったかくなってきました。(タク)

9月21日・金曜日(晴)
今日、朝、肌寒かったです。夢屋に来て、花の水やり、大きい部屋の半分を掃除、パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のおかずがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋のやってない部分の掃除、鉄板洗いをしました。終わったので久しぶりの本屋に行って駅に行きました。(タク)

9月20日・木曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パンとバターロール作りをして発酵機に入れた後、チーズパン作りをしました。(ミサ)

9月18日・火曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

9月14日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。じゃがいもむきました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

9月13日・木曜日(晴)
今日、朝から晴れていました。夢屋に着いて花の水やり、大きい部屋の半分の掃除をしました。一時してパンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方をしました。昼食のおかずがおいしかったです。午後から近所の配達、ゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをしました。終わって駅に行きました。売店は休みで寂しかったです。今日は、とてもあつい日でした。(タク)

9月11日・火曜日(くもり)
粉量りをして食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをした後、卵割りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。ケースをだしてカナッペ作りをした後、チョコクリームを袋に詰めました。(ミサ)

9月7日・金曜日(くもり)
粉量りをした後、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。くるみパン作りをしてケースをだした後、カナッペ作りをしました。(ミサ)

9月6日・木曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。くさとりをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

9月4日・火曜日(晴)
今日、朝から晴れていました。今日から立野から宮地まで電車が復旧しましたが、ゆっくり走っていました。夢屋に来て水やり、窓側の方の掃除をしました。代行バスが終わったので駐車場は静かで、なんだか寂しくなりました。一時して洗い物のふき方、タッパを洗いました。昼食のおかずとスープがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをしました。駅に行く途中(道の駅)で落とし物をしたので、とりあえず道の駅の人に聞きました。(タク)

8月31日・金曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとメロンパン作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、ご飯をつぎました。(ミサ)

8月30日・木曜日(晴)

今日、朝、晴れていました。夢屋に来て花の水やりをして、中に入ったらミユさんは物をかくしたらしくみんな困りました。洗い物のふき方をしました。昼食のおかずがおいしかったです。午後から、ゴミ捨て、近所の人の配達、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをしました。一時して、駅に行きました。着いたら雨が降り出しました。(タク)

8月28日・火曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。じゃがいもむきました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

8月24日・金曜日(晴)
今日、朝から晴れていてあつかったです。パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のおかずとデザートがおいしかったです。午後からゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをしました。一時して、駅に行きました。駅も代行バスも人がたくさんいました。とてもあつかったです。(タク)

8月23日・木曜日(雨)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースを出してショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。メロンパン作りをして発酵機に入れた後、くるみパン丸めをしました。(ミサ)

8月21日・火曜日(雨)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わんあらいをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

8月10日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

8月9日・木曜日(くもり)
今日、朝から雨が降っていました。一時したらやみました。パンづくり(バターのせ)洗い物のふき方をしました。昼食のおかずがおいしかったです。工房と大きい部屋の掃除、ゴミ捨てに行きました。一時して、駅に行きました。あとで雨が降り出しました。(タク)

8月7日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

8月3日・金曜日(晴)
今日、朝、風が吹いていたけどあつかったです。夢屋来て、水やりをして、パンづくり(バターのせ)洗い物をしました。夢屋のハヤシライスがおいしかったです。昼から工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗い、ゴミ捨てをしました。今日はあつかったです。一時して駅に行きました。(タク)

8月2日・木曜日(晴)
粉量りをして、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、くるみパン作りをしました。チーズぱんとバターロールを作った後、ケースを出してカナッペ作りをしました。(ミサ)

7月31日・火曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

7月27日・金曜日
(【夢屋】休み)

7月26日・木曜日(晴)
今日、朝から立野駅からバスで来ました。夢屋に来る途中あつかったです。夢屋に来て一時して、パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。午後から近所の人の配達、工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをして駅に行きました。今日はあつかったです。売店が休みで寂しかったです。(タク)

7月24日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、くるみパンの二次形成をしてバターロールとメロンパンを作りました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯作りをしました。(ミサ)

7月20日・金曜日(雨)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとチーズパン作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備でじゃが芋切りをしました。(ミサ)

7月19日・木曜日(雨)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんいっしょにのって夢屋に行きました。おこめをあらいました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いをしました。マリコさんのパンをもっていきました。(ミユ)

7月17日・火曜日(くもり)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとチーズパン作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

7月13日・金曜日(雨)
(【夢屋】休み)

7月12日・木曜日(雨)
(【夢屋】休み)

7月10日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、器具類を洗いました。(ミサ)

7月6日・金曜日(雨)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。くるみパン作りをしてケースを出した後、カナッペ作りをしました。(ミサ)

7月5日・木曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんといっしょにのって夢屋に行きました。おこめあらいました。たまごのしろみわけをしました。粉入れをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。市役所に行きます。(ミユ)

7月3日・火曜日(晴)
今日も朝から雨が降っていました。駅から夢屋にくる間も服が濡れました。パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方をして、夢屋便りの原稿を書きました。工房と大きい部屋の掃除、鉄板洗いをしました。駅に行く途中に阿蘇中学校の解体が進んでました。(タク)

6月29日・金曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。おこめあらいました。たまごしろみわけをしました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

6月28日・木曜日(くもり)
今日、朝、風が吹いてくもっていました。途中で腹痛がしました。一時したら、晴れてきました。一時して洗い物のふき方をしました。昼食のマーボー豆腐がおいしかったです。休憩して近所の人の配達、工房と大きい部屋の掃除、ゴミ捨てに行きました。終わって駅に行きました。駅に行く途中もあつかったです。今日は、売店が休みなので寂しかったです。(タク)

6月26日・火曜日(くもり)
片付けをして台を拭いた後、粉量りをして食パンケースにショートニング塗りをしました。たまご割りをして、食パン作りをした後、バターロールとメロンパンとチーズパンを作りました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。午後は、ナコさんの車に乗って、パンの配達をしました。パンの配達が終わった後、コンビニでアイスを買いました。(ミサ)

6月22日・金曜日(晴)
今日、久しぶりの通所です。朝から晴れ間も出て来ました。夢屋に来て水やりをして、ノートを見たらメモがない事に気付いて困りました。パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方をしました。ゴミがたまっていたので捨てました。昼食のみそ汁がおいしかったです。ゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除をしました。一時して駅に行きました。(タク)

6月21日・木曜日(雨)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備お片付けをしました。茶わん洗いをしました。マリコさんのパンを持っていきました。ミサキさんといっしょにもっていきました。お父さんがむかえにきました。雨すごかったです。(ミユ)

6月20日・水曜日(くもり)
今日は、お休みのマイちゃんの分までバリバリ元気なコウキ君♪
みんながナコさんから任されたお仕事「梅の下作業」をやっている時も、ずっと屈伸運動に励み、みんなを癒し応援してくれていました。時間がたつと、だんだん疲れ飽きてきたのか…少し不機嫌な感じになって来たので、ミユさんが梅を1コ持って近くに行ってあげると、それをパッと取り上げて、ポン!と投げた梅がキレイにミユさんのオデコに直撃していました。「もう、コウキ君〜!」とミユさんが悲鳴をあげると、コウキ君もタイミング良く「フフッ」と満足?の笑いをもらしていました。(コウキ&マイ)

6月19日・火曜日(雨)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

6月15日・金曜日(雨)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンを丸めました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いをしました。パンきりほうちょうとたまごぬりをながしのおくにかくしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

6月14日・木曜日(晴)
食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯作りで人参の皮をむいてじゃが芋切りをしました。次は、マリコさんの家にパンの配達をして、工房の掃除をしました。(ミサ)

6月13日・水曜日(雨)
今日はマイちゃんがお休みだし、天気も雨という事もあり、少し元気がないコウキ君でした。そこで、チーさんが持ってきた大好きな風船をあげてみると、とても喜んで遊んでくれていました。しばらくすると、その風船を抱きかかえてキュッキュッと変な音をたてて皆に嫌がられていたので、「コウキ君、それはやめようか?」と聞くと素直に止めて、今度は、ブンブン振ってみたり、ポンと皆の方に投げては投げ返して貰ったりして、「フフッ…フフッ」と楽しそうな声を出しながら遊んでいました。(コウキ&マイ)

6月12日・火曜日(雨)
台を拭いて粉入れと粉量りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

6月8日・金曜日(雨)
片づけをして粉量りをした後、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後くるみパンの二次形成をしてバターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯作りでじゃが芋の皮をむきました。(ミサ)

6月7日・木曜日(晴)
今日、朝からくもっていました。夢屋に来て洗い物のふき方をしました。昼食のマーボー豆腐がおいしかったです。ゴミ捨て工房の掃除・鉄板洗いをして駅に行きました。売店は休みで寂しかったです。(タク)

6月6日・水曜日(晴)
床拭き掃除をして粉を入れた後、天盤が汚れているかどうかをチェックして洗いました。天盤洗いが終わって拭いた後、昼ご飯の準備で玉ネギとじゃが芋を切りました。(ミサ)

6月5日・火曜日(雨)
今日朝からお父さんに車にのせてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンを丸めました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

6月1日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごしろみわけをしました。パンを丸めました。みんなでお昼準備とお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

5月31日・木曜日(くもり)
今日、朝くもっていました。夢屋に来て花だんの水やりをして、一時して洗い物のふき方をしました。昼食のみそ汁とデザートがおいしかったです。午後、近所の人の配達、ゴミ捨て、工房の掃除をして鉄板洗いをしました。それから駅に行きました。駅に団体客がたくさんいました。くまモンもきていました。売店は休みで寂しかったです。(タク)

5月30日・水曜日(くもり)
今日は、コウキ君もマイちゃんも元気に来てくれてみんなが揃ったので、賑やかな【夢屋】でした。明日はマイちゃんの24歳のお誕生日なので、会えているうちにみんなで一日早いお祝いをしてあげました。みんなが歌を歌ってあげているとコウキ君まで「う〜う〜、う〜う〜!」と歌っている?かのように体を動かしていたので、「何しているの!もう…」とツッコミを入れながらも、ますます元気になるマイちゃんでした。(コウキ&マイ)

5月29日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースを出してショートニング塗りをしました。食パンとメロンパン作りをして発酵機に入れた後、チーズパン作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをしました。(ミサ)

5月25日・金曜日(雨)
今日、朝から雨が降っていました。夢屋に来て一時してパンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のみそ汁とキャベツがおいしかったです。一時休憩して、ゴミ捨て、工房の掃除と鉄板洗いをしました。一時して駅に行きました。(タク)

5月24日・木曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみをわけました。パンを丸めました。バターをのせました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。竹原まりこさんのパンを持っていきました。(ミユ)

5月23日・水曜日(晴)
今日、朝、晴れていました。今日もあつくなりそうです。夢屋に来て水やりをして、チーさんが休みなので寂しいです。夢屋に来て鉄板ふきをしてメモをノートに写しました。気付いたらくもっていました。昼食のマーボー豆腐がおいしかったです。ゴミ捨てに行って一時して、駅に行きました。(タク)

5月22日・火曜日(晴)
台を拭いて、粉入れと粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、くるみパンの二次形成をしました。メロンパン作りをして発酵機に入れた後、カナッペ作りをしました。(ミサ)

5月18日・金曜日(晴)
台を拭いて、粉入れと粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースを出して、ショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとチーズパン作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

5月17日・木曜日(くもり/晴)
今日朝から自転車に乗ってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンを丸めました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。ツツジまつりにみんなで行きました。(ミユ)

5月16日・水曜日(くもり)
今日は、朝から蒸し暑い中、マイちゃんもコウキ君も元気にやって来てくれました。
いつも通り、屈伸運動に励むコウキ君と真剣な目で塗り絵を終わらせていくマイちゃん♪2人も、サンルームでミヤさんが新しいテーブルを作っているのを珍しそうに眺めていました。そこで、マイちゃんがぽつりと「何かしよんもんね〜」と言ったのに、コウキ君がタイミングよく「あ〜」と言ったので「ちゃんと会話になってるやん」と皆を笑わせていました。(コウキ&マイ)

5月15日・火曜日(雨)
今日、朝、雨が降っていました。電車は結構人が乗っていました。夢屋に着いたら雨が激しくなってきました。パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方とタッパ洗いをしました。昼食の親子どんとみそ汁がおいしかったです。一時して休憩して、ゴミ捨て、工房と大きい部屋の掃除をしました。皆が配達から帰って来たので駅に行きました。雨はやんでいました。今日は売店が休みだったので寂しかったです。(タク)

5月11日・金曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、天盤を出してバターロール作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

5月10日・木曜日(晴)
今日、朝は晴れていたけど肌寒かったです。夢屋に来て花に水やりをしました。今日も朝から眠かったです。一睡して洗い物のふき方とタッパを少し洗いました。昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。午後から、ゴミ捨て、工房の掃除、鉄板洗いをしました。一時して駅に行きました。駅にくまモン(中に人がいる)が来ました。今日は売店が休みで寂しかったです。(タク)

5月9日・水曜日(晴)
今日も、残念ながらマイちゃんはお休みでしたが、その分?もとてもノリノリで元気なコウキ君♪ チーさんから大好きな風船をもらって、さらに大ハッスル♡ 膨らませてもらった風船の結び目の所を口にくわえて、ソファーをバンバン叩きながら飛び上がって喜んでくれていました。今日は、ミユさんの【夢屋】通所9周年♪なので、ミユさんが「9周年おめでとうって言わんね!」と側に行き偉そうな感じで言うと、タイミング良くミユさんの顔面に風船をぶつけて「お〜コウキ君!何しよっと!!」と悲鳴をあげさせ、皆を笑わせていました。(コウキ&マイ)

5月8日・火曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。鉄板あらいをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

5月2日・水曜日(くもり)
明日から連休に入るので、【夢屋】もお休みになります。それがわかるから、寂しい?のか、ただ…疲れているだけ?なのか、マイちゃんがお休みな事もあり、少しご機嫌斜めなコウキ君でした。玩具でも遊ばず、いつもより自分の頭を叩いたりしていたので、ミユさんが側に行ってあげると喜んで、抱っこちゃんのように甘えてミユさんを喜ばせていました。少しするとまた元気がないので、お昼ご飯にはミヤさんが「明日から、連休だから奮発ハート」とカレーにチキンまでつけて下さったので、それを見たとたんタイミング良く「うぉ〜っ!」と叫んで、すごい勢いでパクパク食べ終えて、ソファーに戻ると「ん〜ん〜!」「ん〜ん〜!」と笑顔で屈伸運動が始まったので、「お腹すいていただけやろうね」とみんなを笑わせていました。(コウキ&マイ)

5月1日・火曜日(くもり)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンをまるめをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

4月27日・金曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンを丸めました。バターのせをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

4月26日・木曜日(雨)
今日、朝から雨が降っていました。夢屋に来て一時してパンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のみそ汁がおいしかったです。午後から工房の掃除、圧力鍋洗い、鉄板洗いゴミ捨てをしました。終わって駅に行きました。売店、休みだったので寂しかったです。今日もあつかったです。(タク)
4月25日・水曜日(くもり)
今日は、野々島学園の園長さんとスタッフの方が【夢屋】を見学に来て下さいました。残念ながらマイちゃんはお休みでしたが、コウキ君がその分も大ハリキリの屈伸運動で、賑やかにしてくれました。そこで、園長さんがコウキ君を抱っこして下さったり、玩具を使って一緒に遊んだりして、園長さんとスッカリ仲良しになれたコウキ君、ご満悦の顔で大喜びでした。(コウキ&マイ)

4月24日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りを全部して発酵機に入れた後、バターロールとメロンパンと新しいパターンのチーズパン作りをしました。ケースを出してくずをとった後、カナッペを全部作りました。(ミサ)

4月20日・金曜日(くもり)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンを丸めをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

4月19日・木曜日(雨)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをして、新しいパターンのレーズンパン作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

4月18日・水曜日(晴)
今日は、【夢屋】のみんなとナコさんとお爺ちゃんという人数で花見をする事になりました。いつもと違うお出かけに、マイちゃんとコウキ君もワクワク、ソワソワしていました。場所は、いこいの村にある「みんなの森」という公園です。一番きれいな桜の木の近くにシートを広げて、楽しいお昼ご飯♪ おいしいお菓子をたくさんもらえてゴキゲンハート笑顔なマイちゃんと、日差しが気持ち良いのか、ウットリ顔で、車イスごと倒れるんじゃないかと心配になる位、笑いながら激しい屈伸運動に励むコウキ君でした。(コウキ&マイ)

4月17日・火曜日(晴)
今日、朝、晴れていたけど寒かったです。電車は結構人が乗っていました。夢屋に来て一時してパンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方をしました。昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。ゴミ捨て、工房の掃除、大きい部屋の掃除をしました。午後からあつくなってきました。皆が帰って来たので駅に行きました。(タク)

4月13日・金曜日(くもり/雨)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。お父さんがむかえにきました。(ミユ)

4月12日・木曜日(晴)
今日、朝、晴れていました。電車は結構人が乗っていました。夢屋に来てしばらく、パンづくり(バターのせ)洗い物のふき方をしました。昼食のビーフシチューがおいしかったです。しばらく休憩して近所の人の配達、ゴミ捨て、工房の掃除、鉄板洗いをしました。終わって畑の草取りをしました。とてもあつかったです。(タク)

4月11日・水曜日(雨)
今日は、天気の悪い一日でしたが、そんな事おかまいなしのマイペースなのは、やっぱりこの2人…コウキ君&マイちゃんでした。マイちゃんは、昔懐かしの「セーラームーン」の絵本を持ってきて、みんなに見せてくれました。大好きなセーラームーンの目を真っ黒に塗っているのを見て、みんなが「うわ〜これまた、すごいね…」と笑っていると、コウキ君も良いタイミングで「キャーッ」と高い声をだして、さらに笑いを誘っていました。これもまた最近の出来事ですが、チーさんに付き添ってもらってトイレに用を足しに行った時、尿の流れる音が聞こえないチーさんが、様子がわからないので、「終わったら、立とうとしてね」と頼むと、「と…言ってもね〜」と面白い返事が返ってきました。(コウキ&マイ)

4月10日・火曜日(くもり)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、パン丸めをしてバターロール作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

4月6日・金曜日(晴)
今日、朝少し寒かったです。駅のホームで前の施設にいた人と会いました。夢屋に来てしばらくして洗い物のふき方とタッパ洗いをしました。昼食のみそ汁がおいしかったです。ゴミ捨てに行って工房の掃除、鉄板ふきをしました。終わって駅に行きました。(タク)

4月5日・木曜日(晴)
食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。今日のパン作りは、あっという間でした。次は、片付けをして昼ご飯の準備した後、工房の掃除をして残飯捨てに行きました。最後マリコさんの家にパンの配達をしました。(ミサ)

4月4日・水曜日(晴)
新年度に入って初めての通所に、満面の笑顔でやってきたマイちゃん♪おかげで私達もとても気持ち良くお仕事を始める事ができました。コウキ君は入所4年目に入り、マイちゃんは、ミヤさんに聞いてみると、中学校の時に実習生として【夢屋】に来てくれていた時から数えると、何とチーさんやミユさんと同じ10年目に入るらしいです。「すごい!」「やるね〜マイちゃん」「頑張ったね」とみんなで褒め続けると、「フッ」と、頭をかきながら可愛い照れ笑いしたあと、真剣な目でいつも以上に塗り絵に力が入っていました。そんなマイちゃんも5月で24歳♪ コウキ君を見つめる時も、すっかりお姉さんの顔で落ち着いています。コウキ君も、チラチラとマイちゃんを気にしては、ハンカチを貸してもらえる事を期待しています。マイちゃんが「いいよっ」と貸してあげると、まずは匂いチェックでウットリ顔をして、その後は口にくわえて、「フフッ」「フフフッ」と笑い声を出しながらとても嬉しそうでした。(コウキ&マイ)

4月3日・火曜日(雨)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンをまるめをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)

3月30日・金曜日(晴)
粉量りをして食パンケースにショートニング塗りをした後、掃除をして食パン作りをしました。バターロールとメロンパン作りをして、ケースを出した後、カナッペ作りをしました。(ミサ)

3月29日・木曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。パンをまるめました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

3月28日・水曜日(くもり)
今日は、残念ながらマイちゃんはお休みでしたが、コウキ君は元気にマイペースでした。午後から皆でナコさんの家の畑に行って、高菜折りのお手伝いをしました。コウキ君も車イスに乗せてもらってカッコ良く登場♪強風がふく中「ん〜っ!ん〜っ!」と叫びながら、イスがゆれるほどの勢いで屈伸運動に励んでいました。時々、ミユさんが摘んだお花を持って行ってあげると、すぐにポイッと放り投げて「あ!も〜っ」と楽しそうに遊んでいるのを見ると、まるで学校の行事で芋掘りに来ている親子のような雰囲気でした。(コウキ&マイ)

3月27日・火曜日(晴)
今日、朝晴れたけど寒かったです。久しぶりの通所です。電車は春休みなので人がたくさん乗っていました。一時して洗い物のふき方とタッパ洗いをしました。昼食のスープとおかずがおいしかったです。昼からあったかくなりました。ゴミ捨て、工房の掃除、大きい部屋の掃除をしました。終って駅に行きました。阿蘇駅も道の駅も人がたくさんいました。(タク)

3月23日・金曜日(雨)
粉量りをして片付けをした後、台を拭いて食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、パン丸めをしてバターロールと新しいパターンのチーズパン作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをした後、昼ご飯の準備をしました。(ミサ)

3月22月・木曜日(晴)
今日、朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

3月21日・水曜日(晴)
今日は、卒業式用のケーキ作りをしました。マイちゃんはお休みでしたが、コウキ君は、元気にやってきて、下準備をやっている皆を元気(応援)づけてくれていました。
その後コウキくんは、家族で福岡に行かないといけないのでお迎えがあり、少しの時間だけで早退しましたが、最後まで面白い動きを見せて、私達を笑わせてくれました。(コウキ&マイ)

3月20日・火曜日(晴)
今日、朝から歩いてチーさんの家に行きました。ミヤさんの車に乗せてもらって夢屋に行きました。ナコさんの車に乗せてもらっていこいの村に行きました。阿蘇少年少女合唱団第27期演奏会にみんなで行きました。バイオリンがよかったです。おわって、なこさんにごちそうをしてもらいまし。K先生がドーナツを持ってきてくれました。みんなでたべました。(ミユ)

3月16日・金曜日(くもり)
今日、くもっていて寒かったです。電車の中もだいぶ人が乗っていました。夢屋に来て一時してパンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のシチューがおいしかったです。ゴミ捨て、近所の人へ配達、工房の掃除、鉄板洗いをしました。一時して駅に行きました。(タク)

3月15日・木曜日(晴)
(【夢屋】休み)

3月14日・水曜日(晴)
今日は、コウキ君もマイちゃんも季節の変わり目に少々…疲れ気味?な様子でしたが、少しずついつものマイペースな2人にもどってきました。マイちゃんは、いつも食事用のエプロンをミユさんにかけてもらっていましたが、珍しくミユさんがお休みな為、代わりにミサさんにかけてもらい、可愛らしい照れ笑いを見せてくれました。それがよほど嬉しかったようで、自分のお気に入りのバックをコウキ君に「ホラッ!いいよっ」と貸してあげたりして喜ばせては「フッ」とまた自分も満足そうに笑っていました。(コウキ&マイ)

3月13日・火曜日(晴)
台を拭いて、卵割りと水入れをした後、粉量りをして食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、パン丸めをしてバターロールとチーズパン作りをしました。(ミサ)

3月9日・金曜日(雨/くもり)
今日、朝から雨が降り風も吹いて寒かったです。駅から夢屋に来て、一時して洗い物のふき方をしました。昼食のカレーがおいしかったです。山田小の生徒1人と先生2人がこの間の交流会のお礼に来ました。そして、ゴミ捨てに行って工房の掃除、鉄板洗いをしました。しばらくして駅に行きました。晴れ間も少しみえてきました。(タク)

3月8日・木曜日(くもり/雨)
最初に、卵割りをして、水を入れた後、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、パン丸めをしてバターロール作りをしました。(ミサ)

3月7日・水曜日(くもり)
今週は、マイちゃんだけでなくミユさんもお休みしているので、やっぱりいつもより寂しそうなコウキ君↴ それでも、何とかマイペースに復活して屈伸運動に励んでいました。お昼に大好きなマーボー豆腐を作ってもらって、大興奮ハート「ん〜フフっ!」と満足な笑い声をもらしながら食べていました。午後から皆がチョコクリーム作りをしている時も、「ん〜っ!」「バハッ!」「フフフフッ」と意味不明な発声したり、満面の笑顔で笑い声をだして、皆を応援?元気づけてくれていました。(コウキ&マイ)

3月6日・火曜日(雨)
今日、朝、風が吹いて雨が阿蘇駅から夢屋に来る途中雨が降っていました。夢屋に来たら、ミユさんは家の事情で休みでした。洗い物のふき方、タッパ洗いをしました。昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。昼食の洗い物のふき方をしてゴミ捨てに行ってキヨさんが配達の品物を取りに来たのでお誕生日プレゼントをあげました。それから、工房と大きい部屋の掃除をしました。皆が帰って来たので駅に行きました。(タク)

posted by あそびと at 13:50| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | メンバーの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月21日

最近、考えたこと。

唐突ですが、経営データの読み方の基本として現状分析と変化分析がよく上げられますが、あれは人間関係を始め、ほかのことにも言えるような気がします。

たとえば、ある会社の今年4月の売上高が1500万円、営業利益が150万円だったとすれば、現状では売上高営業利益率は10%ということになりますから、かなりの高収益です。でも、果たしてこの数字からだけで何も問題がないと考えて良いのか。現在の段階では高収益率でも、今後同じペースで利益率を維持できるかは誰にもわかりません。

そのとき役立つのが過去の同じ月のデータというものです。

もしも一年前の同月の売上高が1000万円で営業利益300万円だったとしたら。現在は売上高が1.5倍ですが、営業利益は1/3に落ちていることになります。つまり「増収減益」と言う、ある意味、もっとも事業を行う上で危険な状態(落とし穴)にあることが見えてきます。

企業においては、設備投資はもちろんのこと、人の増員や事業スペースの拡大、研究開発や広告宣伝など、短期的には収益性を犠牲にすることになっても規模の拡大を進め、「増収減益」となる場合も少なくありません。ただし、これは短期的に容認できる範囲であって、他の月次においても同様に減益が続いているとしたら見方を変える必要があります。
つまり月次決算のデータは、赤字への警告と言う、黒字の段階からすでに見逃すことができない重要な警告を発していることになります。

これと同じことが人間関係にも言えるのではないか。

ある人との関係が気まずくなるのには、その段階である決定的な原因が発生したようについつい私たちは考えがちですが、実は良好と思えているときにこそネジは徐々に緩みだしているのではないか、そう思います。また国と国との関係にも、たとえば日本と中国の軋轢が最近は尖閣諸島国有化一本に絞られがちですが、果たしてそうか。国交回復40年の間、様々なことがあったにしろ、むしろそれが慢性化し出したころからすでにどこかでヒビ割れは始まっていたのではないか。

小林秀雄が『プルターク英雄伝』という小論で、政治とは所詮「人性」であると言いっています。
そして近代になってから政治を眺める視点が「人性」から離れ、目まぐるしく変貌する物的生産の技術や機構、また法律や制度、党派や綱領、組織へと移ってきたことを前提に、それでも根本の「人性」で動くことは変わらず、むしろそのギャップが広がった点にこそ本質的な問題が孕まれていることを鋭く指摘しているのです。少し長いですが引用します。

「言葉にたよる或は権力にたよる成功は一時であろう。何故かというと、彼等は、民衆の真相に基づいた問題の難しさに直面していないからだ。彼等の望んでいるものは、実は名声に過ぎず、抱いているものは名誉心だけである。彼等の政治の動機は必ずしも卑しくもないし、政治の主義も悪くない場合もある。だが、彼等は、この宙に浮いた名誉心にすがりつき、これを失う恐怖から破滅するらしい。民衆から受けた好意を、まるで金でも借りたように感じ、これを返さねばならぬと思う。返さないのは恥であり、不正であると思い込む。だから、直ぐ新しい有益な政策を考え、もっと大きな名誉という借金をする。止め度がない。『彼等は、民衆に負けまい、民衆も彼等に負けまいという風に、名誉心に駆り立てる』。宙に浮いた正義心というものも、この宙に浮いた名誉心と結びやすいもので、同じ運動をするのである」

これを書いたのが昭和35年、う〜んと思わず唸ってしまいました。

政治家と個々の有権者の関係の力学が現在にもまったく過不足なく通じ、実に巧みに分析されています。
なるほどなあ、俺もついつい選挙なんかが近づくと、主義主張なんか柄にもないことをぶちまいて、『政治家』に負けまいとしているもんなあ。これじゃあ、だめなんだよな。なんてったって、彼らは虚構であり、自分らの無意識を絞り出したような写し絵に過ぎないんですから。同次元の言葉を使って対峙するのでなく、ぐっと隣に引き寄せ、着飾った言葉で防御した身ぐるみを「生活」という泥臭い実態でひっぺ返す必要があるのではないか、そう思うのです。

で、話を最初に戻すと、慢性化した段階というのは、この「生活」への寄り戻しがおろそかになり、何となくうまくいっているなという虚飾の言語や数値で彩られた世界に酔いしれているとき、実はじわじわと会社経営の傾きも、人間関係の軋轢や抑圧も、国と国との断絶も、その萌芽が始まっているのではないか、というのが自分を振り返ってみての最近ちょっと考えたことなのです。
posted by あそびと at 09:42| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月18日

2012・10/16発行。『夢屋だより』秋号から

蘇を始め豪雨災害被災地の一日も早い復興を心より祈願しております。
夢屋代表 宮本 誠一

あの悪夢のような7月12日から早くも三か月が過ぎようとしていますが、皆様その後いかがお過ごしでしょうか。私は6月末より持病の腰痛が悪化し横たわった状態となり、その間、、メンバー、スタッフがほぼ変わりなく運営を行ってくれ、代表としてこれほど有難く心強いことはありませんでした。また、多くの方々からお見舞いや励ましの言葉をいただき力を得、この場を借り深くお礼申し上げたいと思います。さらにそのような事情で今回の豪雨災害へのお見舞いも申し上げることができませんでした。改めまして遅くなりましたが心からのお見舞いと犠牲になられた尊い御霊へ哀悼の意を表すとともに、一日も早い復興を祈願したいと思います。
それでは6月から9月までの夢屋の行事をご報告したいと思います。
6/18、19北九州から就労継続支援事業所『夢屋』一行(9名)が訪問し、野菜tyに宿泊。
6/23 阿蘇市内から夢屋の見学と相談(2名)
7/20 益城町人権教育課題別研究会の協力者として、打ち合わせに出席(竹原)
7/31 益城町人権教育課題別研究会(本大会)に出席(竹原)
8/11 福岡とタイから夢屋見学と野菜tyに宿泊(3名)
8/17 阿蘇市内から夢屋の見学と相談(2名)
8/31 熊本北高等学校の吉田先生が訪問。
9/5 阿蘇市読書感想文コンクール審査委員の委嘱状頂く。(宮本)
9/6 中通小学校でメンバーの下村津代さんが講話。(竹原がサポート)
9/19 YMCAキャンプ場でメンバーの下村津代さんが講話。(竹原がサポート)
9/23 なかよし運動会をメンバーが見学。
9/24 小国養護学校から職場実習の打ち合わせのため職員来訪。
全国で、あるいは世界で様々な自然災害があるたびに「自然の驚異」と「生かされている」ことの有難さをこの欄でも述べさせていただいてきましたが、実際に身近に起こってみるとその現実は凄まじく、ただただ慄くばかりです。まずは「命を守ること」これが一番ではないか、そう思わずにはいられません。尊い犠牲を無駄にしないためにも、今後は住居の立地や森林河川のあり方も含めた安心して暮らせる生活基盤づくりが急務ではないかと思った次第です。
さて、夢屋の方は、メンバー、スタッフとも幸いにも大きな被害がなかったことは喜びにたえません。ただ私が腰痛と坐骨神経の痺れに苦しんでいたわけですが、そのとき感じたのは、人体に気温、湿度、そして気圧が大きく影響しているということでした。気圧のわずかな違いで痺れは増したり穏やかにもなりますし、曇りか晴れかで気分もかわり、それが腰の疼きへと影響します。考えてみれば筋肉は常に収縮や膨張を繰り返しており、神経への圧迫も変化するのは当然です。そのような中、「自然に生かされている」と言うのもおこがましく、人体は自然そのものでもっと日頃から自分の体と向き合い会話する必要があるのでは、そう強く思った次第です。50歳にしてこの当たり前なことに気付く未熟な代表ですが、しっかりしたメンバーやスタッフに支えられやってきております。どうかこれからも夢屋をよろしくお願いいたします。

ちょっと耳より・ご紹介コーナー
今回は、宮地駅前で「武双庵」という素敵な名前の不思議な(笑)お店を出しておられる上村さんです。上村米屋さんでお馴染みの方も……

Q:現在のお店を開くきっかけは、いつどんなことだったのでしょう。
A:先代の茂父(しげるちち)が昭和31年から始めまして、私達二人が後を継いでいる状態です。3年前から武双庵(「共にいっしょに歩く」の意)をプラスいたしました。体に良い物で、材料、作り手、すべて顔の見える商品を取り扱いたく、特に子どもさんに本物の味を知って食べていただきたいので、私が美味しく安心と思った物のみ販売いたしております。

Q:お仕事で苦労されている点、またやりがいのある点はどんなことですか。
A:上村さんちは“何屋さん”ですか? と良く聞かれます。店内を見ると、バイク、自転車、雑貨があり、お米、納豆、豆腐、黒豆、ドーナツ、サイダーetc 不思議なお店です(笑)
ゆっくりお話ができるように、テーブルや椅子をご用意しておりますので、趣味や育児のことなどいろいろなことに花が咲くところが楽しいです。

Q:これからの阿蘇市にどんなことを期待されますか。
A:女性が安心して出産、育児のできる社会であってほしいと思います。心豊かな子どもを育むためには、父母の精神状態が一番だと思います。一緒にご飯を食べ、ゆっくりお風呂に入り、読み聞かせをして床に着ける、そんな生活が無理なくできるような環境を阿蘇に要望します。

Q:最後に「夢屋」に一言、お願いいたします。
A:最初に買い始めたころよりパンがふっくらしてとても美味しくなっています。いろんな味を楽しませていただいています。ありがとうございます。もう少し、ゆっくりお話しができると嬉しいです。これからも力を合わせて美味しいパンを届けてください。金曜日を楽しみに待っています。

故郷の癒しを求めて               ☆中島 地利世☆
今年の夏は、九州の皆さまにとっても、【夢屋】(特に代表の腰痛)にとっても、災難な出来事があり…、色々と心労の絶えない毎日が続きました。
その後も「季節から夏が消えたんじゃ!?」と思う位、夏らしくない肌寒い日々や、雨の日ばかりが続き「また地盤がゆるむ…」と不安を隠せない人もいました。
そんな悪天候の影響?で、宮本さんの腰痛はよくなるどころかますますひどくなり…、【夢屋】に遊びに来られたお客さんと、よく「もう、宮本さんはいなくても大丈夫ですね〜」と冗談を言っていた天罰かと心配になってきたので、罪滅ぼしもかねて(苦笑)、ついでがあればすぐ、阿蘇神社の「願掛けの石」へ足を運んでみたりしていました。
パン作りのお仕事も少し多くなって、ナコさんが「お昼ご飯作りまで大変だろう…」と、今まで毎週(火)の一品だけだったのが…毎日のようにご馳走アイディアを練ってくれて、本当に有難い反面、「ずーっとこのままなら…」とまた図々しく罰あたりな考えも。(笑) 私は、地域の集まりにもときどき参加する事があるので、疲れがたまってくると体調が悪くなったり、パン作りでも上の空になってしまう時がふえて気持ちがついていかないので
「ストレスをためないためにも…」とネット検索していると、たまたま、8月にBSのTV番組で私の地元「対馬」が紹介されるという情報をみつけて、母と昔話で盛り上がりながら楽しく観ることができました。
当たり前ですが、どの場面も覚えのある場所ばかりで…とても懐かしく潮の香りが恋しくなり、【夢屋】の夏休みには、家族で遠出して八代の海まで行って来ました。
到着するなり潮の香りが強くて、目を閉じると対馬にいるような気持ちになれました。
残念ながら体調が悪かったので、海に入れない私に見せつけるように隣で「キャーキャー」
騒ぎながら泳ぐ嬉しそうな母を見て、羨ましくなり足だけつかってきました。
子供の頃のように何も考えず、日が暮れ始めるまで遊び、手足も潮でベタベタになる頃には心も体も少しは“リフレッシュ”出来て帰って来ました。
【夢屋】の2学期が始まると、ちょっと疲れ気味の人や今まで通りの人…逆に必要以上に元気になっている人…(笑)、変わらずマイペースなメンバーでした。
それでも、みんなで「色々、大変だけど…亡くなられた方や、今もまだ大変な思いをされている方のことを考えると、今…生きて普通に生活ができているだけで感謝の気持ちを忘れてはいけないね」とよく話しながら、宮本さんの負担を減らそうとメンバーがそれぞれ出来る事で協力し合い、今まで以上に団結力(絆)が深まった?ように感じられる数カ月でした。

盲導犬のストレスと平均寿命について
前号で、盲導犬と一般の飼い犬とのストレスと平均寿命の違いについての記事を書かせていただきましたが、盲導犬協会の方からご指摘があり、ネットのウィキペディアにもほぼ同じ主旨の内容が掲載されていましたので抜粋し、お詫びと訂正にかえさせて頂きたいと思います。
「『盲導犬は忠実に働かされるストレスために短命である』という俗説が存在するが、これは誤りである。全国盲導犬施設連合会が2006年7月24日付の毎日新聞にて発表したところによると、盲導犬の平均寿命について初の全国調査をした結果、約13歳という結果が出た。これは平均的なペット犬の寿命よりも1歳ほど長い。調査は全国にある独立した9盲導犬施設のうち、8施設を対象に、盲導犬413頭の平均寿命を算出したもの。一方、飼い犬は東京農工大大学院の林谷秀樹助教授らが3,239頭を調べたもので、平均寿命は11.9歳であった。盲導犬は仕事の性質上、ペット犬よりも健康管理に気を配られていることが理由と推測されている。また、『仕事をそもそもストレスと感じない性格の犬を選んで育成している』と回答する団体がある」
とのことです。皆様のご理解のほどをよろしくお願いいたします。

すばらしい青年との出会い     佐藤清子
昨年まで一時間、なんなく歩けたのに、今年の夏ごろからはたと歩けなくなった。
先日は、ちょうどちとせさんと会った時、今にも倒れそうになって、パッとちとせさんの方に倒れこみ、あわや倒れる寸前で助けてもらった。しかも彼女はその後も、私が心配で家まで後ろをついてきてくれてたそうで、後からその話を宮本さんから聞いて、ほんとうにありがたいなあと感激もひとしおだった。
とにかく阿蘇市になってから車が多くなったように思う。スピードも出している車も多く、歩きにくくなった。
そんな中、こんなことがあった。
私が疲れて、田んぼのあぜに腰かけて足を放りだして休んでいると、ちょうどそこにオートバイが止まった。二十代後半くらいの青年がおりてきて、私に「起き上がれますか?」といきなり尋ねてきた。「いいえだめです」私が答えると、背中から手でかかえあげ、「大丈夫ですよ。イチ、ニ、のサン」の掛け声で持ち上げてくれた。
「立てたじゃないですか。じゃあ今度は、一歩歩いてみましょう……、ほら歩けるじゃないですか」私も「ホントだ。がんばります」と返事し、歩き出した。
青年はバイクのハンドルを握って、そんな私をじっと見ていてくれていた。
実を言うと私は、その青年が近づいてきた時、もしかするとバックの財布を取られるんじゃないかと疑っていた。それで緊張して体を固くしていたのだ。歩きながらもとても悪いことをしたなあとに帰ってから悔やんでいた。



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2012年09月27日

最近の読書から。

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
『私家版・ユダヤ文化論』(内田樹著)読む。認識と伴に「概念」をつくり出すかに見える営みは、実は本質としてアレゴリーとしての人間が存在せんがためむしろ外界から要求され(たかを装いつつ)、「主」と「客」が逆転した中に意味づけてきた寓話であることを「反ユダヤ」思想から抉剔しようとする。 at 09/23 10:28
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2012年08月21日

積み重ねてきた動画投稿に思うこと。

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
昨年9月から始めたYou tube
への動画投稿。274本、動画再生がのべで10000回を超えた。内容は8割がた「夢屋」関係のもので、たくさんの方に日々の活動の様子を知っていただけたのではないかと感謝しています。これからも変わらず日常の一コマを気軽にお見せできればと思っています。
 at 08/17 23:58
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2012年07月04日

スポーツ観戦から

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
ロンドンオリンピック、女子バスケット最終予選、カナダに敗れ二大会ぶりの出場ならず。吉田、大神の涙のインタビュー。ホント、見ていて辛いものがあったが、でも、最後までよくやった。少なくとも、小柄でありながらスピードとテクニックに満ちた彼女らのプレースタイルは、世界に誇るべきものだ。 at 07/01 17:06
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2012年04月27日

最近読んだ本から。

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
ドナ・ハート/ロバートW・サスマン『ヒトは食べられて進化した』読む。人類誕生以来、発掘される表層を掬い取り考察を加えることも重要だが、ごくごくシンプルに歴史と向き合えば「さもあらん」という事実は見えてくる。火や石槍を使い他の動物を狩猟する遥か以前にこそ「脳」の進化の謎はあるのだ。 at 04/06 22:24
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2012年03月07日

2012・春号の「夢屋だより」です。

2011年度もいよいよ終わりです。本当にありがとうございました。 
                             作業所「夢屋」代表  宮本 誠一

今年度の最初の号の日付を見ますと3/1になっています。当然その時点では大震災も予想していませんでしたが、水道管の破裂や新燃岳の噴火の話などを織り交ぜ自然の驚異について書かせていただいていました。阿蘇で生活し18年、やはり身を持って感じるのは冬の容赦ない厳しさと、一度ニ度とこの時期から少しずつ気温が上昇していくときの春の到来のありがたさです。3/11を前に、被災地の皆様のご健康と復興を心からお祈りするとともに、改めてこの大地に生かさせていただいていることへの感謝の気持ちを表したいと思います。それでは1月から3月までの行事を、予定を含めご紹介いたします。

1/5 夢屋の仕事始め。

1/6 パンづくりが終わってからオルモでの茶話会。パン配達をしながら、市役所への挨拶回りと 阿蘇神社への初詣へ行きました。

1/11 エルパティオ牧場に勤めている善野さん、関口さんが訪問され、牛肉のプレゼント。

1/14 バレンタインデーに感謝の気持をこめ、お客様へチョコレートをプレゼントしました。

1/25 日産サニーの店長下津さんから文具をいただきました。

2/6 夢屋を支えてくださっている竹原幸範さんが94歳のお誕生日を迎えられ、メンバーみんなでお祝いしました。

2/20 阿蘇市障がい者福祉計画策定委員会へ宮本出席。

2/22 東京から長崎、佐賀、天草と回った大学生が野菜ty(のなてぃー)宿泊1名

2/27 山田小学校6年生(児童10名と職員2名)とのパンづくりをとおした交流学習。ミユキさんが『みんなダーリン』などを熱唱し、大いに盛り上がりました。

3/3 夢屋の大ベテラン佐藤清子さんのお誕生日を、勤続17年と合わせお祝いさせていただきます。

3/7 新潟から野菜ty(のなてぃー)に宿泊2名

3/22 山田小学校の卒業記念ケーキ(55個)注文をお受けしました。

 人の記憶は一年を通して、季節折々の風景や匂いとも結びつき刻印されているようで、やはりあの日が近づくにつれなんともいえぬ無力感と閉塞感にとらわれがちになるのは、多くの皆さんも一緒だと思いますし致し方ないことだと思います。そんな中、私自身、この一年自分に言い聞かせてきたのは、こんなときだからこそ、しっかりと足元の夢屋の活動を地道にやっていこうということでした。日々の夢屋での生活、パンづくり、仲間との語らいが大好きで、なくてはならないものだから笑顔でやってくるメンバーたち、それを温かな眼差しで見守って下さる地域や行政関係の皆様、そしてパンを買っていただくたびに労いの言葉をかけ励まして下さるお客様。これらいろんな方たち誰一人欠けても夢屋はやっていけませんし、その願いや思いが結実したところにすばらしい活動の道も開けているのだと、勝手ながら思い、深い畏敬の念とともに自分への原動力にもさせていただいています。

2月初め、旧くからの友人である労働センターの倉田哲也さんが、グループ・ホームから通っているメンバーを連れ遊びに来られました。何でも土日はホームの管理人不在(休養)のため、入所者も家へ帰らねばならないらしく、日頃いない自宅への帰宅のため時間を持て余し気味になる彼女を気にかけてのドライブとのことでした。足で操作できる車に車椅子の彼女を連れての外出です。くらっちゃんやるな、と思いながらも、ああ、もし彼がいなくなったらこんな動きを休暇日にわざわざやってくれる人はいるんだろうかと、ちょっと微妙な気持ちになりました。また、ホームでの生活の問題点を切々と訴える彼女の言葉に耳を傾けつつ、それぞれの生きる場所に当然ながら取り組まねばならない課題が山積していることも実感しました。

 わたしたちにとっての“あの日”は、いつも今ここにある、そう思い、これからも精いっぱい、皆様とご一緒にやって行けたらと思っているところです。



☆彡「祝マーク♪成人式♪」☆彡 \(^o^)/                                                ☆中島 地利世☆

今年初のお便りは、一番下の妹のお話を書かせて頂きたいと思います。

私には妹が2人いますが、一番下は13も年齢が離れていて、とても可愛いのが自慢の(姉バカ?)元気な働き者で、家族の中では一番のしっかり者です。(笑)

そんな元気な妹でも、生まれてきた時はとても危険な状態でした。

最初、担当医のお話では「双子」との事でしたが、もう一人の方は胎内で死産になってしまいました。そのあと母の容態が急変し、予定よりも早い出産で一人残された妹も、へその緒が首に巻きついて窒息気味で、仮死に近い状態で生まれて来ました。顔色も見られた状態ではない位に赤黒く腫れあがり、誰もが諦めた雰囲気の中、すぐに保育器の中に入れられました。

それでもなんとか元気にすくすく育ってくれて、退院後、お風呂に入れるのを手伝ったり、オムツをかえたり、近所の公園に遊びに行く時や、お店に行く時も必ず一緒にすごして、伯母さんからは「どっちが母親かわからない」と笑われるほどで、嬉しい事に初めてちゃんと覚えた言葉が「ちぃ」(私の名前)でした。布団に寝かせると夜泣きが激しくて、眠ってくれないので母と交代で一晩中、帯で背負い眠らせたりしていました。

歩けるようになってからはいつも活発すぎて、ちょっと目を放すと風呂で溺れてヒヤヒヤさせられたり、私の職場先の店に母と来て遠くから私の姿を見つけては、母から手をパッと放し「ちぃ〜っ!!」と大声で叫びながら走って来ては転ぶという危なっかしい一面もありました。 「泣くかな?」と思ったけど手をかさず、ジッと見つめているとスッと自分で立ち上がり、「イヒヒッ」と変な声で笑い、ピースしながらおどけてみたりしていました。

小さい頃から肌が弱くて、よく持病のアトピーや「手足口病」という初めて聞く炎症に悩まされてもいましたが、それ以上に大きなケガや病気をする事もなく無事に成長し、今年成人式を迎え、母の知人のご厚意により念願の振袖を着る事ができたことはとてもうれしいことでした。口には直接出しませんでしたが、親に負担をかけたくないらしく式に出るつもりのなかった妹もこのときばかりはとても嬉しそうでした。小学校の担任の衛藤先生に私がこっそりメールで写真を送ると、感動して泣きそうになったという返事がきました。私もキレイな晴れ着姿を見る事が出来て、生まれて来たばかりの頃の事、これまでの事を思い出して胸がいっぱいになりました。 

20年もの月日の中では色々な出会いや別れがあったと思いますが、その中でも妹と衛藤るみ先生と出会ってくれたその繫がりで、私自身にもかけがえのない【夢屋】との大切な出会いをもたらしてくれました。衛藤先生にはもちろん、妹にも心から感謝しています。

妹のお話をしだすと止まらなくなり、まだ…たくさんありますがきりがないので(苦笑)

これ位にして、私の今年の“目標”といえるものは、いよいよ4月で【夢屋】10年目に入りますので、これまでのように健康管理や仕事面での注意は当たり前ですが、また何か一つでも「変わったね」と言われる新しい成長が出来ればと身の引き締まる思いでいます



 
父の亡くなった後の我が家(前半)        佐藤清子

父は、私が小学3年のとき亡くなった。養子(私たちの父)を失った祖父は、いかに私たちを育てるか、どんな決心をしたのだろうか。まずは最初に、男の子3人にはお縁をふくことを言った。小学4年を頭にまだ幼かった兄弟には大変かと思ったがさっさと終わって雑巾を洗って水もすて、こっそりコマをもって遊びに行った。

私はじいちゃんと庭の草取りをした。竹べらみたいなものをつくってくれていて、よくとれた。「じいちゃん、きつか。やめようか」「そうかそうか」庭石に腰かけて話した。母は少しでもお金になるならと編み物のけいこを午後と夜の2部に無理を言ってお願いして励んだ。一番下の弟が母の帰りが遅いので「まだか、まだか」と何度も聞くのでつい雨戸を開け、「もう帰りよらすよ」と言って、夜闇の向こうを指差してなだめたりもした。

そんな中、うれしいこともあった。小学校では年に一度、産業祭がある。どこの家からも野菜をたくさんもってくる。私の家はどうなるかと心配していたら、じいちゃんが、大根、カブ、にんじん、白菜など準備してくれていた。いつの間に畑仕事をしていたのか。私たちは、驚きとともに、ありがとうありがとうと言って、登校した。
posted by あそびと at 09:35| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

2011.『夢屋だより』年末号より

2011年も支えていただき、大変ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。                        作業所「夢屋」代表 宮本誠一

今年もいよいよ最後の「夢屋だより」となりました。ニュージーランドに引き続き3.11という未曽有の大震災から始まり、今も被災地の方々は厳しい環境にありますが、まずはこの冬を無事に過ごされますことを心よりお祈りする次第です。夢屋は、小嶋康揮さんの扁桃腺手術の入院もありましたが術後の調子も良く、一安心。また中通フェスティバルでの中島地利世さんと夢屋の出会いを題材にした演劇発表など、より密度の濃い交流が出来たと、製作に当たって頂いた児童と職員の皆さんへの感謝と共に喜んでいるところです。それでは10月半ばから12月までの行事をご報告いたします。

10/30 宮本が応募作『蓬莱』で九州芸術祭文学賞熊本地区優秀賞に選ばれる。

11/1〜8 小嶋康揮さん、扁桃腺切除のため入院。9日から元気に夢屋へ。

11/6 中通フェスティバルで、『阿蘇に来てよかった〜一歩ふみ出す勇気』観劇。

11/14〜16 一の宮中学校から職場体験(2名)

11/17.18読売新聞記者が障がい者の就労に関する記事執筆のため取材。

11/20 オーガニックの祭典〜熊本ゆうきフェスタ(農業公園)にメンバーと共に出かける。

11/29 康揮さんの元中学校担任が訪問。懐かしい話に花が咲く。

12/2 阿蘇市人権フェスタにパン販売のため出店。皆の力で完売。

12/22 パンづくりの仕事納め。

12/23 ご注文を受けたクリスマスケーキづくり。

12/26 夢屋と野菜ty(のなてぃー)の大掃除と忘年会。

多くの犠牲者を前に喪に服する年となりましたが、それだけに一日一日の有りがたさを実感し初心に帰り活動できたような気がします。改めてこの阿蘇の地で素晴らしい活動の場を与えて頂いていることに深く感謝する次第です。

さて、いよいよ来年は夢屋の設立18年目であり、最も長い佐藤清子さんが17年、中島地利世さん、高倉深雪さんは10年目を迎えることになります。コツコツと積み上げてきた共に活動してきた日々がこのような長い年月になることは、同じ地域に生活してきた証ですし、これまでパンを購入することで支えて頂いたお客様、そして地域の方たち、行政関係者の皆様のご理解とお力の賜物と心よりお礼申し上げます。

世の中は、エネルギー問題や経済面で大きな転換点に差し掛かっていますが、どんなときも基本は「人」でしょうし、それぞれが自分自身の生活を見つめつつ、これからも原点を大事にし、日々の活動を通しての肌と肌の触れ合い、言葉の掛け合いの中からメンバーやスタッフ、そして地域の皆様との「信頼」や「絆」をつくり出していければと願っているところです。皆様の新年のご多幸を心より祈念し、今年最後のご挨拶に変えさせて頂きたいと思います。

≪今年一番の大きな出来事≫*中島地利世*

今年の秋、10月3日に中通小学校の「人権学習」で私へ講話の依頼があり、小学校時代から【夢屋】に入所するまでの事をお話してきました。私のこれまでの生い立ちを真剣に聞いて頂き、終了後に質問も沢山して下さいました。     

今まで、宮地小学校と内牧小学校でも講話の授業はありましたが、どちらも質問内容が聞こえずらくて困った時などは、いつも宮本さんに頼りっぱなしでした。今回も、宮本さんは一緒に来てくれるけど「一切、口は出さずにどこまで一人でやれるか…」という事で、やっぱり最初はちょっと不安もありました。

当日、中通小学校に到着するといきなり校長室にお招き頂いて、緊張でガチガチになっている私に、校長先生がとても優しく話しかけて下さって、すこしずつ気持ちを落ち着けていく事ができました。授業が始まると最後までずっと、担当の衛藤先生がすぐ隣に座って、通訳士のような役割で話しやすい雰囲気にして下さったので、本当に有難かったです。結局、今回も自分一人の力では進行できず衛藤先生に助けられっぱなしでしたが、いつかは、担当の人にも頼らず、一人で流れを作っていける力をつけていきたいと思いました。

その授業の内容を、11月6日に中通小学校で行われた《中通フェスティバル》の人権劇で使って頂き【夢屋】の皆で見に行って来ました。ほとんど私が話した通りに演じて下さって、特にお祖母ちゃんと一緒に過ごした時の事がとても上手で、その頃の様子を懐かしく思い出しながら見ていたら泣きそうになったので、ときどき周囲のお客さんの顔も見てみると、たくさんの方が真剣に見て下さっていたので、本当に嬉しくて幸せな気持ちになりました。

劇が終わったあとも、児童の皆さんが疲れた顔一つされずに集まって下さって、わざわざ私達が見に来た事へのお礼を言ってくださいました。私こそ感謝の気持ちでいっぱいなのに上手に気持ちを表現できませんでしたので、この場を借りて書いてみました。ちょうど「阿蘇人」になって十周年!の秋に、これまでの私の生い立ちを素晴らしい形で沢山の方に発表して下さった「中通小学校」のみなさん、本当に有難うございました。そして「このご縁もやっぱり【夢屋】があってこそのものなのだな」と、改めてみんなの大切さを確認できる経験でした。


高岳につぶやく           佐藤 清子

機械がうといということもあり、私たちは車の中では、あんまり話さないようにしている。話にのって夫の運転があやしくなったこともあり、何かにびっくりしたときなど、たとえばイタチが道路を横切って、私が「あっ」と言うと、もうおしまいである。だから車の中ではほとんど話さないように努力している。この無言のパンの配達の時間に、高岳の稜線を眺めることにしている。母の顔にとても似ているところがあるからだ。まゆ毛、まつげ、鼻と口のところ。老いた母の顔にそっくりなのだ。そこに向かって話しかける。ときには訴えるように話しかけ、つい涙ぐんでいることもある。このち無言の時間が大好きである。


〜ちょっと耳よりコーナー 〜 今回は、夢屋のお隣、オルモ・コッピアさんです。

Q1 オルモ・コッピアさんは、オーガニック・レストランと聞いていますが、どんなところにこだわっておられるのでしょうか?

A オーガニックやマクロビオティック、無添加や手作りという事をキーワードにしています。ただこれには、どれにも「完全」をつける事はできず、お客様に聞かれた時などは、「出来るだけ」という言葉をよく使います。できるだけオーガニック、できるだけ無添加。完全オーガニック、完全マクロビオティックというと、どうしても提供できるものに制限されてしまうので、色んな方が来られる食事の「場」としての楽しさを出来る限り損なわず、かつ作る側としては体に害のあるものは提供しない、この両方の思いでお客様との信頼関係の中でバランスをとり、日々運営しています。

Q2 オープンして4年目になられますが、これまで目指してこられたこと、またこれから目指していきたいことは何ですか?

A 震災から9か月になりますが、阿蘇に移住してこられる方の多さに驚きました。阿蘇に求められているもの、阿蘇でしか出来ない事など色々あると思っています。なかなかお店一軒では出来ることも限られますが、大変嬉しいことに移住してこられた方や新規就農された方々がお店を尋ねて来られる事も増えてきています。そんな方と小さなつながりを沢山作り、小さな仕事上の関係(オルモと夢屋さんのような)を築いていけば、阿蘇にとって何かちょっとした新しい流れになるのではと思っています。

Q3 観光地であり農産地でもある阿蘇で営業されながら、「食」を通じてこれからどんな夢を描いておられますか?                                

A 全国から阿蘇を目指して引っ越してこられ就農されている方が多いということは、やはり、阿蘇という土地の持つ魅力であり求心力だと思うので、元からここに生まれ育った者としても何かしないと情けない話で(笑)、僕らには幸いにもこれまでやってきたお店や料理がありますので、この場を最大限にいかし、阿蘇・農業・食、辺りを繋げる何かを是非やりたいと思っています。鋭意模索中です。

Q4 最後に、「夢屋」に一言、お願いたします。

A 隣りにあって、勝手口から真正面でいつも見ています。最近オルモもメンバーが3人に増えさらにドタバタしていますが、夢屋さんはその倍ですよね。色々ありながらも、なんだかんだで凄く安定感のある夢屋さんに感服です。楽しそうな様子も、聞こえてくる歌もすっかり日常にとけ込んでしまって気にもとめなくなっていますが、無くてはならないものにもなっていると改めて感じます。これからも末永く宜しくお願い致します。皆さんくれぐれもお体に気をつけて、元気で頑張って下さい。
posted by あそびと at 10:36| 熊本 | Comment(3) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月09日

2011.10/4〜10/21

10月21日・金曜日(晴)
台を拭いて粉を量った後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、発酵機に入れた後、バターロール作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

10月20日・木曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

10月19日・水曜日(晴)
秋のプレゼント企画で、たくさんのお菓子に当選♪ マイちゃんにもあげようと持って来ていたら、残念ながら、また歯医者でお休みでした。少し寂しそうにしていたコウキ君も、たくさんのお菓子の音を聞いたとたん「☆彡キラッ!」と目が光り、特に、大きな人参の形の袋に入ったお米のお菓子を見つめていたので、そのままあげるとブンブンふってみたり、かるく揺らして音を楽しんだりしていました。(コウキ&マイ)

10月18日・火曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)

10月14日・金曜日(くもり)
今日、朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

10月13日・木曜日(くもり)
今日、朝からくもっていました。電車の中で知らないおばさんがベラベラと喋っていました。夢屋に来る途中Aさんに会いました。そして、中を掃除して、洗い物のふき方して、ミユさんが御飯を炊いてないので注意されていました。昼食の赤飯、シチューがおいしかったです。ゴミ捨て、工房の掃除、鉄板洗いをして、一時して駅に行ったら、売店は今日も休みで寂しかったです。(タク)

10月12日・水曜日(晴)
今日は、週に一度のマイちゃんデー(水曜日)会えると思って絶好調だったコウキ君♪ でも、またお休みと連絡が入ってちょっとションボリしてしまいました。(+o+) それでもいつものように何とか復活↑してくれてマイペースに過ごしていました。「今日は、帰宅途中にコスモス園に行ってみよう」という話になって、行ってみると、残念ながら今年はコスモス園は開かれていませんでしたが、すぐそばでたくさん咲いている場所があったので、そこで、みんなで写真撮ってもらいました。少々…眠そうにしていたコウキ君も、しっかり自分で歩いてコスモス畑の前に座ってくれました。(コウキ&マイ)

10月11日・火曜日(雨/晴)
粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、パン丸めをしてバターロール作りをしました。ケースを出してカナッペ作りをしました。(ミサ)

10月7日・金曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。(ミユ)

10月6日・木曜日(くもり)
今日、朝からくもっていました。夢屋に来て中を掃除して、パンづくり(バターのせ)洗い物のふき方、昼食のカレーがおいしかったです。一時休憩して、ゴミ捨て、近所の人の配達をして、それから駅に行きました。駅は売店が閉まっているので寂しかったです。(タク)

10月5日・水曜日(くもり/雨)
最近、「マイちゃんが来る曜日」という事を覚えたかのように、週のうち水曜日になると一段と朝から絶好調のコウキ君♪ソファーの上から窓越しに外を眺めては、「まだか…」と待ち遠しい様子。(笑)マイちゃんが来ると屈伸運動にさらに激しさが増し、時間になっても来ない(休み)時は、ションボリ?少し元気がなくなってしまいます。今日は残念ながらお休みの日で寂しそうでしたが、それでも持ち前の明るさで何とか復活して、みんなを笑わせてくれます。おやつの時間に、ミヤさんが淹れてくれたとても美味しいコーヒーを皆で飲むと、コウキ君も「ブブブブッ」「フフフフッ」と変わった笑い方で喜んでいました。(コウキ&マイ)

10月4日・火曜日(くもり)
粉量りをして、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、昼ご飯作りをして、くるみパンとバターロールを作りました。次は、卵わりをしてブッフェルのクリーム作りをした。(ミサ)



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2011年11月27日

同人誌『詩と眞実』750号記念祝賀会へ行ってきました。

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
同人誌『詩と真実』の750号記念の合評会と祝賀会に行ってきた。62年半、同人や会員の費用だけで運営し月刊誌としてやってきた先輩方のご苦労には頭が下がる思い。初刊当時の冊子を拝見し、地方の文化の灯を絶やさぬとの使命感あってことと改めて痛感。http://t.co/g8fpRkFW at 11/27 01:07
posted by あそびと at 11:28| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月31日

2011.『夢屋だより』秋号より

夢屋より秋のご挨拶をさせていただきます。

作業所「夢屋」代表  宮本 誠一

朝夕めっきり冷え込むようになりましたが、皆様お変わりありませんでしょうか。夢屋のメンバーもおかげさまで無事、夏を乗り切ることができました。さて、夢屋の最近の大きな出来事としては、やはり今月13日で小嶋康揮さんが18歳の誕生日を迎えたことではないでしょうか。パンの配達の先々で、またかつて担任された先生方が、背が伸びたことや体ががっしりしたことだけでなく表情も豊かに、凛々しくなったことに目を細められています。そのような日常での出会いが可能なのは、何より地域に作業所があるからですし、近くに生きる者どうしの一番の良さではないかと思っています。これからも阿蘇市の皆様とともに、日々の運営をさせて頂ければこれ以上の幸せはありません。夢屋を代表いたしまして改めて感謝申し上げます。それでは9月から10月までの行事を御報告、御紹介いたします。

9/8.9 一の宮中学校3年生の2名が福祉体験にやってきました。

9/10 阿蘇観月お茶会へメンバー5人で行ってきました。

9/13〜15 阿蘇中学校2年生の3名が福祉体験にやってきました。

9/22. 益城中央小から人権学習担当の倉岡先生が訪ねてこられました。

9/23. 野菜ty(のなてぃー)に岡山から7名の宿泊がありました。

9/24.  野菜ty(のなてぃー)に熊本市内から7名の宿泊がありました。

9/24. 宮本の高校の後輩で臨床心理士の竹下さんが訪ねてこられました。

10/1 ネットの『You tube』で、夢屋の様子を動画配信し始めました。

10/3 中島地利世さんが中通小学校の人権学習の授業に招かれ、児童、職員の皆さんにお話ししてきました。児童からはたくさんの質問もあり、大変有意義な時間となりました。

10/5 阿蘇市障がい児・者親の会の例会に宮本、竹原が招かれ、講話してきました。

10/13 小嶋康揮さんが18歳の誕生日を迎えました。

10/15 阿蘇市読書感想文コンクールの第2回審査会に宮本が出席。

中通小の人権発表会に向けての取り組みの一環として劇制作があるそうですが、その関連としてメンバーの中島地利世さんに聞き取りの取材があり、また学校で話す機会を頂いたことは本人にとって大きな自信になったようです。細かな打ち合わせや準備に奔走された人権教育担当の衛藤先生を始め、温かな言葉で励まして下さった校長先生、そして全児童、職員の皆様方に深くお礼申し上げます。このように、この二カ月も皆様に支えられ運営できた日々でした。これから阿蘇は本格的な冬を迎える季節となりますが、人と人のつながりがあれば心温かく過ごせるのではと願っているところです。どうか皆様方もお体、くれぐれも気をつけられ、更なる日々のご健勝をお祈り致しております。


≪第二の故郷 阿蘇≫    *中島地利世*

23年の月日を過ごした故郷(対馬)から阿蘇へ出て来て、この秋で10年が経ちました。生まれ育った島を出て、最初は「対馬」より遥かに広い熊本県に住むという事に少し不安もあり、それ以上に「今度は、どんな町かな〜☆彡」という期待の方が大きかったです。

阿蘇に来てまず、最初に大変だったのは、やっぱり「道」や「方言」を覚える事でした。私は方向音痴なので地図を片手に、時には混乱しながらひたすら歩き続け「内牧」を目指すつもりがなかなか到着せず、近くの人に聞いたら、何故か「乙姫」に着いていたり…。地名を覚えるのも一苦労でした。例えば、「内牧」の読み方は(うちまき)と思っていたり、最初は「蔵原」「竹原」の(原)を普通に(はら)と読むのかと思っていたら、皆さん(くらばる)や(たかわら)と読んでいて、「ん!? 何て言ったの?」とわかりづらかったです。後は方言ですが、たたでさえ会話が聞き取りにくいのに「なんばしょっと?」・「そぎゃん」・「こぎゃん」・「せからしい」と次々に聞きなれない言葉が出てきて、「いいよらした」「おらっさん」とか言われると、もうすでに何を言われているのかさっぱり分からず、全く未知の世界にいるようでした。

【夢屋】にお客さんが来られて、初めて聞く方言がでて困っていた時に【夢屋】のメンバーの中に細かい方言まで詳しい人がいてくれたおかげで、たくさん意味を教えてもらい、何とか少しずつ会話が理解できるようになりました。10年の間に、本当に楽しい事つらい事たくさんありましたが、その中で、家族同様に思えるほどの大切な人達との出会いもあり、後はなんといってもこの大自然…「対馬」では必ずどこかに海が見える場所に住んでいましたが、今度は山に囲まれている所で暮らせて、どちらもわざわざ観光客がお金を出してまで旅行に来るほど景色も空気も素晴らしい場所なので、よくよく考えればこんなにも恵まれた大自然の中で暮らせて「本当にありがたいな〜」と改めて、日々…忘れがちな感謝の気持ちを思い出させてくれます。

最後になりましたが、一つだけ最近のちょっとした出来事を書いて終りたいと思います。ある知人に、近くで「不審者」が生活していると噂を耳にして、「今、本当に大変な世の中になってきているね…」など話していた時、夜に冬物の着替えを入れたリュックを背負い、兄の家から自宅に帰っている途中、男性に「ちょっと…」とわざわざ手招きで呼びとめられて、「あんた、ゴミを散らかしっぱなしはいかんばい!ちゃんと片付けてくれな!」といきなり言われたので、「はっ!?」とビックリして「何の事ですか!?」と聞き返すと、「あんたどこから来たつね?…最近、夜になったらこのあたりをウロウロしとるやろう!」と聞かれて、私も焦っていて「はい、だって宮地に住んでいますから、昼も夜もウロウロしていますよ!?」とよく考えたらおかしな返事をしてしまい、話していくうちに「あ〜、あんたこの辺の人やったつね?」と誤解がとけてホッとして、「まぁ…確かにこのタイミングでこの大荷物じゃ誤解されるかもな…」と一人で笑いながら帰りました。阿蘇に来て10年目にして「不審者」に間違えられるとは思いもよりませんでした。大震災後の余波がいろんな形で、この遠く離れた阿蘇にもきているのかもしれないと、ちょっと心配になりました。


弟の逝去          佐藤 清子

弟が亡くなった。その数日前、兄弟とその連れ合い、私の娘たちも見舞いにいったばかり、これほど揃うのは珍しく、弟も喜び、ベッドから起き上がり、喉がやられているので声を失い、筆談で皆の質問に答えていた。弟の家へ向かう車の中で、弟嫁に、ごめんね! こんなに早くに逝ってしまってごめんねと、何回も言っていた。66歳だった。退職して、まだまだたくさんやりたいこともあったろうに。息子も無事就職し喜んでいたし、娘夫婦には孫二人に恵まれていた。でも、まさかこんなにも別れが突然やってくるとは。弟が高校三年と浪人一年のとき、私は大学に行っていてそのとき熊本市内の安アパートで二人暮らしをした。弟は受験勉強に、私も卒論や教員採用試験に励んだ。その甲斐あって弟は無事に熊大に、私も教員に採用された。その後、弟は建設会社に就職し、情熱的に働いた。愛する伴侶も見つけ、精一杯、生き切った人生だった、そう今は思っている。

〜簡易宿泊所『野菜ty(のなてぃー)』からのお願いです。〜

一昨年のオープン以来、たくさんの方にご利用頂き、ありがとうございます。さて、いよいよ今年も冬の季節を迎えますが、営業と致しましては12月〜3月までは冬眠させていただきます。それでもどうしてもとおっしゃる方、素晴らしい雪景色とマキストーブの炎、降るような星座を見ないと落ちつかないお客様には、ぜひ次の点をご注意願います。まず、下の道路から野菜ty(のなてぃー)までは積雪のため、何か所かツルツルになります。昨年も、だいぶ溶けたから大丈夫かなと寄られた方が、一箇所を突破するのに四苦八苦、たいへん御苦労をされました。そこで車を含め寒さ対策(スタットレスまたはチェーンの準備、厚着、火の燃やし方など)をよろしくお願いいたします。お湯も、省エネ対策も兼ね、マキを使っておりますので、室内設備は完備してはおりますが、気持ちとしてはアウトドア感覚でよろしくお願いいたします。

<ちょっと耳よりコーナー・ご紹介コーナー>〜第14 回目〜

今回は、一の宮町のしにせ『菓舗佐藤』さんで〜す。

Q:菓子屋さんはを開くきっかけは、いつどんなことだったのでしょうか。

A:明治38年に、初代庄太郎がつくったお店です。現在は3代目と4代目で製造しています。

Q:お仕事で苦労されている点、またやりがいのある点はどんなことですか。

A:食べ物なので、衛生面と鮮度には、すごく気をつかっています。やりがいは、皆様に「おいしかった」とか、喜んでいただけたときにやっていてよかったなあと思います。

Q:最後に、「夢屋」に一言、お願いいたします。

A:心のこもったおいしいパンを、いつもありがとうございます。
posted by あそびと at 10:50| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

2011・メンバーの日記7/29〜9/30

9月30日・金曜日(くもり/雨)
台を拭いて食パンケースにショートニング塗りをした後、粉量りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、くるみパンとメロンパン作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

9月29日・木曜日(晴)
今日、朝寝坊してしまいました。夢屋に来て、中の掃除、パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方をしました。昼食のマーボー豆腐がおいしかったです。一時して、休憩して近所の人の配達、工房の掃除、ゴミ捨て、ゴミ箱洗いをしました。しばらく過ぎて、一の宮中学校の保護者の人が来て挨拶して駅に行きました。今日は売店が休みなのでさみしかったです。(タク)

9月28日・水曜日(晴)
今日は、残念ながらマイちゃんはお休みでしたが、またまたその分コウキ君が元気に頑張ってくれました。「あっあっあっブブブブ」と、元気な発声(奇声?)出して喜んでいたコウキ君が、ふと窓越しにオルモさんの駐車場を見つめていたので「何だろう?」と皆で見てみると、革細工の手作り品を販売されている男性が車から色々な物を準備していて、それをずっと珍しそうに、目を丸くして見つめているコウキ君でした。その男性がタンクトップ一枚のたくましい腕で作業されているのを見て、コウキ君もまるで意識しているようにTシャツの袖をまくりあげていたので、可笑しかったです。(コウキ&マイ)

9月27日・火曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。バターのせをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

9月22日・木曜日(晴)
今日、朝から晴れていました。一ヶ月ぶりの通所です。夢屋に来て、掃除して、洗い物のふき方をして昼食のカレーがおいしかったです。先にゴミ捨て、鉄板洗い工房の掃除をして、しばらく待って、近所の人に配達に行きました。  小学校の先生が来て自己紹介とかをして、お菓子を食べて、一時して駅に行きました。(タク)


9月21日・水曜日(晴)
午前中、コウキ君に「今日は、マイちゃんが来る日だよ♪」と言うと、「ん〜っ!」と言いながらお得意の柔軟ポーズで体を二つ折りにしたり、ソファーの上で飛び跳ねたりして喜んでいました。「そこまで喜んで貰えるマイちゃんは、幸せ者やね」と噂していると、タイミング良くマイちゃん登場!少し元気がない感じのマイちゃんでしたが、そこはいつものコウキ君パワーで笑ってもらって元気復活♪ だんだんいつものペースに戻り、楽しいお喋りが始まりました。落ち着くとキョロキョロし始めたので、「ぬり絵を始める?」と聞くと可愛らしく笑って、始めるととても真剣な顔に豹変してどんなに小さい鉛筆でも持ち方を工夫して黙々と終らせていきます。たまに、自分の方を見てもらえずちょっと機嫌が悪くなるコウキ君を見て「ホラッ❤」とハンカチを貸してあげて、コウキ君が大人しくなると得意気な顔で「フッ」と満足して、完璧お姉ちゃんになりきっています。(笑) 午前中のお仕事が終わって、昼食の後に大好きなミカンを貰って大興奮のマイちゃん、まだ数に余裕がある内は、ミユさんの口元に「アーン」と食べさせてあげようとしたり、コウキ君に「良いよ」と分けてあげたりしていましたが、だんだん少なくなると、どんどん自分の口に運ぶのに必死になってきたので可笑しかったです。(コウキ&マイ)

9月20日・火曜日(雨)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。コウキ君のアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。バターのせをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)

9月16日・金曜日(雨)
今日朝からお父さんの車にのせてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。バターのせをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)

9月15日・木曜日(晴)
今日は、3日間続いた【阿蘇中学校】福祉体験の最終日で、みなさんが昨日まで以上に、自分からたくさん「やらせて下さい」とか「持ちます」と言ってくれたり、「これは、どうしたら良いですか」と聞いて来てくれて、時には、他にどんなパンのメニューがあるのかも興味を持って聞いてくれて嬉しかったです。お昼ご飯には、久しぶりに大好きなピザを作る事になって、はりきって用意していたら、担当の先生が3人も様子を見に来て下さって、すごく賑やかなお昼ご飯作りになりました。3日間、暑かったり寒かったりの中、バタバタな時もあって、ちょっと疲れもでましたが楽しくすごす事ができました。(チー)

9月14日・水曜日(晴)
今日は、一の宮中学校の福祉体験2日目。生徒の皆さんが、マイちゃんに会いたがっていましたが…残念ながら、今日は、お休みでした。その分コウキ君が一生懸命、色々な動きで笑わせてくれました。恒例のグルテンのお勉強が始まり、コウキ君にも生地を触らせてあげると「んば〜っ!」と高い奇声をあげて驚かせていました。昼食を平らげて満足した後、皆さんで色々な楽器をならしてミニ音楽会みたいになって、音が大好きなコウキ君はますます絶好調♪音に合わせてバンバン飛び跳ねて、まるで踊っているようでした。(コウキ&マイ)

9月13日・火曜日(晴)
まず、阿蘇中学校の人達と一緒に粉入れをして、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。阿蘇中学校の人達と一緒に食パン作りをして、パン丸めをした後、チーズパン作りをしました。パンを丸める時、体重をかけないと、生地が傷みます。次は、阿蘇中学校の人達と一緒にケースを出してカナッペ作りをしました。カナッペを作る時、早くする所と雑にする所は全然違います。今日の昼食はカレーでした。(ミサ)

9月9日・金曜日(くもり)
今日は、「一の宮中学校」の福祉体験2日目にして最終日。皆で協力し合い、楽しく過ごす事ができました。お昼ご飯に【夢屋】名物とも言えるぬりかべ(ゲゲゲの鬼太郎に出てくるキャラクター)のような分厚いお好み焼きを前に、半分は断念してしまいました。(笑)ケガもなく無事お仕事を終えて、途中で様子を見に来られた担当の先生も、生徒さん達の顔を見てホッと嬉しそうに喜んでおられたので、安心しました。(チー)

9月8日・木曜日(晴)
今日、自己紹介をして一の宮中学校の人達と一緒に食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。まず、玉ネギ切りをした後、一の宮中学校の人達と一緒にパン丸めをして、チーズパン作りをしました。次は、ケースを出して一の宮中学校の人達とカナッペ作りをした後、昼食の準備をしました。今日は、カレーを食べました。(ミサ)

9月7日・水曜日(晴)
今日も2人とも元気に揃い、朝から早速、お気に入りのマイちゃんのハンカチを貸してもらって上機嫌なコウキ君と、ミユさんの一発芸に大ウケなマイちゃんでした。その後ハンカチをくわえて遊ぶコウキ君を見て、「コウキ君、面白い♪」とますます笑顔のマイちゃん。その笑顔を見てコウキ君も「フフッ」と満足の声をもらします。良いコンビです。❤それからは、マイちゃんの大好き家族のお話が続きます。特に多いのは、やっぱり愛犬「ピーチ」についてですが、「どっかいったもん」とか「ゆうこときかんもん!」と言い最後には、「バカタレよっ」とよく口にしますが、話している時とても優しい笑顔で話すので、「本当にピーチが好きなんだな〜」と伝わってきます。話し疲れて少しお昼寝するマイちゃんを見て、今度は、寂しく?退屈?になったコウキ君が、起こそうと、マイちゃんの方に手を伸ばしたりしてみます。そこで、「ん!?」とマイちゃんが顔をあげると、パッとソファーに戻り、知らん顔 (笑)「何やってんの!(^_^;)」とマイちゃんに突っ込まれていました。(コウキ&マイ)

9月6日・火曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキ君のアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。バターのせをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後からに行きました。(ミユ)


9月2日・金曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、バターロールとくるみパン作りをしました。(ミサ)

9月1日・木曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。バターのせをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。トイレ掃除をしました。(ミユ)

8月31日・水曜日(晴)
最近、マイちゃんが2週間に一度ではなく前の様に毎週来てくれるようになって、おかげでコウキ君も絶好調で、朝からバリバリ元気に大声で叫んだり、飛び跳ねたりして、皆まで笑わせて元気にしてくれます。そこで、コウキ君がお気に入りのマイちゃんのハンカチを貸してもらえると、ますます屈伸運動に力が入り、ハンカチを口にくわえたまま、「フフフフッ」「フフフフッ」と何度も笑いをもらしていました。午後から【阿蘇中学校】の先生が来られた時も、知っている先生だから特に緊張する事もなく、一緒に写真を撮ってもらったりして喜んでいました。コウキ君の様子を見て笑いすぎたり、お家の事や愛犬の事についてお喋りしすぎて、若干疲れ気味でウトウト眠りかけていたマイちゃんも、その先生が持っていた封筒の音がしたとたんパッと目が開いて見つめていたので「お菓子やないよ」と突っ込まれると、照れ笑いをしながら頭をポリポリかいていました。(コウキ&マイ)

8月30日・火曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。バターのせました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶碗洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

8月26日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)


8月25日・木曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れた後、パン丸めをして、メロンパン作りをしました。(ミサ)

8月24日・水曜日(晴)
今日も、コウキ君&マイちゃんコンビは、バリバリ元気で絶好調♪午後から久し振りにアオキさん達が訪ねて来て下さる事になって、早めの昼食に大喜びの2人…(笑)、急いで片付けてお迎えする準備して、アオキさん達が来られると、たくさんのお土産(葡萄や古着など)にコウキ君もマイちゃんも大興奮❤特にマイちゃんは、葡萄を早く食べたくてしょうがない様子でジッと見つめていました。(笑) 一生懸命ご機嫌な所を見てもらおうと、激しく屈伸運動に励み、アオキさん達を驚かせていました。帰られる時に「また来るからね」と言って下さって、握手を求められるとハイタッチしてきたコウキ君を見て喜ばれていました。(コウキ&マイ)

8月23日・火曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみをわけました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。一人でおるすばんをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)


8月19日・金曜日(くもり)
今日朝からお父さんの車に乗せてもらいました。コウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきてくれました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。熊本県立熊本ろう学校に行きました。松永和治校長先生がやさしくて、たくさんはなしをきいてくれました。うれしかったです。(ミユ)

8月18日・木曜日(くもり)
粉量りをして、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れて、パン丸めをしてバターロール作りをしました。(ミサ)

8月12日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)

8月11日・木曜日(晴)
粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。パン丸めをしてバターロール作りをして後、食パン作りをして、発酵機に入れました。ケースを出してカナッペ作りをしました。(ミサ)

8月10日・水曜日(晴)
今日からマイちゃんも復活して、大好きなお父さんとお母さんに送られて元気にやってきました。自分の席に座り、何やらリュックの中身をゴソゴソと探り出した物は、コウキ君のお気に入りの「ハンカチ」と「ポーチ」♪マイちゃんもこれをコウキ君に貸してあげる時を楽しみにしているようです。早速コウキ君に貸してあげると、いつものようにまずは匂いをチェック!その後、口にくわえたままの屈伸運動が始まります。それを見たマイちゃんも大喜びの笑顔で、「もぅ…コラッ」とかツッコミを入れたりしています。おかげで午前中はコウキ君もマイちゃんの元気も調子良く、お昼ご飯に大好きなカレーを平らげて、「午後からも期待できるぞ♪」と思っていたら、マイちゃんが少し疲れてお昼寝したとたん、コウキ君も元気がなくなり始めて、動きが寂しくなっていきました。そこへ、天の助け…熊本聾学校からN先生ご夫婦が訪ねて来られて、お客さんが来る事が好きなコウキくんも、元気が復活!大きな発声にマイちゃんもスッカリ目が覚めて「ま〜た言いよるもん」と呆れ笑いをしていました。2人の歓迎ぶりにN先生ご夫婦も喜んで下さり、「ホッ❤」と嬉しい気持ちになりました。(コウキ&マイ)

8月9日・火曜日(くもり/晴)
今日、朝から暑かったです。昨日も11時半ぐらいまでTXを観ていたので眠いです。立野で電車に乗る前に団体がたくさんいました。夢屋に来て中を掃除してミサさんとチーさんから誕生日プレゼントもらって、パンづくり(バターのせ)洗い物のふき方をして、タッパを洗って、昼食の準備して、みそ汁、おかず、漬物がおいしかったです。一時して、工房の掃除、ゴミ捨て、朝やれなかった所の掃除をして、皆が配達から帰って来たので、駅に行ったら人がたくさんいました。(タク)

8月5日・金曜日(くもり/雨)
今日、朝からくもっていました。電車は乗客がたくさん降りて来ました。駅に着いたら小雨が降り出しました。夢屋に着いたらチーさんが休みで寂しかったです。中を掃除して日誌のメモをして、パンづくり(バターのせ)、洗い物のふき方をして、ゴミを片付けて、昼食のおにぎりとおかずがおいしかった。一時休憩して、工房の掃除、鉄板洗い、ゴミ捨て、途中から雨が降ってきました。猫が夢屋の看板近くで寝てました。一時して、駅に行きました。駅はたくさん人がいました。(タク)

8月4日・木曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんは休みでした。それから夢屋に行きました。たまごしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。(ミユ)

8月3日・水曜日(晴)
今日は、年に一度の「同和教育 課題別研修会」というのがあってコウキ君も皆と一緒に参加しました。お洒落なTシャツにデニムの短パンという夏らしいファッションでバッチリ決めてきたコウキ君♪阿蘇市の先生方がたくさん参加されるので、「緊張して、調子が悪くならないかな」と心配されていましたが、逆に絶好調で、念のためにと持って行っていた折りたたみ式のベットの上でバンバン飛び跳ねたり、屈伸運動に励んだり…ミヤさんの発表にタイミング良く拍手をしてくれたりして先生方を笑わせてくれました。おかげで和んだ雰囲気の中で皆も発表しやすかったと思います。(コウキ)

8月2日・火曜日(くもり)
今日、朝からくもっていて電車から乗客がたくさん降りて来ました。阿蘇駅に着いたらあつかったです。夢屋に来てMさんからもらったアイスキャンディを食べて、とてもおいしかったです。中を掃除して、洗い物のふき方、昼食の準備をして、昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。一時休憩して、工房の掃除、ゴミ捨て、朝やってない所の掃除をしてみんなが配達から帰って来たので駅に行きました。駅は、人がたくさんいました。(タク)

7月29日・金曜日(晴)
今日、朝あつかったです。駅に行ったら人がたくさんいました。夢屋に来て中を掃除して、パンづくり(バターのせ)、洗い物、昼食の準備して、昼食のコーンスープ、にころがし、漬物がおいしかったです。休憩していたらMさんが現れたので、ビックリして、この暑いのによく喋るな〜と思いました。工房の掃除、鉄板洗い、ゴミ捨てに行って戻って来てしばらくして駅に行きました。駅は人がたくさんいました。(タク)

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2011年09月29日

おかげさまで、簡易宿泊所「ノナティー」も少しずつ軌道に乗ってきました。

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
阿蘇の山中に簡易宿泊所を始め二年、この連休に14名の宿泊者がありました。台風、道路の凍結、屋根裏に棲みつく生き物、薪や飲料水の準備…まさしく自然は色んな有難さと教訓を示してくれます。適度な「不便さ」、これを大事にしていこうと考えています。http://t.co/kRpc9YzE at 09/25 00:27
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2011年09月28日

最近、ノナティーに宿泊されたお客様の感想をご紹介します。

息子たちが結婚して、家族が増え、初めての家族旅行でした。久々に童心にかえることができ、笑顔のある楽しい時間をもつことができました。楽しい時間、すばらしい施設をありがとうございました。(岡山より。家族7人にて)

今回も、自然の中、楽しい時間を過ごさせていただきました。季節も良く、天気にも恵まれ、気持ちよかったです。野菜ty(のなてぃー)も4回目? 5回目? の常連でこさせていただき、いつも感謝しています。今回は、星がきれいと聞いたので、食べること、飲むことだけではなく、夜空を見上げ、星もよく見ることができました。ヘビのぬけがらを3体も発見!!  子どもも大人も満足の一泊二日でした。また次回を楽しみにがんばります。たいへんお世話になりました。また寄らせてください。(熊本市内より)

「饒舌は銀、沈黙は金」ということわざを含め、自分の生活実感の中で「沈黙」を会得したい気持ちはいつもあり、あの手この手で挑戦するも、やはりおしゃべりな自分をぬぐい去ることはできなかった。大学に入り、万策も尽き、「やはりこれが俺なんだ」と無理に納得させようと心がけていた新年、家族で野菜ty(のなてぃー)を訪れ、大自然とストーブの前に座り、自分の中に確かな「沈黙」が存在していたことを知りました。薪割りの中に、その沈黙を知った気がします。そして、沈黙の中に、自分の過去や思い出、家族、友達と過ごした日々を感じました。次回は彼女と一緒に来ようと思います。(北の国で影を獲り損なったゲド)

4か月ぶりに戻ってきました!! 夏とは違って暖炉の温かな炎がゆらゆら揺れて、なつかしい気持ちになりました。(彷徨のカメラ小僧)

この森に向かって叫んだら、どこまで声が届くのかと思い、力一杯叫んでみました。叫び終えたあと、ふと目の前を見たら、森ではなく、一本の木が立っていました。森全体には伝わらなかったかもしれないけど、この一本の木には伝わりました。その木と言葉を交わしたように思います。木と少し見つめあったあと、野菜ty(のなてぃー)までの道のりを走り続けました。到着した野菜ty(のなてぃー)の雪の上に飛び込むように寝転がったときに見えた空は、とても済んだ青色でした。(時間なんか盗ませないモモ)

家族と友人5人、お世話になりました。長いような短いような、夢のようなひとときでした。ありがとう♡  (星の王子様と旅をしたかったモモの母)

2011年09月05日

8/3 阿蘇市教職員人権同和課題別研修会の先生方の感想のいくつかをご紹介します。

「わからない」という答えでもいいんじゃないか、というレポートの中の言葉が印象に残った。「わからない」という否定的なマイナスの言葉ではなく、一つの壁を乗り越え出された「わからない」という言葉は深い。今、目の前にいる子を見つめ、寄り添い、その子の生きやすさを考えた“幅”から生まれた「わからない」という言葉に力強さやたくましさを感じた。一人一人をしっかりと見つめ、その子にあった状況を考えることが“幅”という心のゆとりのように感じた。一人一人顔が違うように、感じ方や価値観が違う。できないという否定的な捉え方ではなく、考え尽くされた計画や思いや意図やねらいがあれば、計画通りにいかなくても、何らかの気づきや成長がある。私が教師としてやらなければならないことは、明確な意図を持って取り組むことである。一人一人が力を持っていると信じ、成長し続ける子どもたちのために、まずは教材研究に力を入れていきたい。学級経営や授業においても、一人一人のよさをいかしていくために、喜びをともに見つけていける教師を目指していきたい。本日は、誠にありがとうございました。

本日の研修、たいへんお世話になりました。私は今年の3月に大学を出たばかりなのですが、これまで“大人”の障がい者の方と触れ合う機会をもっていませんでした。それは、私自身に積極性がなかったことと、そして学校教育で障がい児の方にウェイトを置いた障がい者理解に関することを受けてきたことに原因があるように思います。ですので、今回、障がいを持った大人の方の生の声を聞きことが出来、非常にいい経験になりました。最後に、宮本さんが念を押されていた「幅」を持つ、この考え方は、自分の中で、ある種冷や汗が出るものでした。というのも、今の今まで、自分の意図した教育、自分の意図した成長の方ばかりに目を向けていて、子ども達のありのままの姿に気づくことができていなかったのではないかと感じました。今回の研修は私にとって大変勉強になるもので、とても感謝しています。本日は大変、ありがとうございました。

自分の中で、もやもやした部分が、発達保障か共生かというところ。どちらが重要かということではなく、どちらも重要と考えつつも、やはり共生が子どもにとって大きいかなと感じた。今、担任している子どもを見ていると、全く共感できた。支援学級では見せない表情……、笑顔や安心感の表情を交流学級ではたくさん見せてくれている。交流の子どもとは同じ内容の学習は難しいけれども、その中で何かを学んでいると思う。支援学級では、どちらかというと発達保障に偏っているが、それはそれで大切にしながらも、共生を見直して対応していきたいと思う。「幅」をもちつつ。○みゆきさんと宮本さんの牧伸二、とても楽しく聴かせてもらいました。これからもたくさんのバージョン(歌詞)をつくって、いろいろな場で聴かせてほしいです。次は歌にしようかなとなったときのみゆきさんの準備のすばやさ、手際のよさに思わず、オーッと声を出してしまいました。みゆきさんのレパートリーになっているようですね。○ちとせさんの手話の方言の説明、よくわかりました。私も初めて知ることで勉強になりました。○みさきさんの笑顔や受け答え、さわやかでした。○コウキくん、長時間がんばっていました。宮本さんの言うように、話がわかっている感じでした。

話が進むにつれて、今日のテーマの「幅」について、自分なりに考えをめぐらせていました。そして、最後に宮本さんがちょっと強い口調で言われたときに、ストンと落ちました。でも、わかっているつもりでも、言葉で説明できないうちはわかっていないのだと思います。私が、もう一度説明できたとき、今日の話しをしっかりわかったということなので、説明しに(遊びも兼ねて)夢屋さんに行きますね。コウキさんもミサキさんもミユキさんも、チトセさんも、とっても自分らしさが出ていて、輝いていました。いろんなことがありながら、しっかりつながっていることがよく見えて、すごいなあ……と。もちろん、知ってはいましたが、それ以上に今日はつながりを感じました。夢屋のスタッフの皆さん、お疲れ様でした。温かいだけではなく、状況の厳しさ、ここまでくるまでの大変さも伝わる、何というか……身の引き締まる会でした。ありがとうございました。

今日は、会場係(人権教育担当)ということで、最後に感想が書けず家に帰って、みなさんの感想に目を通して「さて!!」と自分の感想をカンチューハイを飲みながら書いています。夢屋さんの話は、知人の先生からよく聞いていました。(彼女とは前任校からの付き合いで10数年近い付き合いです)今日、研修が終わって、大観峰をのぼって、家に向かいながら、最後の私の発言の後の宮本さんの厳しい表情と鋭い口調の言葉がぐるぐると回っていました。あのときおっしゃっている意味がよくわからず、終了後、また話をさせてもらいましたが、それでもまだスッキリしなくて、最後に話した後、余計ににまたモヤモヤしてきました。今日の「共生の教育」の研修でお話を聞いて、ここ数年?? ずっと思ってきたことが少し整理できていた気がして、気持ちも少し軽くなっていたのですが、なんかまたドーンときました。自分が知ったかぶりをしているのか? 分かったふりをしているのか? 私自身の中の障がい者に対する偏見? 差別心? 私が本物に出会っていないから?……いろいろと考えました。でもいきついたところは、「くそ〜〜!!」「知ら〜〜ん」「わから〜〜ん!!」でした。……本当に「わかりません」。でも宮本さんのレポートの中にも「わかりません、で良い」ってあったよな〜〜。確かにこれまで勉強してきた解放運動、本物の同和教育に出会って『人間らしく、自分らしく生きること』のすばらしさを教えてもらったのですが、父が亡くなってからのこ2、3年、自分が今、何がやりたいのか? どう生きたいのか? ということが分からず宙ぶらりんの状態のわたしがいます。だから宮本さんの話を聞いても、何で先生を辞めてまで、ここまでできると?(すごいとおもうけど)、わたしはできん!! 何ががそこまであなたを突き動かしてると!? と卑屈な見方でしか見れない私がいます。本当に、人間って弱いです。でもこんな状態の今も、自分に与えられたものなのだと……。最後に本をすすめられましたが、本を読んでその人を理解したつもりになる自分も嫌でしたので、手が伸びませんでした。すいません。その人と会って、自分の目で見て、聞いて、感じて、心が震えないとその人に近づけた気がしないので……。全くつながり方が下手くそな私です。でもすてきな仲間はたくさんいます。宮本さんとは、ほろ苦い出会いになりましたが、やっぱり最後のあの表情が忘れられません。“言葉”って難しいですね。伝えるって難しいです。またいつかどこかで出会い直しができるといいなあと思っています。今、一番解放されていないのは私です……。
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2011年08月12日

2011・メンバーの日記4/19〜7/29

7月29日・金曜日(晴)
今日、朝あつかったです。駅に行ったら人がたくさんいました。夢屋に来て中を掃除して、パンづくり(バターのせ)、洗い物、昼食の準備して、昼食のコーンスープ、にころがし、漬物がおいしかったです。休憩していたらMさんが現れたので、ビックリして、この暑いのによく喋るな〜と思いました。工房の掃除、鉄板洗い、ゴミ捨てに行って戻って来てしばらくして駅に行きました。駅は人がたくさんいました。(タク)

7月28日・木曜日(晴)
今日、朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんといっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。トイレそうじをしました。(ミユ)

7月27日・水曜日(晴)
今日は、皆で【夢屋便り】発送の準備作業している時、コウキ君も横で「ん〜ばっ!ん〜ばっ!」と意味不明な発声をしながら、屈伸運動に励み、皆を応援してくれていました。終って休憩にスイカを食べました。勢いよく食べるミユさんの出す音にコウキ君も「何だろう…」と興味津津に見つめていたので…一口食べさせてあげたら、可愛らしく口を尖せて「プッ」と種を吐き出していました。(コウキ)

7月26日・火曜日(晴)
台を拭いて、粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、発酵機に入れながらチーズパン作りをしました。パン丸めをして、メロンパン作りをしました。ケースを出して、カナッペを作りました。今日は、私の誕生日なので皆がお祝いしてくれました。(ミサ)


7月23日・土曜日(晴)
今日朝から歩いてチーさんの家に行きました。ミヤさんの車にのせてもらいました。マコさんと4人で夢屋に行きました。阿蘇きぼうのなつまつりがありました。かきごおりとやきそばとソーセージをごちそうしてもらいました。カラオケうたいました。ちゅうせんかいがありました。イスがあたりました。とてもたのしかったです。(ミユ)

7月22日・金曜日(晴)
今日、朝くもっていました。電車は乗客が少し多かったです。電車降りたらあつかったです。夢屋に来て、中を掃除して昼食のスパゲティがおいしかったです。少しだけお客さんが来て工房の掃除・鉄板洗い、ゴミ捨てに行って鉄板をふきました。そしてしばらくして駅に行きました。駅で外国人がベチャクチャと喋っていました。(タク)

7月21日・木曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんといっしょにのって夢屋にいきました。たまごしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。トイレ掃除をしました。(ミユ)

7月20日・水曜日(晴)
一週間お休みだったミユさんが帰って来て、少し寂しげにしていたコウキ君も元気復活♪早速、自分の隣に呼び寄せて…ミユさんの肩で自分の頭をスリスリこすりつけて甘えたり、油断すると髪を引っ張ったり…手をつねったりと悪戯もして、ミユさんに悲鳴をあげさせていました。(苦笑)それでも、久し振りに会って2人も嬉しそうにふざけ合っていました。お昼ご飯には、昨日…作っていたみそ汁を食べると、いつもより味が具にしみ込んでいてとても美味しかったので、コウキ君も大満足であっという間に食べてしまいました。(コウキ&マイ)


7月19日・火曜日(晴)
台を拭いて、粉を入れて食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れて、パン丸めをしてチーズパン作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

7月15日・金曜日(晴)
今日、朝くもっていました。駅に着いたら晴れてきて暑かったです。夢屋に着いて中を掃除してパンづくり(バターのせ)、洗い物(ふき方)タッパを洗いました。しだいにくもってきました。昼食のパンとサラダがおいしかったです。一時休憩して、工房の掃除、鉄板洗い、ゴミ捨てに行って鉄板をふきました。しばらくして駅に行きました。(タク)


7月14日・木曜日(晴)
粉入れと粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、パン丸めをして、バターロール作りをしました。ケースを出して、チョコベベとカナッペ作りをしました。(ミサ)

7月13日・水曜日(雨)
今日のコウキ君のファッションは、とても可愛らしいピンクのシャツでした。そこへミサさんがやってくると、何と全く同じ色のシャツで「ペアルックみたいだね」と皆が笑うと、コウキ君も「フフッ」と嬉しそうに笑ってミサさんの方を見たりしていました。私達メンバーよりも先輩の【夢屋】の洗濯機がいよいよ動かなくなったので、新しい洗濯機に買い替える事にしました。その洗濯機をカバーしていた厚紙やエアーパッキンなどがたくさん出て、その道具を珍しそうにとても喜んで遊んでいました。(コウキ&マイ)


7月12日・火曜日(晴)
今日、朝晴れていて暑かったです。夢屋に来て中を掃除してパンづくり(バターのせ)洗い物、昼食の準備をして、昼食の汁物とおかずがおいしかったです。しだいにあるくなってきました。一時休憩して、工房の掃除、ゴミ捨てに行きました。外は、あつかったです。掃除のやってない所をして、皆帰って来たので駅に行きました。(タク)

7月8日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんといっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。粉入れをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

7月7日・木曜日(雨)
今日朝から雨が降っていました。夢屋に来て中を掃除して、パンづくり(バターのせ)をしていたら、阿蘇きぼうの家の人が来てミユさんとベラベラ喋っていました。洗い物をして、外は雨がどしゃぶりでした。昼食の汁物とおかずがおいしかったです。工房の掃除、鉄板洗い、ゴミ捨てをして、一時して駅に行きました。(タク)


7月6日・水曜日(雨)
今日もマイちゃんはお休みで、あの笑顔を見る事は出来ませんでしたが、みんなを励ますかの様に一人マイペースで元気なコウキ君♪いつもと変わりなくソファーの上で寝転がったり…屈伸運動の後は、胡坐をくんだまま蛙のように飛び跳ねて、周囲を和ませ笑わせてくれました。今日のお昼ご飯は「お好み焼きだったので」小さく切ってソースをたっぷりかけてあげると、濃い味が大好きなので時々バンバンとテーブルを叩いたりして大喜びでした。(コウキ)

7月5日・火曜日(晴)
台を拭いて粉量りをした後、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、発酵機に入れて、ブッフェルを作りました。ケースを出して、カナッペを作りました。(ミサ)


7月1日・金曜日(雨)
今日、朝から雨が降っていました。夢屋に来て、中の掃除をして、パンづくり(バターのせ)、洗い物をして、外を見たら雨がやんでいました。昼食の準備をしました。ミユさんが御飯をたくのを忘れて、その事が注意されていました。昼食のグラタンはもちが入っていておいしかったです。しばらくして休憩して工房の掃除、ゴミ捨てに行って、鉄板を拭いて、オーブンの上に置きました。しばらく休んで駅に行きました。(タク)

6月30日・木曜日(くもり)
今日朝から歩いてチーさんの家に行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。それから、夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。メロン生地をかたちにしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。トイレ掃除をしました。歩いてかえりました。(ミユ)

6月29日・水曜日(晴)
今日朝から自転車にのってチーさんの家に行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。それから夢屋に行きました。鉄板洗いをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。メロン生地作りのお片付けをしました。くさとりをしました。(ミユ)

6月28日・火曜日(晴)
ケースににショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れて、パン丸めをして、くるみパンとチーズパン作りをしました。バターロール作りをした後、メロンパン作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

6月24日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてチーさんの家に行きました。ナコさんの車に乗せてもらいました。それから夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。バターのせをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

6月23日・木曜日(晴)
今日、久しぶりに晴れていました。夢屋に来て日誌のメモをノートに写してから洗い物をして、昼食の準備をして昼食のカレー・デザートがおいしかったです。その後、近所の配達に行って工房の掃除、鉄板洗い、ゴミ捨てをしました。だいぶ暑くなってきました。帰る途中ミユさんとチーさんに会いました。暑い中、駅に行きました。(タク)


6月21日・火曜日(雨)
台を拭いて粉量りをして、食パンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れながら、パン丸めをして、チーズパンとくるみパン作りをしました。次は、バターロールとあんパン作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。帰りは、パンの配達に行きました。(ミサ)

6月17日・金曜日(くもり)
今日、朝くもっていました。昨日夢屋を休んでいたけどまだきついです。夢屋に来て、パンづくり(バターのせ)洗い物、昼食の準備をして、昼食のシチューがおいしかったです。しばらく休憩して、工房の掃除、ゴミ捨て、鉄板洗いをして、しばらくして駅に行きました。(タク)

6月16日・木曜日(雨)
食パン作りをして、発酵機に入れながら、パン丸めをして、バターロールを作りました。今日は、あっという間でした。(ミサ)

6月15日・水曜日(雨)
今日は、みんなで「お薬師堂」の草取りをしました。雨の合間に急いで汗を流すみんなを、お休みのマイちゃんの分までコウキ君が車の中から応援してくれていました。【夢屋】に帰って来て、ミヤさんが休憩にジュースが出してくれて、お菓子(ポッキー)までもらいました。ポッキーを一緒に食べようと迫るミユさんを見て、顔が引きつり…少し後ろに下がるコウキ君でした。(笑)(コウキ&マイ)

6月14日・火曜日(くもり)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。タクさんとおるすばんをしました。午後から配達に行きました。(ミユ)


6月10日・金曜日(雨)
今日、朝から雨が降っていました。夢屋に来てから、一時してパンづくり(バターのせ)をして洗い物をして、昼食のカレーはおいしかったです。昼食後、激しく雨が降っていました。そして駅に行きました。雨がまだ激しく降りました。(タク)
6月9日・木曜日(晴)

今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家にいきました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。(ミユ)

6月8日・水曜日(雨)
今日は、曇り空であいにくの天気でしたが、コウキ君はそんな事は関係なく、とても元気に屈伸運動に励み、お休み中のマイちゃんの分も【夢屋】の中を明るくしていました。午後から、きぼうの家の方が自分の楽器を持って来られて、大きな楽器にコウキ君も目を丸くしてますます元気に喜んでいました。その人が差し入れて下さったお菓子も食べて更にハイテンション♪お客さんまで笑わせ、喜ばせるコウキ君でした。(コウキ&マイ)

6月7日・火曜日(雨)
粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、パン丸めをしながら、バターロール作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)

6月3日・金曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

6月2日・木曜日(くもり)
今日、朝くもっていました。電車は、結構乗客が乗っていました。駅の売店は休みで寂しかったです。夢屋に来たらコウキさんも休みで寂しかったです。中を掃除して、ミユさんがベラベラと喋っていて疲れました。その後、洗い物をしている時も喋っていました。皆が買い物から帰って来て、昼食の準備をして昼食のお好み焼きがおいしかったです。しばらくたって工房の掃除、ゴミ捨てをしに行く時あつかったです。しばらくして、駅に行きました。今日はあつい日でした。(タク)

6月1日・水曜日(くもり)
今日は、マイちゃんの歯医者行きがお休みの日なので、コウキ君とマイちゃん2人とも揃い、とても賑やかな一日でした。マイちゃんは、昨日(31日)が23歳の誕生日だったので、皆でハッピーバースディ―を歌ってあげると「ふっ」と、とても可愛らしい笑顔で「何ば言いよっと」と照れていました。その後、みんなからのプレゼント攻撃にも、照れて頭をかきながら、なかなか受け取ってくれませんでした。でも、ガサッとお菓子袋の音がするとキラッと目が変わっていました。(笑)お昼ごはんにもお祝いの気持ちを込めて、いつもより少し豪勢になった《ハヤシライス》を作ったら、おかげでコウキ君まで機嫌が良くなって、「ん〜っ!フフッ」と笑いながら食べて、その後ソファーに戻ってからもバンバン飛び跳ねたり、屈伸運動に励んで、マイちゃんを喜ばせていました。マイちゃんのお母さんが迎えに来られた時、お母さんにプレゼントを預けると先に車に乗っていたマイちゃんが降りて来て、パッとひったくってまた車に乗り込んで行きました。お母さんが「も〜う…ちゃんとお礼を言ったとね?」と呆れて皆が笑っているのをよそに、中身を取り出しては満足そうに笑って「バイバイ♪」と手を振るマイちゃんでした。(コウキ&マイ)

5月31日・火曜日(くもり/晴)
台を拭いて、粉量りをした後、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして発酵機に入れて、バターロール作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)


5月27日・金曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって、夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

5月26日・木曜日(雨)
今日、朝、風が吹いて雨も降っていました。夢屋に着いたらいつもの人数に戻り寂しい気がします。中を掃除して、パンづくり(バターのせ)、昼食のみそ汁、お好み焼きがおいしかったです。大降りになるかもしれないので、近所の配達をして、工房の掃除、ゴミ捨てをして、一時して駅に行きました。(タク)


5月25日・水曜日(くもり)
今日は、賑やかだった[北中学校の職場体験]も最終日。残念ながらマイちゃんは、お休みの週なので会えませんでしたが、その分コウキ君が元気に穴埋めしてくれました。午前中はみんなで、グルテンを取り出してみようというお勉強をしました。みんな、真剣にミヤさんの説明を聞いていると、コウキ君も合間にタイミング良く返事して、笑わせてくれました。それぞれ、手を使って、生地をこねていると、コウキ君も参加して、2本どころか全部の指を使って握りしめてしまい、おかげで早く次の段階に進めました。(笑)それが終わると、お昼ごはん(お好み焼き)の準備を始めました。小さく切って、ソースをたっぷりつけてあげると喜んで平らげてしまいました。(コウキ&マイ)

5月24日・火曜日(くもり)
まず、阿蘇北中学校の人達と一緒に粉量りをした後、食パン作りをしました。体重をかけてやらないと、上手に出来なくなります。次は、パン丸めをしてくるみパンとチーズパンを作りました。ケースを出した後、カナッペ作りをしました。(ミサ)


5月23日・月曜日(くもり/雨)
今日、朝から雨が降って風が吹いていました。駅に着いたら雨が降って寒かったです。夢屋に着いたら、阿蘇北中学校の研修生が来て自己紹介、夢屋便りの自分の所の原稿を読みました。昼食にピザをつくって食べましたらとてもおいしかったです。休憩して指文字(手話)をしてテラスに出てから音楽を聞きました。そして、一日の反省(日誌書き)をして小雨の中、駅に行きました。(タク)

5月20日・金曜日(くもり)
粉量りをして、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、発酵機に入れて、チーズパン作りをしました。パンを丸めて、バターロール作りをしました。(ミサ)

5月19日・木曜日(晴)
今日朝から晴れていて電車はすいていました。降りたら眠気がしてきました。夢屋に来て中を掃除して、来週、研修があるから早めにと思って日誌のメモをして、洗い物をしました。昼食のカレーはおいしかったです。しばらく休んで工房の掃除、ゴミ捨てをして鉄板をふいて一時して近所の人の家に配達に行きました。とても暑かったです。一時して、駅に行きました。売店は休みで寂しかったです。(タク)


5月18日・水曜日(晴)
今日はマイちゃんが来る日なので、久し振りに皆が揃うかと思ったら、残念ながら今度はコウキ君がお休みで、マイちゃんも寂しそうにキョロキョロ探していました。ぬり絵にも、いつものように力が入らず疲れている様子でしたが、お昼ごはんになると、やっぱりパッと変わり、積極的に片付けに入るマイちゃんでした。午後、ナコさんに差し入れて頂いたソフトクリームを皆で食べて、さらに元気が復活♪自分のがなくなって、人の分をジッと見つめていました。(笑)帰宅時間が近付くと、久し振りにマイちゃんの大好きな鶏の所に行ってお母さんを待っていました。マイちゃんも、指を突かれようが…翼で叩かれるようがお構いなしに、とても嬉しそうな顔で「ホラッ」とか「食べなっ」と鶏に声をかけながら、草をあげていました。どんどん餌をくれるので、マイちゃんの方にばかり集まって来る鶏を見て「フッ」と可愛らしい笑いをもらしていました。(コウキ&マイ)

5月17日・火曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキ君のアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。トイレ掃除をしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

5月13日・金曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。午後から配達に行きます。(ミユ)

5月12日・木曜日(雨)
粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしながら、台を拭きました。食パン作りをして、発酵機入れをしながら、バターロール作りをしました。次はチョコベベ作りをしました。(ミサ)


5月11日・水曜日(雨)
今日もマイちゃんは歯医者でお休みなので、コウキ君の寂しがりが心配でしたが…もう慣れたのか、あまり調子を落とす事もなく少し笑ったり、「ブブブブ」っと、発声したり普通通りの様子でした。お昼ご飯にカレーを食べれば、ますます絶好調で「ん〜ん〜」と唸りながら、立てた自分の手を顔の前にあてていたので「何か拝みよると!?」と、皆に笑われていました。(その様子の写真は、この日のブログに載っています。)(コウキ)

5月10日・火曜日(くもり/雨)
今日、朝から雨が降っていて電車を降りて道の駅に行って傘を電車に忘れたと思い、駅員に「すみません傘を電車の中に忘れました」と言って道の駅に行ったら、道の駅にあったので、駅員さんに謝りました。夢屋に来て中を掃除して、日誌のメモをノートに写して、パンづくり(バターのせ)、洗い物をして、昼食のみそ汁とおかずがおいしかったです。昼から風と雨が強くなってきました。工房の掃除の途中でゴミ捨てに行って、戻って来て続きをしました。終って、皆が帰って来てコーヒーを飲んで一時して、夢屋に行きました。駅に行く途中も雨と風がすごかったです。(タク)

5月6日・金曜日(晴)
今日は、連休が終わって1週間ぶりの通所で風が強かったです。電車は結構乗っていました。阿蘇駅に着いたら売店の従業員の人と会って連休の話をしました。夢屋に来て中を掃除してパンづくり(バターのせ)洗い物をして昼食のカレーがおいしかったです。工房の掃除、ゴミ捨て、鉄板洗いとふき方をしました。ずっとくもって風が強かったです。一時して、駅に行きました。道の駅と阿蘇駅も人がたくさんいました。(タク)

4月28日・木曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。たまごのしろみわけをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。トイレ掃除をしました。(ミユ)

4月27日・水曜日(くもり/雨)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんは休みました。それから、夢屋に行きました。鉄板洗いをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶碗洗いをしました。ミサさんとミユさんでマイちゃんパンをもっていきました。(ミユ)

4月26日・火曜日(晴)
今日、朝寒かったです。夢屋に来て中を掃除して、パンづくり(バターのせ)洗い物をして昼食の混ぜ御飯、みそ汁がおいしかったです。昼からあつくなってきました。工房の掃除、ゴミ捨て、朝やってない所の掃除をしました。ミユさんが1人でベラベラ喋っていました。そして、駅に行きました。アイスコーヒーを買おうと思ったら、駅舎は内容が変わっていたので、外の自販機で買いました。(タク)

4月22日・金曜日(くもり)
今日、朝くもっていて寒かったです。立野駅の駅舎で待っていたら、知らないオバサンが4人ぞろぞろと出て来て、ベラベラと喋ってホームに出ていきました。夢屋に来て中を掃除して、パンづくり(バターのせ)、昼食の準備、洗い物をしている時ミユさんが1人でベラベラと喋って困りました。昼食のみそ汁と野菜いためがおいしかったです。工房の掃除、ゴミ捨てに行ったら雨が降り出しました。そして鉄板をふきました。終ってしばらくして駅に行きました。(タク)

4月20日・水曜日(晴)
今日は、マイちゃんも来る日なので、久し振りにメンバー皆が揃い、とても賑やかでした。マイちゃんが椅子に着くと、コウキ君は早速立ちあがって、テーブル越しにマイちゃんを見たり、ソファーに戻って、バンバン飛び跳ねたりして喜んでいました。コウキ君がお気に入りのマイちゃんのハンカチを貸してもらうと、コウキ君はそれを口にくわえて、そのままブラブラ屈伸運動をして揺らしていました。マイちゃんもそんなコウキ君を見て「コラッ、何やってんの!」とツッコミながらも、満面の笑顔でした。その後、ナコさんに草取りのお礼にと貰ったアイスを皆で食べて、特に大喜びなのは、言うまでもなくミユさんとマイちゃんでした。コウキ君もミユさんに少し舐めさせてもらって「フフッ」と満足の笑い声を出していました。マイちゃんは、自分の分をあっという間に平らげて周りの人の分をジッと可愛らしく眺める作戦に出ていましたが「お腹を壊すので」と失敗に終わっていました。(笑)(コウキ&マイ)

4月19日・火曜日(雨)
粉量りをした後、食パンケースとマフィンケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、発酵機に入れながら、チーズパン作りをしました。次はパン丸めをして、天盤を出してバターロール作りをしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。(ミサ)




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2011年07月29日

2011・夏号『夢屋だより』

 
暑中お見舞い申し上げます。

                                                                         作業所「夢屋」代表 宮本 誠一

早いもので大震災から4カ月が過ぎました。この暑さの中、避難所生活をされている多くの方々、特にご高齢や障がい者の方々は大変な日々ではないかと思います。まずは遠く阿蘇の地からではありますが、お体のご健康とご無事をお祈りいたします。こちら夢屋は幸せなことに、私の畑仕事中のぎっくり腰以外は、メンバー、スタッフともほぼ平常通り日々の活動ができました。しかも私が満足に動けなかったとき、「食パンだけの運営にしようか」という私の提案に、「全部つくります」という地利世さんの頼もしい一言もあり、心強さを感じている次第です。出会った頃は口数も少なく受け身だったメンバーたちが、いつの間にか作業所運営に主体的に参画していく成長を遂げている姿に、私の引退もそう遠くないかも?(笑)と思った次第です。

それでは、夢屋の5、6、7、8月の活動内容(予定も含む)を御紹介します。

5/23〜25 阿蘇北中学校から職場体験の3名が、パンづくりや販売などに汗を流しました。

6/1〜10 千葉県から被災者ご家族に野菜ty(のなてぃー)で宿泊して頂き、精気を養って頂きました。

6/15 夢屋のメンバーたちでお薬師様の草取りをし、地域の清掃活動をしました。

6/26 喜界島からかつて難病の方の外出支援を共にやっていた米田信也さんが訪ねてこられました。

6/29 今年度の阿蘇市読書感想文審査会の第一回会合へ宮本が参加してきました。

7/4 阿蘇市障がい者福祉計画策定委員会の第一回会合へ宮本が参加してきました。

7/11 メンバーたちと高森町の湧水トンネルに七夕祭りの見学へ行ってきました。

7/30 「きぼうの家」の夏祭りの出し物で、ミユさんがレディー・ガガを熱唱してきました。

8/3 阿蘇市人権・同和教育課題別研究会「共生の教育」にメンバー、スタッフ6名で講演者として参加し、日頃の夢屋での活動を話してきます。

8/22 熊本県立聾学校で、「発達障がい者を取り巻く現状と作業所での取り組み」をテーマにメンバーとスタッフで話してきます。

昨年亡くなった多田富雄さんという有名な免疫学者が、脳卒中から立ち直られていく際、「リハビリとは、単なる機能回復訓練ではない。生命力の回復、生きる実感の回復だ」とおっしゃっています。比べるのもおこがましいですが、腰痛での寝たきりから数日して立ち上がったとき、足腰の踏ん張りや背骨の支え以上に、内から湧き出る新しい命の胎動のようなものを実感し、生きていることの神秘と感謝を抱かずにはいられませんでした。日頃、当たり前過ぎて忘れがちな「生きる実感」を「病」や「怪我」を通して思い出させてくれるとしたら、まだまだ私は何と贅沢者かと思わずにはいられません。皆様の今夏のご健勝を祈念し、暑中のご挨拶とさせていただきたく思います。

 

     
ちょっと耳より・ご紹介コーナー(13回)

           今回は、一昨年12月に続き2回目の登場の『阿蘇きぼうの家』さんです。

Q1:竹原に正式に引越されてきて、早くも半年が過ぎましたが、利用者の方や職員の方など、どんな様子ですか?(職員体制の変化などでもいいです)

A1:今までの作業所が狭かったので移転して利用者の皆さん、職員も皆が戸惑いの毎日を1ヶ月ほど過ごしました。しかし、慣れというものはすごいもので今では昔からいる場所のようになっている事にびっくりです。皆の適応能力の高さを新発見しました。(^v^)職員も大幅に増員し、これからの阿蘇きぼうの家の発展を期待している所です。



Q2:施設や環境も変わり、新しい試みとして、どんなことをされていますか。これからの抱負(予定)でもいいです。

A2:『障害者への理解の促進と偏見・差別の是正』を永遠のテーマとしておりますので、先ず地域交流の一環として竹原地区老人会の方との除草作業や畑をお借りしての野菜作りですね。また、7月23日には初めての大イベント『夏祭り』を開催いたします。今後も地域の皆様とのグランドゴルフ大会等を予定しております。



Q3:就労継続支援継続B型『スマイルファミリー』について、どんな内容の事業なのか、教えてください。

A3:一般企業での就労が困難な方に働く場を提供するとともに必要な訓練を行います。開所日は、月曜日〜金曜日の週5日です。時間は、9:00〜16:00でやっています。作業内容としましては、「化粧品のサンプル詰め」「菓子箱折」「ハム箱折(外勤)」「手芸品作り」「木工製品作り」「除草(外勤)」などです。  



Q4:最後に、夢屋へ一言、お願いします。

A4:開所式では宮本さん・地利世さんからの心温まるお言葉を頂き感動で涙が出ました。またまた今度も夏祭り大変お世話になります。出し物期待しております。\(^o^)/。それと何といっても、近くに心強い味方がいてくださるのは、とても心強く感謝しております。今後もまた・また・また……永遠に続きますが……私の心の支え(重たい?)の皆様、今後ともよろしくお願い致します(笑)。

                      〜あねご 湯浅でした。(^O^)〜     




    
≪体に何らかの変化が…(;一_一) ≫    *中島地利世*

23歳を過ぎてからある日、突然、目立ち始めたこの症状…ちょうど梅雨の季節になると手の甲にたくさんの吹き出物がでてきます。ひどい時は、赤紫のような色に腫れあがり、とても痒い状態が続きます。最近わかってきた事は、梅雨の季節だけじゃなく、3〜4月・9〜10月…つまり、寒すぎず=暑すぎずという中途半端な時期によく現れます。隠れたり出てきたりの繰り返しで治りも早く、「これ一体…何だろう!?」と不思議に思い、何度か皮膚科に行ってもハッキリした原因がわからず、「睡眠不足やストレス、食生活改善に努力されて下さい。」と在り来たりなアドバイスだけで、ある程度の努力を試みますが一向に良くならず、この異変とも十年の付き合いになります。そんな中、聴覚の方も年齢と共に変化が表れている様に思います。私の聴力が衰えた原因の元を辿ると、子供の時に風邪がこじれて百日咳という病状から髄膜炎まで経験した事がキッカケなので、それが関係するのかはわかりませんが…日頃、ちょっと風邪をひいてしまったりすると、普段の半分も聴力が弱まります。その時はまるで耳に蓋をかぶせた様な感じで、咳をしたり鼻をかんだり唾液を飲み込む時に、耳の中が「バチン!」とものすごい音がして、急に聞こえるようになったかと思えば、数秒もしないうちにまた聞こえなくなってしまいます。普段からただでさえ聞こえないのに、さらに聞こえなくなると日常生活の支障も増えて困る事がたくさんあります。たとえば、家にお客さんが来られた時のノック音や、「これ位なら聞こえます」と慣れて話してくれている人に、「今は、風邪気味でさらに聞こえません」とまた一から説明し直さないといけない事。それでも聞こえず、書いてもらう事が増えた気まずさ。かすかに聞こえていた車の音は、全く聞こえなくなるので、事故寸前の時も増えます。今までは、風邪ひいて1日〜2日もすればすぐに元通りの耳になっていたのに、最近は1週間2週間…と聞こえないままの日が続く事が多くなり、ただ…困ってばかりより「こんなに、バチン…バチン音が続いていると、いつかは…完全に聞こえなくなるのではないか」という恐怖心も消えなくなってしまいました。そんなふうに精神的に参っていた時、もしもの時の為にと完璧に手話を覚えたくて、出会ったのが通信講座の「手話入門」。これには結構、精神面で救われました。最初は「続くのだろうか…」と不安から始まり、少しずつ意味が分かっていくと楽しくもなり、完全にマスターするには「一年間を目標に」とされているコースで、3カ月に一度位の期間でテストが3回あるのですが、返ってくる答案用紙に、あの手話では有名な「砂田アトム」さんに、一言コメントを直筆で書いて頂けるという貴重なテストでした。私は3回ともオール満点で最後にとてもお褒めの言葉を戴き、ものすごく嬉しくて大満足の達成感に酔いしれていると、ある事に気づいて少しだけガッカリしました。それは、何とせっかく覚えた手話が、半分位…関東の方でしか通じない方法だった事です。阿蘇にお住まいの、知り合いの聴覚障害者の方に聞くと「こっちは違う」と言われ、正しく教えて頂きました。でもそれはそれで貴重な体験で、諦めずに今度は関西でも通じる手話の勉強に励みたいと思います。



     
アルベール逝く。      佐藤清子

二才くらいでもらってきたときは、よく人を噛んでいました。狂犬病予防注射のときはそれはそれは大変でした。娘は革手袋で抱き目隠しして行ったものです。注射をしたとたん、娘の手を噛むからです。娘は毎晩、アルベールを抱っこし、ゆうらゆうら歌や話をして落ちつかせていました。去年は冬が寒く、アルベールは娘が勤める動物病院に預けました。病院では他の犬と仲良くしていたようです。老いるのは早く、後足をひょろひょろして歩き、いよいよ寝たまんまの状態になり、点滴したりいろいろ手を尽くしましたが、ついに駄目だったとある夜、娘が冷たくなったアルベールを連れ帰り、家につくなりワンワン泣きました。私も同じです。夫に御経をあげてもらいました。短いお経でしたが、心を静めてくれました。アルベールをダビに伏す時、田んぼにクレマチスの鼻がたくさん咲いていたので遺体に飾ってあげました。アルべールのおかげでどれだけ元気をもらったかわかりません。本当に、ありがとう。
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2011年06月16日

今日のつぶやきから〜その3

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
よって、今、原発被害に関してPTSDを論じるのであれば、PTSDの予防の段階なのだから、「安全な場所に避難すること」と「事実を伝えること」が必要ということらしいです。 at 06/16 03:58
asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
先ごろ届いた精神科医のメールでは、文科省が言う「放射能を心配しすぎて」PTSDになるかのような説明は間違っているそうだ。「心配しすぎて」PTSDになることはなく、あくまでレイプ、虐待、戦争体験、交通事故等、生命が危険にさらされる現実の出来事の後に生じる疾患だそうです。 at 06/16 03:57
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今日のつぶやきから〜その2

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
文科省が4/20に発表した「放射能を正しく理解するために」の中に「PTSD」に関する誤った表記があるとして、精神科の医師が指摘するこんな文章(メール)が、出版者の知人を介して届きました。http://t.co/NYJRYXw at 06/16 03:40
asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
@y_n20110414 「現実から目を逸らす」は多くの日本人の特徴ではないでしょうか。「水に流す」ももしかすると津波から生まれたのではないかと思うくらい、悔恨や悲惨さを洗い落としながら「一つになろう」等というスローガンが全面に出てきます。ノーを発する者は異端となっていくのです。 at 06/15 21:32
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今日のつぶやきの中から〜

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
だが今回、そもそも「地震」や「原発」について、その認識について違いのあった人たちは多く、平常時の実益や震災後の被害の状況の相違(格差)も甚大である。つまり初めて日本は、情報化社会という背景のもと、『民族の分断』の危機(事象)に直面しているのではないか。 at 06/15 12:03
asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
大震災以降の日本を戦時中(もしくは戦後すぐ)の状況と酷似するという文言に良く出会う。だが果たしてそうか。明らかに違うこと。それは当時日本全国が天皇制を基盤にした軍国主義に染まり、戦後も被害の違いはあるにせよ、ほぼ一様に「敗戦」の痛手を精神的にしろ物理的にしろ味わったということだ。 at 06/15 11:55
asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
入れ替わった鍵盤に合わせ、指運びを一から修正しなおすのか、これまでどおりの弾きか方で、むしろ鍵盤の位置を楽曲に合わせる形で、独自の曲をつくってしまうのか。 at 06/15 11:47
asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
私たちは長い間、ある錯誤の中にいたのではないか。それはちょうど黒鍵と白鍵の入れ替わったピアノでソナタを習熟しようとしていたのと似ている。ある日、突然、再び鍵が入れ替わったピアノを引き出され、宣言されるのだ。これからはこっちでいきますと。だが問題はそこからだろう。 at 06/15 11:44
posted by あそびと at 17:00| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

まさしくこれが代表のつぶやきです。

asonoasobito / 夢屋プラネットワークス
「地域あってこその小規模作業所」この精神はいつもかわりません。パン作りや作業の合間をぬっては、近くの薬師堂の掃除や道路の空き缶やゴミ拾いをやらせて頂いてます。メンバーも地域の人とつながる喜びがわかり出し、進んでやってくれるので感謝、感謝です。http://t.co/aROsgnL at 06/15 02:01
posted by あそびと at 12:57| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

震災で避難されてきたご家族の野菜ty(のなてぃー)宿泊の感想です。

3/11の震災で避難してきた私たち家族をこんなステキなところに泊めていただいて、ありがとうございました。おかげさまでゆっくりでき、心も休めることができました。野菜ty(のなてぃー)のスタッフのみなさんに感謝です。そして縁をつないでくださったオルモのお二人もありがとうございました。愛のこもったゴハンで心があたたまりました。スタッフの笑顔もいやされます。みなさま、これからもよろしくお願いします。


3/11のあと、千葉県の貸家を引き払い、5月に入ってから九州にわたってきた僕たち家族4人は、一週間ほど、この野菜ty(のなてぃー)にお世話になりました。ここでの落ち着いた生活は長い移動や安定しない毎日でつかれのたまっていた僕たちを静かにいやしてくれました。そして阿蘇で出会ったたくさんの人たち、特にお世話になった野菜ty(のなてぃー)のスタッフ、そしてオルモのみなさん、ありがとうございました。皆さんのあたたかい心、親切なサポートの数々には言葉では言い尽くせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。僕たちは来週またこちらへもどってきます。今回の短いけれどあたたかい交流とおつきあいが、これからのきびしいけれど明るい未来の始まりになることを祈りつつ。もっともっと書きたいことはあるのですが、名古屋への出発を控えたあわただしい朝にて。
posted by あそびと at 09:47| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

『浮雲』(1955年作・成瀬三喜雄監督)を見て。

ここ最近、本も映画もそれなりに読んだり見たりしてきたのですが、なかなか感想を書く気にならず、ようやくこの作品については記しておこうと思った次第です。内容のあれこれについては今さら改めて紹介するまでもなく、いわゆる日本映画の名作となっていますし、どこからでも拾い集めることができるでしょうから、ここでは触れません。

ただ、私は、なるほど優れた作品というものは、映画に限らずどんなジャンルで、どんなテーマを扱っていようが、熟成かつ洗練されればされるほど、その土地や地域、国家、そして民族の優れた文化論であり、その時代の問題性を鋭く突きさす刃を隠し持っているな、と感嘆した次第です。

戦時中、仏印(現在のベトナム)で知り合った富岡とゆき子の戦後、引き上げてきてからの痴話(不倫)物語といってしまえばそれまでなのですが、林芙美子の原作をもとに水木洋子という当時としては抜群の「ジェンダーとしての性」の課題と問題を見据えていた二人が加わっているだけに、その台詞(とくに男女の)が、ときになじり合い、またあるときは情に訴え慰めあったとしても、もたれ合い、よりかかってはいないのです。

その意味で、ちよっと作り物めいた感(監督の作為性が若干見えすぎ)もあるにはあるのですが、やはり「作品」というのは、これでいいのだ、そう首肯させてしまう説得力がこの映画には漲っています。森雅之や高峰秀子の熱演もさることながら、脇役もすばらしく、またきめ細かな風景やカメラ運びも常道といえばその通りでありつつ(こうくれば、こう動くよな、といった感じ)、しかし実に「正確(ただし、ここで言うのは人間の感や培った技量をもとにしたもの)」なのです。

私は、この「正確さ」は今、ずいぶん映画の世界というか、いろんな場所から消えてしまったもののように思えます。小津安二郎の『東京物語』も同じくBSであっていましたが、最初見たのはもう四半世紀近く前になると思いますが、その的確な配置、俳優の目配り、動き、情景の挿入などなど、無駄のなさにショックを受けたことを今でも覚えています。

文学にかぶれていた二十代前半の当時の私は、その映画を飛びぬけて「新しく」かつエレガントに思え、なんだ、小津はこの一作で、日本の山々と堆積された自然主義の文学作品に比肩するくらいのことをやっちゃってるじゃないかと、驚嘆したのです。
ただ私の悪いところは、そうやって畏怖すべき作品や作者と出会うと、その監督や作者の他の作品には最初から尻込みしてしまい、敬遠してしまうというところがあるのです。
『浮雲』も、私にとりそんな作品になってしまったようです。(苦笑)
posted by あそびと at 14:51| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月09日

2011・『夢屋だより』春号〜<ちょっと耳よりコーナー・ご紹介コーナー>〜第18回目〜

今回は、内牧で『阿蘇動物病院』を営んでおられる「ツネさん」こと、小嶋維男さんです。

Q:現在の病院を開くきっかけは、いつどんなことだったのでしょうか。
A:昭和53年(1978)、私が28歳のとき、両親が住んでいる自分の育った阿蘇に、医療を介して少しでも役に立てたらという思いで、今の場所につくり、今年33年目になります。


Q:お仕事で苦労されている点、またやりがいのある点はどんなことですか。
A:飼い主さんの言うことも、僕の言うこともなかなか聞いてくれずに治療に協力してくれない動物には苦労します。病気や怪我がなおり、「先生ありがとう」と自分が必要とされたことを感じた時、やりがいを感じます。


Q:これからの阿蘇市にどんなことを期待されますか。
A:いつ「障がい」を持ったり、寝たきりになっても安心して暮らせる、人にやさしい自然豊かな音楽の似合う市であってほしいです。



Q:最後に、僭越ですが、「夢屋」に一言、お願いいたします。
A:動物病院のそばに「元気パン」というおいしいパン屋さんがありますが、まさに皆さんに毎週届けていただくパンが「元気パン」で、身体には食料を、心には「元気」をいただいています。これからも米粉パンとかいろんなパン作りにチャレンジして、地域に根差した「夢屋」であってほしいです。


編集長の竹原とは同級生の「ツネちゃん」、小学校のときはあまり目立たないやさしい子どもだったように記憶しているそうですが、今は、すごく活動的。自然を守る活動、文化の香りのするところ、そして人権を考える人たちの場所などには神出鬼没。にこやかに現れ、あたたかな輪をつくって帰られます。とくに音楽をこよなく愛し、すばらしいアーティストを引っ張って来て、私たちを楽しませてくれます。「そう言えば、最近、楼門コンサートないなあ……、さみしいなあ、ツネちゃん、たのむよ」とは竹原のつぶやき………。
posted by あそびと at 03:38| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011・『夢屋だより』春号から/[ ちょっと耳よりコーナー」も今回で18回目なので、これまでの記事を振り返ってみました。

今回で18回を迎える『ちょっと耳よりコーナー』ですが、これまで掲載させていただいた皆様を、改めてご紹介したいと思います。本当に、お忙しい中、ご協力ありがとうございました。

2007年

5月 第1回 石橋淑子さん〜オープンしたてのお菓子店チェリーファームについて〜

7月 第2回 時田道子さん〜手作り雑貨店「とき舎」への思い〜

9月 第3回 山中ユメさん〜仕事でよく行く韓国のこと〜

11月 第4回 松本似智子さん〜「とうきび人形づくり」との出会いなどについて〜

2008年

2月 第5回 竹原幸範さん〜毎日ちょっと工夫されている『長寿の秘訣』について〜

5月 第6回 有馬安弘さん〜自給自足の生活と詩の創作への思い〜

8月 第7回 波佐間法男さん〜解体材に賭けた思い〜

12月 第8回 オルモ・コッピアさん〜オープンしたてのレストランについて〜

2009年

1月 第9回 愛徳弁当さん〜お店の名前の由来などについて〜

4月 第10回 阿蘇カラーの岩下さん〜長年なさってきた交通指導の御苦労や喜び〜

7月 第11回 ギャラリーGENさん〜写真家として気をつけておられることなど〜

9月 第12回 松谷文華堂の亮さん〜創業明治32年(1899)からの歴史について〜

12月 第13回 「きぼうの家」の湯浅聡子さん〜作業所運営への思いとメッセージ〜

2010年

3月 第14回 井手酒屋さん〜酒屋と新聞販売の両立や仲町通りへの思い〜

6月 第15回 伊藤商事さん〜お店の歴史やこれからの阿蘇市への思い〜

7月 第16回 甲斐米屋さん〜お米屋を営んできての御苦労や喜びとメッセージ〜

12月 第17回 地域活動支援センター「時計台」の坂崎優征さん〜福祉への思い〜

2011年

2月 第18回 阿蘇動物病院の小嶋先生〜病院の成り立ちと動物への愛情〜

これからも、地域の皆様とつながりながら、ささやかな記事の欄ですがつづけていけたらと思っています。どうか皆様、よろしくお願いいたします。
posted by あそびと at 03:34| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011・『夢屋だより』春から・メンバーの見た風景より/その2

 *≪2010年から2011年にかけて、バタバタな年末年始≫*  (@_@;)                                              *中島地利世*

私の家は《市営住宅》なんですが、市役所から「年末までに火災報知機を取り付けるからお宅にもお邪魔させて頂きます。」という知らせがあり、今年の大掃除はいつも以上に張り切ってキレイに掃除しました。終わって、担当の人を待っている間、見落としがないか少し緊張してしまいしたが、でも掃除したおかげで、今まで物置だった部屋が一つ空いて、自分専用の部屋が出来ました。誰にも邪魔されない落ち着く空間ができて、とてもリラックス出来ています。

そんな中…去年、兄と一番下の妹が引っ越して行き、今、家では母とすぐ下の妹と3人だけで生活していて「寂しい正月を迎えない為に」と母の提案で、その人数で初めて家族の(女ばっかりで気楽な)忘年会をしました。滅多に食べれない鍋料理(笑)を準備する作業中も、出来上がった鍋料理を囲み仲良く箸を突き合う時もワイワイ賑やかで…あまりお酒を飲まない妹も珍しく飲んで、久々に母と3人で、お互いの仕事内容やTVの話題まで話の尽きない楽しい一時でした。

お正月が明けて今度は、いつも意見がバラバラだった家族が皆で揃って初詣に行きました。長年、同じ家に一緒に住んでいながらこれも初めての事で、「なかなか珍しい家族だな…他の家もそんなもんかな?」と一人、苦笑いしていました。(笑)せっかく近くにあるので、場所は「阿蘇神社」にしたまでは良かったのですが…普段から観光の方や地元の方で大人気な場所は、正月が明けて一週間が過ぎてもまだお参りの方が多く、人混みが苦手な母は、小さな悲鳴をあげていました。

お参りの後、『幸運おみくじ』というのがあって「それを引いてみよう」という話になって、皆でを買うと何と…私だけ《大凶》が当たってしまいました。動揺を隠しきれない私を見て、皆が「いや〜、逆に珍しい!!」とか「ある意味、貴重ね!」と慰め?の言葉をかけてくれていました。気を取り直して木に結びつけようと、おみくじの紙を折りたたんでキュッと引っ張った時、紙の端で指をザックリ切ってしまい「早速、やらかした…」と凹へこんでしまいました。

それを見ていた神社の人が「今、大凶の運は消えましたから…今年はもう大丈夫」と言って下さって「神社の人が言うんだから間違いない!?」と単純な私は、次のお参りはもちろん《縁結びの松》を周る事。(笑)意気込んで歩くと、観光の人に笑われてしまいました。「せのび石」という場所があって、そこで身長を測ると少し伸びている気がして「オオッ」とリアクションとると「いやっ…気のせいだから!」とツッコミが飛んできました。(笑)最後はやっぱりここ、阿蘇神社で一番人気の「願かけの石」でお参りしました。

家族の健康はもちろんの事、【夢屋】の皆の幸せもしっかり祈って来たので大丈夫なはず!?  正月の話だけでざっと…最後になってしまいましたが、私は今年も変わらずに、亀の様に首を出したり引っ込めたりしながらゆっくりゆっくり頑張って進んで行けたらと思います。
posted by あそびと at 03:30| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011・『夢屋だより』春号より〜メンバーの見た風景から/その1 1

散歩の出会い  佐藤清子

仲町通りを歩いていると、小学生の女の子とよく会います。一回目はお互いすまして、二回目は少し気持ちをはずませ、三回目は女の子が走ってきて、私も走って膝まづいてタッチ。だんだん仲良しになりました。

そんな日曜日、私は相変わらず歩いていました。

私の後ろから父親と娘の親子連れが歩いてきます。

娘「ああ、やっぱり!!」父「この人が、あのおばちゃんね?」それから私たち三人は一緒に手をハイタッチ。何回もスランプになりながら、もう歩くのはやめようかと思うことも多いですが、こんな楽しい出会いが元気づけてくれる毎日です。
posted by あそびと at 03:26| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011・『夢屋だより』春号より〜代表の挨拶です〜

さあ、いよいよ夢屋も春に向かって、皆様とともに歩いていきます。

地域活動支援センター 代表 宮本誠一

今年の冬は記録的な寒波でしたが、皆様、お変わりありませんでしたでしょうか。夢屋も簡易宿泊所「野菜ty」や管理棟の水道管が数か所破裂しました。しかし、さっそく3月には数名のお客様から宿泊のご依頼があり、落ち込んでばかりはいられぬと張り切っているところです。またメンバーも風邪で休むこともありましたが、大きな事故や怪我もなく、元気に日々の活動をつづけられたことは喜びにたえません。隣接県では、新燃岳の噴火などで避難所生活を余儀なくされる事態も起こっており、改めて自然の驚異を思い知らされるとともに、さりげない一日が、一つ一つの環境の繋がりの中で「生かされている」ということを実感しています。それでは今年、1月から3月までの行事を、予定も含めご紹介したいと思います。

1/5 阿蘇神社へ初詣でに行き、今年一年の無病息災をお祈りしてきました。

1/7 地域の方から巻きずし,稲荷ずし、のっぺ汁をいただきました。

1/18〜20 ベランダにサンルーム(夢屋スタジオ)が完成し、お茶会をしました。 

1/24 山田小学校6年生(児童8人と職員2名)とのパンづくりを通した交流学習。夢屋スタジ

オでミユさんが『みんなマイダーリン』『坂道』などを熱唱し、大いに盛り上がりました。

1/25 池邊美早さんの成人のお祝いを、オルモ・コッピアさんでしました。

2/3 「古閑の滝」を見学に行き、氷の芸術を楽しみました。

2/4 竹原に引っこしてきた『きぼうの家』さんを見学に行きました。

2/6〜14までメンバーの誕生日が集中し、プレゼント交換会で賑わいました。

2/12 部落解放第42回熊本県高校生集会の参加者40名が、学習に来られました。

2/21碧水小学校1年生(35名)との交流学習を給食室で行いました。

2/28 部落解放同盟熊本県甲佐支部の皆さん(11名)が、学習に来られます。

3/23 山田小学校の卒業記念ケーキ(55個)注文をお受けしました。 

さて、上記にもありますが、ベランダに8平方メートル(およそ4畳)の広さのサンルームを設置し、「夢屋スタジオ」と名付けました。これにより、最近さらに人数が増えてきた見学者や交流学習での対応にゆとりが生まれましたし、手作りの舞台で歌等を披露し好評を得ています。これからは地域の皆様にとってもちょっとしたお茶飲み場として、また定期的にミニコンサートを企画し、障がい者と健常者の共生の場が提供できていければと思っているところです。最後になりましたが、いよいよ4月から夢屋も17年目になります。私事ですが、宮地小学校勤務も入れると19年、つまり私が(高校まで)生まれ育った荒尾市の年数を越え、これまでの人生で一番長くかかわらせて頂く地にこの阿蘇がなります。これは本当にすばらしい御縁であり、有り難いことだなあとつくづく感謝しているところです。お店や道行く中にもお知り合いが増え、気軽に言葉をかけて頂くことを喜びとしながら、今年もどうか「夢屋」をよろしくお願いするとともに、皆様のご健康、ご多幸をお祈りし、ご挨拶にかえさせていただきたいと思います。
posted by あそびと at 03:19| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 『夢屋だより』の文章から〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

2010・11/30〜12/29 メンバーの日誌

12月29日・水曜日・(晴)
今日は、林さんのとこまで歩いて行きました。そこからミヤさんの車に乗せてもらって夢屋に行きました。みんなで大そうじをしました。マコさんがきてみんなでオルモでぼうねんかいをしました。私は、ちょっとのみすぎてみんなにしんぱいかけました。こんどからきをつけます。
(ミユ)

12月28日・火曜日(くもり)
今日、朝、寒かったです。雨も降り出しました。結構、客が乗っていました。駅に着いたら晴れてきて夢屋に着いて掃除などをしました。しばらくしたら、また雨が降ってきました。パンづくり(バターのせ)と洗い物をして、雑煮とおかずがおいしかったです。そのまま食器を洗って、工房の掃除をしました。ミユさんが邪魔して困りました。昼から雷が鳴って、途中でキヨさんが来て、皆が配達から帰って来て、夢屋を出たら雨が降り出しました。
(タク)


12月24日・金曜日(くもり)
今日、朝寒かったです。(昨日、久留米に行って少し疲れました。)夢屋に来て掃除をしました。途中で晴れて来たので良かったです。パンづくり(バターのせ)をして、昼食の汁物がおいしかったです。しばらくしてゴミ捨てをして、工房の掃除をしました。駅に行きました。
(タク)

12月23日・木曜日(晴)
今日朝から自転車にのってチーさんの家に行きました。ミヤさんの車に乗せてもらいました。それから夢屋に行きました。ケーキづくりをしました。洗い物をしました。みんなでお昼準備して、お片付けをしました。茶わん洗いをしました。トイレ掃除をしました。オルモでコーヒーをのんでケーキを食べました。
(ミユ)

12月22日・水曜日(晴)
今日は、「時計台」さん恒例のイベント《クリスマス会》に【夢屋】もお招き頂いて、マイちゃんは残念ながらお休みでしたが、コウキ君は皆と一緒にノリノリで参加して来ました。午後から病院に行く日だったので、少しだけの参加でしたが、場所が変わってもマイペースなコウキ♪椅子の上で屈伸運動に励み、笑顔で奇声をあげて周りの人を笑わせて、積極的にアピールしていました。お母さんが迎えに来てくれた時も、まだ名残惜しそうに帰って行きました。
(コウキ&マイ)

12月21日・火曜日(雨)
今日7時すぎにおきて、夢屋に着いて、夢屋便りの送る準備と昼食の準備をして、パンづくり(バターのせ)をしました。昼食の汁物とおかずがおいしかったです。その後、食器洗いを手伝って、工房の掃除をしました。雨はやみました。そして駅に行きました。(タク)


12月17日・金曜日(晴)
まず、食パンケースとマフィンケースにショートニングを塗りをして、粉量りを全部しました。食パン作りをして、レーズンパンの二次形成をしながら、チーズパン作りをしました。鉄板を出して、バターロール作りをしました。(ミサ)

12月16日・木曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。ケースぬりをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。洗たくをしました。午後から配達に行きます。
(ミユ)

12月15日・水曜日(くもり)
今日は、マイちゃんも元気に登場してますます賑やかな【夢屋】に、猫の一家も引き寄せられて玄関先で遊んでいました。皆でお世話になった方への年賀状の色塗りをしました。
マイちゃんは「ぬり絵は自分の出番!」といわないばかりに、ミユさんの一発芸にも、何と大好きなおやつにも目もくれず(笑)、自分の担当の感謝カードをひたすら塗り続けていました。でもコウキ君の可笑しな仕草や雄叫びには、やっぱり手を止め「フッ」と可愛らしく笑っていました。さすがコウキ君です。
(コウキ&マイ)

12月14日・火曜日(くもり)
今日、朝7時に起きました。昨日の夜もあまり眠れなかったです。朝から雨が降っていました。夢屋に来て、掃除をしてしばらく晴れてたけどくもってきました。先に昼食の準備をして、パンづくり(バター)や洗い物を途中までしてから昼食の汁物、スープ、大根の唐揚げがおいしかったです。また晴れて来て、ミユさんがずっと喋っていました。ミユさん達が配達に行ったので、工房の掃除をして、駅に行きました。(タク)


12月10日・金曜日(晴)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。パンをまるめました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。茶わん洗いをしました。掃除をしました。午後から配達に行きます。
(ミユ)

12月9日・木曜日(晴)
まず、粉入れと粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、発酵機入れをしながら、あんパン作りをしました。あんパン作りが上手く出来なくて、悔し泣きをして、ケースを出しながらカナッペ作りをしました。
(ミサ)

12月8日・水曜日(くもり)
今日は、コウキ君の大好きな市役所のNさんが、補助犬のステッカーを持って来られたので、早速それを使ってミユさんが一発芸を披露してくれていました。補助犬のステッカーを顔に貼って、犬になったようにそのままコウキ君に近づくと、予想通り怖がられて、「あ〜っ!」と雄叫びの後、髪の毛を引っ張られたミユさんは悲鳴をあげていました。(笑)
(コウキ&マイ)

12月7日・火曜日(晴/くもり)
今日、朝7時に起きて、夢屋に着いて、周りの葉を掃いて、ミユさんがベラベラと喋っていました。パンづくり(バター)のせをして一時してくもってきました。洗い物をして、昼食の汁物と春巻きとサラダがおいしかったです。ゴミを捨てて、工房の掃除をしました。皆が配達に行ったので静かになりました。夢屋を出て本屋に寄って駅に着いて新聞を読んで立野に着いたら、雨が降り出しました。
(タク)


12月3日・金曜日(雨)
今日は、7時すぎに起きました。駅に行く時に雨が降り出しました。夢屋に着いて、ナコさんの車で人権フェスティバルに行きました。出し物、人権に関係する話がありました。出し物に団体がたくさんいました。スリッパがなかったのでひかえ室のスリッパをかりました。Sさんにも会えて良かったです。夢屋に帰って来たら玄関に大きい白い猫がいました。そして昼食のからあげ弁当がおいしかったです。しばらくして駅に行きました。(タク)

12月2日・木曜日(くもり)
今日朝から歩いてコウキくんのアパートに行きました。ミヤさんがむかえにきました。チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。ケースぬりをしました。みんなでお昼準備してお片付けをしました。トイレ掃除をしました。茶わん洗いをしました。
(ミユ)

12月1日・水曜日(晴)
今日も、皆が心待ちにしているマイちゃんが元気にやって来ました。一段と賑やかになった【夢屋】、コウキ君も屈伸運動にますます力が入って来ました。マイちゃんは、椅子に落ち着くと、玄関先で日向ぼっこをしている猫を一目見て「フッ」と可愛らしい笑みを漏らしていました。最近は、担当のお仕事(ぬりえ)に熱心?で、皆がうっかり忘れていて紙をだしてないと、顔をキョロキョロして気付かせてくれます。「あっ…ごめんね」と言いながらわたすと、「待っていました!」とばかりに、取り上げるようにして、積極的に塗り始めます。そんなマイちゃんをチラッと見て、コウキ君も「あ〜っ!」「ん〜っ!」応援?の叫び声を出し始めて、その声でマイちゃんも「また〜っ!」とリラックスの笑いがでます。お互いをちゃんと意識し合って、お昼ご飯になると同時にパッと喜びの表情になる事も、何故かトイレに行きたくなるタイミングが一緒なのも(笑)合っていて、本当に仲の良い【夢屋】の姉弟です。
(コウキ&マイ)

11月30日・火曜日(晴)
今日、粉入れをして、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。食パン作りをして、バターロールを作りながら、くるみパンの二次形成をしました。ケースを出して、カナッペ作りをしました。パン丸めをした後、ブッフェルの生地をくるみました。今日の仕事は、大変でした。午後は、パンの配達に行ったら、N先生がいらっしゃって、嬉しかったです。
(ミサ)
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2011年01月17日

映画『ユリイカ』(青山真治監督)を見て

2001年に公開された3時間37分の作品です。

過去の苦しみ(トラウマ)から抜け出せない人たちの再生をかけたドラマと言えばそうですが、しかしそれは単なるモチーフにすぎない気がします。根底には、人が生きるということ、その根拠となるものは何か? つまりもっと言えば、人の「生」には、尊重されるに値する「何か」特別なものがあるのか。「なぜ殺してはいけないのか」と同等に、「なぜ生きねばならないのか」という永遠のテーマを重ね合わせ、「再生」の根っこにあるグロテスクかつエゴイスティックな「人間」の姿を浮き彫りにします。

福岡県のある地方都市でバスジャック事件が起こり、生き残った運転手の沢井と、中学生の直樹と小学生の梢の兄妹は心に深い傷を負います。それから2年後、行方をくらましていた沢井は、実家に戻るもすぐに居づらくなり家庭が崩壊しふたりきりで暮らす兄妹のところへ転がり込みます。彼らの従兄の秋彦(彼も、ヤクザがらみの殺人事件の被害者で心的外傷者です)も加わり、奇妙なバランスのもと共同生活が始まるのです。ところが時を同じくして、町では連続通り魔殺人事件が発生し、疑いの目を向けられた沢井は一大決心し、小さなバスを手に入れ、直樹たちと人生をやり直す旅に出るのですが、行く先々で再び殺人事件が起こり……。

印象に残るのは、沢井が正式に妻と離婚するため、再会する場面です。妻はおニャンコクラブの国生さゆりが演じているのですが、それがなかなかいいのです。沢井への思いを断ち切れず、それでも気丈に笑顔で励ます複雑な心情を細やかに、そして美しく演じています。

その帰り、彼は弱い酒を暴飲し、酔いつぶれ兄妹たちの家へ帰り咽び泣きます。彼の髪を撫ぜじっと寄り添ってくれる、妹(若き篤姫、宮崎あおい)の姿が恭しくそして切ないです。しかし、そのシーンの瞬間、なるほどこの映画のテーマが「生き方」や「自分」探しといった場所からさらに深い部分にあることに気づかされます。そうです。そもそも人は、自分を「変える」(「超える」でもいいかもしれません)ことができるのか。

それは「再生」の可能性と、そもそもそのような設定が人間存在に可能なのかという本質問題ともつながっています。究極を言えば「自死」も含め、どうして自らが自らの生命をコントロールし、しかるべきとき消滅させてはいけないのか(実際は、抹消は自由ですが)。それらを外部の関係性のもと自らを破壊することは「大事な何か(他者)を壊すことになる」というテーゼを織り交ぜ、「生きる」ことが個々人で成立しているわけではない近接性の重要さと、それを実感としてつかむことの困難性とその先に垣間見える曙光を痛切に描き出しているのです。

(おまけ…ロケが、西鉄バス、西鉄電鉄、福岡、熊本、阿蘇となじみの深い光景が多く、とくに重要な場面で、阿蘇神社の駐車場まで出てきては、ついつい3時間超、見ないわけにはいきませんでした・笑)
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2011年01月04日

山本譲司著『獄窓記』(新潮文庫)を読んで。


大晦日から年明けの間、つまり2010年から2011年にかけ最初に読んだのがこの本です。
『累犯障害者』を読み、どうしてもこれも読まなければという気持ちでしたが、ちょうど腰を痛め寝正月になってしまったこともあり、ページを捲る機会を得ました。

どちらかと言えば『累犯障害者』が、服役後の障がい者の犯罪を追跡するレポート的性格が濃く、ルポタージュ風なのに対し、こちらは、山本氏自身が政治家の道を歩み、その後秘書給与詐取事件を起こすまでの過程、そして控訴取り下げから服役生活を選択するまでの葛藤など、当時所属していた政党内の生々しい動きや家庭生活のやりとりを交え、かなり克明に描かれているため、ある意味「文学的」な匂いさえ醸しだすものになっています。

氏自身が「塀の中の掃き溜め」と称する黒羽刑務所の寮内工場、そこでは福祉施設さながらの、重度から軽度までの身体、精神、知的様々の障がい者たちが、同じ服役者である指導補助者の手を借り、工場の作業をこなし、また重度者にいたっては日常生活の些事から食事、排泄まで支援を受け、本来の服役が目的とする教育訓練とは程遠い、時をただただ這いずるような、自立性とは無縁な最低限の生命維持に近いような実態があったのです。氏はそこにまさに日本の福祉が直面する現実を「刑務所」という場の中で凝縮させた姿を見たのでした。

さて、いつもながら私は、大筋が見えてくるとそこからズレて別の視点で読む癖があって、今回も、この刑務所内での人間形成というか人と人のつながり(これは服役者だけでなく職員も含みます)のメカニズムの基点とは何なのか、ということがずっと気になっていました。果たして自分が服役したら、どんな立ち居振る舞いをするだろうか。そして同じ環境におかれ同じ労働をする中で、やはり山本氏と同様、徐々に芽生える他の服役者との共感性を享受していくのだろうかと。

そんなとき、社会学者の宮台真司氏が、近代的エートス(この場合エートスとは簡単には変えがたい行為態度)の話をネットでしていて、日本人の場合、その基盤(背景)になるものが「血縁」「宗教」「階級的連帯」「憲法」などでなく、トゥギャザーネス(集合)からくる『一体感』であり、柳田國男の考えを引き合いに「集約的な集団作業をいっしょにやること」だと述べ、物的、具体的トゥギャザーネスがいかに日本人に重要な「近接性」を齎すかということを力説しており、う〜〜んそうかもな、とこの刑務所の中での集団意識を重ねながら妙に得心した次第です。

刑務所内の労働や作業もそうですが、これまで自分が通過してきた私生活、集団生活を振り返ってみて、たとえば私の実家は私が中学三年まで乾海苔の養殖をやっていましたが、試験期間であろうがなかろうが、そのピーク期は夕方から10時、11時くらいまで手伝うのは当たり前、今頃何の支障もなくぬくぬくと試験勉強しているであろう同級生らのことを思い、ああまた成績が落ちるなと、日ごろ考えもせぬことをそんなときだけは恨みがましく反芻し、腹の底でこんな仕事早く辞めてくれと何度叫んだかわかりません。しかし今思えば、仕事の最中は夫婦喧嘩も兄弟喧嘩もまた家族の諍いもひとまず封印し、とにかく黙々とやり遂げねばならず、もしかすると今現在、16年もの間「夢屋」でパンをつくりつづけてきたねばりというか、何か基盤のようなものも、そして同じ作業をする者たちとの間で共有する仲間意識に対し、どこか蔑(ないがしろ)にできない感覚も、そういった中で培われてこなかったと言えなくもないわけです。

また宗教学者の中沢新一氏も「仕事力」というのを最近よく話しておられるようですし、「仕事と暮らしが日本人の芸術」「日本人は労働を苦役と思わぬDNAとを持っている」など某フォーラムで発言されているようです。

そのようなことを考え合わせれば山本氏が『獄窓記』後、『続獄窓記』『累犯障害者』と書き続け、様々な場で「監獄法」をはじめとする旧態然とした日本の刑務所内の問題性を告発し、それが2005年の「受刑者処遇法」成立へとつながったのも、氏が刑務所内での労働を通じたトゥギャザーネスによって育った同じ受刑者に対する一体感と彼らの人権を無視した不正義を見過ごしてはおけぬという、はやり集団への帰属意識ゆえの行為なのかと、またまた考えた次第なのです。

さあ、2011年のパンづくりも、この「労働」観を参考に意味あるものと考え、夢屋の仲間たちと地道ににやっていくぞ!! 新年早々、殊勝に思う今日ですが、この新鮮な気持ちが一年間果たして保てるのか、怠け者の私は、お屠蘇気分を追い出そうと必死に足掻き、祈るばかりなのです。(笑)
posted by あそびと at 21:29| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月15日

映画『サイコ』を見て

NHK・BSでは、今、アルフレッド・ヒッチコックの特集があっています。前夜は『サイコ』があっていました。いわずもがな、ヒッチコックの代表作であり、今もってサスペンス、スリラー、そしてホラーに通底する人間の心理描写を含めたストーリー、構成、演出、音楽、完成度、すべてにおいて越えられぬ金字塔を打ち立てた作品ではないでしょうか。

まあ、「人」は恐ろしい、そのことを単なるノーマン・ベイツという異常性をもった多重人格者の犯罪にとどめることなく、たとえばジャネット・リー演じた金を持ち逃げする秘書にしろ、そのちょっとした動作に疑いを入れるサングラスのハイウェイパトロールの警察官にしろ、登場人物すべてにひとたび「均衡」が壊れだしたときの人と人との関係の危うさと日常は個々人に潜みながらも、あるときある必然さえあればまるで理知的とも思えるように計算された上で顔をのぞかせだすグロテスクな別人格の部分を滲ませます。そのような伏線があるからこそ、モーテルでノーマンがマリオンに語る「人は生まれながらに罠にかかり、一生逃げ出すことはできない」という言葉がリアリティーをもって響いてくるのではないでしょうか。

さて、私は今回この『サイコ』を見ながら、なぜかもう一つの映画を思い浮かべていました。それは同じく1960年、フランス・イタリアの合作で製作されたルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』です。こちらの方はアラン・ドロン演じる貧乏な青年トムが普段から彼をこき使い傍若無人な態度を接する金持ちの放蕩息子フィリップを殺害し、その後、フィリップになりきろうとサインの筆跡の癖まで習得し、彼の財産だけでなく恋人まで自分のものにしようとする話です。もちろん最後はあの有名なシーン、まさしく太陽が燦々と輝く浜辺で日光浴をしているとき、海へ投げ捨てたはずのフィリップの死体が錨とともに巻きついて引き上げられ、彼女の絶叫とともに結末を迎えるのですが、つまりこちらは、他人に必死になろう、なろうと努力し、それでも破綻してしまう話で、他者になりたくなくても勝手に憑依し擦り替わってしまう『サイコ』とは対極をなすものではないか、とそんなことをちょっと考えたのです。

「異常」と「正常」の問題であり「病理」の違いだ、と片付けてしまうこともできるでしょうが、じゃあ、果たして一体どちらが異常で、どちらが正常なのか。考えようによっては、友人を殺し、本気で他人になりかわろうとするトムの方が、閉鎖的な孤独な母親との二人暮らしの中、母親を他の男にとられるのではと追い詰められ、殺害や人格転換を繰り返すフィリップより異常かもしれません。
『サイコ』の終わり近い場面で、心理学者が「最後には強い人格がのっとり勝つことになる」と得意満面に力説しますが、「ジキル博士とハイド氏」も、最終的には薬の力でハイド氏の人格を追い出せなくなり、ジキルともども自壊します。しかしハイド氏が勝ったのではなく、ハイド氏になりたいというジキル博士の無意識の願望が上回ったとすれば、勝者は最初の基点となったジキル博士であったともとれます。

フロイトが「無意識」の概念化ともども、意識への無意識の「抑圧機能」を提唱し一世紀が過ぎましたが、そこから出発した集団的無意識やさらに奥底の深層心理、果てはメタ認識に至るまで、最近では感覚や神経器官の未発達な単細胞生物(粘菌)にも知能があるのではという発見がされ、日本人がイグ・ノーベル賞を受賞しています。底の知れぬ人間を初めとする生物の恐ろしさと不思議……。今日はまた『鳥』があるので楽しみにしているところです。
posted by あそびと at 08:58| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月07日

『累犯障害者』山本譲司著(新潮文庫)を読んで

著者は、現在首相である管直人氏の秘書を務め、その後、衆議院議員に当選しましたが、政策秘書の給与を事務所運営費に流用していたことが発覚し、事実を認め即辞任した人です。そして一審の実刑判決を上級審で争うことなく(つまり執行猶予の可能性を潔く捨て)、一年二カ月の服役で罪を償うという道を選択したのです。

私は、名前が演歌歌手と同姓同名であることもあり、興味本位というか、またまた困った政治家がいるもんだなというくらいで、この流用事件を見ていました。しかし、その後彼が、テレビなどで障がい者の服役後の追跡調査や刑務所内の障がい者に対する待遇問題がドキュメンタリスティックに報道される際、コメントなどを寄せていることから、実体験を生かした視点から鋭い指摘を発していることに、徐々に関心の中心がかわっていきました。「犯罪」という、多くの一般者が<負>の側面として位置付けている事象から、実際に「犯罪」に達するまでの「社会適応の困難さ」のプロセスを丹念に追うことで、「人はなぜ罪を犯すのか」という本質的なテーマを探る手がかりを、えてして自分らにとって都合の悪い部分に対しては目をつぶりたがる大衆(私自身も含め)に向かって周知させていく重要な仕事をしているのではないかと思えるようになったのです。

「コミュニケーションの不在、もしくは不充分さ」これが人と人の関係に軋轢をもたらし、誤解と猜疑の果て、双方に妄想や自己のエゴを肥大化させ、自己中心的な行為へと加速させていくこと、そして社会的にまだ機能としての補完的状況が不十分な状況に置かれている障がい者の場合、この循環に陥りやすいことを多くの犯例をもとに解き明かします。

ややオーバーな言い方かもしれませんが、16年間作業所をやりながら、ここに書かれている様々な障がい者とのやりとりで派生する事象の素形は、私もほとんど体験してきていますし、常に日々の生活にあるものです。そう、この本に対しては、こういう言い方もできるのです。な〜んだ、こんなことは障がい者と接していれば、日頃よくあってることじゃないか。うまく話し合いができるかと期待し一歩進んだ途端、突然に起こるこちらへの恫喝、やる気を引き出そうとして、結局は最初からそうしたかったかのような、結論ありきにしぼんでいく循環の繰り返し、様々なミスを修復しようとこちらが必死に動いても、何食わぬ顔で「反省」や「感謝」という観念さえ持ち合わせない(実際にこの感情は人間関係の上で結ばれる非常に高度なもので、「自尊感情」の生育とも関係し深いテーマを孕みますが)かに見える決定的な断絶……。これらは、いわば当たり前であり、それを生じさせる関係性を充分認識したうえで、ひとつひとつ健常者側の持ち合わせている観念の上皮も剥ぎながら、じゃあ何がいったいその上に両者が築いていけるんだろうかと模索していくことが、いわば「福祉」の大方の現場の常識なのではないでしょうか。だからこそ、この本が、社会、とくに最も底辺に置かれているとも言える犯罪者の置かれている状況を梃子に「障がい者」の生きている現実の厳しさを訴えていくことは、我々もどこかこれまで日頃やっているにもかかわらず、大衆の面前から隠してきた、あるいは見えないようベールを被せてきた部分と重なるのではと、反省ともども、う〜〜んと考えさせられるのです。

とくに「性」の部分は、ドキッとさせられました。果たして「福祉」は、あるいは「社会」は「品行方正」なモデルを障がい者だけでなく「人」に対して求めるあまり、本当の「性」による「喜び」、「愛」や「自由」の存在する場所を捨象してきたのではないか……。けっきょく良い本は最終的に読者一人一人のどこか触れたくない、でも捨て去りたくもなく引きずっていた場所へ微かでありながらも明確な鮮度をもった光を当て、問いかけてくるのだなあと、改めて思った次第でした。
posted by あそびと at 23:19| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月26日

簡易宿泊所としてオープンしてから、お泊りになられたお客様の感想のいくつかを載せさせていただきました。野菜ty(のなてぃー)ご利用いただき、心より感謝申し上げます。

どうも、お世話になりやした。かんなしたのしかった。つぎくるときは中体連がおわってから夏休みばい。ぜってくるけん、超ご期待!! な〜んてね。ワッハッハ。 夢屋のみんなもがんばれヨ。それではまた。スタッフも体に気をつけなんばい。もうだいぶとしやっちゃけん! じゃあ。


野菜ty(のなてぃー)には、今日初めておじゃますることになりました。できて14年目になると言われていたけど、家の中がすごくキレイで、感動しました。私も将来はこんなぬくもりのある自然なところで生活したいなあ〜。TVがなくても全然苦にならず、人と話すのが好きな私にはとっては、すごく素敵な環境でした。こんなふうに毎日、みんなと会話をして1日が終われたら幸せだろうな〜〜。 台風がこなくてよかったです。夜空を見上げたらキレイな星がたくさん出ていました。      こんなところへくると自分が生きてるー!!って実感できますヨ。またぜひ遊びに来たいと思いますので、そのときはよろしくお願いします。野菜ty(のなてぃー)という素敵な場所へ連れて来てくれた友人に感謝しています。

Good-morning!! 気持ちのいい朝です。今朝4時まで語っていました。8時に起床予定だったのに、1時間遅れて9時のお目覚めでした。ぐっすりよく眠れました。昨日から家の中の建て方(造り方)などをずっと見てて、部屋の入り口などに全然段差がないし、電気などのスイッチが低い位置に取り付けられてあり、バリアフリーをちゃーんと取り入れてある、人にやさしい家ですネ!!  これならどんな方も安心して、訪れることができます。パンはぎっしりつまっていて、宮本さんのおすすめのあんパン……Good!!でした。あっさりとした甘さ……“人生に甘くない”ということですよね。……宮本さん!!(笑)今度は夢屋にもおじゃまさせていただきますので、そのときはぜひよろしくお願いします。野菜ty(のなてぃー)の食器も私はすごく気に入りました。テーブル、イス……すべての物がなぜかすごくやさしさを感じさせてくれます。宮本さんのギターの弾き語りで夜が終わり、朝はピアノ……なんだか物語の世界で生活しているみたいな……そんな素敵な1泊2日でした。本当、あっという間ってこのことなんでしょうね。時間を忘れて生活できた1泊2日でしたヨ。 野菜ty(のなてぃー)に来ることができて本当に幸せ!! ぜひ、この出会いをこれで終わりではなく、これからスタートさせてもらえたらと……必ずまた来ますよ〜〜!! 
                               

仕事に疲れ、都会に疲れた体にとてもやさしい場所を与えて下さってありがとうございました。夜、外に出て空を見上げたら星がとてもきれいで故郷のあの空気と星空を思い出しました。本来、自分が行かなきゃいけないところはこういうところだと思うので、また遊びに来ます。ありがとうございました。

昨日からバンドの練習という目的でこの野菜ty(のなてぃー)に来ました。この自然の真っただ中で(小鳥たちにとっては、はなはだめいわくなことかもしれませんが)周囲に気を使わずに音が出せるこの幸せ……。また日常の生活を忘れさせてくれるこの雰囲気が最高です。
                                                               

阿蘇に来ると心が開ける。人間の小ささを感じ、少し厳粛になる。阿蘇に来ると自然に身をまかせたくなる。いい二日間を過ごすことができた。ありがたい友人のおかげた。だ感謝!!

とても楽しく、非日常的な2泊3日をすごすことができました。虫の声や鳥の声以外、静かで、私たちは大声を出しても大丈夫なので、子どもたちも発散できました。たくさん五感を働かせて、身心ともに元気になって帰ることができます!! 一泊目の夜には宮本さんにもお付き合いしていただいて(体調が心配ですが……)とても楽しい夜を過ごすことができました。本当にありがとうございました。また近いうちにぜひ寄らせてください。

野菜ty(のなてぃー)は、心を休ませることのできる優しいところです。ここで過ごしたことをエネルギーに長崎に帰り、もうひと頑張りしてきます。そしてまた帰ってきます。宮本おいちゃんにいただいた本も受験が終わり落ちついたら読ませてもらいます。みんなで、またご飯を食べに来てくださいね!!                        

夜はオルモ・コッピアでお腹パンパンになるまで、どれもすごく美味しくて、いっぱいいただきました。野菜ty(のなてぃー)につれてきてただき、本当にありがとうございました。部屋がすごく広くて、兄弟夫婦×2を岡山、広島から連れてくるのもいいかあ〜〜〜♡ 私は岐阜の友達をぜひ連れて来たい……。また来ま〜〜す♪

ここから帰りたくなーい!  どうして帰らないといけないの! ずーっとずーっと ここにいたーい!  ずーとずーと ここに住みたーい!  ずーとずーと ここで生活したーい! 帰りたくなーい!   追伸1 朝起きたら、主人が朝ごはんを準備してくれました。  追伸2 スタッフ様、レストランのご主人、奥様 本当にありがとうございました。 追伸3 主人が(男が!) ここに来て 涙してました。  追伸4 来年の結婚記念日も、ここにお世話になります。 よろしくお願いします。(ローラとハイジになった私……)

最近、車で走っていると身勝手な人間に何度もイライラさせられる。自分さえ良ければ!!こんな人間がなんと多いことだろうか。笑顔の向こうにも商魂が見える作られた笑顔。イヤだ。一人一人が「優しさ」を持てばどれだけ世の中違うところになるだろう。人間だけが持つ理性に基づいた優しさ、弱い人のことがよく見える。「人がいやがることはするな」ではなく、一歩進んで「それゆえ自分にしてほしいことをみな人にもしなさい」弱い自分に何をして欲しいか分かれば自分が人に何をすべきか見えてくる。最近、よく第二次世界大戦中のドキュメンタリーや本をよく見て考えることがある。ここのロフトの書庫にもベトナム戦争やポーランドの子どもたちが見た第二次大戦の絵がある。  彼ら(兵士)にはこの優しさはないのだろうか。すべて地球上の人がこの優しさを持てば、けっして戦争や争いは起こらないだろうな。野菜ty(のなてぃー)のスタッフ様、あなたたちの優しさには敬服いたします。本当の弱い人たちの気持ちがよくわかる優しさ。私も見ならいたいと思います。二日間、ありがとうございました。 〜すべてに時がある。泣くに時あり、怒るに時あり、そして笑う時がある〜 (「イルボンスターのなりそこね」より)

起きるつもりが、ついつい寝坊になってしまう。そんな心地よさを与えてくれました。野宿、野宿、野宿の日々で、まさかこんな家に泊るとは考えてもみなかったので、とても驚きました。わざわざ火山博物館まで迎えにみていただいたこともとても助かりました。友人とのつながりから、こうして出会いましたが、今後ともよろしくお願いします。 

GW以来の野菜ty(のなてぃー)でしたが、相変わらずの素敵な時間、空間を楽しむことができました。周囲への迷惑を心配することもなく、生徒たちもBBQや花火を楽しんでいたようです。ありがとうございました。熊本の暑さとは雲泥の差の涼しさにゆっくりと過ごすことができました。感謝しています。また家族で遊びに来ます。夢屋のみんなにも部屋の準備、パン、ありがとうございました。みんなの笑顔を、また見に来ますね。 

昨夜からの夢屋のみなさんとの出会いに感動し床につきました。                数種の小鳥のさえずりで目覚め、一杯のコーヒーをいただきながら至福のひとときを味わっております。遠来の友人ともに今日は元気に久住に登れそうです。素敵な出会いに感謝します。ますますのご活躍を願っております。ありがとうございました。

野菜ty(のなてぃー)に着いたときは、建物の美しさに圧倒されました。一晩寝て、朝起きてみて、すごく張りつめた空気なんだと気づきました。人をくつろがせだけではなく、創造の厳しさも含むようなこの場所、建物……。夜中にひとり、ワープロに向かうような雰囲気でした。 

いやっー、 日ごろからギター弾いたり歌ったりしてるけど、ボリュームは絞って周囲に気遣ってやっているとは思ってたが、ここにきて「あー、気いつかってたんだあ〜〜〜 」とわかった。声もスーッと出た。ここで毎日練習したらもっと上手になるかもしれん。ここのノートに“Mother"や“Jealous Gay” が貼ってあって、宮本さんがやってるのかと思った。お元気ですか? 宮本さん。「体をつかって、そのあとに一杯やるのが最高だけん、作業やりますよ」と言ったのに、前回は仕事で遅れてやれなくて、今回は練習に専念したいというんで、何もしませんでしたが、やる気はあるんですョ。チト、体調は思わしくないんですが……。また来ます。

Minds are like parachute !! They  only function when open. ( James Dewar)心はパラシュートのようなもので、開かねばその役目を果たさない。(スコットランドの物理学者 ジェイムズ デューワー)この言葉は大好きで、何かあるたびに書いています。 
阿蘇市内に、こんな静かなところがあり、驚きと喜びでいっぱいの一泊でした。子どもたちも伸び伸びと遊び、野イチゴも採れて何度も来たいところになりました。スタッフのみなさんも、細かなお心遣い、ありがとうございました。また泊りに来ます。

野菜ty(のなてぃー)、初めて利用させていただきました。来て早々、夢屋の皆さんにいろいろなお世話をしていただき、ありがとうございました。生徒たちは大はしゃぎでバーベキューなど楽しんでいました。普段では味わうことのできない木々に囲まれた閑静な環境で、一日ではありますが暮らしてみて、良い体験になったと思います。また生徒たちはそれぞれが何かを学べたのではないのかなと思います。一拍二日、ありがとうございました。                                  

2010年10月20日

映画『キャプテン アブラーイド』を見て

深夜のNHK・BSで、『キャプテン アブ・ラーイド』という映画があっていました。ヨルダン映画です。まずは、アンマン市街を中心とする七つの丘に立ち現われる町の風景、ヘラクレス神殿跡、あるいは石積みの路地、軒を連ねる露店商と、喧噪のなかに無造作に流れるカーヌーンやトンバクといった中東の楽器の奏でる音楽など生活感がこれでもかと伝わってくるカメラワークは素晴らしいものでした。                                       しかし、それにもまして内容が、う〜んと考えさせられるものでした。                                                 

主人公のアブ・ラーイドはアンマンの国際空港で清掃員として働いています。五年前に妻に先立たれ(のちにようやく授かった一人息子も幼い時、不慮の事故で亡くしたことが語られます)、読書を唯一の楽しみに初老の日々を過ごしています。物語は、そんな彼が、ある日、ゴミ箱からパイロットの帽子を拾って家に持ち帰ったことからはじまります。                                                   

帽子をかぶり帰宅した彼を見た近所の子が、アブ・ラーイドを本物の機長だと思い込むのです。                        いつもの遊び友達数人がやってきて、旅先の話をしてくれとせがまれた揚句、彼は、日ごろ本で読み知った外国の話をするようになり、彼らとの距離が一気に狭まってきます。                                                         しかし、近づくということは、それまで見えていなかったけっして豊かではない厳しい現実を背負わされている彼ら個々の暮らしが否応なく視界へと入ってくることも意味するのです。

たとえば、学校へいくことより道端での物売りを親から強いられる子がいます。                                   アブ・ラーイドは、品物のお菓子をすべて買い上げ、学校へ行くよう促しますが、その行為も付け焼刃にしかすぎません。親へ交渉へ出かけても父権の強い文化の中にあっては相手にもされません。                                           また、他の1人ムラードは父親の暴力に(家族ぐるみでのDV)に苦しんでいます。思春期を迎えようとする周りの子よりやや年長の彼は大人の偽善性を見抜き始める年頃で、アブ・ラーイドがにせ機長だと主張し、最後はなかなか信用しない子ども数人を父親の財布から盗んだお金で空港まで連れていき、床掃除をする現場まで見せ、納得させます。しかしそんな彼もその代償として父親からのさらなる折檻が待っているのですが……。 

そんな中、アブ・ラーイドは美しい女性パイロット、ヌールと知り合います。                                     彼女は男性中心のアラブ世界の中で「自立」をめざそうとする新しいタイプの女性で、周囲の反対を押し切り結婚をせず、キャリア・ウーマンの道を進んでいます。しかし30代を迎えた彼女への視線は厳しく、無神経な言葉についつい投げやりな言葉を返しながら折れそうな毎日を送っています。そんな中、清掃夫であってもひょうひょうと立ち居振る舞い、しかも物知りなアブ・ラーイドに惹かれ、彼へ自分の身上について相談をする関係にまでなるのです。  

「人のために生きるのは嫌。たった一度の人生を自分のために生きたい」という彼女に対して、彼は自分の息子や妻の死を語り、孤独の中で日々生きることの現実を話しながらも、だからこそ人生はかけがいのないものであり、己の信じる道へすすむことが大切であることを伝えます。

そんな彼は、少年ムラードが彼の機長の真実を暴く行為に対しても微笑みながら、「いいんだよ。君は悪くない」と一言言うだけで、けっしてせめたりはしません。それどころか、機長の帽子やヌールからもらったニューヨークのお土産を手渡し、さらにはあまりにひどい父親の暴力に我慢できなくなり、ヌールとともに彼ら家族を救おうと(実際、この行為が物語のクライマックスです)するのです。                                             

大人は、どこまで子どもを許せるのか。どこまで許容できるのか。今では失われてしまったようなこの行為というか、関係性の重要さ、そして、本当の勇気とはなにか。

アブ・ラーイドは最後は逆恨みをかい、逆上したムラードの父親に撲殺されます。しかしアブ・ラーイドは最後まで、日々の生活(とくに経済苦)に疲れ切り、酒浸りになっている父親に「君は病んでいるんだ。君の力になりたいんだ」と訴え、理性による解決を切々と説こうとするのです。 

深読みかもしれませんが、私はこの最後のシーンに、ヨルダン生まれのアメリカ育ちと言う新鋭監督のイスラエル勢力に対するアラブからのメッセージが込められているようにも思えました。

「いいんだよ。君は悪くない」                                                              

大人は自らの行為に倫理的な価値を付与したり、追い求める(その結果が「善」としての行為とも言えるのですが)あまり、その内奥の真実を見よう(暴こう)とする行為に対して「悪」のレッテッルを貼りたがります。 しかし本来その行為はまったく自然なもので、ただ事実を見ようという動機から発露されたものにすぎません。                                                      

そして子どもこそはこの行為の具現者です。大人はそんな子どもの行為を前に、怒ったり、泣いたり、叫んだりするのではなく、ただ微笑み、「いいんだよ。君は悪くない」そう返せる度量をわすれてしまっているのではないか。

「いいんだよ。君はわるくない、君はすべきことをしただけだよ。」「おじさんも、小さい時はそうだった」「嘘をついていたこと、それが事実さ」「どんな理由にせよ。わるいのはこっちだ」「いずれ君もわかるときがくるよ……」 そんな反復される言葉をふくみながら、微笑みをもって果たしてどれだけ子どもに対していけるのか。それができぬして、何をして数十年長く生きてきた「証」と言えるのか。

まだまだこの映画から考えたことはあったのですが、そんなことをちょっと思った次第です。                                                              

                      
posted by あそびと at 08:26| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

最近の電話から〜

数日前、ふくし生協の中村倭文夫(しずお)さんから電話がありました。
「ちょっと5分ほどいいですか?」
どうぞどうぞと返事する私に、何かさっぱりした声で、                      「11月15日でふくし生協を退職することにしました」                      「……そうですか。それはほんとうにお疲れさまでした」と労いの言葉を挟むやいなや間髪をいれず「水俣へ行きます」ときっぱり。                                「水俣?」                                                  「ホットハウスで……」                                          「ああ、加藤さんたちの」と私は胎児性水俣病の支援をされ、現在は社会福祉法人「さかえの杜」を母体に運営されている加藤たけ子さんの名を上げていました。

加藤さんを知ったのはもうかれこれ15年近く前になるでしょうか。               はるばる水俣から開所して間もない「夢屋」を訪ねてこられ、胎児性水俣病の方たちと夢屋のメンバーは親睦を深めたのです。
加藤さんはその後も、私が『トライトーン』を発行した折は、「読みましたよ。おもしろかったというか、ほんと、私たちがぶつかっている問題も似てるんです。だから周囲の人にも読んででほしいから10冊ほどください」と電話を下さったり、こちらからも『夢屋だより』を欠かさず送っていますが、さすがに中村さんの言葉には驚きを隠せませんでした。

「そうそう、その加藤さんたちとNPOを立ち上げ、胎児性水俣病の人たちのこれからの介護支援をやっていくつもりです。また一からの出発ですよ」                      中村さんは、既に還暦を数年前に迎えられたはず。またまた水俣の地で、介護支援事業を立ち上げていこうとその意気込みがひしひしと伝わってきます。                     「名前は決めてるんです。『浜千鳥(はまちどり)』」と高らかな声が次々と私の耳へ。     「じゃあ、今度はこちらが水俣へおじゃましますので、そこでぜひ会いましょう」
不精な私は何度、この言葉を加藤さんにも言ってきたことか。(実際年賀状には毎年書いていて、一度も行ったことがありません。トホホホ……)でも、こうやって言い続けていれば、いつか夢屋のメンバーを連れ伺う日もくるかと微かな希望も込めているのです。

「ええ、待ってますよ。場所は昔ホットハウスがあった二階です。当分単身赴任です」

受話器を置いた後の何とも言えぬ余韻と感慨……久々に驚きとともに、あれこれ中村さんとの出会いと御縁、そしてこれからの自分自身の生き方もを考えさせられた一報でした。
posted by あそびと at 08:42| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

ホームページが、ほぼ完成しました。http://www.asoyumeya.org/ でお会いしましょう。

9月初めよりNGO国際協力ボランティアプラットフォーム(通称『ぼらぷら』)に制作していただいていたHPがほぼ完成し、今日、引き渡しということになりました。

「ほぼ」と書くのは、HPは常に更新されながら変化していくものですし、定位した形での「これで完成」という地点はありません。そのような意味で、いつも正確にはどこか不完全さを宿した生き物のようなものかもしれないと思うからです。(その視点からいえば、けっきょくのところ、いかに内容ある記事を掲載していくか、または日常のさりげないことでも、日々コツコツと更新していくかが大事なのかもしれません)

それでも今回、制作にあたっては、今現在という「時点」での夢屋の活動をよりわかりやすく伝えるため、ベターな方法を限られた予算内で捻出し、最後の最後まで、写真や文章と調整に手間暇をかけていただきました。結果、どこか手作り感覚の温かなページができたと、夢屋のスタッフ、メンバーとも心から喜んでいるところです。

これからは、日々の活動の情報はHPに移ることになります。

ただ、こちらの旧ブログは、何と言っても夢屋のネット上での情報発信の原点です。なつかしい記事もたくさんありますので(一応このトップ画面も含め、「ほぼ」すべてのカテゴリーは、HPと連結し見れるようになっていますが)、過去記事を確認されたい場合、どちらを選ぶかは好き好きということで、気ままに覗いていただければありがたいです。

最後になりましたが、担当していただいた『ぼらぷら』の久田優樹さんには、懇切丁寧なご指導で大変お世話になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

夢屋代表  宮本誠一            http://www.asoyumeya.org/
posted by あそびと at 18:24| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

夢屋のホーム・ページを今、作っています。

これまでブログをご覧になっていただいてきたすべての皆様へ。

現在、「夢屋」のホーム・ページを国際協力NGO・ボランティア・プラットフォームの協力のもと作らせていただいております。
アドレスは、

http://www.asoyumeya.org

です。

まだ制作途中ですが、トップ画面には日誌を載せていますので、見ていただけばありがたいです。
少しずつブログから、ホームページの方へ情報の場を移行していこうと思っておりますので、これからもどうかよろしくお願いいたします。
posted by あそびと at 02:47| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

読書感想、あれこれ……。

本来、読書感想というのは一冊読むごとに書くものでしょうが、どうも最近、こういった文章を書いた後、肩こり、そこから神経が連結している持病の左目下の痙攣がひどくなり、しばらく控えようと思っていたのですが、良い本はそれなりに胸に迫るところがあり、その微妙な機微を忘れないうちに自分なりに書き留めておくことも、やはりそれなりに意味があることだろうという気持ちは抑えがたく、溜め書きというべきか、二冊いっぺんに書いてみることにしました。

まず、柳田邦男の『犠牲(サクリファイス)〜わが息子・脳死の11日』(文春文庫)。

これを私は終始、重い気持ちで読みました。

「家族」とは何か、このテーマはこれまで多くの場所で、多くの人が語ってきたものですが、作者も何度も自らの「家族」に対して「家族崩壊」という言葉を使います。その理由は、次男の精神疾患からもたらされた<自死>に加え、連れの鬱病と言う、いわば、ある種の「家族」という「器」に乗りつつも、それぞれ義務付けられた仮面(ペルソナ)を、あるときは喜悦の中で、またあるときは苦悶をともない、それでも外すことなく嵌め続け、持続することが「構築」に匹敵するならば、そのことが身体の疾患も含めて止むにやまれぬ理由によって継続不能になったとき「崩壊」を意味するのだ、という位置付けに思えます。しかし、果たしてそうなのか?

作者を始め、ここに登場する妻や長男、そして死んだ次男は、私には健全すぎるほど健全な「家族」に思えます。健全であるがゆえの、真摯であるがゆえの切実さと脆さ、そして「契約」を超えた絆を感じとるのです。

それは、この一家が、社会性という外的側面を「崩壊」という形で一度払い落し、再度、構築(再生)を試みてきた結果とも言えます。
その主な柱は作者の「父性」と「母性」を兼ね備えた資質にもよると思うのですが、これに関しては、ここでは深くつっこみません。

つづいて、帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)の『三たびの海峡』(新潮文庫)です。
私はどこかこの作品が高橋和巳の『散華』に重なり、ナショナリズムをテーマに、同類が同類を撃つとでも言おうか(しかし、それ自体果たしてDNAや骨格、歯形を含めた様々な解析がここまで進んできている以上、有効かどうかわからないのですが)ある種の古い幻想に支えられた人間ドラマに思えました。

いや、確かに面白いのです。
筋も先に程よく読めつつ、それでも(だからこそ)どうなるのかと確認したくなります。
それは何よりも作者の細かな伏線を敷いた手だれた文章によります。

かりに、もし作者がこの作品を「博愛」や「人道」とは一線を画した本来の「理性」を中心としたヒューマニズムという観点(実際に、私には主人公を含め、いわゆる「正義」の側が理性をむきだしにした「良い子」に見えます)から、描こうとしたのであれば、「国家」や「国境」もそれなりに整理したうえで表出してほしかった、そう思います。

読後、結局、「日本」とは、「朝鮮」とは、また主人公が三度も往来する「海峡」が意味するところの「国境」とは一体、何であったのか、がぼやけ、そこに「人物」ばかりが前景に押し出てくる印象が拭えないのです。(そのような意味で和巳と重なったのかもしれません。一歩間違えれば、ちょっとついていけないな、というところへ行く危険を孕んでいます)

また、創作上のことですが、作者は、結末の主人公の復讐劇の場面が最初の構想としてあって、そこへ到達せんがためプロットという階段の地歩を固めてきている気がします。すなわちもっと言えば、主人公の「人格」がまず何より先にあるのです。

そして当然でしょうがそこから派生する形で他の登場人物の「人格」もつくられています。その意味でここにいるすべての人物は本質的な意味で誰一人「悩んで」いません。

私はこの作者の力量を重々認めつつ、そんな「理性」的側面の功罪をあえて書いておきたく思った次第です。

最後に、梁石日(ヤン・ソギル)の『血と骨』(幻冬舎)はまさしく、「理性」とは対極に位置する「身体」すなわ『血』と『骨』で、同じテーマを扱いスケール甚大であることを付け加えておきます。(この作品も、ちょっと間違えればついていけないな、というところまできてます)

posted by あそびと at 13:34| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月10日

今さら……、かもしれませんが。

今さら50年近く生きてきて、書くことでもないのですが、当然、人それぞれにその日、朝起きて、夜寝るまでの間で、あれこれ心に引っかかったり、感覚がときめいたり、がっかりしたりする箇所ていうのは、各自で微妙に違うわけですよね。

ということは、この半世紀もの間、私は、他人だったらどうでもよくて素通りしているものを、へんに見捨てることができず、ポケットの奥に隠し持って帰って確かめたり、反対に別の人だったら飛びついてかぶりつくようなものに全然興味も示さず、それどころか睥睨するような態度で足蹴にしてたりと、そんな相違の中で生きてきたわけですね。

それってよくよく考えれば、とてつもなく恐ろしいというか、よくぞここまで生きてきたなという感慨も含め、これから先もまだ続くのかと思うと、なんとなくもう責任が持てないよなっていうか、変に重苦しい感じが最近しています。

で、今、試みようと思ってやっているのが、その逆に、自分はどんなことに、どうでもいいというか、あまり関心を示さず、忘れ去ろうとしているかを考えてみています。
するとですね、意外に、そちらにこそ自分自身が元気になりそうな貴重な体験の素があるようにも思えるのです。

まず、朝、メンバーを迎えに行くと、登校中の児童が「あっ、ミヤモッちゃんだ!!」と車に寄って来て、ハイ、タッチをしてくれました。これはそういう思考をしなければ既に忘れてしまいそうになっていた出来事です。それから今度はパンの配達の帰り、中学校に勤務しているALTの外国人講師でよくすれ違う女性がいるのですが、「ハローッ」と声をかけると西日が強く照りつける中、微笑んでくれました。

これらは、まあ、さり気ない挨拶の様子で、私にとってはやっぱりこうやって意識して振り返らなければ忘れちゃうことです。夢屋のメンバーたちとの挨拶もどんなふうにしたのか、いつもと同じパターンなこともあり、記憶は消えつつあります。でもそれは、あくまでも繰り返しますが私の場合であって、人によってはこんな何気ない日常を、けっこう印象にとどめ長時間、忘れずにいる人もいるわけですよね。そう考えれば、けっこうこの50年、もったいないことをしてきたのかなとも思います。

何せ私の場合、うまくいかなかったこと、つらかったこと、不安なこと、これからどうなるか心配なこと……、そんなことがやたら心の大部分をしめてしまいがちで、それをどうやったら解決できるか、本を読んでヒントを探したり、ぼやいたり、つぶやいたり、書きとめたりと、そうやって大方を過ごしてきているように思えます。

物事を楽しんだり、些細な人と人とのやりとりを愛しんだり、というのがやや苦手というか、若干、感覚が弱いんですよね。

でもこんなことを考えるようになったのも、50歳まであと一年という今になって、どこか自分でも気付かないような部分に変化が生まれてきているのかもしれません。

ああ、そうそう、さっき小学校へパンの配達に行った時、ミユさんがスリッパをもってきて、コウキさんを背中から抱きかかえるように歩いていた私の足元に差し出したのを思いだしました。これも、大切な一コマですよね。
posted by あそびと at 18:12| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

2010・7/20~9/3 メンバーの日誌

9月3日・金曜日(晴)
今日の朝、粉量りをして、ブッフェルケースにショートニング塗りをしました。
食パン作りをして、くるみパンの二次形成をしました。
二次形成で綺麗に丸めないと、生地が傷みます。
鉄板を出して、バターロール作りをしました。
軟らかめの生地は素早くしないと、形が悪くなります。
次は、型を出してカナッペ作りをしました。
昼ご飯で玉葱切りをして、真っ赤な完熟トマトのハヤシライスが出来ました。
私は、床と階段を掃除しました。
隅っこまでやらないと、ゴミが溜まってほこりだらけになります。(ミサ)

9月2日・木曜日(晴)
今日、朝から自転車にのってコウキ君のアパートに行きました。
ミヤさんがむかえにきました。
チーさんの家に行きました。
いっしょにのって夢屋にいきました。
ケースぬりをしました。
みんなでお昼準備してお片付けをしました。
トイレ掃除をしました。
茶わん洗いをしました。
(ミユ)

9月1日・水曜日(晴)
今日のコウキ君は、前と横側の部分だけ散髪して貰ってスッキリ♪とても気持ち良さそうな顔で登場しました。
でも、【夢屋】に着くとマイちゃんがお休みとわかり、午前中は少し寂しそうでした。
お昼ご飯には、皆が大好きなピザ作り❤コウキ君も、チーさんのピザ生地をバンバン叩いて伸ばす作業を手伝ってくれて、おかげで、伸びの良い生地が出来上がりました。
問題は、コウキ君がピザは食べられない事…ミヤさんが考えた末、実はコウキ君は食パンが好きらしいという事で、ミヤさんが味噌汁を作ってくれてそれでふやかしたパンを出してみると、とても気に入ってくれてあっという間に平らげてしまいました。
(コウキ)
8月31日・火曜日(晴)
今日、朝から暑かったです。
いつもの事をして、一時待っていました。
ミユさんが買い物に行っている間、昼食の準備をしました。
昼食のカレーはおいしかったです。
しばらくして、午後の仕事を始めました。
だんだんくもってきました。
また晴れ出して一時して、駅に行きました。
(タク)

8月27日・金曜日(晴)
今日の朝、粉入れ粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。
食パン作りをして、鉄板を出しながらチーズパン作りをしました。
次は、鉄板をだして、ショートニングを塗りながらメロンパン作りをしました。
つまんでいる所を上にしないと、逆さまになります。
生地を広げないと、形が悪くなります。
ケースを出して、カナッペ作りをしました。
昼ご飯作りで、野菜切りをして、カレーが出来ました。
カレーが美味しくて、腹いっぱいになりました。
午後は、食パンの袋詰めをしました。
(ミサ)

8月26日・木曜日(晴)
今日、朝からあつかったです。
夢屋に来て、洗い物をしてから、「九重町地域自立協会」の人が見学に来ました。
自己紹介、夢屋の説明をしました。
ずっと立っていたのできつかったです。
昼食後、工房の掃除が終わって、昨日の日誌を写して駅に行きました。
(タク)

8月25日・水曜日(晴)
朝から元気いっぱいのコウキ君ですが、残念ながらマイちゃんがお休みで寂しそうでした。
午前中、皆が草取りをしている時、チーさんと2人でお留守番している時も寂しいのか?少し不機嫌になってきたので、チーさんが横に座ると寄りかかったりして甘えていました。
皆が帰って来たら、やっぱりホッと落ち着いて、動きに元気がでてきました。
お昼ご飯は、大好きなカレー(スタミナたっぷりの夏野菜で作りました。)を食べると、
それが効いたのか?「お〜っ!!」と叫ぶ声を何度か聞く事が出来ました。(笑)
(コウキ&マイ)

8月24日・火曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキ君のアパートに行きました。
ミヤさんがむかえにきました。
チーさんの家に行きました。いっしょにのって夢屋に行きました。
ケースぬりをしました。
みんなでお昼準備お片付けをしました。
(ミユ)

8月20日・金曜日(晴)
今日、粉量りをして、食パンとマフィンケースにショートニングを塗りました。
食パン作りをして、チーズパンを作る前に鉄板を出してショートニングを塗りました。
パン丸めをして、鉄板を出しながら、バターロール作りをしました。
ふんわりしないと、バターロールがふくらまなくなります。
次は、ケースを出して、カナッペ作りをしました。
軟らかめの生地で、急いでしないと、形が悪くなります。
今日の昼ご飯は、お好み焼きでした。
腹いっぱいでした。
午後は、食パンの袋詰めをして、紙(感謝カード)を切る作業をしました。
(ミサ)

8月19日・木曜日(晴)
今日、朝から晴れていました。
電車は人がたくさん乗っていました。
夢屋に来て、いつも通りの仕事をしました。
ミユさんがベラベラとしゃべっていました。
チーさんが買い物に行っている間、昼食の準備をしていたらミユさんがうるさかったです。
オルモさんのアルバイトの人の紹介がありました。
昼食の焼きそばがおいしかったです。
その後、Sさんが来て挨拶をした後、工房の掃除をしました。
(昼食前、ミツヒロさんに会いました。)
(タク)

8月18日・水曜日(晴)
ミサさんから予想外のプレゼント(折り紙みで作った玩具)を貰えて大喜びのコウキ君。
余程、気に入ったのか?とても可愛らしい笑顔で遊んでいました。
しばらくするとマイちゃんも到着して、最初は店の前に座り込んでしまったので、あの手この手で説得して、何とか家の中に入ってもらいました。
でも、中に入って椅子に座ったとたん、ニコニコ笑顔で家族の話や家の話を始めてくれました。
その笑い顔を見ていると、何か…違和感がある事に気づき、ジッとよく見てみると、何と前歯が一本欠けていました。(発作がきて、テーブルで打ったらしいです。)
とても痛々しそうで顔のイメージが少し変わってしまう程でしたが…何事もないように、
その後もいつも通りマイペースで元気なマイちゃんでした。
午後から阿蘇中の先生が打ち合わせに来られた時も、2人とも絶好調で元気一杯。♪
先生の顔を興味津津でジッと見つめていたコウキ君でした。
写真撮影の時に隣に来て握手をしてもらえて嬉しそうでした。
(コウキ&マイ)

8月17日・火曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキ君のアパートに行きました。
ミヤさんがむかえにきました。
チーさんの家に行きました。
いっしょにのって夢屋に行きました。
パンをまるめました。
みんなでお昼準備してお片付けをしました。
茶碗洗いをしました。
午後から配達に行きました。
(ミユ)

8月12日・木曜日(くもり/晴)
今日の朝、まず鉄板を洗った後、粉量りをして、食パンケースとチョコベベケースにショートニング塗りをしました。
食パンを丸め、三つ折りにしました。
パンを丸めて、バターロール作りをしました。
丁寧にしないと、パンの形が悪くなってしまいます。
次は、カナッペ作りをしました。
くるみを入れないと生地が傷みます。
今日の昼食はカレーでした。
(ミサ)

8月11日・水曜日(雨)
今朝のコウキ君は、少し夏バテ気味?で元気がないように見えました。
でもマイちゃんが来たとたん、意味不明な声を張り上げて、「フッ…何ば言いよっと」と笑わせていました。
マイちゃんの方は、ミユさん恒例の一発芸を楽しんだ後、お得意のハンカチ渡しでみんなの事を癒してくれました。
その後、そのハンカチをコウキ君に貸してあげると、コウキ君も嬉しそうにブラブラ口にくわえたりして遊んでいました。
お昼ご飯の時間が近付くとソワソワして落ち着かないのは、言う間でもなくマイ&コウキコンビにミユさん(笑)しかも今日は、皆が大好きな「ピザ」ときたら『大興奮❤』
大満足の後は『ごろ寝タイム♪』のコウキ君と、『熟睡タイム♬』のマイちゃん、それぞれの寛ぎ方で過ごしていました。
(コウキ&マイ)

8月10日・火曜日(晴)
今日、朝くもっていたけど晴れてきました。
眠くて、だるくて電車がやっと来たので、乗ったら団体客が乗っていました。
夢屋に来ていつもの事をして昼食の準備中ミユさんがうるさかったです。
12時すぎから昼食でおかずがおいしかったです。
一時して知らない人が来てミユさんとミヤさんが喋っていました。
そしてその人はすぐ帰りました。
工房の掃除をして途中みんなが配達に行ったのでミユさんだけ残っていました。
やっと終ったので駅に行きました。
(タク)

8月6日・金曜日(晴)
今日、粉量りをして、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。
食パン作りをして、パンを丸めました。
パン丸めした後、バターロール作りをしました。
バターロールのふくらみが早くなりました。
次は、カナッペ作りをしました。
昼ご飯作りで、ジャガイモの皮と玉葱の皮をむきました。
午後は、食パンの袋詰めをしました。
(ミサ)

8月5日・木曜日(晴)
今日、朝から晴れていました。
夢屋に来てチーさんにDXDをあげました。
そして、サトミさんがオルモに入る前に品物(プレゼント)をあげて、仕事(発酵機入れ)、一時前に昼食を食べて工房の掃除をして、そして駅に行きました。今日はあつかったです。
(タク)

8月4日・水曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。
ミヤさんがむかえにきました。
チーさんは休みました。
それから夢屋に行きました。
鉄板洗いをしました。
みんなでお昼準備してお片付けをしました。
茶わん洗いをしました。
市役所に行きました。
夢屋のはっぴょうをしました。
(ミユ)

8月3日・火曜日(晴)
今日の朝、粉量りをして、食パンケースとブッフェルケースにショートニング塗りをしました。
まず、食パン作りをして、パン丸めをしました。
パンを丸めた後、ブッフェルを作りました。
薄皮にしないと、パンがふくらまなくなります。
次は、鉄板を出してバターロール作りをしました。
昼ご飯の準備をして、食パンの袋詰めをしました。
(ミサ)

7月30日・金曜日(晴)
今日、朝雨が降っていました。
早く家を出て、駅で本を読みました。
夢屋に来てパンづくり(バターのせ)と発酵機入れ、洗い物が終わってAさんが来ました。
しばらくして、Kさんの所に昼食を食べに行きました。
カレー、おかず、デザートがおいしかったです。
夢屋に戻ったらSさんとあと2人(熊本養護学校の生徒と保護者)が来て、いろんな話をしました。
終ってから駅に行きました。
今日はあつかったです。
(タク)

7月29日・木曜日(雨/晴)
今日、まず粉入れをして、粉量りをした後、食パンケースにショートニング塗りをしました。
今日のバターロールは、非常に多かったです。
軟らかめの生地が作れるようになりました。
夏は発酵が早く、急いでしないと、生地が大きくふくらみます。
次は、食パン作りをしました。
今日のパン作りは、早く終わりました。
昼ご飯作りで、ジャガイモ切りと皮むきをして、玉葱切りをしました。
今日の昼食は、味噌汁でした。
(ミサ)

7月28日・水曜日(雨)
今日のコウキ君は、後でお母さんに送ってもらって来たので、マイちゃんの方が先に到着していました。
コウキ君がお休みだと思い、寂しそうにキョロキョロ探していると、すぐにコウキ君も到着して、嬉しそうな笑顔で迎えていました。
よほど、嬉しかったのか…スッと自分の席を立ち、ソファーに座っているコウキ君の隣にドカッと座っていました。
マイちゃんの方を見たコウキ君は、やっぱり髪の毛を思いっきりつかんでしまい…不機嫌にさせてしまいました。(苦笑)
何とかご機嫌を直してもらおうと…チーさんが、マイちゃんの為に持ってきたお菓子をあげると、すぐに笑顔を見せてくれるゲンキンなマイちゃんでした。
(コウキ&マイ)

7月23日・金曜日(晴)
今日朝から自転車にのってコウキくんのアパートに行きました。
ミヤさんが迎えにきました。
チーさんの家に行きました
夢屋に行きました。
ケースぬりをしました。
みんなでお昼準備してお片付けをしました。
茶わん洗いをしました。
午後から配達に行きました。
(ミユ)

7月22日・木曜日(晴)
今日の朝、粉を入れて、粉量りをしました。
食パン作りをして、ケースにショートニング塗りをしました。
次は、チーズパン作りをしました。
チーズパンが出来た後、バターロールを作りました。
早くしないと、生地が傷みます。
発酵機の入れ方がだいぶ分かるようになりました。
パンこね機を拭かないと、粉だらけになります。
今日の昼ご飯は、チャーハンと味噌汁でした。
(ミサ)

7月21日・水曜日(晴)
今日も暑い日差しの中、元気に登場したコウキ王子にマイ姫。(笑)
いつも通りミユさんの体を張った一発芸(今日は、洗濯バサミを唇に挟んでみました。)
マイちゃんが爆笑して、コウキ君まで喜んでいました。
コウキ君は、みんなが玄関先でネギの苗揃えをしていると、意味不明な奇声を張り上げて応援?してくれていました。
作業が終わり皆が家に入ってくると、休憩でお茶タイム♪
マイちゃんもコウキ君も(特にマイちゃん)ニコニコ笑顔…お菓子を食べれるからです。(笑)
お菓子で満足したマイちゃんは、ミユさんの肩をお人形さんの様に抱っこしていました。
(コウキ&マイ)

7月20日・火曜日(晴)
今日、朝、駅に行ったら人がたくさんいて、電車も結構人が乗っていました。
夢屋に着いたらいつもの仕事をしました。
ミユさんがベラベラと喋っていました。
昼からあつくなってきました。
昼食のカレー、トマトがおいしかったです。
工房の掃除の時ミユさんがじゃまして困りました。
終って駅に行きました。
(タク)
posted by あそびと at 10:07| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | メンバーの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月03日

風鈴さん、コメント、ありがとうございます。

久々に、過去の分をざっと遡り見ていましたら、こちらが目に入り、コメントさせて頂きました。

とても寂しい雰囲気の写真(失礼)でちょっと切ない気持ちになりました。

やっぱり夢屋さんは、メンバーさんが賑やかにやっている写真が一番ですね。
猛暑…続きでしたが、今日が猛暑のピークだそうで、お体に気をつけて頑張って乗り切りましょう!!
Posted by 風鈴 at 2010年08月20日 05:45


そうですね。風鈴さんがおっしゃるとおり、夢屋はメンバーたちがいてこその夢屋です。なかなか暑さは去らず、今度は朝夕との温度差に少々まいりぎみですが、季節の変わり目を何とか乗り切りたいいと思います。
風鈴さんも、どうか、お体気をつけてください。
posted by あそびと at 08:47| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日ごろの活動内容の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

映画『永遠と一日』を見て。

NHK・BSで深夜、テオ・アンゲロプロスの作品が三回にわたってあっていました。『霧の中の風景』(1988)『永遠と一日』(1998)『エレニの旅』(2003)です。

ご存じのように彼の初期代表作と言えば、『旅芸人の記録』(1975)ということになるでしょう。古代神話から現代に至るギリシャの歴史を、神話の人物関係を下敷きにした旅芸人一座の姿を通して描いた壮大な物語です。

しかし、私がこの監督を知ったのは、15年ほど前になると思いますが、たまたまテレビで見た『霧の中の風景』ででした。

ドイツにいると言われている「父」を探すため、幼い姉弟が蒸気とも霧とも、果ては人工的なガスともつかぬプラット・ホームから汽車に乗るシーンで始まります。そこからの一コマ一コマのシーンがきわめて陰影深く、「ヨーロッパ」と簡単に概括できない、それぞれの国家がそれこそ深い霧の中にあるおぼろげな「国境」を隔て歩んできた一筋縄ではいかぬいくつにも折り重なった歴史や社会思想、哲学といったものの鬩ぎ合いを「野外劇」を思わせる大胆な演出によって盛り込んでいることに、映画の新たな可能性を垣間見せられた気がして心打たれたのを覚えています。

『永遠と一日』は作家(詩や小説を書いてきている)の主人公アレクサンドロス(『ベルリン天使の歌』の天使や『ヒトラー〜最期の12日間〜』のヒトラーの役をしているブルーノ・ガンツが演じています)が、不治の病(病名は映画の中では明かされていません)を自覚し、明日には入院(「社会性」との遮断、すなわちこれを「死」と換喩しているようです)することになっていて、そんな彼の最後の一日が丹念に描かれていきます。

どうも主人公は、生前は気まぐれな旅ばかりしていたようで夫の不在中、失望の中、それでも必死にけなげに生きたことを思わせる3年前に亡くなった妻アンナとの記憶の場面や、車の窓ふきをして生計を立て、あわや養子縁組目当ての売買の餌食にされようとするアルバニア難民の少年とのかかわりを通し、時間、記憶、存在、この三つの要素が絡まりながら展開していくことがこの映画のミソです。最後に主人公が記憶の中で亡妻に明日の時間の長さはどれくらいか訪ね、永遠と一日だと妻は答えます。

印象的だったシーンはいくつかあります。どこへ向かうのか定かでない循環バスに少年を誘ったときやってくる、やや時代のずれた他の乗客たち。赤旗を持ち深くうなだれまま身動きしない、たった今までデモの渦中にいたことを思わせるコミュニストの青年、年配の教授との恋の駆け引きを批判(嫉妬)する青年と相手の冷めきった女性、バイオリン、チェロ、フルートを手に持ち演奏を始める音楽学生、そして往年のギリシャ詩人ソロモス。おお!!まさしくこれは宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』ではなかろうか。そんなことも考えてしまいました。

バスから降り、少年と別れた主人公は、どこへ行こうか迷いに迷い、車を交差点に止めたまま、周囲の車の渋滞も気にすることなく明け方を迎えます。

私はこのシーンにこそ、決定的な仕掛けが仕組まれている、そう感じました。とにかく長いのです。で、朝方彼が向かったのは、やがて取り壊されることになっている妻とわずかな蜜月を過ごした海辺の豪邸でした。

時間はふたたび飛びます。

そこで前述した最後に亡妻に向って訪ねるシーンがあらわれるのです。
「明日の長さは?」
「永遠と一日」

なるほど。ここでこの映画の構造がある程度読み取れた。そう思いました。
もちろん監督は、見る側へそれぞれ自由に解釈ができるよう余地は残してあります。


それでも私なりにあえて言わせていただけば、あの長い信号機の前での「停止」によって、主人公のたどってきたすべての記憶、物語、妻、娘、少年、それらは幻想(妄想)であったとも充分とれるようつくられています。すなわち私たちが主人公とともに体感したものは、過去、現在、未来の時間の連続性の中、存在が立ちあらわれる「永続」的なものではなく、その時間そのものを越えた別世界の基軸である「永遠」そのものであるということなのです。ただ「永遠」なるものは、「時間」軸のなかには存在しませんから「あった」(過去形)も「あるであろう」(未来形)もなく、ただそこに「ある」しかないのです。

最後にまたまた長く映しだ去られる残酷なまでのアレクサンドロスの髪の薄くなった後頭部のクローズ・アップ。そこに「永遠」の中、ただそこに存在するしかない現在としての実存の姿、すなわち「一日」が浮かびあがります。

「永遠」と「一日」、これはけっして対比ではなく、私たちが日々生きる実態そのものなのだと、監督アングロプロスは言っているようにも思えました。
posted by あそびと at 10:46| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月30日

芥川賞作品『乙女の密告』(赤染晶子著)を読んでみて。

『アンネの日記』(原題は『ヘト アハテルハウス』=「隠れ家」に近い意味があるそうです)を題材に、それを暗誦しスピーチコンテストに出ることで単位を取得せねばならないゼミ生(通称「乙女」)たちと猛烈なしごきで有名な教授バッハマン、彼がいつも手放さないアンゲリアという名のついた人形など、素材には事欠きません。

またゼミ生にもなかなかのくせものがいて、何年も留年し秘かに教授に恋心を抱きながらスピーチだけに情熱を傾ける「麗子様」(彼女はいつでも練習できるよう、首には防水のストップウォッチをかけています)、ドイツからの帰国子女「貴代」(日本の生活に浸るに従いドイツ語を忘れていくことに苛立ちを抱える、言わば外国語を学ぶことで日に日に新しい視座が開かれていく主人公みか子とは逆ベクトルにある存在です)など、やや漫画的ではありますがユニークなキャラクターがそろっています。

そもそも『アンネの日記』の最も重要(印象に残る)であろうと一般的に言われているのは1944年4月15日のアンネが少しずつ心を惹かれていたペーター少年とのキスシーンとされているようですが、まず作中のバッハマン教授が学生に暗誦するよう指示した日がそれより6日前の4月9日であるところから、なにやら謎めいた展開が始まります。

なぜその日が重要なのか。

この日は警察が隠れ家のドアのすぐ後ろまでやってくる緊迫した日なのです。アンネは言います。
『誰がわたし達ユダヤ人を世界中の民族とは違う異質なものにしたのでしょう? 誰がわたし達ユダヤ人を今日までこれほど苦しめてきたのでしょう?』

おそらく彼女は生死の極限に来て、それまで以上に「ユダヤ人」としてのアイデンティティーに突き付けられた戦時下における過酷な状況の中、その意味するものとは何なのかについて葛藤するのです。

『わたし達ユダヤ人はオランダ人だけになることも、イギリス人だけになることも、決してできません。他の国の人にも決してなれません』

しかし、みか子はある特定の個所に行きつくたびに、スピーチ中に決まってど忘れ(記憶喪失)し、練習時からうまくできません。その一文とは

『今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人なることです!』

そうです。まさしくそれはアンネがそれまで口にしていたユダヤ人としてのナショナル・アイデンティティを外に向かって叫ぶ主張とは反対にいわば内向し、否定(放棄)ともとれる言葉です。

物語はいわばこのアンネのアイデンティティーをめぐる「自己」と「擬自己」(自己内の中につくられ本質的には「他者」に近い)との葛藤に対して、みか子の「私」という現実存在と「乙女」である社会から与えられたフレームワークとのぶつかり合いを重ね合わせながら進んでいきます。つまり、その統合のなりゆきから見ていけば、一人の少女の成長をたどった青春小説とも言えるかもしれません。

そもそも「自己」なるものはあるのか。そしてその本質とは何のか。

ここでは「乙女」に象徴される社会内のポジションがまず彼女たちには用意され、そこから逸脱(排除)、もしくは脱出することによって初めて地上での自分の周辺の事態が俯瞰できる、客観的でありながらかつ主体性をもった「自己」へ転化するという西洋の自己意識への発展の行動哲学としての王道が踏まれています。

しかしふとここで私などは疑問に思います。

はたして作者は、そもそもここまでユダヤ人のアイデンティティーにこだわるというのであれば、その『概念』としてどのような枠組みを考えているのだろうかと。人種的か、宗教的か、地理的か、そこのところがぼかされ、私には正直明確な線が見えませんでした。

おそらく、人間意識内で、自らが「ユダヤ人」と思えばそうなのだ、というところに落ち着きたいのかもしれませんが、こと「ユダヤ人」に関しては現在もイスラエル・パレスチナ問題で進行中であり、そう簡単に言い切れるテーマではないことは自明です。

『ホロコースト』とは対極に常に1948年のイスラエル建国宣言後、パレスチナが被った『ナクバ』をどう2010年の現在の時点と結びつけるのか。舞台が大学であり、主人公が学生であるがゆえにこそ、どこかで描かれてしかるべきではないか、そんな不満を持ちました。

最後にみか子はスピーチコンテストで暗誦部分から逸脱(すなわち「擬自己」から「自己」への昇華を意味します)してこう言います。

「わたしは密告します。アンネ・フランクを密告します……アンネ・フランクはユダヤ人です」

この『わたし』とはだれか。『アンネ・フランク』とはだれか。密告は『だれ』に向かって行うのか。

みか子のこの科白に対するバッハマン教授の納得したような「頷き」には選考委員の一人である村上龍が強く違和感を唱えていますが、それはまた機会があれば読んでみてください。(ちなみにネット上の『龍言飛語』でもくわしく話しています)

そのほか、下世話な部分でたとえば、みか子は母子家庭で、母親がそう若くない年齢にもかかわらずホステスで生計を立て、果たしてその収入だけで(彼女はアルバイトもせずひたすら語学の習得に励んでいます)食べていけるのか。また共通することですが、登場する人物たちには「生活感」といったものがまったくありません。またバッハマン教授の正体は? ユダヤ人、それとも……。

など気になることも多かったのですが、たまたま知人より『文藝春秋』をいただき、せっかくの機会に今回は、芥川賞作品について書かせていただいた次第です。
posted by あそびと at 17:04| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 代表のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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